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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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03

 アルマが産まれるまでの彼は、文武に秀で、温厚快活で、竜王宮と王家へ忠誠を尽くす人物だった。

 政敵を含めた周囲の人々は、彼が当主でいる限りレヴァンダル大公家は安泰だと認めていたほどだ。

 しかし、彼が生まれながらにして角を戴いた息子を授かってから、周囲は一変する。

 〈魔王〉への忌避が再び囁かれ、そこそこの友好関係を保っていた王家とは疎遠となった。竜王宮は逆に大公家への干渉を強めており、結果、王家と竜王宮との間は険悪の度を増していく。

 その状況に順応し、常に最善の手を打っていた当主は、確かに只者ではなかった。

 だが、彼の最も顕著な特徴は、その息子、アルマによって明らかになったのだ。


 大公家では、アルマが生まれてから、時折奇妙な現象が発生していた。

 誰もいない場所で扉が開閉する、軽い家具や食器が動いたり割れたりする、などだ。

 使用人たちは酷く怯えていたし、当主はそれを憂慮してはいた。しかし、彼が在宅時にそのような現象が発生することはなく、危機感がいまひとつ薄かったのは確かである。

 むしろ重要視したのは火竜王の高位の巫子だった。グランは、珍しくも普段出てこない竜王宮から、大公家へと足を運んだ。

 現象が、純粋に物理的な動きであること、そしてそれが起きる場に立ち会ったことから、グランは原因をまだ赤子であるアルマが本能的に放つ魔力であると断定した。

 そして、父親がそれを目撃できないのは、彼に息子の魔力を抑える特性があったためだということも。

 魔力を抑えるためには、魔力が存在しなければならない。

 アルマが生まれるまで、当主がただの人間だと思われていたのも、無理はない。

 アーデルオーグの時にはこんなことはなかった、と、グランは三代目を引き合いにだして悪態をついていた。

 故に、アルマは父親の傍、直径百メートルほどの位置では魔術を扱うことができない。

 彼が魔術を扱う技量を学ぶためにわざわざ竜王宮へ通っていたのは、そういった事情もあった。

 その辺りの一切は、グランによって機密とされ、関係者全員に沈黙が課されている。

 アルマが生まれて六年後に大公家へと入ったエスタが何も知らないのも、無理はなかった。




 荒い息をつきながら、マントを跳ね上げる。

 エスタは腰に佩いた剣の柄を握り、引き抜いた。

「残念だよ、エスタ。残念だ」

 当主が滑らかに立ち上がる。暖炉の上に飾ってある長剣に手をかけると、鋭く鞘鳴りを響かせながら抜き放った。

 片手でそれを握り、まっすぐ甥に相対する。

「エスタ。お前は、一年前に私が落馬して骨折したことを覚えているな?」

 当主の行動の一つ一つに、僅かながらとはいえ怯えを感じてしまっている。

 無言で、エスタは頷いた。

「そうか。実は、あれは嘘だ」

「え?」

 突然の告白に、反射的に声が出る。

「従軍するのは、どうしても〈魔王〉アルマナセルを思い出させる方がいいと王に言われたのだよ。全く、今までの私の忠誠を何だと思っておられるのやら。薄情なものだ。まあお断りすることもできないので、私の代わりに(せがれ)が従軍するよう、一芝居打ったという訳だ」

 男の笑みが、深まっていく。

「さて、私も昔はそれなりに鳴らしたものだ。心してかかってくるといい」

 エスタが、絨毯の長い毛足を、じり、と踏み躙った。





 翌朝、甲板に出たところで、周囲のぎょっとした視線が集中して、アルマは僅かに怯んだ。

 昨日最初に船に乗りこんだ時に、それが竜王宮所有のものということもあり、ついマントのフードを取ってしまったのだ。

 その瞬間、船を動かすために立ち働いていた竜王兵たちが、呆然と、彼の伸びた角に注目した。

 特に、彼らは王都の竜王宮に配属されていた者たちで、アルマとは以前から顔馴染みでもあったことから、少なからずへこんでしまっていたのだが。

「仕方がないだろ。君だって、もしも三日会っていないうちにグランが成人するぐらいまで成長していたら、驚かない訳がないじゃないか」

 しかし、オーリがそう宥めてきて、まあそれはそうかと妙に納得した。

 思えば、エスタの変化にも酷く驚いたものなのだし。

 遠く、対岸の辺りを眺める。

 あの青年は王都に戻ったのだろうか。

 それとも、そのまま行方をくらませたのだろうか。

 一昨日に宣言したように、本当にアルマの父親を殺しに行ったのだろうか。

 その場合、彼が、あまり手酷く対処されていないといいのだが、と、僅かな希望に縋ってアルマは考えた。

 甲板を横切って、設置してある舟へと近づく。

 この船は平底船だが、それでもそれなりの人数を乗せるための容量がある。喫水線から手摺までの距離は二メートルほどはあるだろう。ペルルが湖に潜るにあたり、船からよりは、小型の舟を出してそこから直接行動を起こした方がいいだろう、という判断だ。

