-凍てつく世界- Part 23
二匹は最後のひと頑張りのためにポーチに入っていた獣人用の痛み止めを口に含んで噛み砕くとヤマナカのいるであろう扉の中へ足を進める。百ミリ程度の厚みの扉を抜けると、その場の空気に飲まれたサイントが不安を多分に含んだ声でルフトジウムに呼びかけた。
「先輩…なんだか…」
「ん、まぁ…お前が言いたい事は分かるぜ?
なんというか……あまり長居したくないのは確かだな…」
場の雰囲気にかなり鈍感なルフトジウムでも分かる程に扉を潜ると空気が一変した。外から聞こえていた空襲や破壊の雑音はパタリと消え、“獣人如きが触れてはいけない”ような何かの気配が氷点下の温度と共にジワリと服を貫通し、肌から沁み込んでくるようだった。二匹は中に何が入っているのかを外の文字から理解してはいたが、それでも心臓は早鐘のように打ち、緊張からか喉がカラカラに渇いていた。二匹の気持ちはまるで世界を統べる王に謁見するかのようだった。
「ヤマナカさん!!
“AGS”のルフトジウムです!!
どちらにいらっしゃいますか!!!
…サイントお前の聴力で場所を特定出来ないか?」
大声を出してヤマナカを呼ぶが、返事は返ってこない。ルフトジウムはサイントに探索を依頼したが
「先輩、すいません。
人の息遣いらしい音と機械の音が部屋中に満ちていて、ヤマナカさんのみ抽出することが出来ません…。
あの人が特徴的な呼吸音をしているならよかったんですが」
どうやら彼女の聴力をもってしてもダメらしい。二匹は渋々入口付近でねばるのを諦め、中に入って直接ヤマナカを探すことにした。
中はまるでプラネタリウムのように円を半分に切ったような形をしており、かなり広く、天井も高い。部屋の頂点部にはカメラのシャッターのような形をした直径五メートル程のハッチがあり、壁や天井から太い拘束具や数えきれないほど沢山のケーブルが生えていて、真ん中に鎮座している大きな水槽へと繋がっていた。水槽の中身はケーブル等で隠れてよく見えなかったが、中に何が入っているか二匹は当然分かっていた。
「なんですかこれ…」
「俺に聞くな。
…でもあの水槽の中身がやべー奴ってのは俺もお前も知ってるはずだ。
扉に惜しげなく書いてあっただろ」
サイントが固唾を飲む音が聞こえてくる程の静寂。彼女は目を細め水槽の中を見ようとする。
「“鋼鉄の天使級”、ここに“大野田重工”の機密が……」
ルフトジウムは過去に地下で戦った“人を食う獣人の事件”を思い出していた。“鋼鉄の天使級”、いつからかルフトジウム達を動かす鍵にもなっていた謎の存在は今、ようやく彼女達の目の前に実体を伴って現れたのだった。
そんな“鋼鉄の天使級”が入れられた水槽の周囲には高さ二メートル弱の黒い箱がまるで区画整理された都市のように規則正しくずらりと並べられており、表面には小さなモニターのようなものが付いている。ルフトジウムはヤマナカそっちのけで好奇心からかモニターの前に立つとそこに浮かんでいる文字に目を通していた。
「おい見てみろよ、サイント。
この箱全部名前みたいなのが書いてあるぜ」
「どういうことでしょうか?」
「知らん。
俺に聞くな。
でも意味はあるだろうよ」
モニターには個人の名前のようなものが中央に、そしていくつもの変動する数字が所狭しと並んでいた。またその箱からもいくつかケーブルが壁や中央の水槽へと伸びており、大きな設備の一部であることを主張している。
「…気味が悪いなこの箱。
なんで黒色に塗ってあるんだよ」
「先輩、ここ。
開けられるようになってますよ」
サイントは『ギンナン・トコナガ』と書かれた箱の表面をじっと眺め、ルフトジウムの服を引っ張る。ルフトジウムは引っ張られた裾を引っ張り返し、手を振って拒否の意思を示す。
「俺に開けろってか?
