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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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194/252

01

 ステラの身体を、床の上に座らせる。

「脚に怪我をしているのか?」

 苦痛に顔をしかめる様子と、血で汚れたドレスに、そう推測して問いかけた。

 アルマは、ステラが龍神の像を手に回廊を走った後のことを、見ていない。彼女は七メートルはあろうかという高さから飛び降りたのだ。イフテカールに操られていたことで、その身を護ろうともしていなかった。

「ええ。大したことはないけど」

 だが、王女であるステラは、気が落ち着くと、こんな時でさえあからさまに弱みを見せたりはしなかった。

「ペルルを呼んでくる。水竜王の姫巫女だ。それぐらいの怪我、すぐに治してくれるよ」

 アルマが身を起こす。患部は彼女の脚だ。女性の方がよいだろう、という判断だった。

「ありがとう」

 弱々しく笑みを浮かべるステラに苦笑して、踵を返す。ペルルのいる方へと早足で歩き出した。

 穴の縁に立ち尽くしていたエスタが、彼に並んだ。

「……イフテカールは死んだのでしょうか」

 つい先ほどまで、溶岩で満ちていた穴の底は、今は深さ七、八メートルほどのところで、ごつごつとした岩に塞がれてしまっている。

 勿論、イフテカールも龍神もそこにはいない。

「さあな。あいつは生かして捕らえたかったところだけど」

 投げやりなその言葉に、まじまじと少年の顔を見る。

「意外ですね」

「そうか? あいつには、俺たち一人当たり、三、四回は殺してやらないと気が済まないぐらいの恨みがあるんだよ。皆の力を合わせれば、それぐらいはできそうな気がしたしな」

「……野蛮になりましたね、アルマ」

 意外すぎる返答に、青年は呆れて返す。

「怒らねぇのか?」

「流石に疲れてるんですよ。それに、旦那様の治療をして貰わなくては。それが終わるまで、他のことは考えません。……そのために、私は彼を裏切ったのですから」

 暗い瞳で、エスタが呟く。

「そうだな。それに、プリムラを連れてきてやってくれよ。きっとやきもきしてる」

 青年の構築した防御壁にまだ護られているであろう少女のことを話題に乗せる。はい、と短く返事をして、エスタは行き先を変えた。

 アルマの視線の先では、不安そうにこちらを見つめるペルル、床に座りこんでいるグラン、瓦礫から下りてきたクセロとその隣に立つオーリの姿がある。

 誰も、一人として欠けることもなく。

「ペルル」

 小走りに走り寄ると、声をかける。

「ステラが怪我をしている。治してやってくれないか?」

「お怪我を?」

 驚いたような声をあげ、少女は頷いた。手を差し出そうとした時に。

「駄目だ」

 疲れた声で、グランが止めた。

「おい、こんな時まで」

「違う。ペルルとお前にはここにいて貰いたい。こちらも急ぐ必要がある。そうだな……クセロ」

 名を呼ばれ、ひょい、と肩を竦めた男の前に、行く手を塞ぐように腕が差し出された。

「私が行くよ」

 その言葉に、全員がきょとんとして視線を向ける。

「……オーリ?」

「いいのかよ。ステラは、ほら」

 その視線の意味を察し、オーリが苦笑した。

「大丈夫だよ。ステラには、ちょっと話しておきたいこともあるしね」

「いいだろう。殺されないようには気をつけろよ。あの跳ねっ返りは、まだナイフを持っている筈だ」

 僅かに渋い顔で、しかしグランは承諾した。

「肝に命じておくよ」

 軽く返して、青年は走り出す。

 溜め息を漏らし、グランはアルマを見上げた。

「ここに座れ」

 命令のままに、床に腰を下ろす。

「何だ?」

「これから、お前の肉体を人間のものに戻す」


「……そんなことが、できるのか?」

 驚いて問い返す。

 グランは、いつものように生真面目な表情で頷いた。

「そもそも、お前が一旦死んで肉体を変異させたことが、予定外だった。しかるべき時に、僕が手順を踏んで行うつもりだったんだ。死の危険、特に、龍神の魔力によってもたらされたものである死が、〈魔王〉の防衛本能を呼び覚ました。全く、地竜王に護っていて頂けると思っていたのですが」

 じろり、と、傍らに立つ男の頭の上にそ知らぬ顔で乗っている竜王を睨めつける。

『あの時、そなたにそれだけの余裕があったとも思えぬな。我が不肖の巫子のために手をかけさせたのだ、せめてわしがそなたの手間を省いてやろうとしての』

「え、なに、おれが悪いことになってねぇ?」

 僅かに慌てたように、クセロが口を挟む。

「まあ、それはいい。元々お前は人の肉体で産まれている。魔術が使える身体だったとは言え、基本的には人のものだ。あまり長期間〈魔王〉の身体でいると、色々支障が出る可能性もある。それに、その杭だ」