 四、五人が乗る程度の舟は、酷く頼りない。

 背後で扉が開き、グラン、ペルル、プリムラが姿を見せた。

「今日は、とりあえず試しということで様子を見よう。さほど長時間でなくていい」

 グランが指示を出している。

「二、三時間というところですか?」

 ペルルが返した数字は、どうしても短時間ではない。

 僅かに疲労を感じながら、アルマは三人に向き直った。

 ペルルは、薄手のマントを羽織っている。普段は下ろしがちな髪を、軽く纏めて結っていた。

「お前も行くのか?」

 グランが尋ねてくるのに、胸を張る。

「何があるかわからないだろ」

 プリムラも強く同行を申し出ている。舟を操る竜王兵は外せないため、既に定員いっぱいだ。

「まあ、邪魔だけはするな」

 グランの返事には、いつもの切れがない。

「具合でも悪いのか?」

 軽く訊いてみると、じろりと睨め上げられた。

「寝てないだけだ。オリヴィニスと古歌を調べていたからな。あいつはまだ続けたがっていたが、昨日は無理をさせたし、切り上げてきた。僕もお前たちが出たら少し寝る」

 疲れたように掌で頬を撫でる仕草が、子供の姿には似合わない。

 全員が舟に乗りこむと、鉄の鎖ががらがらと音を立てて動き、ゆっくりと水面へ向かって降下を始めた。

 ばしゃん、と着水した衝撃で、舟は酷く揺れる。

 十メートルほど、本船から離れた。ペルルが、気負いを見せることなくマントの紐を解く。

 その下には、薄いリネンのドレスを身に着けていた。日差しは温かいものの、流石に風は冷たいのか、小さく身震いする。

「中止してもいいのですよ」

 心配でそう告げるが、ペルルは笑顔で首を振った。

「大丈夫ですよ」

 そう言って、するりと素足を湖水に触れさせる。

「では、行ってきますね」

 軽く告げると、ぽちゃん、と水に身体を沈めた。

 息を詰めて見守っていると、すぐに五メートルほど離れた水面から顔を出した。大きく手を振ってみせて、再び水中へと姿を消す。

 そして、待つ時間が始まった。



 どれほどの時間が経ったのか、判然とはしない。

 しかし、太陽の角度を考えると、さほどではないようだ。

 最初は水面に注意を注いでいたアルマとプリムラだが、流石に集中できなくなってきた。

 ふと船に視線を向けると、そこにはもうグランの姿はない。甲板で言っていたように、睡眠を摂りに引っこんだのか。

 自然、二人の話題はここにはいない仲間のことになる。

「みんな薄情だよねー!」

 頬を膨らませて、プリムラが拗ねたように言う。

「全くだ。何があるか判らないってのに、グランの野郎」

 アルマがむっつりと返す。

「それ言うなら、オーリもだよ。顔も出さないんだから」

「出さない、ってんならクセロもだろ……」

 続けざまに出てきた名前が、尻すぼみに消えた。

 どちらともなく、溜め息をつく。

「……クセロ、どうしてるんだ?」

 遠まわしに尋ねてみたが、プリムラは力なく首を振った。

「昨夜、部屋に引き篭もってから声をかけても返事がないの。船の厨房の話だと、ワインが根こそぎ消えてるらしいから、それを飲んでるんだと思う」

「……駄目な大人の態度だな……」

 少しばかり呆れて小さく呟いた。

「お前はどう思う? つまり、クセロがこの先巫子になるかもしれないってことに」

 うーん、と口の中で発して、プリムラは晴れた空を見上げた。

「それって、クセロが、グラン様とかペルル様みたいに、凄く偉い人になる、ってことだよね。何ていうか、想像ができないの」

 元々、あの男は王都の下町を縄張りにしていた盗賊だ。その辺りの戸惑いは大きいだろう。

「偉くなる、とも限らない。何より、地竜王には、崇めてくる民がいないんだから」

 しかしアルマの言葉に、きょとん、とプリムラは見返してきた。

「今現在、世界は大体三竜王で分割されてるだろう。主に民や土地だ。フルトゥナの民はちょっと例外としても、彼らも風竜王から地竜王へ乗り換える、っていうのは考え辛い。馴染みがないし、思い入れもないからな。まだ知られていないけど、風竜王が解放されたと判ったら尚更だ」

 ロマに育てられた少女が、頷く。

 そう、竜王への信仰を乗り換えるには、かなりのメリットがなくてはならない。

「つまり、単純に、巫子を偉い人だと認めてくれる人間がいないんだ。土地がない、ということは税収もない。だったらますます人は寄りつかないだろうな。勿論、他の竜王宮が地竜王を冷遇するってことじゃないが……」

