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-凍てつく世界- Part 18

 猫の獣人は全身から殺気を放ち続けているルフトジウムの事などまるで意に介さずトコトコと近づいてくる。気が立っている山羊の凶暴さを知らず、命知らずとも言える敵の行動に流石のルフトジウムも忠告する。


「おい、それ以上俺に近寄るなよ。

 今の俺は見境無いし、何でもいいからとにかくぶっ壊したい気分なんだ」


 この短時間で納得出来ない事が立て続けに起こり、自分でも制御できないほど情緒がぐちゃぐちゃに掻き乱されてしまったルフトジウムからしたら、一匹の得体の知れない獣人が呑気に近寄ってくるだけで脳の処理能力は限界を迎えそうになる。そんな彼女の状態を理解した上でなのか猫の獣人は右の人差し指を立てて口元に当てると共に、その物騒な獲物を降ろすように左手でジェスチャーする。


「まあまあ、落ち着けにゃ。

 さっき言った通りボクはお前と戦いに来たわけじゃないのにゃ。

 提案しにきただけにゃ。

 とりあえず今は休戦と洒落込むのはどうかにゃ?」


「……は?」


猫の獣人はデバウアーを降ろそうとしないルフトジウムにまた一歩近寄り、手に持っている何とも不思議なステッキをくるくると回す。


「お前もボクも同僚の状態を確かめたい。

 ここに差異はないはずにゃ?」


「……………」


 敵はそういうとあざとく首を傾げ、口元に当てていた人差し指の先を倒れているハルサに向ける。同時に猫の獣人が被っているホログラムは自在に姿を変え、今のホログラムから何やら花に顔が付いたアニメ調の物に代わる。ルフトジウムは敵からの提案を聞いて一瞬考えるが、すぐに苦言を混ぜた言葉を返す。


「お前はサイントが生きてるって証拠を今ここで提示出来んのか?

 出来るとしたらどうやって俺に証明して見せるんだ?」


歯をむき出しにし、憎しみの表情を隠そうともせずルフトジウムはデバウアーを振りかざす。猫の獣人は脅しの行動に付き合う素振りは見せず淡々と


「そんなの簡単なことにゃ。

 ボクはお前らのバイナルパターンを今ここで提示することが出来るのにゃ。

 それを見てもらえればあの兎の獣人が生きているかどうか判断することは可能にゃ。

 本物かどうか個体識別番号で、データベースと照らし合わせたらいいのにゃ」


そう言ってにゃはは、と笑った。この状況で笑うという行動はルフトジウムの事を小馬鹿にしているようにしか思えなかったが、ルフトジウムは長年の勘から目の前の敵が嘘を言っていないと判断する。しかし、敵の提示する条件だけで休戦するには足りない。追い詰めているのはこちら側で、譲歩すべきなのは大鎌の獣人側だ。


「………はぁ」


息を吐いて、ぐるぐると安定しない心中を意地とプライドで抑え込み、その心の中を敵に悟られないよう必死に平静を装ったルフトジウムはデバウアーを一切降ろそうとせず、目の前でゆらゆらと左右に動く敵を睨みつけた。


「あのな、勘違いするなよ。

 今主導権を握っているのはお前じゃない。

 俺だ」


 ルフトジウムの鋭い眼光と言葉はホログラムの壁を貫通し、その奥にいる獣人にまでしっかりと届いた事だろう。デバウアーの高熱の刃から立ち昇る陽炎は冷たい空気を熱し、光を屈折させ、赤色のランプが不気味にその場を照らす。猫の獣人はゆらゆら左右に動くのをやめるとステッキを床に付け、片手をポケットに入れる。次に敵から放たれた声は今までのような文字通り猫を被ったような声ではなく、おふざけを一切取っ払った真剣な声だった。


「……面倒な奴だにゃ。

 お前の言う条件、聞くだけ聞いてやるから試しに言ってみろにゃ」


 猫の獣人の尻尾の動きが速くなる。思った通りに事が運ばず、苛立っている証拠だ。トリッキーな性格で、掴み所が無いタイプだと思いきや、割と素直に感情が身体から漏れ出るタイプらしい。ルフトジウムは自分から猫の獣人に一歩近づき、仰向けで動かない大鎌の獣人の首元にもう片方のデバウアーを突きつけて見せる。


