-凍てつく世界- Part 10
「危ねぇ!!」
デバウアーを素早く木製の壁へと突き刺し、そこを基軸として無理やり体を上へとずらしたルフトジウムの胴体ぎりぎりの所を大鎌の刃が高熱を伴って通り過ぎる。大鎌の刃はルフトジウムの着ているコートの腹部の布を攫い、そのまま壁を溶断する。木製の壁は発火するよりも早く炭化、蒸発して大きな焦げ跡を爪痕としてその場に残る。
「くっ……!」
今の一撃が入らなかったからか、大鎌の獣人は悔しそうに声を漏らす。そして、大振りな攻撃が終わった鎌の隙を見逃すルフトジウムではない。通り過ぎた大鎌の背を、今度はルフトジウムがお返しとばかりに蹴り飛ばしてやった。大鎌の獣人はそうされると経験から理解していたからか鎌を手放す事はなかったものの、その場で体勢を大きく崩した。ルフトジウムは床に立ってデバウアーをずるりと壁から引き抜き、内蔵アサルトライフルの銃口を敵へ向けて引き金を引く。
碌に狙いを定めない彼女が放った銃弾は大鎌の獣人が羽織る防弾コートに二発当たったぐらいで効き目は薄かったが、彼女が大鎌を武器ではなく顔を守るための盾に使用せざるを得ない状況を作り出すことに成功した。その状況を利用し、ルフトジウムはようやく体勢を整え直すことが出来た。
「はぁ…はぁ……」
ここまでめまぐるしく動いている一連の戦いでスタミナが削り取られている大鎌の獣人の細い呼吸がルフトジウムの耳に届く。彼女の心臓もすでに早鐘のように打ち始め、呼吸は少し上がっていたもののまだまだスタミナは充分だ。
「おいおい、もうスタミナ切れか?
息が上がってるようだぜ?」
「……馬鹿言うな」
大鎌の獣人は再び攻撃しようと大鎌を構えるが、ようやく廊下に並んでいるいくつもの剥製に気が付いたようでその身を強張らせた。ルフトジウムも固まった大鎌の獣人の視線を追い、「ああ」と声を出す。
「まあ、知らないのも無理ないよな。
お前が今命を狙っている奴の趣味だぞ、これ。
おっと、間違うなよ俺じゃねぇからな」
二匹が戦っていた廊下には奥の部屋まで何体もの美しい獣人の裸の剥製が飾ってあり、ガラス玉や樹脂が詰まっている瞳はただ恨めしそうにルフトジウムと大鎌の獣人を虚ろな瞳で見ていた。
「…………」
「こう見てると哀れなもんだよな。
元来、戦闘用じゃない獣人はコミュニケーションが出来る程度の知能すら持ってることが珍しいらしいぜ。
まあ、ここにいる奴らは違っただろうけど」
ルフトジウムは壁から上半身だけ出ている一匹の剥製に近づく。そして近くで観察している素振りを見せながら陰でこっそりと端末の通信のボタンを押す。
「おい、お前も近くで見てみろよ。
どいつもこいつも若い雌の個体で胸と尻がデカい。
こいつらは何年も気持ち悪いオヤジの欲望の捌け口にされてきたんだ。
そして飽きられたら最後、殺されて剥製になって晒し物だ。
一体こいつらは何のために産まれてきたんだろうな。」
大鎌の獣人は鎌を構えたまま壁の剥製を見て、虫唾が走ると言わんばかりに顔を逸らした。
「お前にも当然理解できないよな」
ルフトジウムはそう話しかけながら空になったデバウアーの弾倉を取り外して床に捨て、弾のたっぷり詰まった新しい弾倉に入れ替える。
「本当は俺だってこんなゴミの護衛は嫌なんだがな」
そういいながら彼女は少し悲しそうに眼を細める。大鎌の獣人はホログラムの下から唸るように返事をする。
「なら私に倒されればいい」
「それが一番ダメなんだよ分かってねーな。
如何せん、上司の首がかかってるんだ。
残念だけど手が抜けないんだよ」
「呆れた」というように山羊が首を軽く振るとカラカラとカウベルが鳴る。そんなルフトジウムの元に一通の通信が入って来た。着信音が鳴り響き、ルフトジウムは焦って通信機を耳から取り外した。大鎌の獣人を見ると、敵は「お気になさらず出てください」というように手のひらを向け壁に背中を預ける所だった。せっかくなので山羊は言葉に甘え、通信機を取り付ける。
『ルフトジウムさん!?
