-作られた命、自然の村- Part 31
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まだショックから立ち直っておらず、呆然としているエクロレキュールと共に汚染されていない区画へと移動した二匹は、ラプトクィリがさっき呼んだ“ギャランティ”からの迎えが来るまでジオフロント上層の小さな部屋の中で待機することにした。昔は他都市から来る客を迎え入れる為の客室として使われていたのであろうその部屋は今となっては黴臭く、古い壁紙がぺろりと剥がれたぼろっちい幽霊屋敷の一室のような雰囲気を漂わせていた。
「げー。
本当にここにするんスか?
ここにしばらくいるのならエクロの家に帰りたいっスよ~…」
蕁麻疹が出る、と言わんばかりの表情でハルサは不愉快を隔そうともせずに抗議する。
「ダメにゃ。
さっきも言ったにゃ?
汚染がジオフロント内部に溜まってしまったって。
エクロの家に戻ったら死んじゃうにゃ」
「でもここは――」
「虫がいないだけマシにゃ」
がうがうと抗議するハルサに対してぴしゃりと言い放つとラプトクィリはご自慢の杖をくるくると振り回しながら部屋に入っていく。ハルサは黴の匂いに顔をしかめつつ。天井からぶら下がっているシャンデリアを眺めた。かつての荘厳さを示すガラス玉はまだ煌めきを保っていた。エクロレキュールが入口のスイッチを入れるとシャンデリアはしっかりと光り、部屋を明るく照らす。しかしその光はいまだに暗く、不気味さの方が際立っていた。
「あ、そういえば迎えは大体どれぐらいで来るんス?」
「そうだにゃあ…。
んー…。
多分、十五時間位はかかるんじゃないかにゃ~」
「えーそんなにかかるんスか…」
ハルサはため息を一つついて自らの折れた左腕を固定するための添え木ならぬ添え鉄パイプを恨めしそうに眺めた。ハルサの左腕を治療するための束の間の休息時間をようやく取れたときにエクロレキュールが世話を焼いてくれたのだ。ラプトクィリもいつも着ている紅いパーカーを脱いで椅子に座り、倉庫からエクロレキュールが持ってきた缶コーヒーの蓋を開けた。
「ハルにゃんはひと眠りするといいのにゃ。
きっとかなり疲れてるのにゃ。
痛み止めの予備もあるにゃから、これ飲んでぐっすり眠るのにゃ」
紫の見せブラジャーを着用している上半身下着姿のラプトクィリが渡してきた痛み止めの瓶から適量の白い錠剤三粒を取り出してごくりと飲んだハルサは精神的に弛緩し、大きく欠伸をする。
「ふぁ…。
言われなくても…そうするっス…」
重く、傷ついたアメミットを壁に立てかけ、ハルサはコートを脱ぎ散らかして着物一枚になるとソファーに顔から倒れこんだ。長年積もっていた埃がばっと舞い、むずむずとくしゃみを三回ほどしながらも小さな狼はすぐに寝息を立て始めた。
「あらら、もう寝ちゃったのにゃ…。
早すぎにゃ」
「かなり疲れてたのです…ね…」
「そりゃ朝早くからあんなに動けば疲れるのにゃ。
ハルにゃんはまだ成長途中で体力がないからにゃあ…。
間違いなく限界だったのにゃ」
エクロレキュールは部屋の奥に畳んであったブランケットを広げ、ハルサの小さな体にかけてあげた。
「コーヒーでも飲むかにゃ?」
「いらない…です…」
「美味しいのににゃ~~!
