-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 3
「……にゃ?
い、今なんて言ったのにゃ?」
ラプトクィリは猫の血が混ざった自分の耳を疑った。人よりも遥かによく聞こえる耳から入ってきた聞き馴染みのある名前を、彼女は彼女の聡明な頭脳を持ってしても解せなかった。
「“ハンナ・デイライト”よ。
ネットワークの主とも言われている“デイライト”の名前を苗字に冠する辺り、他者よりも自己顕示欲が強いのかしら?
そういう奴に限って実際大したことなかったりするもんだけど…ラプト?」
名前を聞いてから固まって動かなくなったラプトクィリを心配したアイリサが瞳を覗き込んでくる。ラプトクィリは当然ながらハンナの事をアイリサに話したことは無い。アイリサだけではなくツカサにもハルサにも、“ギャランティ”にいる同期にも、誰にも。それなのにアイリサは親友の名前と、親友を“連れて行ってしまった”忘れもしないあの時の仇の名を口にした。
「そういう事なのにゃ、ハンナ…」
間違いない。敵はラプトクィリがアイリサの裏にいることを知っている。この映像でのドンタの死に方は今までラプトクィリが何度も見てきた同業者の死に方と同じだ。これはハンナから、ラプトクィリへと人の死を通して送りつけられた同業者にしか分からないメッセージなのだ。
「ラプト?
貴女、大丈夫?
かなり顔色が悪いようだけど。
食べたお味噌汁にタマネギでも入っていたのかしら?
あの子達がそんなミスするはずないけど…」
ラプトクィリはアイリサの声にはっとすると顔を起こして慌てて取り繕う。ラプトクィリはべたっとした嫌な汗を背中にかいていた。
「えーっと…とりあえず分かったのにゃ。
少し考え込んでしまっただけにゃ。
とりあえず手がかりとしてこの動画をコピーさせて貰うのにゃ」
「もうこのまま端末ごとあげるから好きに使ってちょうだい。
もし、劣化が怖いならオリジナルを取り寄せるわ」
「おお、それは助かるにゃ」
アイリサと共に食べ終わった食器を自動皿洗い機に放り込み、ラプトクィリはちゃぶ台の上を布巾で綺麗に拭き取る。アイリサは出していた座布団を横に積み上げ、台所で布巾を洗っているラプトクィリの横に立って依頼の続きを話す。
「今回ドンタの脳を焼いた犯人が分かればマキミを殺したバックの裏付けが取れると私は考えているの。
あらかた目星はついているんだけどね。
もし私が考えている事が本当だとしたら企業VS企業の戦争が新たな局面を迎えるかもしれないわ。
楽しみでしょ?」
アイリサは結んだ髪の毛の先を指先で遊ばせながらまるで他人事のような言い方をする。ラプトクィリはそんなアイリサに対して冷たく突き放すように言葉の刃を投げつける。
「もしそうなればきっと何千万人、何億匹と死ぬにゃ。
企業と企業の戦争なんて不毛の極みにゃ」
しかし、アイリサはラプトクィリの心中など考えもせず些事といった態度を崩さない。
「不毛なのはみんな知っているはずよ。
更に人類はこの星での生活圏を縮めるでしょうね。
知ってる?
今私達が汚染除去設備無しで生きていける地表の割合はもう四割も無いのよ。
毎年産まれる人間の数も、自然も年々減少の一途を辿っている…。
満ちた生活は未来を殺すのかしらね?」
アイリサの食後に熱い緑茶を作り始める。
「そりゃどの企業も大気や土壌を汚染するような兵器を使えばそうなるにゃ」
「哀れな存在よね、人間って。
自らの行為が自らの首を絞めていることに気が付かないんだから」
「……………」
アイリサはふう、と小さくため息をつくと立ち上がり出来た緑茶を持って自らの部屋へと歩みを進める。
「首を絞めていることは私も同じかしらね。
別に私はそんな事知ったことではないのだけれど。
戦争の結果、私が業火に焼かれようが、汚染物質に体を蝕まれようが受け入れるしかないから。
私は、私の研究者としての好奇心と女としての思いさえ貫ければこんな星心底どうでもいいのよ」
ラプトクィリは耳を垂らし、尻尾を左右に振りながら怒った口調で口を開く。
「あんまりボクの前でそういうこと言わないで欲しいのにゃ。
ボクはまだ生きたいし、ツカにゃんやハルにゃんが死ぬのを見たくはないのにゃ」
「あら?
思ったよりあの子達に対して入れ込んでたのね。
もし貴女が長く生きたいのなら肉体を捨て、精神だけでもネットにアップロードするしかないわよ」
アイリサの何気ない提案は時として恐ろしい切れ味を持つ。ラプトクィリは何かを言い返そうかと考えたが言葉に詰まり、口をぎゅっと閉じると自室へと戻ろうとする。
「まだ返事を聞いていなかったわね。
どう?
