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-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 10

『起動シークェンスを――』


ハンナを補助する人工知能CPUがバトルサイバネから伝わってくる情報の伝達を始めようとするが、ハンナはぴしゃりと上位命令を出してその処理を中断させる。


「省略。

 五番から二十五番まで無視し、動力炉緊急始動。

 汚染濃度許容範囲三パーセント未満に設定。

 アンカー展開」


『了解。

 動力炉緊急始動。

 推奨、戦闘後のメンテナンス』


「いいから早くせーや!

 敵がもうそこまで来てるんやから!」


 起動シークェンスのほぼ全てをすっ飛ばし、埃を被っているバトルサイバネを起動したハンナの視覚がやっとカメラと繋がる。デジタル上でのみ存在を許されている彼女は、全長三メートル、出力六百馬力を発揮する事が出来るバトルサイバネの中にいた。

 人間と同じ二足歩行するバトルサイバネには数多くの兵装が積み込まれている。その多くは“遺跡”から発掘されたものの現代の技術で再現出来ず、仕方なく現代兵装へ乗せ換えたものだ。対戦車砲から対人用機関銃までその種類は様々で、起動して少し時間が経った今遅ればせながら次々とステータスがオンラインへと変化していく。


『一番、リフトオフ。

 指定地点まで移動開始。

 推奨、兵装の確認』


「タイムラグを計測。

 敵行動を予想し、迎撃態勢を整えるで」


デジタル空間とは違い、外的要因が全く自分でコントロールできない久しぶりの現実世界の無機質な空間は彼女の気を少し滅入らせる。四方向全てがコンクリートで覆われていて、灰色しかない世界にすぐに飽きた彼女はデジタル空間が既に恋しかった。彼女は侵入者の場所を把握するために監視カメラの映像を引っ張ってくる。侵入者がセキュリティ人形と戦っていた場所までそう遠く無い。


「こんな所にまで来るなんてホンマええ度胸しとるわ。

 一撃でぶっ飛ばしたるから覚悟しいや」


 彼女は鼻息荒くバトルサイバネに取り付けられている兵装の中でも一番大きな五十ミリ対アンチタンクキャノンを選択し、侵入者の行く先へと先回りする。侵入者がこの建物の構造を理解できているとは思えないが、万全を期す為にバトルサイバネは本体前に配置するのが効率的だろう。


『提案。

 バトルサイバネ二号、三号の起動と援護』


「受諾。

 二号、三号を起動させて追従モードに設定。

 主導権をウチに移譲。

 三機の同時攻撃で相手を潰すで」


 ハンナはまだ眠っていたバトルサイバネ二機を起動させた。彼女の演算能力を生かせばこんな小さなバトルサイバネ三機を同時に動かすぐらい造作もない。三機とも狭い本体へと通ずる通路を防ぐようにして配置し、自分自身は一番奥に陣取った。

 セキュリティ人形をなぎ倒し続けている侵入者はだんだんとだが確実に本体のある部屋へ近づいてきている。ハンナは背後にある分厚い扉の奥の監視カメラにアクセスし、“自分自身”を確認する。


「……ウチが入ってる本体が“これ”だもんなぁ。

 なんか、やっぱり実感なんて沸かんよなぁ」


 一辺が三メートル程の白色に塗られた直方体が部屋の真ん中に鎮座していた。底面からはまるで木の根のように大小沢山のコードが四方へ伸びていて、それらは右へ左へ蛇のようにうねりながら壁へ繋がっている。繋ぎ目が一つもない真っ白な外装は厚さが五センチにも達する分厚い鉄板で出来ていて、少々の爆発や銃弾ぐらいでは破れないようになっていた。特筆するべきは四方に入れられている“ドロフスキー産業”のロゴだろう。ロゴは否でも応でも自分自身を死の世界から引きずり出した今の主を自覚させられる。無機質な鉄板の中には何万ものパーツで構成された電子頭脳が入っていて、内部を満たす液状のシリコンがまるで血液のように循環する音だけが静かに響き渡っていた。


「……ちょっと待ちい。

 これっておかしいやんな?」


ハンナは演算能力を使い、思考し、状況がおかしいことに気が付く。


『なぜ、そんな小さな音が聞こえる?』


と別の人工知能CPUが疑問を投げかける。


『セキュリティ人形が戦っている以上銃声が聞こえてくるはずだ。

 それぐらいの距離に敵はいる』


『推奨。

 レーダーと監視カメラ映像の再確認』


 静かすぎるこの状況はどう考えてもおかしい。ハンナが機械に乗り移った時には機械の癖に興奮していたから余り気にならなかったが、少し時間が経って冷静になった今ならその異様さに気が付く。遠くで警報装置のがなり立てる音は聞こえてくるものの、セキュリティ人形や侵入者が暴れ狂って放つ対物ライフルの響くような銃声は一度も鳴っていない。


