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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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213/252

20

 そして、彼らは湖底にて眠りについていた地竜王を再び世界へ呼び起こすことに成功した。

 地竜王は、色々な意味で、更に想定外であったのだが。



 その日の深夜、奇妙な気配に身を起こす。

 船室の中に、ぼんやりと異形の竜王が顕現していた。

「何か御用でしたか、地竜王」

 丁寧に、グランは問いかける。

『なに。そなたの気は変わらぬのか、と思ったまでよ』

 飄々とした口調は、気が抜けない。

 彼の竜王に対する時と同じように。

 当然だ。彼らは、この世界を統べる王だ。

「反対でいらっしゃると?」

『わしがそれを云々する立場にはないようだの』

 どうやら、既に三竜王との「話し合い」は済んだらしい。僅かに背筋が冷える。

『しかし、その犠牲は大きすぎはせぬか?』

「犠牲など、既に莫大な数に上っております。それに僕の生命(いのち)が一つ加わったところで、何ほどでもないでしょうよ」

 さらりと返す。

 地竜王が、その程度のことを気にするということが不思議ではあったが。

『なるほど。そなたは、わしらのことを侮っておるな。いや、わしはそうでもないゆえ、小童どもを、か』

「……聞き捨てなりませんね、地竜王」

 流石に、高位の巫子として、そのような言葉はやり過ごせない。

 が、地竜王はこれみよがしに視線を合わせた。

『そなたは憎悪と恨みとで目が曇っておる。小童どもが、どのような思いで人の中に巫子というものを置いたか、奴らと人の世とを結ぶという意味を、本当には判っておらん』

 非常な努力で、何とか表情を変えずに済ませる。

 だが、地竜王は更に神経を逆撫でてくるのだ。

『罵りたければそうするがいい。どうせ、わしにはそなたの考えなどお見通しよ』

「……それでも、行動に移すかどうかは大きな違いです、地竜王。今の世界では、それは無作法だということになっておりますので」

 丁寧に頭を下げた。

『ほれ、そのような態度じゃよ』

 くつくつと笑い声を残し、ふぅ、と竜王は姿を消した。

 グランは、それでも数分待ってから存分に罵声を上げた。




 その数日後にはカタラクタへ上陸する。

 モノマキア伯爵領の、藩都にて、潜伏させていた火竜王の巫子の元へと身を寄せた。

 そこで、グランがクセロ以外の全員に言い渡したのは、入浴だった。

 勿論、船に乗っていた頃は水も豊富であり、そこそこ清潔にはしていた。

 最も大きな目的は、人払いだ。

 この地を任せていた巫子、トルミロスと腰を据えて話し合う。

 目的と手段をしっかり理解させておかなくては、事態は思うように動かない。グランは、必要な時に情報を惜しむ人間ではなかった。

 それをひと段落させた後、幼い巫子も浴室へと案内される。

 温かな湯気の中に足を踏み入れ、苦笑した。

 浴槽には、数種の希少な没薬や薬草が入れられている。

 全く、よく気を配る男だった。

 薄い痣の見えるようになった肉体を、グランはゆっくりと湯船に沈めた。




 その後、民の間に種を撒き、芽吹いた辺りでその地を支配する貴族に接触した。

 少々、予想外の事態があったりもしたが、それは当然だ。むしろ大した影響もなく、宣戦布告まで辿りつけたことの方が驚異ではある。

 ニフテリザ砦に駐留し、イグニシア王国軍からの使者であるテナークス少佐が、反乱軍へ寝返った。

 その数日後、ひょんなことからアルマとペルルの仲がぎくしゃくしてしまう。

 正直、大したことだとは思っていなかった。

 今まで目にしてきた、大公家の夫妻の間柄は、もっと致命的なことになっている時もあったのだ。

 下手に自分が手を出すよりも、二人に任せた方が結果としては上手くいくのだと。

 だが、その彼らの間を縫って、ペルルが攫われてしまってはそうも言っていられなかったのだ。


 尤も、グランがそれを知ったのは、全てが終わり、ペルルが無事に戻ってきてからだったのだが。

 今までは、彼女の傍には常に誰かがいた。

