-断頭台の憂鬱- Part 12
壁から抜いたデバウアーの刃が冷たい蛍光灯の光を反射してキラリと光る。パラパラとコンクリートの破片が床に落ち、“大鎌の獣人”から見ればまるで自らを噛み砕く為に唸っている猛獣の牙のようにも見えている事だろう。正面から何度もぶつかり、何度も負けてきた経験が“大鎌の獣人”の脳裏に鮮明に浮かんでいるに違いない。
「…………」
大鎌の獣人は落ち着いて息を吐き出して呼吸を整えながら太ももにつけていた小刀を抜いて左手に持つ。
「お、本気モードか?
少し遅かったんじゃねーの?」
「……………」
茶化す山羊には一切の反応を見せず、敵は今度は一目散にルフトジウムへと突っ込んできた。大鎌を持った右手を大きく後ろへ振りかぶり、ルフトジウムが間合いに入ったタイミングで彼女は掻き払う。そんなバレバレな攻撃が当たるはずもなく、山羊はデバウアーを地面に一本突き刺して大鎌の刃を食い止めつつ、残ったもう一本で敵の頭上から一撃を食らわせる。
今までの敵ならばきっとこの一撃を受け止めるはずだ。何度も戦ったからこそルフトジウムも敵の動きを先読みし、大鎌を受け止めているデバウアーから既に手を放し彼女の顔面に拳を入れる準備すらしていた。しかし、“大鎌の獣人”は予想外の動きに出る。上から降ってくるデバウアーの刃を避ける為に、左手に持っている小刀を地面に突き刺して急ブレーキをかけたのだ。
「はぁ!?」
小刀はまるで錨のように彼女の小さな体と大鎌の質量を受け止め滑らかにしなる。すると運動エネルギーがたっぷりと乗った“大鎌の獣人”の体は小刀を基点としてその方向を真逆に変えたのだ。デバウアーと触れ合っていた大鎌の刃がするりと外れ、回転の勢いを借りながら大鎌の向きもくるりと変えて見せた敵の一撃は全く真逆の方向からルフトジウムを襲う。
「っ!!」
ルフトジウムは本能から来る危機察知能力で咄嗟に頭を後ろへと引く。大鎌の刃は彼女の頬の薄皮を一枚切り裂くとそのまま通り過ぎていった。当然それだけで終わりではない。小さな体ながらも戦闘用獣人の敵はそのまま大鎌の質量が持つ運動エネルギーに更に自分の体のうねりを加え、もう一撃ルフトジウムのがら空きの胴体を目掛けて大鎌の一撃を重ねて放ってきたのだ。
「こいつ…!」
そのような無茶苦茶な戦い方をルフトジウムは見たことがあった。かつて自分に戦闘技術を仕込んだ先生とも言うべき男が持っていた戦闘スタイル。何度も何度も男から教え込まれたのだが、敵の攻撃にどうしても合わせることが出来ず、最後には自ら手放してしまったその戦い方をなぜかこいつは知っている。敵の攻撃すらも自分の攻撃の軸に変えてしまうその戦い方は、正面からぶつかって敵を押しつぶす戦闘スタイルのルフトジウムにとってまさに天敵ともいえるものだった。しかし
「…そんな甘い攻撃でこの俺が負けるかよ!」
胴体を真っ二つにしようと迫ってくる大鎌に対してルフトジウムは条件反射のように体を後ろに倒す。まるでリンボーダンスをしているように後ろに体を逸らした彼女の胸スレスレの所を大鎌の刃が通り抜けて行く。“大鎌の獣人”は攻撃を外したと理解すると同時に地面に刺さった小刀を勢いよく抜き、そのまま大鎌と一緒に後ろへ飛んで再びルフトジウムと距離をとった。両者が静かに向き合う。
「……なぁ、お前。
まさかと思うけどグンジョウって奴に会ったりしたか?」
顔に笑みを張り付けながら体を起こしたルフトジウムは、デバウアーを再び拾う。彼女はなぜ自分が笑っているのか余り理解できていなかったが、戦闘の高揚感が脳内を満たしている今、そんな事はどうでもよかった。
「……………」
敵は肯定も否定もせずにホログラムの向こうからじっ、とルフトジウムの顔色と反応を伺っているようだった。何年かぶりに口に出した名前の響きはルフトジウムに過去の事を簡単に思い出させる。更に無言を貫く敵に対して追加で質問を投げかける。
「あのおっさん、まだ生きてるのか?」
問いかけるルフトジウムのその手にぽつりと赤い液体の斑点が出来て、ようやく彼女は自分の頬からかなりの勢いで出血していることに気が付いた。ぐいっと手の甲で頬を拭うと思ったよりも多く血が付着し、うへぇと顔を顰める。
「…………」
「ったく、無言は傷つく…ぜ!」
世間話のさながらルフトジウムは拾ったばかりのデバウアーを思いっきり投げつける。強靭な肩から投げられたデバウアーの時速は二百キロにまで一瞬で加速し、“大鎌の獣人”の胴体を目掛けて飛翔する。
