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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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155/252

12

 その晩、オーリとノーティオが眠ったのは、窓のある部屋だった。

 吹きこむ風は、未だ街の焼け焦げた臭いを孕んでいる。

 その開いたままの窓から、深夜、何かが投げこまれた。響いた金属音は、しかし疲労困憊で眠りこんでいる巫子を目覚めさせない。

 数分、じっと待った後に、それはじりじりと動く。

 縄の結わえつけられた、引っ掛け鉤だ。外から綱を引き寄せられ、窓枠にがきん、と食いこむ。

 そしてぎし、と軋む音を立てた。下階から、何者かが登ってきているのだ。

 だが、ここの高さは既に地上四十メートルを越えている。しかもアーラ宮では、上階と下階で、窓の位置は連続していない。

 まさか岩山の外側を登ってこようとは、誰も思わなかった。

 黒い影が、窓に手をかけ、よじ登る。

 内部に人影を認めて、動きを止めた。ここに入ってきたのは単純に、窓が開いていたからだけだったのかもしれない。

 しかし眠りこんだままの二人に、そろそろと短剣を抜いた。

 剣は()いていない。登るのに邪魔になるし、音も出る。おそらく、数名が上層階へ乗りこみ、その後で武器を引っ張り上げるつもりだったのだろう。

 ゆっくりと、酷く静かに、床に横になっている人間に近づく。

 侵入者が中腰になった瞬間、被っていた毛布が跳ね上げられた。

 体勢が不安定だった侵入者が、よろめく。

 ノーティオは、その腹にめがけて、剣を突き出した。空振りではあったが、相手は慌てて後退する。その間に、青年は素早く立ち上がった。

「起きろ、オーリ!」

 苛立たしげに、足で勢いよく高位の巫子を蹴る。

 眠っている間は、風竜王の恩寵である聴力はさほど威力を発揮しない。全く何も気づかずにいたオーリはびくり、と身体を震わせて目を開いた。

「ティオ!?」

「逃げろ! 人を呼べ!」

 しかし、オーリはすぐに事態を把握すると、腰帯に差しこんでいたナイフを引き抜いた。そのまま、ノーティオの声がした方ではない、荒い呼吸を繰り返す相手の方へと投げる。

 鈍い音と共に、短い悲鳴が上がった。ノーティオが間髪を容れずに飛びこみ、剣を振るう。どさり、と床に倒れる音がする。

 いくらノーティオが今まで生命(いのち)を狙われ続けていたとはいえ、相手を殺したことがあるとも思えない。オーリは、傍に置いていた剣を抜き、近づく。

 ぼんやりと見える黒い影を蹴りつけ、更に動きを止めてから身体に手を置いた。冷静に、急所を一突きする。

 登るのに重くなるからか、相手は防具も身につけていなかった。その生命(いのち)を奪うことは、容易い。

 だが、侵入の場面を目にしていないオーリは、それがどういうことなのかまだ判っていない。

「オーリ……」

 いつもの、苦言を呈する口調で、ノーティオが名前を呼ぶ。

 彼が一体何を言いたかったのか、とうとうオーリが知ることはなかった。

 空気を裂く音の後、鈍い、金属片が肉体に突き刺さる音がしたからだ。

 細い喉笛に、幅広のナイフが突き立っている。

 若き巫子の足から力が抜け、どさり、と床に崩れ落ちた。

「ノーティオ!」

 オーリが悲鳴を上げる。

 ようやく騒ぎに気づいたか、慌しげに扉が押し開けられた。戸口からぼんやりと灯りが漏れる。

 我先に身体を室内に捩じこんだアルクスとリームスが、窓から顔を覗かせた相手と視線を合わせる。

「……糞が!」

 罵声を上げ、リームスが剣を抜く。屋内ということもあり、彼は弓矢も槍も手にしてはいない。

 だん、と床を鳴らして、窓へと走った。片手で窓に掴まっていた相手が、慌てて下階に戻ろうとした。

 その頭へ、力任せに剣を振り下ろす。固い瓜が潰れるような音を立て、人影は地上へ向けて落下した。

 追いついたアルクスが、引っ掛け鉤をひょい、と外す。そのまま、無造作に主人の後を追わせた。