 プリムラであったり、アルマであったり、他の高位の巫子たちであったり。

 彼らがいなかった隙を衝いての誘拐劇は、あまりにもタイミングがよすぎる。

 ある程度、内部に間諜がいることを覚悟してはいたが、想定していたよりも深く入りこんでいるのかもしれない。

 だが、その後イフテカールの介入によってニフテリザ砦は異常なまでの寒気に包まれ、それを追求することは後回しになる。

 新たに進軍してきた王国軍に包囲され、立て続けに物資を失い、反乱軍はこのまま篭城することに光を見出せなくなってしまう。

 追い立てられるように深夜に討って出た反乱軍は、かろうじて勝利を収める。そして、翌朝には援軍が合流したこともあり、彼らは危機を脱出したかに思われた。



 深く、溜め息を落とす。

 グランは、自室で苦心して手袋を外していた。中に芯地が入っていることもあって、ずらしにくいのだ。

 その指には、肌が赤黒く爛れ、ぬらりとした液体が滲んでいる箇所が幾つかある。

 つい先ほど目にした、スクリロス伯爵夫人の指を思い返す。

 何箇所か爪が割れ、指先がかさつき、ひび割れができていた。そして、やや赤黒く変色し始めているところも。

 自分ならば、三ヶ月ほど前に通った症状だった。

 だが、おそらく彼女たちは初めての肉体だ。グラナティスも、一番最初に与えられた肉体はかなり丈夫だった。今の自分のように早く進行することはないだろう。

 尤も、進行した先で、イフテカールが彼女たちに新たな肉体を提供するとも思えないが。

 最悪の事態だった。彼の心情的には。

 一家を待つであろう、非道な運命に、気持ちが沈む。

 無言で、ぬるま湯を張った(たらい)に手を浸す。少しでも腐敗を遅らせる処置を行うために。



 彼らは数日の進軍の後、ユーディキウム砦へ到着した。

 その後、思ってもみなかった事態に遭遇する。

 テナークスの真意を巡り、反乱軍内で意見が対立したのだ。

 いや、考えなかった訳ではない。ただ、甘く見ていただけだ。

 彼らの疑心暗鬼が、今まで表に出ずにじわじわと根深く育っていたことを。

 それを突きつけられた時に、竜王に仕える者たちは、一度カタラクタの反乱分子と決裂しかけた。

 軽はずみな真似をするな、と諌めたのは、当のテナークスである。

 この時、強引にでも相手を捻じ伏せる、もしくはきっぱりと袂を分かたなかったことが、グランの心をずっと重くすることになる。

 彼の人生には、そのような錘が数えきれないほどぶら下げられていた。



 嫌になるほど、よく晴れた日だった。

 砦の外で角笛が鳴り響く。両軍が激突する衝撃が、(やぐら)の空気すら震わせた。

 じわじわと、生命(いのち)が消え始めるのが判る。

 それを教えてくるのは、火竜王の嘆きだ。

 しかし、グランはそれを断固として意識の隅に押しやった。

 これは、人の世の行いだ。火竜王自身がそう定めている。

 それを嘆くというのなら、そもそももっと早く、龍神との(いさか)いに竜王たちが介入すればよかったのだ。

 高位の巫子、という立場でいながら、グラナティスは竜王の意思に納得はしていない。

 ただ、それが変えられるものでもないことは判っている。だから、現状で最善の行動を起こすのみだ。

 そして竜王はそれを、人の世を人の手で善くしていくことを望んでいると、彼は信じている。


 戦場の要となる小さな丘に、テナークス率いるマノリア隊が突進する。

 彼らは統率者の控えめな自信を裏づけるような速度で、他者を寄せつけずにその地を制した。

 青空に翻る旗を目にして、流石に司令部の雰囲気も緩む。


 その視界を、前触れもなく雷光が引き裂いた。


 耳の後ろ辺りの皮膚が、さっと冷える。

 遠く翻っていた旗が、風を孕みながらゆっくりと倒れた。

「テナークス!」

 アルマが衝動的に櫓から飛び降りようとしているのを、オーリが制止している。

 そして、風竜王の高位の巫子は、少年の代わりに窓から跳んだ。

 止める暇もなかった。

 止められるほど、身体が動かなかった。

 アルマは、窓から身を乗り出すようにしてオーリの行方を見つめている。

 長く、静かに息をつく。

 なんてことだ。


 一頭の馬が一直線に砦へ向けて疾駆する。

 それを認めて、アルマは階段を駆け下りて行った。

 残った者たちも、足早に、ゆっくりと、それぞれの速度で後を追う。