「なんっ…!?」
そんな恐ろしい攻撃を受け止める訳にはいかず、すぐに反射で右に飛んだ“大鎌の獣人”だったが、移動先の背後へと既にルフトジウムは移動していた。戦闘用獣人として百パーセントの力を出した彼女の体に混じった山羊の特徴は彼女の体を迅速に加速させた。その俊敏性は既に人の目ではとても追い切れない。
残っているデバウアーの片方をフルスイングで敵の首を目掛けて叩き込もうとする山羊。もし相手が人間ならばこの一撃は確実に決まっていた。相手が人間、なら。しかし今回の相手は“大鎌の獣人”。背後から迫りくる攻撃を敏感に察知していた彼女は、ダボダボのコートを一瞬にして脱ぎ捨て、ルフトジウムの視界を覆う様に広げていた。
「小癪な!」
デバウアーが切り裂き真っ二つになったコートが上下に別れ、その隙間から奥にいるはずの“大鎌の獣人”の姿を、ルフトジウムは見ることが出来なかった。落ちていくコートの影に紛れるように屈んだ小柄な“大鎌の獣人”は山羊の視覚外から手に持っている小刀を胴体目掛けて突き出す。
予期していなかった敵の動きだったが、ルフトジウムの戦闘本能と経験値は手に持っているデバウアーを自身の体の前へと移動させていた。小刀はデバウアーの表面を掠め、するりと滑っていく。そこから更に彼女は小刀を逆手持ちにしていたのを利用し、刃を上から下へと振り下ろした。連撃ではあったが、デバウアーによって初撃を防いだルフトジウムには十分に防ぐだけの時間の猶予があった。彼女はすかさず右足を前に出し、敵の軸足を払う。がくりと体勢を崩し、地面に倒れこんでいく敵の頭を目掛けてルフトジウムはデバウアーの先端を突き刺す。
「すばしっこい!」
デバウアーの灼熱の先端部分が相手のホログラムを突き破り、敵の顔面へと向かっていくが、当たる直前に“大鎌の獣人”は地面に片手をついて体勢を立て直していた。デバウアーが狙ったところに既に敵の顔は無く、何本かの髪の毛をデバウアーは切り取ったものの、肉を削ぐには至らない。
そのまま“大鎌の獣人”は大鎌をくるりと自分の体に沿って回転させて持つ手を変えると下から上へと一撃を放ってきた。何万度にも至る刃はルフトジウムの体を切り裂こうとするが、地面に突き刺さったデバウアーがそれを邪魔する。金属と金属がぶつかり合う耳障りな音が廊下中に響き渡ると、ルフトジウムははぁと大きく息を吐いていた。
「おいおいおいおい…。
決着がつかねぇよ。
俺とお前の実力は拮抗してるみてぇだからよ」
大鎌とデバウアーが触れ合う部分からぶつかり合った熱が噴出し、立ち昇る陽炎が二匹の視界を揺らす。
「力比べか?
いいぜ。
俺が押し切ってやるよ?」
「………っ!」
はぁはぁ、とスタミナを回復させるために大きく息をしている“大鎌の獣人”が支える大鎌に対して、先程一線交えたばかりだというのにまだたっぷりとスタミナを残しているルフトジウム。ぐぐっ、とルフトジウムが敵にのしかかるようにデバウアーを押す手に力を込めると、まだ未発達の敵の力では到底押し返せないのかすんなりとデバウアーは大鎌を押し込んでいく。肉食動物のような目つきをしたルフトジウムの頬から零れ落ちる血が重力に引っ張られて大鎌の獣人の体へと落ちていく。
「ホログラムを発生させている装置ごと切ってやるよ。
お前の正体が楽しみだぜ」
勝ちを確信したルフトジウムがトドメを刺すために思いっきり力を込めた瞬間、“大鎌の獣人”はちらりと首を動かし、ルフトジウムの後ろへと視線を通した。死の際だというのにその余裕はおかしい。
「てめぇ、俺が眼前にいながら何よそ見して――!」
突如、ルフトジウムの頭を強い衝撃が襲った。ゴツン、というには言葉の強さが足りない。まるで頭にブルドーザーが最高速力でぶつかってきた…という程強調しなければならないだろう。
「てめ……ぇ……!」
衝撃が走った瞬間、ルフトジウムは体の制御が効かなくなったことに気が付く。何とか無理やり振り返ると、ぐらりと揺れた視界の隅に倒れて寝ているはずのドンタを見つけた。彼は大きく肩で息をして、手にはハンマーのようなものを持っていたのだった。彼の一撃は的確にルフトジウムの角に当たり、角から伝わった衝撃は直に頭蓋骨と脳を揺らしたのだった。衝撃は最強とも噂される“AGSの断頭台”の意識をぼんやりと曖昧な物にするには十分だった。
「ま…待ちやが……れ……!」
-断頭台の憂鬱- Part 12 End