ああ、これが大野田重工の本社都市で買えたらにゃあ…」
目を細め、名残惜しそうにラプトクィリは汚染されていない倉庫から持ってきた缶コーヒーのラベルをしげしげと眺めた。“大崩壊時代”よりも昔の書体で商品名が書かれていてほとんど読めない所も缶でも、辛うじて中身がコーヒーであることはラプトクィリが自身の電脳ストレージと照合して分かったことだ。
「その、大野田重工?の本社都市では買えないです…?」
「そうなのにゃ。
あそこにはコーヒーなんてお洒落なものはないのにゃ。
あの都市はお洒落ってものが分かってないからにゃ~」
ラプトクィリはにこっとしながら缶コーヒーを机の上に置いて、ソファーの上で丸まって眠るハルサの横に座った。ラプトクィリはすやすやと眠るハルサの頭を撫で、ハルサの寝顔を見つめる。ハルサの大きなケモミミがぴくぴくと動く。
「ボクが思うに、ハルにゃんは寝てる時が一番かわいいのにゃ。
こいつたまにクソ生意気なこと言うからにゃあ…」
エクロレキュールは小さく頷いて同意する。目を瞑って眠るハルサの表情は穏やかで、まるで人形のように整った顔立ちも含めてかわいい、と言った陳腐な一言でしか表現できない空間が出来上がっていた。
「そう…ですね…。
起きてるときは何かと…目つきがキツイ気がする…です……。
まるで獣のような……」
「にゃはは、間違いないのにゃ。
ボク達獣人は人間を基本にした生き物とはいえ、獣は獣。
それに、ハルにゃんは歳の割に沢山背負いすぎなのにゃ」
「ハルサは全く子供っぽくない…ですから…」
ふふふ、とエクロレキュールは笑う。その笑顔を見てラプトクィリはほっと胸を撫でおろした。
「……ようやく笑ったのにゃ」
「え?」
「住民みんなの事があったからボクらはかなり心配してたのにゃ。
てっきりもう笑ってくれないかとまで思っていたのにゃ」
「…………」
エクロレキュールはラプトクィリの正面に移動してぽすんと体重を椅子に掛けて座り込む。古い木製の椅子はギッ、と軋み、彼女の真っ白な服に大きな埃が付着する。
「…正直まだショック…です。
でも、落ち込んでばかりもいられない…です……から…。
ハルサやラプトが…危険からワタクシを守ってくれた…です。
だから一緒にいるときぐらいは笑おうと思った…です…」
「真面目だにゃあ…。
ボク達の前ではいい子しなくてもいいのににゃ」
エクロレキュールはまたふふ、と笑う。雰囲気がだいぶ柔らかくなったタイミングでラプトクィリは“ギャランティ”から依頼されていた任務についてエクロレキュールに切り出した。
「ねぇ、エクロ。
ボク達と一緒に“ギャランティ”に来ないかにゃ?
幸せな時間を過ごせると思うのにゃ」
もう守るものがいなくなったエクロレキュールは断らない、そうラプトクィリは過信していた。実際エクロレキュールも少し考えるような素振りをしたが、すぐに頷いて了承の意思を示した。
「本当にゃ!?
よかったのにゃ~……!
ボク達の任務はこれで達成出来るのにゃ。
ボーナスも下がらずに済みそうにゃ」
「ボー…ナス…?
お野菜…ですか…?」
ラプトクィリは本気で困惑しているエクロレキュールの両手を掴んで上下に振る。
「はーよかったにゃ~。
ふあー…後は迎えが来るまで待つだけにゃ。
ボクも少し休ませてもらおうかにゃ…」
ラプトクィリは達成感に包まれながら伸びし、ハルサが眠る椅子とは別の椅子にダイブしようとした際、壁に立てかけてあるアメミットに躓いてしまった。アメミットはそのまま勢いよく刃を下にして倒れる。
「にゃ!?」
「大丈夫…ですか…?」
ゴトン、と鈍い音と共に倒れたアメミットはラプトクィリの足を傷つけずに地面に横たわった。エクロレキュールは立ち上がってアメミットを拾い、もう一度壁にかけようとする。
「――ッ!」
アメミットの柄に触れたエクロレキュールはまるで電流が走ったかのように手を引っ込めた。
「…?
どうしたのにゃ?」
不信に思ったラプトクィリがエクロレキュールの顔を覗き込む。
「これって…もしかして……」
「にゃ?
もしかしてまだ熱いのにゃ?」
自分が倒したアメミットを元の位置に戻そうとしたラプトクィリだったが、アメミットの重量はかなりの物。ラプトクィリでは到底持ち上げることが出来ず彼女は諦めて床に放置することにした。エクロレキュールは彼女にしては珍しくその行動を手伝おうとはせずにただ怯えた目でアメミットを見るだけだった。
「一体どうしたのにゃ?
ハルにゃんのアメミットがそんなに怖いのかにゃ?
ドラゴンにもまさか怖いものがあるとは思いもしなかったのにゃ」
「……………」
「にゃ?
本当にどうしたのにゃ?」
しばらくエクロレキュールは黙り込み、ラプトクィリの質問に生返事を繰り返すだけだった。言葉のコミュニケーションが消えるのはすぐだった。沈黙の中三十分程考えたエクロレキュールはいつの間にか横になって体を休めているラプトクィリにこう言った。
「ラプト…ごめんなさい…です…。
ワタクシ、やっぱり…一緒に行けない…です…」
-作られた命、自然の村- Part 31 End