 無造作に、グランはアルマの身体を指差した。

「ああ。今はそんなに痛まないぜ」

 数本、龍神の作り出した杭に身体を貫かれても、割と平然としている少年に、クセロが胡散臭い顔を向けている。

「今は、な。お前の魔力が増大しているのと、基本的にはそれが龍神の魔力と同質だからだ。だが、龍神はこの世界から消えた。残留物も、そのうち消滅するだろう。その杭が消えれば、今のお前でも当然傷が開く。そして、僕らにはそれを癒せない。そもそも、ずっとその杭を生やしたまま生活するつもりだったのか?」

「いや違うけどさ」

 嫌そうな顔をしたアルマに頷いて、グランは他の二人に視線を向ける。

「僕がアルマを人間に戻したら、すぐにこの傷は奴を苛むだろう。クセロ、一本ずつ、ゆっくりと引き抜け。ペルルは、それに合わせて傷を癒していってくれ。アルマ。おそらく、酷く痛むが、まあ耐えろ」

「あっさり言うな、お前は!」

 突き放された少年が怒声を上げる。

 グランは、見慣れた、面白そうな表情を浮かべた。

「それにペルル。貴女は、今後、もしまたこいつが変異した場合の対処を覚えておいた方がいいだろうからな」

「……え」

 いきなり振られた言葉に、ペルルは小さく呟いて、見る間に頬を紅潮させた。

 それは、つまり。

「おい、いきなり何を言い出すんだよ!」

 慌ててアルマが口を挟む。

「決まっている。お前を、火竜王宮から解放するということだ」


「……は?」

 予想もしなかった答えに、唖然とする。

「ああ、お前だけ、という訳じゃないな。レヴァンダル大公家は、今後、火竜王宮の管轄ではなくなる。後で従兄(いとこ)に教えてやれ。喜ぶだろう。それに、お前とプリムラもだ、クセロ。どのみち、お前たちを必要としていたのは、龍神を倒すための手段に過ぎない。それが達成されたのだから、金食い虫をいつまでも飼っている必要はないんだ」

「いや、ちょっと、大将!」

「グラン!」

 二人が膝を詰めてくるのに、不思議そうな顔でグランは見返した。

「それとも、まだ首輪を嵌めていて欲しいのか? まあ僕は構わないが、お前は地竜王もいらっしゃるのだから、ちょっとは考えろ、クセロ。それにアルマ。万が一、という事態になることも考えられる。今後どこへ行こうとも、できる限り竜王宮との連絡は欠かさないでいろ。どの竜王宮でもいい」

「……お前、ここまで考えて」

 アルマの方は、まだ思考が追いついていない。

「陰謀を巡らせているなかで、奴らを倒した後どうするか、を考えるのが一番楽しかったよ」

 ふと、目を伏せて、グランが呟く。

 そして、再び顔を上げたときには、断固とした表情を浮かべていた。

「ほら、そろそろ始めよう。野次馬が近寄って来そうだぞ」

 この寂れた竜王宮で世界を賭けた戦いが繰り広げられて、数時間。深夜からの轟音と閃光に怯えていた人々も、すっかり静まり返ったこの場所の様子を見に来てもおかしくはない。

「判ったよ」

 渋々、アルマは頷いた。

 グランは、その手袋を嵌めた手をアルマの額に触れさせた。

「我が偉大なる火竜王カリドゥスの御名とその燃え盛る誇りにかけて。〈魔王〉アルマナセルの血を引くこの者を、盟約によりて、人としてこの地に再臨させん。その血と肉を、魂と精神を、分かつことなく築き上げよ」