 しかし、グランやオーリが、クセロを対等な巫子として扱うかと言われると微妙な気がする。

「じゃあ、遠くに行く訳じゃないんだ」

 僅かに顔を明るくして、プリムラは結論づけた。

 遠く、というのは場所ではない。立場が遠くなる、というのが、単純にこの娘には辛いのだろう。

「ただ、まあ、この状況での地竜王の巫子となると、利点は思い当たらないくせに、責任だけは多そうだしな。正直、覚悟のない人間には、誰であろうと荷が重過ぎる」

 そして勿論、クセロに覚悟がある訳ではない。

 グランは、周到に準備をしたのだろう。どの竜王にも信仰を捧げていない、という人間はそもそも少ないし、それが必要な時に傍にいるなどと、確かに奇跡と言ってもいい。

 慎重に状況を伺い、飴を使い、鞭を使い、抜き差しならないところまで引き摺りこんだのだ。

 昨日まで何も話さなかったのは、当人にさえ知られてはまずいことだったからだ。

 だが、それでも、高位の巫子となるためには、明確な何かが必要だという訳ではない。本人と竜王がそれを決める。ひょっとしたら、竜王のみにしか決定権がないかもしれない。

 グランの企みは、よく言っても最低条件しか満たしていないのだ。

 そして、クセロ次第で、その条件すら崩れかねない。

 見通しの暗さを思い、アルマは小さく溜め息を落した。



 そして、もう、何十時間も経ったように思えた頃、近くで水音が聞こえた。

 素早く、ぐるりと周囲を見回す。

 二十メートルほど離れた水面に、人の頭が浮かび上がっていた。

「ペルル!」

 名前を呼ぶと、こちらを向いた。そのまま、すいすいと泳ぎ寄ってくる。

「大丈夫ですか?」

「ええ、勿論です」

 ペルルは楽しげに笑って、そう返した。プリムラが、舟に持ちこんできていた毛布を慌てて広げている。

 舟の横腹から上がっては、転覆する可能性がある。竜王兵には船首の方へ寄って貰うことでバランスを取り、ペルルは船尾から舟に乗りこむことにしていた。アルマが、手袋を外した手を差し伸べる。

 水面からペルルがこちらを見上げ、手を伸ばす。濡れたリネンのドレスがぴったりと張りついて、腕の曲線を露にしていた。

 その示唆するところに気づいて、思わず一歩後ずさる。

「きゃ!?」

 すぐ後ろで待ち構えていたプリムラが、アルマにぶつかりそうになって、よろける。その動きで舟がかなり揺れた。

「慎重にお願いしますよ、アルマナセル様」

 船首の方から、心配そうに竜王兵が声をかけてくる。

「もう、何してるの? ペルル様がお寒いでしょ!」

 アルマの身体を透かし見るように、プリムラがペルルの様子を伺っていた。

 ペルルは、きょとん、としてアルマを見上げている。

 その視線を痛いほどに感じながら、耳まで紅潮していることを内心恥じる。

「アルマ?」

 訝しげな声に、しかし腹は決まらない。

「ああ、ええと、すいません」

 視線を向けずに引き上げるのが、礼儀だろうか。だが、舟は水に浮いているだけだから、酷く不安定だ。バランスを崩せば、一気に転覆する。

 どちらの被害が大きいかは明らかだ。ようやく、アルマは再び手を差し出した。

 ペルルが両手をしっかりと掴む。彼女に纏わりつく水は冷たいのに、その肌は温かい。

 ぐい、と引き上げる。ざば、と姫巫女の肩が水面から現れた。

「いた……!」

 小さくペルルが悲鳴を上げて、慌ててアルマは姿勢を戻した。

「大丈夫ですか?」

「あ、はい。ちょっと肩が……」

 ペルルが舟の上に上がるには、どこかに足がかりが必要だ。しかし、舟の縁に足がかかる高さまで持ち上げるのは、アルマの腕力では余裕だが、彼女の身体には負担がかかってしまう。

 困惑して、彼らは視線を交わした。水中で、ふわふわとドレスの裾がひらめいている。

 頭の中で幾つかの策を考えて、アルマは一番安全かつ苦痛が少ないものを選んだ。舟の縁に胸を乗せるような形で、湖水へできるだけ身を乗り出す。

「首に腕を回してください。そのまま、俺が立ち上がりますから」

 得心したように笑んで、ペルルはアルマナセルの首を両手で抱えこんだ。その腕の下に、少年も自分の腕を回して支える。袖に湖の水が滲みて、刺すように冷えた。

 そして、下半身の力だけで、ゆっくりと上体を持ち上げる。下手をすると、二人とも湖に落下するかもしれないが、アルマはただ自分の身体の均衡と、力の入れ方だけに集中した。

 そう、抱き締めている少女の身体の温かさも柔らかさも(かぐわ)しさも、視界に入る、ドレスが張りついた背中から先の光景も、全て二の次だ。

 ペルルが足を縮め、その爪先が船縁にかかる。ほっと息をついて、アルマは彼女の身体を下ろした。

「ペルル様!」

 腕を離すと、プリムラに場所を譲る。毛布を広げた少女は、急いでペルルの身体を包みこんだ。

「寒くはないのよ」

 困ったように笑いながら告げる。

 しかし断固として主人を包み終わると、プリムラは続いて結い上げた髪を解き始めた。濡れているので、上手くできないようだ。

「次があるなら、船尾から縄梯子か何かを吊るしておきましょう」

 何より安全性が違う。

「あら。それは、ちょっと残念ですね」

 ペルルが零した言葉に、アルマは再び真っ赤になった。



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