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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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164/252

08

 テナークス率いるマノリア隊に課せられた任務は、敵軍よりも早く丘を占拠することだった。

 彼の推測が正しければ、そこは戦いの焦点となる。とは言え、王国軍が多くの兵を向かわせることはないだろうから、激しい戦いにはなるまい。ただ、いち早く辿り着き、守り抜くことが必要だ。

 間諜として疑っているテナークスを、あまり戦いの只中に置いておきたくないという思惑。王国軍が二手に分かれている、ということを既に知っているという優位性を考えての配置ではあった。

 不平など一言も言わずに、テナークスはそれを了承した。

 騎馬では走りにくい森の中を手馴れたように抜け、丘を駆け上る。森の中から走り出てこようとする王国軍がちらりと視界に入った。

 開けた地面で手綱を引くと、テナークスは隣を進んでいた兵から受け取った旗棹を、勢いよく大地へ突き立てた。

 丘の上に、マノリア伯爵の旗が大きく翻る。


「旗が立った!」

 窓際に陣取り、じっと戦場を見透かしていたアルマが声を上げた。

 櫓の中の空気が、目に見えて緩む。

 サピエンティア辺境伯でさえ、ややその表情を和らげた。


「……あの者か……!」

 イフテカールが眉を寄せ、背筋を伸ばした。視線を、青空を背にはためく旗へと向ける。



 その瞬間、雲ひとつない空から、轟音と共に稲妻が閃く。

 ぐらり、と丘の上の旗が揺れ、そして、空気を孕みながら、ゆっくりと倒れた。




「テナークス!」

 アルマが絶叫する。

 視界が狭い。

 雷鳴が、耳について離れない。

 閃光が、瞳に焼きついたままだ。

 旗が再び掲げられるのを、焦れた気持ちで待つ。

 しかし、乱戦の向こう側に、マノリア伯爵の旗は、もう見えない。

「待て!」

 がくん、と視界が揺れる。

 振り返ると、オーリに背後から羽交い絞めにされていた。そこでようやく、自分が窓を乗り越えて外に出ようとしていたことに気づく。

 櫓の位置は、地上から十数メートルはあるだろう。アルマでも、無造作に乗り越えていい高さではない。

 振り向いたことで、櫓の中にいる者たちの表情が見えた。一様に目を見開き、驚愕したように凍りついている。

 サピエンティア辺境伯、も。

「……離せ」

 奥歯を軋ませながら、言葉を絞り出した。

「落ち着け。私が行く」

 まっすぐに目を見つめて、オーリが告げた。

「何で……!」

「私が一番早い。そうだろう? 大丈夫だ。ここで、待っていろ。……クセロ」

 反射的に腕から抜け出そうとするのを持て余したか、金髪の男を呼ぶ。クセロは、無言で、ぽん、と少年の肩に手を置いてきた。

 勿論、それだけなら振り払えただろう。だが、それで足りる、というクセロからの信頼感と、反対側の腕にペルルがそっと手を添えてきて、アルマはようやく身体から力を抜いた。

「大丈夫。必ず、連れて帰ってくる」

 手を離し、言い終えるが早いか、青年はアルマを止めたその窓から跳んだ。軽く数百メートルは跳躍し、大地に足をつけるが早いが、再び膝を曲げる。

 その視線は揺るがず、唇はきつく噛み締められている。

 数度、跳躍を繰り返し、オーリはついに戦場へと跳びこんだ。

 上空で弓を構え、着地地点にいる王国軍の騎兵に、立て続けに矢を放つ。二人ほどの身体が地面に落下し、思わぬ位置から放たれた矢に、周囲が騒然となった。

 騎手が落馬し、落ち着かない馬の背に、オリヴィニスが降り立つ。衝撃はないだろうが、ひと一人分の重量はかかる。無造作に鞍に(またが)ると、動揺する馬の首を軽く叩いて、宥めた。

 そしてそのまま馬首を変え、敵陣の真ん中を突っ切って丘へと向かう。腰に()いた剣を抜き、討ちかかってくる剣先を適当に払いのけた。

 丘を占拠したマノリア隊には、遅れて歩兵が合流している。今は、森から進軍した王国軍との戦闘に突入していた。反乱軍と戦っている戦場から、一騎が向かってくるのを警戒する。