勘弁してくれよ。
触りたくねえ」
確かに箱の表面をよく見ると、サイントの言う通りのぞき窓のようなものを動かすための小さな取っ手のようなものが付いている。サイントは好奇心に負け、静かに音を聞きながらそののぞき窓に指をかけ、勢いよく右へと動かした。
「!?」
「ひっ!?」
のぞき窓のガラスを通して見えたのは薄い水色の培養液の中に浮かぶ男の顔だった。二匹はびっくりして箱から飛び下がる。ルフトジウムに思わず抱き着いたサイントはヘナヘナとその場に座り込みそうになる。ルフトジウムはサイントの頭をポンポンと叩きながら胸を抑え、のぞき窓からもう一度中を見た。
「これやっぱりこのおっさんの名前かよ…。
なんで箱の中に人が入ってんだ?」
箱の中の人の口にはマスクのようなものが取り付けられており、時折ピンク色や緑色の物体が管を通って口の中へと流し込まれているようだった。体はよく見えないものの腕や足といった太い血管がある所には針が刺さっており、血液がそこから抜き取られているようにも見える。
「何か映画とかゲームの実験生命体みたいじゃねえかよ…」
生理的な嫌悪感から顔を青くしながら、ルフトジウムはのぞき窓を震える指で閉じる。ようやく落ち着いたのかルフトジウムから離れたサイントは大きく息を吸い、吐いた。
「先輩、覚えてますか?
前の“鋼鉄の天使級”は人肉を食らってましたよね?
そしてこの装置……」
「それ以上言わなくていいぞ。
マジで気分が悪くなるからな」
ルフトジウムはサイントの言葉の続きを手で静止しながらも、箱から伸びているコードがしっかり水槽へと向かっている事実だけ認識する。おそらくこの生餌から取り出された肉や血は“鋼鉄の天使級”へと送り込まれている。出来の悪いB旧映画のような現実をできるだけ見ないようにしてルフトジウムはサイントを箱から引きはがした。
「とにかく、だ。
さっさとヤマナカを見つけてここから出よう。
すぐに」
「そうしましょう」
二匹は恐る恐る箱の間を抜けるととりあえず一番目立っている水槽の麓へと向かった。水槽の中身は位置を変えた今、ばっちり見ることが出来た。
中には男か女か分からない猫の獣人が目を瞑り、薄い服を纏ったまま一匹入っていた。腰程にまである長さの髪の毛は薄い青色と薄いピンク色のグラデーションになっている。長い薄青色のまつ毛が特徴的な目をしており、右目の下には青色の、左目の下には赤い色の涙のようなタトゥーが入っていて、彼もしくは彼女の中性的な顔立ちを引き立てていた。着ている服には目立った起伏はなく、その様子がさらに雄なのか雌なのかの判断を濁らせていた。体つきはかなり細く、身長もルフトジウムとそれ程大差無いだろう。美形ではあったが、ハルサと同じように作り出された美しさを纏った彼、または彼女は静かに今は眠っていた。
「まるで人形みてぇだな」
「作った人の癖が垣間見えますね」
そしてまず水槽へと向かった二匹の行動は結果として正解だった。麓には大きな端末が一つ置いてあり、その前に人影が一つモニターからの光に照らされて浮かび上がっていた。杖を持った特徴的な肥満体系はヤマナカに相違ない。
「ヤマナカさん!!」
大声でルフトジウムは人影に呼びかける。ヤマナカはルフトジウムとサイントの方をちらりとだけ見ると、歯牙にかける様子もなくキーボードのエンターキーを押していた。ルフトジウムとサイントはヤマナカに駆け寄ると身分証を呈示し、虚ろな顔をした彼に話しかける。
「ヤマナカさん、“AGS”のルフトジウムです。
ご無事で何よりでした。
先ほども言いましたが俺達があなたをお守りします。
重ねてですが、この場所は敵企業の侵略もありかなり危険です。
すぐに避難の用意を」
「サイント達がお供します。
さあ」
「ああ、君。
それはいかんよ、君。
大鎌が、大鎌の獣人が襲ってくるんだ。
“ドロフスキー”の手先が、“マキミの悪魔”が」
-凍てつく世界- Part 23 End




