-断頭台の憂鬱- Part 2
カンダロが来ると言ってから約十五分後に安っぽい備え付けのインターホンがチリリと鳴った。ルフトジウムはサイントからジョークでもらった『永遠的草食動物』と胸の所に書かれたダサいTシャツを羽織り、カメラから扉の外を確認する。
「こんばんは。
すみません。
こんな夜更けに来ちゃいました、ルフトジウムさん」
モニターには先ほど仕事が終わったばかりであろう“AGS”の制服を着たままのカンダロが軽く頭を下げて映っていた。ルフトジウムは扉を開き、小さく息を吐いてから一言目からずらずらと文句を垂れる。
「はぁ…。
あのなぁ、俺は疲れてんだけど?」
ルフトジウムは腰に手を当てて、じろりとカンダロの澄ました顔を睨みつけた。しかし彼はそんなルフトジウムの態度などまるで歯牙にもかけず、それどころか珍しく積極的でもあった。
「めっちゃ不機嫌な顔してません?
どうしたんですか?
とりあえず中で話しましょうよ」
「ちょ、ちょいちょい!」
ぐいぐいと部屋の中に入ってこようとするカンダロ。ルフトジウムはそんなカンダロの裾を掴んで止める。戦闘用獣人の力なら成人男性一人の動きを止めることなど容易い。カンダロはもう一度玄関までルフトジウムによってぐいぐいと押し出されてしまう。
「一体またなんですか〜?
僕達の仲じゃないですか。
今更止めないでくださいよ!」
「止めるのは当たり前だろ!
仕事が終わってやっと今からくつろぎタイムだってのに上司が来た俺の気分にもなってみろよ。
この状況かで俺が不機嫌じゃ無いと思う理由を逆に述べてみろ」
カンダロはうーんと考える素振りをして、黒い雨がたっぷりついた傘を閉じて玄関の脇に立てかけた。そして鞄からお土産として持ってきたのであろうおにぎりが三つ入ったケースとお茶をルフトジウムに見せる。
「とりあえず立ち話もなんですから中に入りません?
お土産もありますから。
ね?
入れてくださいよ、お願いします」
余りにもしつこいカンダロの言動にルフトジウムは強い違和感を感じた。カンダロがここまで馴れ馴れしくしてきたことはコンビを組んでから今まで一度もない。となると、何か訳ありだ。
「……?」
おにぎりのパッケージを見せるカンダロの手は小さく震えていた。寒さで凍えているわけではない。ルフトジウムは目を細め、カンダロがやってきた方角を一瞬だけチラリと見る。変な人影は特には見受けられず、仕事が終わって帰ってきたくたびれた和服スーツを着たサラリーマンが自室の鍵を開けたり、買い物袋をもった主婦が風呂敷を持った子供の手を引いたりしている。
「ルフトジウムさん…」
ルフトジウムは改めて蚊が鳴くような声で名前を呼んできたカンダロが手に持っているおにぎりのパッケージをもう一度見た。そこにはとても見にくいが細くボールペンによる殴り書きがあった。
『助けて』
小さく頷き、ルフトジウムはカンダロのしつこさに折れた振りをして家の中に入るように言いながら、脇に置いてある護身用の拳銃を手に取った。安全装置を解除し、ドアが閉まるぎりぎりまでルフトジウムは手に持った護身用の拳銃の銃口を外に向ける。カチリと鍵が閉まり、やっと山羊は拳銃の安全装置を元に戻した。カンダロはホッとしたようで大きく息を吐いて玄関に座り込んでしまう。
「おい、そこで止まんな。
とりあえず奥まで行け」
玄関でだらしなく座り込む男の尻を蹴り上げ立ち上がらせると、ルフトジウムはまだ点灯しているモニターからもう一度外を見た。しかしそこに不審な人物はそこには映ってなどおらず、首を傾げながら拳銃を手放さない様にカンダロを奥の部屋まで押し込む。カンダロは自分で持ってきていたお茶の封を開け、お茶を口に含んだ。
「どうした、何があったんだよ」
重々しい拳銃を机の上に置き、ルフトジウムはバタバタと部屋の窓から周囲を確認する。
「助かりましたルフトジウムさん…。
ありがとうございます。
会社を出てから何者かにずっと尾行されていたんです。
僕もAGSの男ですから特定してやろうと何回も罠に嵌めたんですが、相手の方が一枚上手でどうにもこうにもならなくて。。
あいつ、じっとりと影のようにいつまでもいつまでも付いてくるんです。
それが余りも怖くて…」
ルフトジウムは部屋中の遮光カーテンを閉めて部屋の光が外に漏れないよう工作し、カンダロは呑気にもう一口お茶を飲んだ。
「おい出来るだけ窓から離れろ。
お前を殺すつもりかもしれないだろ。
防弾シャッターは一応降ろすけど何があるのか分からん」
「こんな街中で殺しなんて…」
「可能性が無いとは言えないからな」
壁に設置されたスイッチを押すとルフトジウムの部屋の錆びついた防弾シャッターが降り始める。この建物は“AGS”の管轄にある物で、そこに住まう従業員の安全を確保するための装備は当然付いている。
「防弾なら別に窓から離れなくてもいいんじゃないです?」
「防弾シャッターとか言ってるけど実際はそれなりの銃弾なら防げるってだけだからな。
当たり前だが戦車砲とか対物ライフルは防げない」
防弾シャッターが降り切ってようやくルフトジウムは安心し、カンダロに座椅子に座るよう促した。
「厄介事を引っ張って来やがって。
それにしても“AGS”の人間を狙うやつがいるなんてな。
お前、怪我とかはないのか?」
「今のところは」
大事そうに持ってきたおにぎりを机の上に置いてカンダロは上着を脱ぐと座椅子に掛ける。ルフトジウムはそんなカンダロの様子をじっと眺めると机の上に置きっぱなしになっていたアスパラを一本取って齧った。
「そんで、何か狙われる心当たりはないのかよ?
