-凍てつく世界- Part 25
ルフトジウムは動揺から大きく咳き込み、また血反吐を吐く。夢の中で何度も何度も何度も何度も味わった初めての相棒を失った時と同じ状況は、否応が無しにも彼女の精神を擦り減らす。目の前の出来事がトリガーとなり、心の奥底に封じ込めたはずの後悔とやるせなさ、無気力感が噴出すると、ルフトジウムの体内を満たしていくようだった。ルフトジウムは一度相棒を失ってからというものの、もう二度と同僚を失わないために泣き虫で意気地無しだった自分を変える為に寝る間も惜しんで当時は教官だったグンジョウに鍛えて貰った。彼女は何もできなかったあの時より自分は成長したと思っていた。しかし何も変わっていなかった。現実はルフトジウムの努力なんて無駄なものだったと、冷たく嘲っていた。
「はっ…はっ…!
うぐっ…サ、サイント…!
無事か…!」
彼女は大きく空気を吸い込み、何とか落ち着きを取り戻そうとする。血で赤く滲む視界。手袋で何度も目を擦り、目の前で起こったことを一つずつ整理して飲み込もうとする。
「サイント…!」
ルフトジウムはまた咳き込み、血の味を噛みしめ、もう一度後輩に呼びかける。呼ばれてもぐったりとしてピクリとも動かないサイントからの返事は無い。ルフトジウムはサイントの体に開いた穴から赤い液体と命が零れ落ち、大きな水たまりを作っていくのを客観的に眺める事しか出来なかった。
「はっ……くっ……!」
獣人は“備品”として使いつぶされる運命にあることはルフトジウム自身当然理解していたし、いつかこの時が来るだろうと覚悟もしていた。“AGS”に勤める戦闘用獣人として最後まで護衛対象を我が身を犠牲に守ったのは名誉な事とされており、サイント自身も本望だと考えての行動だったのだろう。
「馬鹿野郎が…!」
唯一の不満点は命を捨てて守った相手がクズのヤマナカだった事だ。拳を握り、山羊は地面を力なく叩いた。
「はっ、ははは…!
ははははは!!」
サイントによって守られたヤマナカは、自分の上に重なってぐったりと動かないサイントの体を蹴る様にして押しのけ、上半身を起こして高笑いする。彼はむき出しになったサイバネの体を動かし、研究者の性からなのか少しでも多くのデータを取ろうとしているようだった。
「素晴らしい…なんという安定性だ!
不安定だった“重巡洋艦”の二隻目!
ようやく、ようやく竣工したのだ…。
成し遂げたぞついに…!!」
ヤマナカはゆっくり立ち上がると今ほど自分を撃ったアオザクロに近寄る。アオザクロはじっと何も感じないガラス玉のような瞳でヤマナカを見ていたが、視線はヤマナカが持っている小さなリモコンのようなものに向けられていた。
「素晴らしい…。
細胞の暴走も、過剰防衛反応もない。
獣人としての形も保っている。
“試作品”の中でもお前は一番の結果だ!
そうだ、主任を呼んで結果を共有せねば!
すごい、すごいぞ…!
他の重巡洋艦級にも匹敵するほどの高出力のはずだ。
ナクナニア光反動繋属炉がここまでこう強く結びつくなど前例がない」
近寄ろうとするヤマナカに対して、アオザクロは居心地が悪そうに一歩下がる。
「汚染物質の過剰流出も抑えられている…。
私はとうとうマキミを超えた。
やった…!!
私はやったんだ…!!!
これで“重工”の連中も私を見直す。
私はまた“中央”に返り咲けるぞ…!!」
感激のあまり、涙すら流してはじめたヤマナカに対しアオザクロは初めて口を開いた。アオザクロの声はまだ声変わりする前の少年のようなトーンで、その声は幼さを強く残していた。そしてそんな声で“鋼鉄の天使級”でもある彼は生みの親に対して警告していた。
「それ以上俺に近寄るな。
汚らわしい豚め」
「おお、言語もちゃんと介しているな。
細胞による脳へのダメージは抑えられているか。
となると、残りは脊髄にまで張り巡らされた火薬庫だな。
まあ、この件は後回しでいいか…。
おお、そうだ!