 が、その乗り手が森から来る敵へ矢を放つのを視認して、その正体を知ったらしい。

「オリヴィニス様!」

 口々に、声をかけられる。彼らの手前で手綱を引き、馬を止めた。

「テナークスは?」

 開口一番問いかけた兵士は、暗い瞳で丘の上を見上げる。

 オーリが踏み出すと、マノリア隊は道を空け、彼を通した。

 丘の頂上で、円陣を組むように騎兵が立っていた。オーリが近づくと、視線を逸らせ、唇を震わせてその場を空ける。

 男が、大地に横たわっていた。

 雷に撃たれたというのに、焦げたような臭いは微塵もしない。目を閉じた表情はどこか満足げだ。

 オーリは一瞬呼吸を止め、そして長く息を吐いた。

「後ろに乗せて貰えるか。できれば、連れて帰りたい」

 頷いて、兵士が二名ほど馬から降り立った。ゆっくりと、指揮官の身体を起こす。

「お気をつけください、オリヴィニス様。森からこちらへ来る王国軍は、城砦へも向かっています」

 丘の上は見晴らしがいい。森の中を蠢く兵士たちを察して、一人が忠告を口にする。

「ああ。だが、もう西門から追撃の隊は出陣してる。風竜王宮も、森の中を駆け回っている筈だ。君たちの特訓のおかげだな」

 二手に分かれた王国軍の本隊は、先に討って出た反乱軍を挟み討ちにするほか、城砦との間に入りこんで退路を断ち、城砦を攻める作戦に出るのだろう。

 だが、ここで戦いが開始され、周囲が鋼の音で満ちた頃、その音に紛れて西門が開き、残るマグヌス子爵軍、アラケル男爵軍、水竜王宮竜王兵が王国軍の本体を背後から攻撃し始めている筈だ。

 そして森の中を広範囲に広がった風竜王宮親衛隊が、混乱に拍車をかけている。

 全てを押し留められはしないだろうが、王国軍とて全力は出せまい。

 兵士たちはテナークスの身体を鞍の後ろに押し上げ、旗を細く裂いて二人の胴体を括りつけた。

「お願いします、巫子」

 びしり、と敬礼する兵士たちに頷く。

「こちらこそ、頼む」

 そして、彼はまた戦場を突っ切るために馬の腹を蹴った。

 開戦から時間が経ち、やや戦場は広がり、人の数は減っている。

 端の方を進めば、合間を抜けるのは、割と楽だ。尤も、足元には色々なものが転がっている。気をつけなくてはならないが。

 いざとなれば、テナークスを背負って一、二回は跳ぶことだってできるだろう。

 あの(やぐら)を出たときから、オーリはその程度は覚悟を決めていた。


「風竜王の巫子は何をやっているのです?」

 苛々とイフテカールが尋ねた。

「待て。跳んでいるならともかく、地面に降りてしまっては、簡単には見つけられない」

 エスタが兵士たちを透かし見ながら、諌める。

 やはり、先ほど跳んでいる時に撃ち落としでもすればよかったか。

 龍神の使徒は、その衝動を押し留めたことを少々後悔していた。


 幸い、王国軍の兵士はまだ北門へは辿り着いていなかった。それも時間の問題ではあるが。

 オーリが土煙を上げて突き進む。疲労に汗をかく軍馬を、それでも更に駆り立てた。

 彼は正門ではなく、少し離れた場の通用門へと向かった。その方が、門扉を開く時間が少なくて済む。

 胸壁の上から様子を見ていた兵士から命令が飛び、通用門が開かれる。速度を落とすことなく、軍馬は城砦内へと走りこんだ。

 広場に十数メートル入ったところで、止まる。

 周囲には、櫓の上から下りてきていた面々が立っていた。

 オーリの後ろに座っている男の姿から、目が離せないでいるようだ。

 無言でクセロが近づいた。オーリが、テナークスの身体を固定していた布をナイフで切り裂く。ぐらり、と揺れる身体を、難なくクセロは受け止めた。そのまま、立ち尽くすアルマの前まで運び、そっと石畳の上へと降ろす。

