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-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 8

「肉体が無いのは…知ってるのにゃ。

 だって…」


「あんたが焼いたんやもんな?

 ウチだって“魂”とか信じてた訳やない。

 でも、そう表現するしかないやんか。

 “魂”だけの状態って」


 この一言はリアリストの彼女に対して強く働きかけた。“魂”というふわふわとした何とも曖昧な言葉を信じざるを得ない状況が、“親友”のお陰で目の前に実態を伴って広がっているのだから。あの日死んだ――“魂の抜けた”親友の体はラプトクィリが命じられて火葬場まで台車に乗せて運んだ。べしゃべしゃに泣きながら彼女は、怒号を飛ばす職員の言う通りにハンナの体を鉄で出来た箱の中に押し込み鍵を閉め、骨まで燃やし尽くす業炎のスイッチを押した。そこには故人に対しての敬いなど一片たりとも入っていない。まるで生ゴミを捨てるのと同じように焼却処分したのだ。すぐに漂ってくる肉が焼ける匂い。食用肉とは違う独特の親友の焼ける香り。


「うっ……」


思い出しただけでラプトクィリは胃の中から食べたものが昇ってきそうになる。口元を手で押さえたラプトクィリにハンナは淡々と言葉を吐き出し続ける。


「あのな、“魂”だけになってウチ色々試してん。

 “魂”は、どうやら他の人の肉体に入り込めるみたいなんよ。

 実際、ウチもう何回も試してるし、成功してるねん」


ラプトクィリは口元を拭い、そう呟くハンナを鼻で笑う。


「何を…何をバカな事を言ってるのにゃ?

 今まで何万人と挑戦してきた事なのにゃよ?

 けれど、その度に例外なく脳と精神を繋ぐ部分に障害が起こって全員が死亡したのにゃ。

 絶対に他人の体へと意識を送り込んで乗っ取ることは出来ないのにゃ!!」


ハンナは腕を組み頷く。


「うんうん、せやなぁ。

 それが“決まり”であり、“ルール”やなぁ。

 今現在、全世界が誰が作ったのかも分からないこのネットワークに依存してしまっている現状、誰も“なぜ”なのか真剣に理解しようとしてこなかった。

 だから体を移る上での障害を排除することも出来なかった」


少し感情が昂ったラプトクィリの尻尾が左右に激しく動く。


「その問題を解決したとでもいうつもりかにゃ!?

 まるで神にでもなったつもりかにゃ!

 そんな事が出来るわけ――」


「出来るんよ」


 まるで地獄の奥底から響いてきたかのようなハンナの低い声の響きに圧倒されたラプトクィリは続けようとしていた反論を飲み込んだ。ハンナは牢屋の中に体を変形させてぬるりと入ってくると、ラプトクィリの頬を手のひらでサラリと撫で、朱色の前髪をサラサラと指で流して遊ぶ。思わず気まずさから目を逸らしたラプトクィリはハンナの手の温かさを強く感じ取る。


「ウチは違う」


ハンナはラプトクィリの髪の毛を握ると、上限を軽く超える力の強さで掴むと無理やり顔を正面に向けた。痛みで顔を歪める猫に対し、ハンナは犬歯をむき出しにして悪意ある表情を見せつける。


「にゃ~~!!!

 痛い!!痛いにゃ!!

 何するのにゃ~!!」


「ラプトでも辿り着けない次元にウチはもういるねん。

 後は現実世界で自由に動かせる肉体があれば準備は完了なんや。

 ほんま、取り込んでくれた“デイライト”には感謝やなぁ」


 ハンナはそう言うと自らの前髪を上げて見せた。ハンナの額にはもう一つの目のような物があった。その瞳は獣人のそれとは違っていて、赤色や青色、黄色といったように不規則に色を変えると共に、虹彩の模様も代わっていた。炎のような模様をしたかと思うと深海のような深い青色に、そして月を思わせるような紫が掛かった黄色に。


「なんなのにゃ、それ!?」


余りにも衝撃的すぎるハンナの姿にラプトクィリは思わず叫んでいた。まるでこのネットワークの世界が小さくなってハンナの額に巣を作っているようだった。彼女は髪の痛みを押し殺し、ながら嫌味の一つでも投げつける。


「サ、サングラスを選ぶときは苦労しそうだにゃ……」


ハンナは無表情になると前髪を元のように戻し、がっちりと掴んでいたラプトクィリの髪の毛を離すと牢屋から出る。


「…全然面白くないで。

 そんなことよりウチの演算能力見たやろ?