「別にそんなに難しいことじゃねぇ。

 お前ら、今回の件から手を引け。

 俺達の護衛期間中だけでも大人しくしてろ」


ルフトジウムはホログラムの向こうにいる猫の獣人の目を真っ直ぐに見る。猫の獣人はハルサの首元に突き付けられている刃とルフトジウムの表情を見比べていたが、やがて観念したように肩を竦め頷く。


「……どうやらボク達に選択の余地はないみたいにゃ。

 分かったのにゃ、お前の言った条件を受け入れるにゃ。

 だからうちのかわいい狼からその刃を外してもらえるかにゃ?」


当然、ルフトジウムはそれだけで終わらせるつもりはない。もう一つすかさず条件を叩きつける。


「それと、俺達三人と二匹の命の保証もちゃんと入れろ。

 手は引きますが憂さ晴らしでサイントを殺します、じゃあ本末転倒だ。

 お前達がヤマナカやサイントを殺さないという保証が欲しい」


目の前の敵が爆発物を扱う獣人であることが間違いないならば、命の保証も付けておいて損はないだろう。猫の獣人は、理解したと言うように小さく頷いた。


「………分かったにゃ。

 でもその場合ボクとそこで寝てるやつの命の保証もして欲しいのにゃ。

 そしてボク達を見逃してほしいのにゃ」


「…………」


 今回の任務はヤマナカの護衛だ。そこにたまたま大鎌の獣人がいただけで、任務の達成条件にこいつの逮捕は入っていない。それに今回の条件はルフトジウムにとっても悪くなかった。実際、彼女は結論を先延ばしにする時間が欲しかった。ヤマナカを逃がす為ではない。サイントを生き長らえさせる為でもない。カンダロに情報を流す為でもない。目の前の大鎌の獣人がハルサであるという結果を受け入れる為だ。とにかく彼女は今は目の前からこの二匹が消えて欲しかった。だから、本来ならば今回は素直に受け入れ、二匹を見逃す事にしたのだった。


「……分かった。

 俺はお前らがこの街から出ていくまで手を出さない」


「それを聞いて安心したのにゃ。

 じゃあそいつの首から刃をどけてくれにゃ」


 ルフトジウムは仰向けで目を瞑っているハルサの顔を見る。動かしてもピクリとも動かないが彼女の平坦な胸は呼吸に合わせて上下しており、少なくとも生きていることは分かる。山羊は大人しく要望された通りに刃をどけ、危害を及ぼすつもりはないと証明するように壁まで下がる。

 猫の獣人はすぐに小さな狼に駆け寄ると側で首に手を当てて脈を確認したり、傷の具合を確かめる。ルフトジウムは自らの怪我も忘れてその様子をぼんやりと眺める事しか出来なかった。一時的に訪れた平和は緊張の糸を切り、心も体も傷だらけの彼女に無気力感と疲労感が津波のように襲い掛かる。ルフトジウムはコンクリートの壁を背もたれにしてその場に座り込んでいた。しつこく鳴り響くアラームの音以外基本的に音の無い空間は冷たい空気を微かに震わせ、焦げ臭い匂いが次第に充満し始めていた。常に換気されているとは言え長い間ここにいるのは得策ではないだろう。


「なぁ、あんた」


 脱力し、動く気力すら今はなかったルフトジウムだったが目の前に倒れている大型の獣人を見ていると、戦闘中考える余裕が無かった事柄が胸の中からゴポゴポと込み上げてくる。沈黙を守ることに耐えきれなくなったルフトジウムは猫の獣人に気が付けば話しかけていた。自分でも驚くほどその声はか細く、震えていた。


「にゃ?」


ハルサの傷の手当てをしている猫の獣人は何ようだ、というようにルフトジウムの方を見る。どこから取り出したのかは不明だが、猫の獣人は忙しそうに救急箱から包帯や消毒液を取り出し、まるで病院のような手当てを行っていた。


「その子の事、教えてくれないか?」


ピタリと包帯を巻く手が止まる。


「は?

 なんでにゃ?」


「なんでって…知りたいからだよ。

 それじゃだめか?」


猫の獣人は少し黙り、また包帯をまき始める。


「……ボクから言えることは何もないのにゃ。

 知りたいなら本人が起きてから聞け、にゃ」




               -凍てつく世界- Part 18 End

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