状況はどうなっていますか!?
屋上のカメラにノイズが走ってから急にこちらでも敵襲があって!!
何度もこっちからかけているのに出られないからもうやられちゃったのかと思って――!!』
先ほどルフトジウムが出していた援護命令に対するかわいい後輩、カンダロからの返事だった。
「落ち着け。
俺がやられたらバイナルパターンに出るだろ。
それよりそっちはどうだ?」
ここで大鎌の獣人との決着を付けるために持てる全ての手を打っておきたいと思い、人員の空きがあるかどうかを聞いたルフトジウムだったが、残念ながらカンダロの答えは期待に反するものだった。
『それが~…大分面倒な奴がもう一匹いまして……。
サイントさんはそちらに付きっ切りです。
残念ですが、今すぐに援護に向かうのは厳しそうです。
むしろルフトジウムさんの方が先に終わるかもしれません』
彼からの通信に明らかに大きな爆発のノイズが乗る。爆発は今二匹がいるフロアとは別の階から響いてきているようで、通信で聞こえてきていた音から少し遅れてからズズンと家全体が揺れた。大きく家を揺らす爆発の衝撃で眠っていた非常ベルがあちらこちらで目を覚まし、非常事態と出口を知らせるホログラムが赤色で壁一面へと浮き出る。
「サイントに無理するなと伝えてくれ。
マサノリはどうしてる?」
再び起こった爆発の衝撃がビリビリとまた家を揺らし、壁にかかっている剥製がいくつか床へと落ちる。どうやら状況はかなり逼迫しているらしい。
『呼びかけてみたんですが返事が無くて』
「あーそっちもか。
まあいい。
俺だけで何とかする。
カンダロもう理解してると思うけど第一目標が俺の目の前にいる」
彼は少しだけ沈黙する。
『……大鎌の獣人ですか』
「その通りだ。
けれどもこっちは援護無しでもまあどうにかなるだろ。
そっちの面倒ごとが片付いてからこっちに来てくれればいい」
『分かりました。
どうかお気をつけて』
通信を切り、ルフトジウムはデバウアーの先端を大鎌の獣人に向ける。大鎌の獣人は壁から離れると身を低くして、鎌を斜めに構える。
「楽しいダンスの最中だってのに邪魔が入って悪かったな」
「別に構わない」
「そっけないねぇ」
「…………」
「お前さぁ、仲間ともそんな感じなのか?
ちゃんとコミュニケーション取れてるのかよ?」
「…………お節介な奴だな」
二匹はじっと睨み合い、お互いを牽制する。じりじりと死角を無くすためなのか壁へと向かって動く大鎌の獣人と対角線所へと移動するルフトジウム。緊迫した空気の中、ふと場にふさわしくない笑い声がその場に響いた。
「ふふっ」
笑ったのは大鎌の獣人だった。
「あ?
何笑ってんだ?」
お互い命のやり取りをしているというのに、突然敵が浮かべた笑顔はなんとも不気味としか言いようがない。ルフトジウムは少し気圧され、できるだけ壁を背にして敵から目を離さないように一歩、二歩下がる。
「コミュニケーション取れてるのか?って言ったよね」
軽く笑いを含ませながら大鎌の獣人は小刀を太もものベルトへ挟み、構えていた大鎌をまたくるくると回す。
「ああ、言ったけど?
お前みたいに口数が少ない奴が――」
「これが答えだよ」
そう言い捨て、大鎌の獣人は振り返ると壁を人一人通れるぐらいの大きさに溶断する。切れた壁の穴からは向こうの部屋が見え、そこへ敵はすかさず飛び込んでいく。一体何をしているのか理解に苦しんだルフトジウムだったが、彼女はすぐにただならぬ気配と音を背後から感じ取る。すぐ横にある分厚い防弾仕様の窓ガラスが割れ、何か細長いものが飛び込んでくる。世界中で使われている兵器や重火器が頭の中にインプットされているルフトジウムにはその正体が何かすぐに分かった。
「やりやがったな!」
彼女の瞳に映っていたのは“AtoZ”製の対人ミサイルだった。
-凍てつく世界- Part 10 End