 どうや?」


得意げにハンナは格子を叩く。


「もうウチはそこらへんで使い潰されるだけのただの獣人じゃないねん。

 あと少しでこの仮想空間から現実にまで手を伸ばし、全てを統べる事が出来る存在になれそうなんよ。

 一緒にやらへんか?」


「…………」


 正直な所、ラプトクィリはこの申し出に全く興味が無いわけでは無かった。“デイライト”と呼ばれるこのネットワークを牛耳る者の正体を知り、かつ他のクラッカー達とは別次元に到達することが出来るのはラプトクィリにとって抗いがたい程の魅力だ。頭ではこの要求を呑むべきだと分かっていた。しかし頭とは違う、別の所がその要求を拒否するべきだと警鐘を鳴らしていた。


「……嫌なのにゃ」


ハンナは大きなため息をついて首を横に振る。


「ラプト、ラプト、ラプト。

 よく考えや。

 ウチは本当にあんたが好きやねん。

 せやから、一緒に来てほしい。

 お願いやって。

 あんたの体を一緒に使って、このネット世界を支配する“ルール”になろうや」


「……なんでそこまでボクの体にこだわるのにゃ。

 乗っ取れるなら別にボクの体に執着する必要なんてないはずにゃ」


ハンナはその問いに対して答えない。指をパチンと鳴らし、牢屋からラプトクィリを解放するとそっとその体を抱きしめた。


「なん…」


びっくりして体を引きつらせたラプトクィリ。しかしすぐに表情は安堵へと変わる。小さな体から伝わってくる高い体温は記憶の中のハンナそのままで、何一つも変化していない彼女の温もりは簡単にラプトクィリの警戒心を融かし解したのだ。何か言おうとあわあわするラプトクィリだったが先に手を打ったのはハンナだった。


「ごめんな。

 ウチ、一緒に来て欲しくて酷い事してもうた。

 ウチがラプトにこだわるのはあんたがウチに拘るのと一緒やで。

 ウチらは二匹で一匹なんやから。

 だから一緒に来てほしいねん」


ラプトクィリは思わず小さなハンナの体を抱きしめた。何十年も危険なネットワークの海深くへ何度も何度も何度も何度も潜り、求めてきた温もりが確かにそこにあった。デジタル上の再現ではあったが、そんな事はもう彼女にとってどうでもよかった。


「温かい…温かいにゃ……。

 ハンナ…本当に、本当に寂しかったのにゃ…!

 ボク…ボクは……!」


「全く、ラプトはウチの事本当に好きやなぁ。

 何回もウチを探しに深くまで潜ってくれたんやろ?

 ありがとなぁ。

 全部知ってるんやで。

 もう何十年もウチを探し続けてくれていた事。

 ウチを失ってさぞかし悲しかったやろ。

 寂しかったやろ。

 でもここにおるよ。

 もうどこにも行かへん。

 ずっと、ずっと一緒やから」


「うっ、うう……」


「もーすぐ泣くやんか。

 なーんにも変わってへんなぁ~」


「にゃ~…」


 どれだけ酷いことを言われようが目の前にいるのはハンナだと本能で理解してしまった以上、ラプトクィリの心はもう決まっていた。彼女は施設で生まれ出た時から共に育ってきたハンナの事を心の底から愛していたのだから。彼女はむしろこの時を待ちわびていたのかもしれない。苦しい出来事ばかりが起こる現実世界と違い、今彼女達がいるネットワーク空間は演算能力が許す限り各々が好きなように、思うがままに全てを構築することが出来る。ネットワークの世界を中心に生きる獣人達からしたら正に理想の世界で、さらにその世界の王として君臨することが出来る。愛おしいハンナと共に。

 拒否しろと叫ぶ“心”の声を無視し、要求を呑もうと口を開いたラプトクィリはハンナの足元に一輪のラベンダーの花が落ちている事に気が付いた。この空間を再現した際、ラプトクィリとハンナの記憶が混ざりあい二匹の無意識化の元で生成されたものだろう。


「ハンナ、この花…」


ラプトクィリはその花を拾おうと手を伸ばしたが


「なんやこの花…」


ハンナはそのラベンダーをまるで汚いものを触るかのように足で蹴って横へと除けた。その行為を見た瞬間、ラプトクィリの中で何かが弾けた。


「で、答えは?

 もちろんOKやんな?」


「当然……」


バラバラに解けた紫の美しい花弁がまるで血のように散らばる。


「当然?」


ハンナを抱きしめていた腕に力が籠る。


「当然、嫌に決まってるにゃ!

 この勘違いメンヘラ女!!」


ラプトクィリは思いっきりハンナを突き飛ばし、万が一を考えてばれないように裏で走らせていたプログラムを起動した。






                -電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 8 End

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