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-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 6

「全然知らねえんだって!

 俺だってまさか標的が“サンレスキャット”だなんて知らなかったんだよ!

 許してくれよ~~!!」


泣いて許しを請う犯人にラプトクィリは更に苛立ちを覚え、尻尾の毛を逆立てる。


「~~~ッ!!

 お前も!

 ハンナも!

 どいつもこいつもふざけてるのにゃ!!

 あの野郎、一体どこに行ったのにゃ!!」


 ラプトクィリは犯人の頭を離すと、苛立たしく壁を蹴り上げる。壁は物理エンジンによってしっかりと固定されており、ラプトクィリの脚には信号化された痛みが走る。ラプトクィリが頭をつかんだ時に流し込まれたプログラムにより立ち上がれない犯人の雄は怒り猛っている紅い猫から逃げようと四つん這いになって逃げようとする。今後使えるかどうか分からないが貴重な情報源を逃がすわけにもいかず、面倒だが止めようと思って手を伸ばしたラプトクィリの鼻先にふわりと芳香が漂った。


「……!」


 全てのものが情報で出来た空間と言えど、脳がその電子刺激を匂いと受け取ればそれは匂いになる。


「なんなのにゃこの匂い…まるで…」


 電子刺激はこの時ラベンダーの香りとなってラプトクィリの脳内に流れ込んできた。何十年も前に施設の中に植えられていた紫色の美しい花の香りは彼女の海馬の奥底に眠っていた記憶をずるずると引きずり出す。


「……………」


 薄暗く、醜く、不衛生な窓が一つもない施設の中で“道具”として育てられたラプトクィリとハンナの二匹の部屋の近くにはたまたま人間達がいる管理センターがあった。管理センターは獣人の住む区域とは真反対に常に清潔で、管理主任の趣味で強く香るように品種改良されたラベンダーのプラントが沢山置かれていた。電子タバコから出る物質で斑に黄ばんだ壁紙と真っ黒に塗られている無機質な天井が全ての色の中、ラベンダーの鮮やかな紫色は幼い彼女の目にはとても魅力的に映っていた。ラベンダーの鼻の奥底に纏わりついてくるような独特の芳香がハンナは大好きだった。彼女はよく職員に頼み込んでラベンダーの花を一本貰って部屋に飾っていたものだ。その時の記憶が走馬灯のようにラプトクィリの脳内を埋め尽くしたのは想像に難くない。


「この電子刺激、どこから来て…誰にゃ!?」


 一瞬だけでも気を抜いてしまった彼女は、自らの真後ろに何者かが立っているのを感じとるまでに時間がかかってしまった。その一瞬は大きな代償となって彼女に降りかかってきた。振り返ろうとした彼女の周りはいつの間にか見たことのある古めかしい施設にあっという間に変貌を遂げていた。自分が捕まえようとしていた雄の獣人の姿は消え、そこにはもう何も残っていなかった。


「!?」


 幼い頃、二匹と沢山の仲間と共に暮らした施設と全く同じ風景は貴重な情報源が消えたことを理解するまで少しの時間を必要とするぐらいに彼女の精神を掻き乱す。流石の“サンレスキャット”といえど咄嗟に状況が飲み込めずに、身構える。周囲の景色全てを作り替える程の膨大なデータを制御処理など、極々限られた存在しかできないはずだ。戸惑う彼女の後ろから何者かが話しかけてくる。


「お久しぶりやね、ラプト」


 ラプトクィリのまだ機械になっていない方の獣耳の鼓膜を、しっとりとした吐息と懐かしい声が揺らした。心臓がドクン、と跳ねる。心拍数が一気に上昇し、ぞわぞわとした衝動的な感覚が体の真ん中から沸き起こる。体温が上昇し、手足が震え、瞳孔が開く。


「ハ、ハンナなのかにゃ…?」


 もう何十年も聞いていなかった紛れもない親友の声はラベンダーの香りよりも甘いものだった。持っている力故に施設で馴染めず、長い間孤独に生きていた自分の存在を認め、一番初めに友達になってくれた彼女の声はラプトクィリの心の奥底深くに蛇のようにするりと潜り込んできた。大事だった教え子を殺された怒りすら簡単に吹き飛ばすほどの望郷の念は、津波となって彼女に襲いかかりラプトクィリは気がつけば目に涙を称えていた。


「せやで〜?

 なんで疑うんよ」


涙を拭いて振り返ったラプトクィリの前には長い人生において一番初めに心を許した、たった一匹の存在があの時の姿のままで立っていた。


「一体何年振りやろうね?

 分からなくなるぐらいに長い時間が経ってるのは間違いないんかな?」


 身長は今のハルサよりも少し高くて百四十センチぐらいだろうか。少しだけ紫の入った黒にも近い髪の毛はサラサラと物理エンジンに従って流れており、施設の鈍い電気の光を反射している。前髪は目に対して水平に切り揃えられており、セミロングの後ろの毛先も前髪と同じく真横に真っ直ぐに切り揃えられていた。レモン色とミカン色を混ぜたような色の瞳はくるんと丸く愛おしく、垂れ目尻は何とも優しそうな雰囲気を作り出している。太い丸い眉毛はのほほんとした彼女の雰囲気をさらにゆるりとしたものにしていた。ヤマネコの獣人でもあるハンナの頭には金色で柄が所々に存在していて。フサフサで長い柄の付いた尻尾をラプトは何度も羨ましがったものだ。

 服はあの日彼女がネットの奥底へと連れて行かれた時と同じものを着ており、ボロボロの服の裾には前日ラプトクィリが溢したホットチョコレートのシミが残っていた。


「ハンナ…生きてたのにゃ…本当にハンナなのかにゃ…!」


ぽろぽろと涙を零したラプトクィリの精神は幼い頃へと戻ってしまっていた。


「わ、な、何泣いてるんよ〜!

 ウチどうやって慰めればええんか分からんやんか!

 ウチはウチやで~!?

 ニセモンと思ってるんか?」


何十年経っていても変わらない彼女の姿に、ラプトクィリは思わず近寄っていた。


「ハンナ!

 ボク、ハンナに話したいことが沢山あるのにゃ!

 外の景色の事、空の色の事、それに新しく出来た友達の事も――!

 美味しいご飯のお店のことも、それに…えっと……!」


 話すことがあり過ぎて何から話せばいいのか分からず、口を縺れさせるラプトクィリ。ハンナはそんな彼女を見てニッコリと微笑みながらこう言った。


「ウチ以外にも友達出来たんや。

 ウチがあんたの代わりになって苦しんでる間さぞかし楽しんだんやろうなぁ。

 ふーん…ラプトの癖にいい身分やんな?」






                -電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 6

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