 グランは降りる前に、窓に近寄った。

 ここからは戦場が一望できる。

 この、悲鳴と苦痛と死が蔓延する地のただ中に、奴がいる。

 こんなことがあるといつも、何故、あいつをずっと生かしたままでいたのだろう、と思う。

 決まっている。力がなかったからだ。

 今までは。

 決然として踵を返すと、グランは石造りの階段へと向かった。


 クセロが、男の身体をそっと石畳の上に寝かせる。

 ぎこちなく、アルマはその傍らに跪いた。

 少年の嘆きを、慟哭(どうこく)を周囲の大人たちは痛ましげに見つめている。

 オーリは物音も立てずに、城門へと近づいた。クセロもそれに続く。

 思案げに彼らの様子を確認して、グランはペルルの傍にいたプリムラを小さく手招いた。

 用事を言いつけると、心得たように頷いて少女は人ごみの中を器用に走っていく。

 その直後、城壁の外で、二人の巫子が轟くような声を上げた。

「……これみよがしだな」

 待つしかないグランが、小さく呟く。

 だが、効果的だ。間違いなく。


 アルマが顔を上げた。

 ゆっくりとテナークスの腕を胸の上に置き、そしてそっと前髪を撫でつける。

 立ち上がった少年に、ペルルが寄り添った。

 まあ、予測はしていたが。

 グランは、城門へ近づく二人の前に立ち塞がる格好となる。

「……止めるなよ」

 アルマの口から、低い呟きが漏れた。決意と確信に満ちた。

 過保護で頑固な統括者は、きっと自分の行動を喜ばないのだと。

 グランは憮然としたままで口を開く。

「止めるに決まっているだろう」

 そして、手袋を嵌めた手を差し出す。掌を上に向けて。

「ペルル。こちらへ」

「……え」

 驚いた声はペルルのものだったが、きょとん、とした表情を二人揃って向けてくる。

「戦場の只中へ、貴女を進ませることは許可しかねる」

 その言葉に柔らかく笑んで、姫巫女はグランの掌に指先を乗せた。

 次いで、アルマに濡らした手巾を手渡させる。先ほど、プリムラに用意させていたものだ。

 何故か不満げな様子で、しかし少年はおとなしく顔を拭った。

 世の中、体面というものが大事な時がある。

 そして、彼らは城門を潜り抜けた。


「我が火竜王カリドゥスの御名とその燃え盛る誇りにかけて、高位の巫子グラナティスが告げる。イグニシアの民、火竜王の民よ。いと尊き竜王の嘆きが憤りへと変わらぬよう、最善の道を選ぶがいい。我が竜王は、少々気難しい」

 火竜王の高位の巫子の言葉に応じ、その主が現世に顕現する。

 蛇のように、細く長い身体には短い手足が生えていた。その鉤爪は太く、鋭い。体表は全て鱗で覆われていて、その一枚一枚が青白く、または真紅に煌き、揺らめいている。

 この目で火竜王を捉えるのは、即位の儀式以来だった。

 万が一、龍神からの攻撃を受けて竜王に何かあれば、と思うと、そう簡単には呼び出すことができなかったのだ。

「三百年ぶりの顕現、感謝する。我が竜王」

 否応なく湧き上がる高揚感を抑え、小さく呟く。

 この徹底的な現実主義者であり、極めて合理的に物事を運ぼうとする幼い巫子でさえ、竜王を目前にして、全く誇らしさを感じないなどということはあり得ない。

 続いてペルルが水竜王を、そしてオーリが風竜王を顕現させる。

 やや渋ったが、クセロも地竜王を呼び出し、この戦場に四大竜王が揃うことになった。

 彼らを迎えるには、流石に卑小に過ぎる舞台である。

「さあ、行け。アルマ」

 静かに、グランは促した。流れるように言葉を続ける。

「お前は、〈魔王〉アルマナセルの血を引く者だ。遠く地の底から来たりて、人よりも遥かに人を愛し、人の作り出した美を愛し、芸術を愛し、友を、妻を、敵を、獣を、草木を、この世界をまるごと深く愛した〈魔王〉の正当な末裔だ。お前が、お前だけが、あれを滅することができる」

 〈魔王〉を懐かしむような、その(すえ)を鼓舞するような声に背を押され、アルマは前へ踏み出した。滑らかに、腰に()いた剣を引き抜く。

 そして少年は声を張り上げる。


「今日、ここが貴様の墓場となる、龍神の使徒、イフテカール!」




 彼は、もう、この憤りを一人で抱えこまずともいいのだ。




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