あなた、やってくれるかしら?」
ラプトクィリに拒否する理由なんて無かった。足を止め振り返る。
「当然、やらせてもらうのにゃ。
“ハンナ・デイライト”の捜索と抹殺…でいいのかにゃ?」
「構わないわ。
貴女の要請に応じた数の補佐もつけれるけど?」
「一匹欲しいにゃ。
弾避けとして使わせてもらうのにゃ」
ラプトクィリは端末に契約書を映して目を通すように言いながらアイリサに渡す。アイリサは契約書をサラリと流し見してさらさらと指先でサインした。契約成立だ。
「じゃあ、宜しくね。
期待しているわよ、“サンレスキャット”?」
ラプトクィリは恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……いざその名前を現実で口に出されると恥ずかしいにゃ」
※ ※ ※
「いつ来ても本当に汚い場所だにゃあ……」
信じられない程数多くの人間の色と欲が入り乱れ、複雑に歪にアメーバのように伸びている下層部は今日もギラギラとしたエネルギーを充満させていた。様々な色のネオンと、頼りない暗い街灯だけが、日光ですら入れない程地下深い所にあるこの街の唯一の光源だ。
ラプトクィリはアイリサの家から二時間程かけて下層部まで愛車を走らせ、居酒屋やバーのある華やかな大通りから三本ほど奥にある静かで小さな通りまで赴くと街の一角で車を止めた。
すっかり錆びて重く鳴く運転席側の扉を開けると、何かが腐ったようなツンとした匂いと、ゴミを漁って丸々と太ったネズミが慌てて車の下を走り抜けていく。べたりとした湿気を存分に含んだ空気が体に纏わりつき、ラプトクィリは腰につけている銃がちゃんと収まっているかどうか確認して車から降りた。
「じいさん、まだ生きてるといいにゃけど…」
彼女は目の前に建っている壁に落書きされた汚いビルの扉をとんとんと叩いた。しかし反応が無かったので今度は強めにインターホンを押す。そして玄関に取り付けられた監視カメラにラプトクィリは手を振って見せた。するとすぐに扉が開いた。
「おお、ラプトか!
生きていたんじゃな!?」
「よー、マトイじいさん。
元気そうで何よりにゃ」
ボロボロの汚い扉から出てきたのは、身長が百七十センチ程のガリガリに痩せた老人だった。真っ白な髪の毛はもみあげ部分だけ残っていて、頭頂部には一本も髪の毛が残っていない。両目があるはずの部分には、分厚いバイザーのようなものを付けていて、わさわさと動かしている指はサイバネ技術によって八本にまで増強されていた。
「…前見たときよりも更に機械の割合が増えてないかにゃ?」
ラプトクィリは八本の指を見てうへえ、と言う様に顔を顰めるがマトイはすまし顔だ。バイザーにも顔文字でよく使用される=が表示され、マトイの表情を形作る。
「ひゃっひゃっひゃ!
かっこえかろう?
当然指先も器用に動くんじゃ」
「かっこいいかどうかにゃけどあいにくボクはそうは思わんにゃ。
けどまぁ、まあじいさんが幸せならそれでいいにゃ」
「そうかそうか。
あいもかわらず猫みたいなやつじゃな。
とりあえず中に入れ入れ入れ。
話は茶を飲みながら聞こうじゃないか」
「ボクは猫にゃ」
ラプトクィリは遠慮なく自宅のようにビルの奥へ歩みを進める。鉄の扉の奥には二十畳程の広さの部屋があった。天井から吊り下げられている電球は赤、緑、青と交互に色を変えて光り、コンクリートがむき出しになっている壁には数多くの古いタイプの電子頭脳や警備会社から払い下げられた腕や脚、背骨のパーツが所狭しと並べられている。
「すまないがあいにく粉コーヒーしかないぞ?」
「にゃー。
お茶じゃなきゃなんでもいいにゃ」
ラプトクィリは適当に部屋の中に置いてある机に体重を預ける。マトイはフラフラと台所の方へ行くと棚の中から埃を被ったコップを取り出し、お湯がポッドに入っているか確認した。
「それで?
今回はどういった要件で来たんじゃ?」
ラプトクィリはポケットから一本の大容量記憶媒体を取り出すとマトイに手渡す。
「ほう?
これは?」
バイザーに浮かぶ目は二重丸で猫のように大きく、時折パチパチと瞬きする。
「じいさんの腕を見込んで頼みにゃ。
この動画の解析をお願いしたいのにゃ」
マトイは媒体を手に持つとクルクルと指と指の間に挟んで回し、ひゃっひゃと笑った。
「さては“ギャランティ”が絡んでおるな?
珍しいのぉ、あのお前さんがこんな案件に手を着けるなんて。
アイリサの小娘の案件じゃな。
ほれ、コーヒーが出来たぞ。
それで?
今回の相手はどこのどいつじゃ?」
ラプトクィリはマトイから手渡されたばかりの出来立て熱々の合成コーヒーを我慢して啜ると、思い切って死んだはずの友人の名前を口にした。
「ハンナにゃ」
-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 3 End




