-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part Final
うっすらとした光と甘い花の匂いは瞼の作り出す薄い暗闇を通り抜け、優しく深い眠りから彼女の意識を揺すり、呼び起こす。
「うーん……」
もぞもぞと布団の中で動きながらラプトクィリは壁にかかっているトマトの形を模した時計を見た。午前八時十五分頃を指している長針はしばらくしてからカチリと動き、いつものように時が止まっていない事だけをラプトクィリへと伝える。
乱立する摩天楼の奥から姿を現した太陽は今日もラプトクィリの顔へと降り注ぎ彼女を目覚めさせる。破れたプラスチック障子の隙間から差し込む光は今日は柔らかく、彼女はいつものように羽毛のたくさん詰まった布団を頭から被ろうとして止めた。ここまではいつもの光景であり、日々のルーティンだったのだがなんだか今日は違和感があった。
「……なんかめっちゃ寝た気がするのにゃ。
うう、体が痛いのにゃ…」
耐え難いほどの眠気が襲ってきていたがラプトクィリはヨロヨロと起き上がり、欠伸をしながらズボンを穿く。まだ寝たいとひたすらに駄々をこねる頭を軽く叩き、シルクハットを持つと大きく伸びをした。バキバキと背骨が鳴る。無意識に真っ赤なふわふわの尻尾が左右に揺れ、耳がぴこりと動く。
「にゃ?」
ラプトクィリはふと机の上に置かれているラップをしてあるおにぎり二つと蒸発して茶の葉しか残っていないお茶を見つけた。『お腹が空いたら食べるっス!』と書かれたメッセージカードが横に添えられていて、漬物と卵焼きが二切れ乗った皿とその横には小さなラベンダの花が置いてある。
「なんでラベンダーがここにあるのにゃ?
というか、もしかして…」
慌てて端末のカレンダーを開いて現在の日時を確認すると、既にハンナを“破壊”して二日が経過していた。
「あちゃー…やってしまったのにゃ…。
今までで最長の修復睡眠だったのにゃ。
ボクももう若くないにゃあ……」
経過した日数が分かると突然腹が減った。彼女は自分の耳をピコピコさせながらシルクハットを机の上に置き、ラップを取って皿からおにぎりを一つ食す。合成米と塩のシンプルな味が染み渡る。夢中になって一つ食べ、もう一つもあっという間に食べ終わったラプトクィリは一息つくと改めてここが現実世界であることを認識してほっとした。
演算能力を駆使し、ハンナと刃を交えたラプトクィリの脳にはかなりの負荷がかかっていた。戦いを制し、ネットワーク空間から戻ったラプトクィリは止めどなく鼻血が出ていて、立ち上がるのもかろうじてである程に衰弱していた。疲労感から当然シャワーを浴びることすらせず、すぐに布団に倒れこんだのだ。そこから丸ごと二日間、ダメージを受けた脳の修復の為に眠りこけていたのだった。
机の上に置いてあるラベンダーを手に取り、匂いを嗅ぐ。花は本物で、甘い懐かしい匂いが花弁から漂っていた。端末の通信ログを開くと二日間の間に百通を超えるメールや依頼が受信フォルダを圧迫していた。ほとんどを読まずに捨て、“ギャランティ”からの請求書を見て顔を顰め、アイリサからの報酬金を見てにんまりする。報酬金の振込み知らせの下にマトイからの連絡が入っていた。どうやら動画の解析が終わったらしい。添付されている結果報告を開くと、マトイは動画の解析結果を伝えてきた。
『電話かけても出んからメッセージで報告させてもらうぞい。
動画の解析じゃが、正直かなり大変じゃった。
初めて見るような手法があちらこちらに取り入れられておってな…。
このワシですら見たことないような技術ばかりじゃった。
めちゃめちゃ苦労したわい。
報酬はもう五パーセント程乗っけてもらおうかのぉ』
「……そりゃハンナは“デイライト”だからにゃあ。
ボク、じいさんに話したはずにゃけど…」
冷たい卵焼きを口に入れてラプトクィリはラベンダーを窓辺に置き、障子をスパンと開けた。澄む様な青空にバイオ桜の花弁が、風に吹かれて舞い散るいつもの大野田重工本社都市には珍しい清々しい景色が広がっていた。
『動画に使われている暗号技術はファイルして残しておくぞい。
世間に漏れたらワシの仕事も上がったりになるから、これはワシとお前さんだけの秘密にしようぞ。
そうそう、本題じゃが動画に込められていた情報はとある場所の座標じゃった。
伝手で調べてみたんじゃが、どうやら“ドロフスキー産業”の地域にある三十年程前に放棄された何かの施設のようじゃ。
こんな座標を送りつけてきて、動画の作成者が何が言いたいのかワシにはさっぱり見当もつかんわい。
わざわざお前さんにハンナとやらが、監視の目を掻い潜るようにして送りつけてきたぐらいじゃ。
何か大事なものがあるように思えてならん。
一回行ってみたらどうじゃ?』
ラプトクィリは卵焼きを飲み込んで、添付してあった座標を確認する。その場所は間違いなく“ギャランティ”にミサイルを撃ち込ませたハンナの本体がある古いダムがあった場所だった。
『しっかし、まさか“ドロフスキー”までもが出てくるとはのぉ。
どんどんお前さんの相手、規模が大きくなってないかの?
