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-凍てつく世界- Part 17

 ルフトジウムは冷や水を頭からぶっかけられたかのように自分の体の奥底で燃えていた熱い焔のようなものが鎮火したのを感じ取る。さっきまで頭に残留していた煮えたぎった血がまるでこの都市の気候のように一瞬で冷え切り、そのついでに思考回路までも凍らせたかのようだった。他人から言われずとも自らの顔が真っ青になっていることが自覚できる。まるで銅像のように固まっていたルフトジウムはゆっくりと首を振り、頭を抑える。


「違う…。

 違うに決まってる……。

 ハルサなわけないだろ…。

 おい、ルフトジウム、しっかりしろ…。

 お前は“AGSの断頭台”なんだぞ……」


 思考回路にべったりとに纏わりついてくる嫌な考えを振り払うかのようにまた首を振ったルフトジウムは陽天楼で働いているハルサを思い浮かべた。が、それは逆効果だった。ハルサの小さく細い体つきや、髪の色、尻尾の数――。大鎌の獣人の体は今はコートに隠れていて、それらの特徴はよく見えないものの、前回、前々回と戦った時の彼女の体格は考えれば考えるほどハルサと似た感じだったのではないか。


「なんなんだよ……」


 ルフトジウムは整理しきれない気持ちを体の中から出すように、大きく長く息を吐いて気持ちを落ち着かせようとする。そして先ほどからピクリとも動かない大鎌の獣人の獣の耳についているピアスをもう一度見た。あれはハルサの付けているものと酷似しており、かなりシンプルなデザインをしている。あの程度の代物ならどこの販売店にでも売っている。そうに決まっている。ハルサと同じように尻尾が三本あるのだって別に戦闘用獣人には珍しいことではないし、今見えている灰色の髪の色だって獣人を購入、作成時にデフォルトで用意されるぐらい人気の色だ。だからこそ目の前に倒れている獣人はハルサではない。第一こんな所まで彼女が来ているはずない。


「―――確認しねえと」


 ハルサではない可能性ばかりを探していたルフトジウムだが、ここでグダグダしていてもしょうがないと覚悟を決め、渋る自分に言い聞かせるように次の行動を口に出す。ハルサと大鎌の獣人、似てはいるが別個体である可能性だけを信じてデバウアーを地面へと突き刺し、唾液を飲み込む。震える足で一歩、また一歩と近づくルフトジウムは大鎌の獣人の傍へとたどり着くと足を使い、覚悟を決めてうつ伏せになっている小さな体を仰向けにした。


「――――!」


現実を受け入れる算段を立ててはいたものの、その光景にルフトジウムは息を飲んでいた。仰向けになった大鎌の獣人の姿、顔は間違いなく自らが思いを寄せ可愛がっていたハルサだったのだから。血湧き、肉が躍るような戦いの結末に待っていたのはなんとも興ざめな結末で、受け入れがたい現実だった。


「こんなことって…。

 こんなことってあるのかよ…。

 ははは……」


 ルフトジウムは自分の体に力を入れることが出来ず、その場にへなへなと座り込みそうになり慌ててデバウアーを杖にして姿勢を維持する。気絶している大鎌の獣人の顔立ちは、ハルサの特徴的な泣き黒子や、人形のように整った顔のパーツ類等何もかもがルフトジウムの知っている彼女そのものだった。いつもハルサが大事そうに付けている首輪や、割れて外れてしまっているモノクルも大鎌の獣人がハルサであることの何よりの証拠となってその場に座していた。


「ハルサ、お前…だったんだ…な……はは…。

 俺達を――俺達をずっと苦しめていた大鎌の獣人は……」


 強烈すぎるショックでたどたどしく言葉を吐き出したルフトジウムは過去のハルサとの交流をまるで走馬灯のように鮮明にゆっくりと思い出していた。太古の昔から恋は盲目とはよく言ったもので、ハルサが病気でルフトジウムと会えなかった期間は、ルフトジウムが自らの手で彼女の腹部に小刀を突き刺し、機関車の屋根から飛び降りて逃げていった時期と被っている。そんな事に今更ながら気が付いた山羊は頭をガリガリと掻くと、困ったように汗まみれの手袋を外し、顔を覆う。ルフトジウムの胸中はもうぐちゃぐちゃで泣きたいのか、それとも怒りたいのか、自分でも分からなくなっていた。


「捕まえるしか…ないんだよな」


 指と指の隙間から対象の姿を見つめたルフトジウムは、ここにきてようやく自分が“AGSの断頭台”であり、その使命を思い出す。今回の護衛対象、ヤマナカを狙っている犯人がハルサであると分かった以上、その目論見を阻止するにはここで彼女を無効化――足を折ったり腕を切断する必要がある。そうして動けなくなった彼女を“AGS”に突き出す。ハルサが持っている情報が如何なるものなのか、計り知れないがこの功績はきっとダイを元の地位へと押し戻し、ルフトジウム達の失われた信頼を回復してくれるだろう。しかし――。


「出来ねえよ…」


 大鎌の獣人――いや、ハルサの手足を切断するなんてことルフトジウムには出来なかった。無力化したハルサを“AGS”へと引き渡したら彼女は間違いなく拷問され、薬漬けにされ、すべての情報を搾り取った挙句慰み者として使われ、最後は処理場へと捨てられるだろう。彼女が今回狙っているヤマナカは何といっても“大野田重工”のお偉いさんなのだから。同じような未来を辿る犯罪者を何人もルフトジウムは見てきていた。


「ハルサ……」


ルフトジウムは目の前で気絶しているハルサに話しかけていた。そんな時、ルフトジウムの背後でかすかに地面を踏み鳴らす音が聞こえた。


「!?

 誰だ!!」


 デバウアーを握りしめて振り向き、銃口を向けた先には顔をこれまた濃いホログラムで覆った一匹の獣人がまるでマジシャンのようなステッキを持って立っていた。分厚いコートとマフラーを付けている彼女の背後では赤色の猫のような尻尾が左右に揺れ動いている。ホログラムが覆いきれずに飛び出しているのはシルクハットだろうか。“大野田重工”の都市には珍しいその恰好は


「お前…爆発物を使う獣人か?」


ルフトジウムはデバウアーを軽く振りながら急な訪問者に尋ねる。


「驚いた。

 体も心もボロボロなのにまだ動けるのにゃ?

 全く頑丈だにゃ、お前は」


否定しない。となるとルフトジウムの前にいるこいつが爆発物を扱っていた獣人に間違いない。


「サイントがお前の相手をしていたはずだが?」


猫の獣人は一歩右に歩くとちらりとルフトジウム越しにハルサの様子を伺う。


「二丁拳銃を使うあいつ、サイントっていうのかにゃ?

 確かにめちゃめちゃ強かったけど、今は少し眠ってもらってるのにゃ」


含みのある言い方だ。


「……どういうことだ?」


「どうも何もそういうことにゃ。

 あ、脳は焼いてないから安心するのにゃ。

 ただ彼女の体に埋め込まれているパーツに少し悪さをしただけなのにゃ」


「……生きてるんだな?」


凄みを込めたルフトジウムの言葉に対し、猫の獣人は軽い口調で返す。


「おっとそれはボクのセリフにゃ。

 大鎌の獣人は生きているのにゃ?」


「多分な。

 気絶しているだけだと思うけどちゃんと確かめてない。

 そんな暇無かったからな」


「そんなにぶんぶん振り回すなにゃ。

 危ないにゃ。

 とりあえず一回それ降ろすのにゃ。

 ボクはお前と戦いに来たわけじゃないのにゃ」




                -凍てつく世界- Part 17 End

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