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-電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 1

 人にはそれぞれ思い出が乗った“匂い”というものがあると言われている。ある人は甘い香水の匂いを嗅げば恋人との甘い思い出を。ある人は優しい柔軟剤の匂いで優しかった母を。匂いはふとした時に海馬の奥深くに大事に仕舞い込んでいた記憶を呼び覚ます力がある。

 当然その作用は人間にだけ適用される物ではなく、人間をベースに改良を加えた工業製品の獣人にも効果的である。

 一匹の猫の獣人――ラプトクィリも特別に感じる匂いがある。彼女の脳裏にこびりついていて、ひと時も忘れることが出来ない匂いは“肉が焼ける”匂いだ。

 単純に“肉が焼ける匂い”という文章をそのままを読み取ると、空腹を誘発し、ほとんどの人がいい匂いだと考える。しかしそんな何の変哲もない日常に溢れている匂いは特定の集団と彼女にとっては別の意味を持つ。

 この惑星の人間が当然のように享受し、日常的に使用しているネットワーク。そのネットワークに直接脳を繋げ、数多の企業のデータベースから情報を抜き取ることを生業とする者が“しくじった時”に発する匂いは正に“肉が焼ける匂い”なのだ。

 高度に組み立てられたセキュリティAIが送り込んでくる膨大な情報は脳細胞の持つ容量を一瞬にして埋め尽くす。あまりの速度に電子チップに搭載された安全装置も作動せず、情報の持つ情報エネルギーで脳細胞は一瞬にして焼け焦げる。焼けた脳の匂いはそれはそれは“美味しそうな肉が焼ける匂い”なのだという。

 設計者によってデザインされ、試験管の中で産み出された時から彼女の脳には高度なクラッキング知能と、端末が埋め込まれていた。仕事をこなしていく度に周りの仲間が“肉が焼ける匂い”を発して廃棄処理になっていく中、彼女ともう一匹は幸か不幸か生き残った。

 

「嫌や!!

 これ以上こんな閉塞された空間に居たない!

 助けてや!!

 嫌やぁー!!!!

 ウチはまだ建物の外も!

 空の色も!!

 ウチはまだ何も知らへんのやー!!」


 ラプトクィリと生き残りのもう一匹が好奇心からネットワークの禁忌に踏み込んだ時、そこに生息している“デイライト”と呼ばれる正体不明の敵は生贄としてラプトクィリではなくもう片方を選んだ。

 鋭い悲鳴を上げ、助けを乞う一番の親友へ伸ばした手が虚しくも空を切った瞬間を、現実世界では既に脳が焼け魂が抜けた親友の肉体の匂いを彼女は今も覚えている。




     ※ ※ ※




 うっすらとした、だが強力な光は瞼の作り出す薄い暗闇を通り抜け、優しく深い眠りから彼女の意識を揺すり呼び起こす。


「うーん……」


 もぞもぞと布団の中で動きながらラプトクィリは壁にかかっているトマトの形を模した時計を見る。午前九時を指している長針はすぐにカチッと一つ右へと動き、時が止まっていない事を伝える。

 黄金色に輝く太陽が、乱立する摩天楼の奥から姿を現すと、ようやくラプトクィリは欠伸をしながら目を覚ました。破れたプラスチック障子の隙間から差し込む光は今日も強烈で、ラプトクィリは羽毛のたくさん詰まった布団を頭から被る。


「もう一眠りにゃ……」


 すぐに耐え難いほどの強い眠気が襲ってきて、もうひと眠りしようと目を閉じた彼女の部屋へ乱暴にドアを開け、小さな狼の獣人が一匹入ってきた。


「ラプト~!

 いい加減に起きろっスよ!

 いつまで寝るつもりなんスか〜?」


 太陽を遮っていた障子ががらりと開けられる音と共に部屋の中の光量が増すと、小さな猫が描かれたエプロンを着たハルサは腰に手を当ててラプトクィリの掛け布団を勢いよく捲り上げた。


「うっ……。

 眩しいのにゃ……」


 澄んだ青空のような瞳を持つ彼女はうっすら目を開けたが直ぐに布団を奪い返してミノムシのように丸まる。ほぼ毎日繰り返されるこの約束事項にハルサもいい加減慣れたのか、容赦なく寝転がっているラプトクィリの背中を足の先で突付くと手に持っているお玉を振り回した。


「いい加減にしろっスよ。

 昨日の夜、『ボクは朝に起きて仕事するから九時に起こしてにゃ〜』って言ってたじゃないっスか。

 そっからすぐに寝ないでゲームしたりネットサーフィンしたりするからこの時間なのに眠くて起きれないなんていう不健康な事になるんスよ?」


ハルサは長いこと鼻から息を吐くと、呆れたようにミノムシラプトクィリを右足で強く押して転がす。転がされながらラプトクィリは嫌々目を開けてハルサの顔を睨んだ。


「……相変わらず言ってることもやってる事も姉と同じで生意気なのにゃ〜……。

 このボクという大先輩を足蹴にするかにゃ、普通」


恨めしそうに布団にくるまりながらラプトクィリは呟くがハルサはあっけらかんとした態度を崩さない。


「これが嫌ならさっさと自分の力で起きればいいんスよ。

 そもそも別に私はラプトを起こす義理は無いんスよ?

 というか私みたいなガキに起こされる大人って一般常識から考えてどうなんスか?」


「にゃ~……。

 ボクは猫なんだから仕方ないのにゃ~…。

 ハルにゃんが遠吠え我慢出来ないのと一緒にゃ」


ハルサは持っているおたまを肩に当てて首を傾げる。


「そんなんしたこと無いっスよ。

 というか、絶対関係ないっスよそれ」


「にゃにゃ?

 じゃあツカにゃんか」


「え!?

 姉様遠吠えするんスか!?」


「にゃはは!

 冗談に決まってるのにゃ!」


 長年日光が当たり、すっかり色の変わった畳に頰をこすりつけながらラプトクィリは面倒そうに下着しか着けていない上半身を起こす。ハルサはやっと起きたラプトクィリの目の前に綺麗に畳まれた洗濯物とシルクハットを置くと、どうぞお好きに言うように手を広げた。


「朝食はもう出来てるっス。

 あ、でもまた中途半端な時間に食べたらお昼ご飯いらないってなるっスよ」


「ん……。

 じゃあ昼まで何も食べないのにゃ」


「そこは好きにすればいいっス。

 自分のお腹と相談っスね」


 ハルサは手を軽く振って部屋からパタパタと出ていった。ラプトクィリは畳んでおいてある洗濯物の山の中から楽そうなダボダボのTシャツを羽織ろうとして自分が大量の寝汗をかいていたことに気がついた。身体が満遍なくベタベタして気持ちが悪い。部屋が暑かったのだろうと勝手に納得し、着替えの横においてある端末を広げて今日の天気を確認しようとして、日付に気がつく。


「そっか……。

 ハンナの命日が近いんだにゃ」


ラプトクィリはそう呟くと窓の外へと視線を移す。摩天楼の奥に広がる空は際限なく広く、青く起きたばかりのラプトクィリの目には痛いほど眩しかった。






                -電子猫は電子親友の夢を見るか?- Part 1 End

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