ワシは心配じゃよ。
何処か生き急いでいるように老骨には見えるぞい?』
「要らないお世話にゃ、じいさん」
説教が始まる予感がしたのでメッセージを切ろうとしたラプトクィリだが、続くマトイの言葉で思い留まる。
『それと、座標ともう一つメッセージのようなものも入っておったぞ。
内容じゃが、“お願い。止めて”との事じゃった。
…何のことかこれもさっぱりじゃ。
それから色々解析したんじゃが、これ以上は分からんかったわい。
所で報酬の振込先と金額じゃが―――』
ラプトクィリはメッセージの再生を途中で切ると、思い切って窓を開けた。ざぁっと強い風が部屋の中へと吹き込み、どんよりと部屋の角や端に溜まっていた古い空気が抜けていく。
「あっ!」
ラプトクィリが窓辺に置いたラベンダーの花が風に吹かれて窓から外へと飛び出した。慌てて手を伸ばしたが、強烈なビル風は花一つなど造作もなく高くへと運び、すぐにラプトクィリは手が届かなくなった。
「…やっぱりあれはハンナだったんだにゃ」
桜の花びらの中に紛れ、ラベンダーの花は見えなくなってしまった。ラプトクィリは久しぶりに浴びた陽光に目を細めながら呟く。心地よい感傷に浸っている彼女だったが、そんな事を露知らずに部屋へ乱暴にドアを蹴り開け、小さな狼の獣人が一匹入ってきた。
「ラプト~!
いい加減に起き…あれ!?
起きてるっス!?
あ、姉様ー!
ラプトが起きたっス~!」
ハルサは部屋に入ってくるなり、驚いて踵を返して階段を降りていく。
「……全くうるさいにゃあ。
ボクという大先輩をもっと労わるべきにゃ」
ラプトクィリは最後に窓から外をちらりと見ると、ハルサの後を追って階段をゆっくりと降りて行った。
※ ※ ※
「それで?」
「それで、っていうのはかなり冷たいにゃ。
ボクはボクなりに苦労したのにゃ」
「幼馴染との別れが聞きたいんじゃないのよこっちは」
「動画に含まれている内容は全部話したのにゃ」
「そうよ。
本当に座標とメッセージだけだったの?
もしかしたら“ドロフスキー”に見つかるかもしれない恐れの中彼女が命がけで貴女にそんなメッセージ送るわけ?」
「にゃー。
流石、鋭い所を突いてくるにゃ。
実は座標とメッセージを高度に組み合わせた暗号になってたのにゃ。
そしてパスワードは“ラベンダーと青空”だったのにゃ」
「ふーん?
それで?」
「……血も涙もない奴にゃ。
結果としてマキミ博士の死とドロフスキー産業が繋がる証拠が出てきたのにゃ」
「そうなのね。
あとでその証拠を渡してちょうだい。
“ギャランティ”と共有するわ。
それで“鋼鉄の天使級”の鍵については?」
「そっちはまだ分からないのにゃ。
引き続き調査が必要になるにゃ」
「分かったわ。
ああ、机の上のラベンダー見たかしら?」
「にゃ?
ああ、アレなんなのにゃ?」
「よくできてるでしょ。
昔、ある組織の施設から上司が押収した香りが強く出るように品種改良されたラベンダーよ。
何かに使えるかと思って研究室に保管していたの。
花から出る匂いにちょっとした作用があってね」
「にゃ?
作用…?」
「そうよ。
所謂麻薬にも似た作用とでも言えばいいかしら」
「そんなものをボクの部屋に置いたのにゃ!?」
「もうずいぶん昔の物だから大丈夫。
匂いはもう有害な物は含まれていないわ」
「昔の物には見えなかったにゃけど?」
「あの花、水もあげてないのに枯れないのよ。
間違いなく生きているはずなのにねぇ。
ああ、そう作用についてなんだけどラベンダーにも見える花の匂いの成分は脳に取り込まれ、少しずつ考える力を奪っていくの。
やがて考える力が破壊され、組織に従順な子が出来上がるわ。
自らを犠牲にしても組織を守る銃と盾の出来上がりね。
大野田重工がその組織を抑えた時、一体何体廃棄処分にしたことやら。
全く、悪趣味なことを考える会社もあるものね」
「…その組織ってどこにあったのにゃ?」
「えーっと…どこだったかしら。
“ロバート・ロボティクス”だったような…」
「……そうかにゃ」
「そんな詳しく聞いてどうしたの?」
「別に、何でもないのにゃ」
-電子猫は電子親友の夢を見るか?- End