「……テナークス」

 小さく、名前が呼ばれる。

 実直な男は、珍しくそれに反応しようとしない。

 堅い石畳に、膝をついた。もどかしげに革手袋を脱ぎ捨てると、血の気の失せた頬に触れる。

 既に冷え切った肌は、それでもまだ柔らかさを残していた。

「………………う…………」

 歯を食いしばり、俯く。

 生真面目な態度を崩さない男だった。

 時折見せる小さな笑みも、呆れたような視線も、辛抱強い諫言(かんげん)も、僅かな刺激を含んだ皮肉も、彼の謹厳実直な印象を壊すことなどなかった。

 どれほどの言葉を交わせたのだろう。

 どれほどの思いを受けたのだろう。

 どれほどの痛みを、味あわせたのだろう。

 ペルルが、瞳に涙を浮かべ、アルマの傍に跪いた。そっと、その手が少年の背に乗せられる。

 それが限界だった。

 彼女の存在によって、アルマの心の強張りが、不思議なほどたやすく溶ける。

 背を丸め、男の掌を強く握り、額が石畳につくほどに深く下げる。堪えきれない嗚咽が、喉から溢れた。

「……テナークス……。すまない、俺が……、俺が、いたから……っ!」

 痛ましげな視線でそれを見守っていたオーリが、馬から下りた。そのまま、城砦の北門へと足を向ける。

 門の傍には、矢が箱に詰められた状態で置かれている。胸壁の上にいる射手への補充用だ。

 オーリは背に負っていた矢筒を下ろすと、その箱の中から、無造作に一掴みの矢を取り出した。矢筒の中に落としこんで、軽く揺り動かし、中身を安定させる。

「行くのか?」

 クセロが、軽く尋ねた。

「……彼は、故郷を出てから初めて、私を、私の行動のみで評価してくれた人だった。ロマという民族としてではなく。私は、彼に何も返せていない」

「大将はいい顔をしないと思うぜ」

 当然の言葉に、しかしオーリがきつく睨みつける。

「そもそも、私たちが後方でのうのうとしていたから起きた事態だ。私はもう退くつもりはない。退くのであれば、何ヶ月も前に湖の上でそう決めていた」

 再び矢筒を背負い、決然とした足取りで歩き出す。肩を竦め、クセロがその数歩後ろに続いた。

「君も来るのか?」

「おれだって、テナークスには何も返せてないさ」

 通り過ぎざまに、金髪の男は壁面に飾られていた巨大な戦鎚に手をかけた。その細腕で、苦もなくそれを持ち上げる。

 遠巻きに見ていた兵士たちが息を飲んだ。

 無理もない。柄の先から頭部までは三メートルはある。当然、頭部自体の長さも二メートルほど、直径は大人が一抱えしても足りぬ大きさだ。柄も、手元側の半分ほどは人が掴める程度には細いが、槌の根元に行くに従い太くなり、その上接合部には数枚の鉄板を交差させて補強してある。しかも、それは全て金属製なのだ。

 クセロは次いで、下に向けられていた戦槌の頭部を、無造作に小さく蹴り上げた。それはぐるん、と回転し、軽々と男の肩に(もた)せかけられる。

 二人の巫子が、正門の前に立った。通用門ではなく。

「開け」

 門衛が戸惑った視線を向ける。

 外には、既に王国軍が押し寄せていた。胸壁に配置された兵士たちが次々に矢を放っている。

 ここで門を開ければ、一気に侵入されかねない。

 それに、そもそも、竜王の高位の巫子たちを単独で戦場へ出してもいいものか。先ほどのオーリの単独行動は止める術もなかったが、ここで何かあれば門衛の責となる。

「ああ、無理しなくてもいいぜ。このでかぶつは使うためにあるんだからな」

 金髪の男が、頭を戦槌の方へ傾ける。門衛があからさまに怯んだ。

「開けろ」

 背後から、しわがれた声がかけられた。

 サピエンティア辺境伯だ。

「責任はわしが取ろう。早く開けるがいい」

 老人の掌は、固く握り締められている。

 その言葉を受けて、ようやくがらがらと鎖が巻き上げられ、門扉が開いていく。

 その外側には、矢が突き立った十数体の死体が転がっていた。敵兵は、今のところ北門から二十メートル以内には生きて近づけないようだ。攻城戦の先頭に立つのは、主に歩兵。騎馬はその後ろに控えている。