“下層部”のやべー奴らとツるんでるんじゃねーだろうな?
それともなんだ。
なんかいけない事件に首を突っ込んじまってるとかか?」
淡々とカンダロの前に尾行される可能性のある事例を並べていくルフトジウム。座椅子に座っているカンダロは俯いてじっと黙り込んでしまい、まるで借りてきた猫のように大人しい。
「終わったはずの事件をほじくり返したりしてないだろうなぁ?」
「!
あー…えー…と…」
「おいおい…。
お前さぁ、頼むから勘弁してくれよ。
心当たりがあるのかよ」
呆れ返っているルフトジウムの前にカンダロがごそごそと鞄から端末を取り出して画面を見せて来る。その画面に書かれている文字を読んだルフトジウムは頭をガシガシと掻いた。シャンプーのいい匂いがカンダロの鼻を擽る。
「お前…これって…」
いつものずぼらなで返り血や汚れに塗れているルフトジウムの態度からは想像もつかないフローラルな匂いにカンダロはトギマギしながらも話を続ける
「実は僕、例の事件についてこっそり一人で調べていたんです。
何といっても大野田重工の研究室長が死んだんですよ?
これってかなり大事ですよ。
それなのに…」
「その事件、確かかなり前に話したやつだったよな?」
山羊が長くなりそうな説明を途中でビシッと遮る。
「はい」
「…すまん。
どんな話しだったっけ?」
「えー、もう忘れたんですか…」
「麻薬組織云々で最近忙しかっただろ?
俺はお前と違ってそんなに頭がいい訳じゃねえから、ポロッと忘れちまうんだよ」
“ロバート・ロボティクス”の支配する都市から帰還したルフトジウム、サイント、カンダロの三名とF部隊隊長を含めた合計二人と二匹がデブリーフィングで話した内容を詳細にメモしていたカンダロは改めてルフトジウムの前にその資料を提出した。資料を受け取り黙って十分ぐらいその内容を黙読したルフトジウムはぼそりとどこか寂しそうに呟いた。
「そうか。
“大鎌の獣人”関係だったな」
「貴方が殺して谷へと突き落とした“大鎌の獣人”の動機についてですよ。
興味が無くなった訳じゃないですよね?」
なるほどね、と小さく言葉を零し、ルフトジウムは脚を組む。
「“大鎌の獣人”は死に、その相棒と見られていた猫の獣人も谷に落ちて死んだ。
“お上”の中ではこの事件はもう終わったんだ。
どうしてまだ調べる?」
もう何か月も前の出来事をルフトジウムは脳の奥底から引っ張り出して来てカンダロを問い詰めた。
「理由を聞くなんてルフトジウムさんらしくないですよ。
“大鎌の獣人”が誘拐事件を引き起こした背景が全く見えてこない事に疑問を抱かないんですか?
確かに“上”からの命令で電車に潜り込み、対象を排除したのは僕達です。
でも“上”からの命令がどこからの命令で、どうして排除したかったのか理由が全く見えていない。
それって滅茶苦茶不気味じゃないですか?
僕はこの裏にはとても大きな何かがある気がしてならないんです。
何よりボク達と戦った時とても個人では用意出来ない規模の装備を持っていました。
これは僕の予想なんですけど…」
ルフトジウムが見つめるカンダロの瞳の奥底には何か大きな使命に駆られたような炎が見えた気がした。
「多分、“大鎌の獣人”は生きています」
ふーん、と小さくルフトジウムは声を出してぺろりと唇を舐めた。
「それが心当たりか」
「僕の勘は当たっているかもしれないですよ」
「ふん…」
鼻で笑いつつも、ルフトジウムはじっと頭の中で自分が刺した“大鎌の獣人”について思い出していた。
-断頭台の憂鬱- Part 2 End