 額が、一瞬にして熱を帯びる。鼓動と共に、その熱はすぐに全身へと回った。

 肉体を構成する要素を切り離し、変異し、再構成する術に、アルマは地面に倒れこみ、のた打ち回った。


「……死ぬ……」

 荒い息の下で、少年が()れた声を上げる。

「気を確かに持て。エスタが経験したものよりは軽い筈だ」

 呆れた口調でグランが戒める。

「ええまあ。多分」

 合流した青年が、心配そうにアルマを見つめながらも謙虚に頷く。床のすぐ上から、恨めしそうにアルマはそれを見上げた。

 だが、彼が今死にそうな思いをしているのは、人間の肉体に打ちこまれた龍神の魔力のせいでもある。

「ほら、クセロ。早めに抜いてやれ」

 グランはゆっくりと立ち上がり、場所を譲った。金髪の男がその場に膝をつき、蹲るアルマの身体を起こしていく。

「じゃあ姫さん。準備はいいか?」

「はい」

 真剣な顔で、ペルルはアルマの傷口近くに手を添えた。



 アルマが傷を癒し、ようやく人心地ついた後。


「グラン……?」


「大将っ!」


 少し離れた場所で、瓦礫に身体を預けて一人座っていたグランは、もう二度とその瞼を開こうとしなかった。






 瞼を開いた瞬間の、呼吸の軽さに驚く。

 物心ついて以来、息をすることも、鼓動を刻むことにも、疲労を感じない時などなかったのに。

「グラン!」

「大丈夫か?」

「私のことが判る?」

 傍から口々に呼びかけられる。

 それは、昔からずっと傍にいた、愛しい人々。

「……お母さま。お兄さま。お姉さま」

 枕元近くにいた家族が、安堵の笑みを浮かべている。

 そして。

「イフテカール。アルマナセル様も」

 足元の方に立つ二人は、自信たっぷりの表情を崩さないまま、こちらに向けて頷いた。



 火竜王の高位の巫子、グラナティス。

 この朝は、彼が只人ではなくなった、二度目の朝となった。

 彼自身が望みもしなければ、その事実を知らされもしないままに。





 応接室の扉を開けると、二人が微笑んでこちらを見つめてきた。

「お待たせしました、アルマナセル様、レヴァンダ様」

 礼儀正しく挨拶をすると、黒髪の女性が頬を膨らませる。

「もう、グラン、そんな他人行儀に」

「僕は高位の巫子です。そういつまでも王子扱いはできませんよ。身体も健康になったのだし」

 苦笑して、少年は椅子に腰掛けた。

 グランが快復して、二ヶ月。その間、この二人は数日に一度、様子を見にやってきていた。

 いつ死んでもおかしくはない、と言われていた少年を救った男、〈魔王〉アルマナセル。今までに見たどんな人間よりもがっしりとした身体を持ち、そのこめかみからは一対の灰色の角を生やしている。

 彼は人間ではない。異界から召喚された、〈魔王〉であるのだ。

 人間には持ち得ない魔術を操り、その力でグランを快復させたのだという。

 その報酬として、彼は姉であるレヴァンダの婚約者の地位を手に入れた。今後の仕事が上手くいけば二人は結婚できる、と聞いている。

 レヴァンダは、その状況にまんざらでもないようだ、とグランは踏んでいた。

 アルマはおそらくこの世界の誰よりも強い。物腰も堂々としているし、名誉を重んじ、隠し事のできない性格だ。

 そして、レヴァンダのことを熱烈に愛している。

 彼ら姉弟は、この頃、〈魔王〉アルマナセルの価値観が、この世界に住む者たちとは酷くかけ離れているのだ、ということに気づいていない。

 やや世間知らずである、というようにしか。

「まあ、そう言うな。グラン。さて、今日は何をしよう?」

 その男は、今日の予定をむしろ自分が楽しみにしているように、大きく笑った。


 父も兄も忙しく、殆ど会えることはない。母や姉は元々、滅多なことでは王宮から出ることができない。

 今、姉が来ることができるのは、婚約者であるアルマナセルが付き添っているからだ。勿論、他にしっかり護衛はついているが。

 そして以前はちょくちょく顔を出していたイフテカールも、最近は仕事が忙しいらしく、あまり顔を合わせなかった。

 そもそも、彼らに会えたとしても、以前のグランの体調ではごく短時間の面会しか許可されなかったのだが。

 しかし今、アルマと共に、グランは長い時間を過ごすことができた。

 こっそりと街に出て、人々の生活を見たり、市で売っている食べ物を買ってみたりした。

 彼の馬に乗せてもらい、街の外まで遠乗りに出たりもした。

 グランにも増して、〈魔王〉アルマナセルは物珍しげで、楽しんでいた。その様子を見ているのもグランには嬉しく、楽しかった。

 突然訪れることになったこの世界を、彼に気に入って欲しかったのだ。


 だが、それらに負けないほどアルマが興味を示したのが、音楽だった。

 外に出られない日などは、竜王宮の奉楽隊の練習によく聞き入っている。

 当初、〈魔王〉の存在に萎縮していた竜王宮の巫子たちだが、素直な、そして最大級の賞賛を浴びせられるにつれ、徐々に態度が軟化していく。

「音楽というものは、本当に、こう、心が動かされるものなのだなぁ」

 しみじみとアルマナセルが呟く。

「恐縮です。奉楽、という意味では、風竜王宮の方が素晴らしいと聞き及んでいますが」

 奉楽隊の隊長が、うやうやしく応えた。

「風竜王宮?」

「南方の、フルトゥナ王国に祀られている、風竜王にお仕えする竜王宮でございます。元々、フルトゥナの民は普段の生活から音楽に親しんでおります。竜王宮にいるのは、その中でも選りすぐりの奏者ばかりなのだとか」

「ほう。それは、楽しみだ」

 屈託なく笑ったアルマは、その言葉がどういう意味か、と訊いても教えてくれなかった。



 それが判明したのは、半年ほどは後のことになる。




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