アオザクロ、お前の任務はもう分かっていると思うが――」
警告など当然聞かずに更に一歩前に踏み出したヤマナカの体は、次の瞬間には大きな金属の翼によって強く弾かれていた。
「おおぉ…!?!?」
「……ほんと汚いな」
地面に寝転がっているルフトジウムを飛び越え、距離にして十メートル以上ヤマナカは吹き飛ぶと、その巨体は大きな黒い箱の森へと消えていく。その後何かにぶつかったような鈍い音と金属音が空間に響いたがヤマナカの無事を今のルフトジウムは確かめる術を持たない。
「くそっ、あのジジイ…。
それで死んだら絶対許さねぇぞ…」
ルフトジウムは大きく息をしながら体力回復に努めつつ、横たわるサイントとすっかり形の変わったアオザクロの姿を眼に捉えていた。
彼の背中からは皮膚を突き破る様に片翼だけでも三メートルはありそうな金属の翼が生えていた。翼の形は不規則で、穴が開いておりとても羽ばたいて飛ぶようには見えない。翼の付け根にはジェネレーターのようなものが二つ背骨を挟むようにして付いており、そこから何本もの管が垂れ下がっている。先程ヤマナカを吹き飛ばした翼には二本の推進装置らしいものが個別に動くように設定されており、その一つは先ほどまでヤマナカがいた所を指向している。生き物と機械が融合したような姿は神々しくもあり、禍々しくもあり、“鋼鉄の天使級”とはよく言ったものだとルフトジウムは内心感心していた。“天使”を象徴するようにいつの間にか彼の頭上には水色に光る複雑な形をしたヘイローが出現している。彼は自らの翼をうっとりとした表情で撫で、更に自分が今いる場所を改めて見渡す。そこで彼は地面に横たわるルフトジウムをようやく見つけるとにこっと微笑んだ。
「そこで寝てるお姉ちゃん。
俺、あんたに聞きたいことがあるんだ~」
アオザクロは水槽の横にあったロッカーからバスタオルを取り出し、びしょ濡れの体を拭いていく。
「んー、なんて言ったらいいのかな。
俺は“重巡洋艦”なんだけど……ふと近くに“旗艦”の気配を感じてさ。
その気配、ずーっと俺達が探してた存在なんだけど目が覚めたら反応は消えていて…。
近くに他に“天使級”いたかどうか知らない?」
「……お前は何を言って…?」
人懐っこそうに聞いてくる彼の話す内容をルフトジウムは全く理解出来なかった。彼はバスタオルを片付けるとロッカーから軍服のような服を取り出す。
「伍番と捌番も“旗艦”の気配を感じたらしいから俺の勘違いじゃないと思うんだよね。
だからここにいたおねーさんなら何か分かるんじゃないかなって。
知ってるならすぐに教えて欲しいな」
彼は話しながら服を身に着け、最後の仕上げに大野田重工のコートを取り出して羽織った。そんな彼の表情はコロコロと変化し、まるで兵器とは思えないほど感情豊かだ。
「…………」
何の情報も持っていない上、死に体のルフトジウムはできるだけ彼を刺激しないよう無言を貫く。だがそれは裏目に出た。彼は今度は不愉快さを前面に押し出すと、光のない不気味な眼を細める。
「あれ?
俺が言ってることわかんないのかな。
共通語喋ってるつもりだったけど。
もしかして俺が怖くて声が出ない?」
彼は喋らないルフトジウムに目配せしながら地面に落ちているリモコンを拾う。そのリモコンは先ほどまでヤマナカが持っていたものであり、機械の横には赤色のトリガーのようなものが付いていた。
「言葉が通じないんじゃしゃーないか。
まあいいや。
こいつもさくっと殺して俺は任務に行こうかな。
ごめんね、おねーさん。
でも目撃者はいない方がいいから。
俺達は一応“機密”だからね」
アオザクロは邪悪な笑みを口角に張り付け、そのまま手に持っていたリモコンを握りつぶすとルフトジウムの頭に銃口を突き付けた。ルフトジウムは歯を食いしばり、目を瞑る。まさに絶体絶命の状況だったが、アオザクロに恐れず銃口を向ける男が一人いた。
「ルフトジウムさん!」
息を切らしながら全力でここまで走ってきたカンダロだった。
「下がれ、この化け物!
僕の同僚から離れろ!!」
-凍てつく世界- Part 25 End