 ざっ、と二人がその空白地帯の中央で足を止めた。

「風竜王ニネミアが巫子、オリヴィニス」

「地竜王エザフォスの巫子、クセロ」

 声を遠くまで響かせる、というのは、高位の巫子であれば苦もなくできる技である。信徒へ向けて話すことが多かったからか。

 尤も、今のこの二人にはその用途はないが。

 彼らは、ただ敵に向けて、その声を放つ。

「我らが竜王の名とその誇りにかけて、龍神の使徒よ、貴様にこれ以上この世界を闊歩(かっぽ)させはしない。卑劣なる龍神の手下に未だ従い、竜王が御心に刃向かう者がいるならば、その生命と魂をかけて我らの前に立ち塞がるがいい!」

 オーリの、改めての宣戦布告、とも言える言葉を背に、クセロはふらり、と前進した。手にした武器を振り回しても、連れの青年にぶつからない程度まで。

 竜王の加護を失う、という言葉と、金髪の男の肩に担がれた巨大な戦槌に、城門を攻撃しようとしていた兵士たちがじり、と後退する。

 鋭く、クセロは片手に持った戦槌の先端を敵兵へ向けた。その動きだけで、風切音が大きく響く。

「どうしたよ。竜王に楯突く勇気も、戦場で胴を真っ二つにされる覚悟もあってここにいるんだろうが。勇敢なるイグニシア兵さんよ。たった二人に、何千人がかりでも向かってこれねぇぐらい玉無しだってんなら、すぐさま家に帰って母親のベッドにでも潜りこんでな」

 下卑た挑発に、小隊長が激昂したようだ。命令が轟き、兵士たちが前進する。

 軽く、戦槌が振るわれた。

 甘く見ていたところがなかった訳ではない。

 あまりにも巨大な戦槌を軽々と扱うその姿には、むしろ見た目ほどそれが重くないのではないか、という侮りが生じる。

 勿論、中身が全て中空であったとしても、それなりに重量はある筈なのだが、それでも無垢の金属塊よりは軽いだろう。

 それは、二重の思い違いだった。

 側面からその戦槌を受けた兵士は、周囲の数名を巻き添えにして、散逸した。文字通り、胴体を真っ二つにされるほどに圧砕されたのだ。

 その惨状を目の当たりにした兵士たちが、自制もできずに悲鳴を上げる。

 地竜王の高位の巫子であるクセロが手にしているものは、彼にとってしか重量は軽くならない。そして、その軽さは速度を通常以上に上乗せできる。何かに叩きつければ、単純に強度の弱い方が壊れるだけだ。

 二度は待たない。クセロは一歩踏みこみ、更に手にした兇器を振り(かざ)した。

 その手の動きは、まるで細身のナイフを扱うようだ。右手から左手へ投げ渡し、下から上へと振り上げ、手首を小さく捻っては進路を変える。

 その縦横無尽の動きに応じ、断末魔の悲鳴が周囲に満ちた。

「……こういうのは嫌いなんだよ」

 その合間を縫って、呟きがオーリに届く。

 クセロほど派手ではないが、彼は地竜王の巫子を避けて近づいてこようとするイグニシア兵を片っ端から射殺(いころ)していた。

「へぇ?」

 楽しんでいるようにも見える姿に、意外だと声を上げる。

「殺しってのは、もっと静かに、穏やかにやるもんだ。こんな騒がしい殺し方を見られたら、俺にナイフを教えてくれた奴にぶん殴られるぜ」

 汗一つかかずに、そう回顧する。

「色々と複雑なんだねぇ」

 呑気な声を響かせて、オーリは手つきが見えないほどの速さで二の矢を放った。




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