「………まさか」


嫌な予感がハンナの機械で出来た脳内を駆け巡る。彼女は慌ててネットワーク空間へ自分を戻そうとしたが、視界の端からひょっこりと現れた小さなラプトクィリに気を取られて処理を中断する。


「ラプト!?」


これには流石に驚いたハンナはラプトクィリの名前を大声で呼んでいた。呼ばれた彼女はにやにやと笑いながら手を振って挨拶してくる。


「にゃははは…。

 流石にこれだけの映像をリアルタイムで出力し続けるのは大変だったのにゃ。

 エフェクト処理の多さとレンダリングで脳が焼き切れるかと思ったのにゃ」


 ラプトクィリはセキュリティ人形と戦う小さな獣人の映像を止め、監視カメラの枠の角に腰掛けるとふう、と額の汗を拭った。

 ハンナはむやみに反応を返さずに無言を貫き、そこまでして彼女がしたかったことは何かを考える。CPUの二十パーセントを使用し、様々な結論を導き出したがそれら全てを「取るに足らない」と判断したハンナは涼しい顔を崩さない。この程度は危機でもなんでもなく、ハンナの持つ演算能力さえあれば余裕で打破出来るからだ。


「はっ、ウチに一杯食わせたつもりかもしれんけど意味ないで。

 要するに何がしたいんや。

 時間稼ぎか?」


 ハンナは画面端のラプトクィリを睨みつけ、バトルサイバネから意識をネットワーク空間へと戻す。ハンナが構築していたネットワーク空間は既にラプトクィリの支配下にあり、彼女を抑え込んでいたハンナの分身は既に分解されていた。そして周囲の空間は施設の無機質な景色からラベンダーが咲き誇り、いい匂いが充満する花畑へと変わっていた。


「なんやこれ。

 またこんなん作って…。

 演算能力の無駄遣いやで?

 下らん、下らんわ!

 ほんま下らん!!」


ざあっと風が吹き紫色の花弁が真っ青な、突き抜ける程青い空へと消えていく。


「…………」


酷い一言を投げつけられたラプトクィリはやっぱり悲しそうな顔をする。その顔は彼女が小さく、泣き虫だった時から変わっていない。


「勝負はあったのにゃ。

 大人しくネットワークの奥深くに潜んでいることにゃ。

 そして二度とボク達に干渉してこないでほしいのにゃ。

 それさえ守ってくれればボクはまたハンナに会いに……」


ハンナはふーん、と周囲を見渡し、青々と生い茂っているラベンダーを思いっきり踏みつけ、真っ青だった青空を赤く赤く上書きする。エラーを示す大量の文字が空を埋め尽くし、青空は真っ黒に変わる。


「何もう勝った気になってるんや?

 勝負はまだまだこれからや。

 出来損ないで泣き虫だったお前がウチに勝てるとホンマに思ってるんか?」


「…………そうかにゃ」


 酷い一言をラプトクィリに投げつける度、遠い昔に量子の海へ消去したはずの過去の自分がジクジクと不愉快に傷み出す。ネットワーク上で“サンレスキャット”の痕跡を見かける度に、メモリとして蓄積されていった愛おしさと寂しさと妬み。真反対だった感情はいつしか混じり合い、ラプトクィリに対しての恨みへと変化していた。何十年も蓄積していたハンナの歪んだ愛情は結果として最後にはラプトクィリとの決裂を選んでしまった。


「馬鹿にするなや!

 お前が!

 ウチを見捨てたお前如きが――!」


「…ならもうボクとお前の仲は終わりなのにゃ」


ラプトクィリは目を逸らし、背中を向ける。ハンナは怒りに突き動かされいつの間にか自分よりも大きくなった彼女の背中へと手をかざし脳を焼くためのプロトコルを送り込もうとする。親友だった彼女の脳に送り込まれた膨大な情報エネルギーは、すぐにネットワークを通じて現実の彼女の体へと辿り着くだろう。そして彼女のニューロンを焼き尽くすだろう。


「消えてまえ!!」


「…さよならなのにゃ。

 ありがとうにゃ、ハンナ」


しかし、そうはならなかった。突如として彼女の演算能力がぶつりと途切れた。すぐにハンナはネットワーク上で可愛らしいその姿と形を保てなくなる。全て機械に置き換えられた事による弊害なのか、彼女は自分自身に何が起こったのか把握できていなかった。そして崩れていくハンナをラプトクィリはじっと悲しい顔をして見ているのだった。


「ラプ…ト…!

 待っ………て……!

 た…け………」




                -電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 10 End

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