 オーリは、呆然として立ち竦んでいた。

 ノーティオが、捩れた姿勢で床に横たわっている。

 彼の眉間には、いつものように深い皺が刻まれたままだ。

 滅多に笑顔を見せなかった歳下の友人は、死にあたっても、やはり不機嫌な顔のままだった。

 死、に。

「……ティオ」

 小さく、呟く。ふらふらと近づいて、とすん、とその傍らに腰を下ろした。

「オーリ、ここは危険だ。場所を変えるぞ」

 油断なく窓から下を監視しながら、アルクスが静かに告げる。

「……待て」

 ゆっくりと、ノーティオの頭を抱え上げた。そっと、膝の上に乗せる。

「すまない、ティオ。私が、眠ってさえいなければ」

 その悔恨は、奇しくも先代の巫子と同じものだった。

 ざらつく指を、首筋に這わせる。

 流血は、さほどない。

 脈はもう止まっている。ナイフを抜いても、おそらく大した出血はないだろう。

「オーリ、早く……」

「待てと言っている!」

 声を限りに、怒鳴りつける。窓辺にいる二人が気まずげに視線を交わした。

「三分だ。三分待て。どれほどの敵が来ても、彼の傍に寄せつけるな」

 悲壮感すら漂う表情で、オーリは決然と友人の剣を手にした。



 それを皮切りに、他にも外壁をよじ登った、または(うろ)以外の階段を見つけ出した王国軍の兵士は続々と上階に姿を見せた。

 (うろ)からの侵攻も再開され、多方向から攻撃が開始される。ただでさえ人数の少ない風竜王宮側はどんどんと追い詰められていった。

 暗い通路を抜け、遭遇する敵兵を殺し、血と汗と疲労に苛まれながら、オーリたちは、とうとう最上階まであと一層、というところまで登っていた。

 ここにいるのは、もう二十名足らずの人数でしかない。下層階で、散発的に戦っている音は聞こえるが。

「上へ」

 オーリが、短く命じる。

「しかし、巫子様」

 風竜王宮親衛隊の一人が、躊躇った。

 最上階は、風竜王の祭壇の間だ。ここには、高位の巫子しか入れない。

「そんな場合か。早く!」

 焦れたオーリは、先に立って進む。


 祭壇の間からは、四方が見渡せる。既に夜明けを迎えている草原は、柔らかな光に染まっていた。空には、雲ひとつない。

 だが、彼らはその光景に感銘を受けている余裕はなかった。

 すぐ下に、〈魔王〉アルマナセルが迫っている。


 ごとん、と音を立てて、黒衣の〈魔王〉は階段を上がりきった。

 口を開こうとして、そのまま周囲を見渡す。少々間抜けな表情だが、それに気を抜くことができる訳ではない。

「……ほぅ」

 どうやら、〈魔王〉にはここから望む風景がお気に召したようだ。ぐるりと周囲を見渡す。

 この場に立っている生存者は、十九名。額にエメラルドを戴いた巫子が最も前に立ち、その背後に弓に矢を番え、手に剣を持った者たちが控えている。

 対して、祭壇の間に入ってきたのは、〈魔王〉アルマナセル一人である。

 流石に、竜王の祭壇を血で汚す、というのは、この世界に住む者たちには抵抗があるようだ。兵士たちを送りこめない、とイグニシアの士官が反論しているのがしばらく前に聞こえていた。

「なるほど。いい部屋だ。お前たちが死ぬのにも」

 アルマは、すらり、と剣を抜き放つ。

 鈍く光るそれを無造作に構えた。

 そして、軽く一歩踏み出す。

 次の瞬間には、彼は高位の巫子の目前にいた。二人の間は、十メートル以上離れていたというのに。

 息を飲む音が幾つも、漏れる。

 それに被るように、ずぶり、と鈍い、音がした。

 革鎧など何の役にも立たず、白い聖なる衣の腹部を貫通し、背から鋼鉄の輝きが姿を見せる。その刃は、血脂でうっすらと曇っていた。

 がくん、と巫子の膝が折れ、腹部を基点に身体が曲がり、アルマは即座には剣を引き抜けなくなる。

 その、数秒の間に。


「……我が竜王の名とその誇りにかけて」

 微かな声が、世界を支配した。


 軽やかに地を蹴った一人の戦士が、その手にした剣を〈魔王〉の身体に突き立てる。

「ぐぁあああああ!」

 驚愕と苦痛の叫びをただ睨み据え、その戦士は剣を握る掌に力を籠めた。経験のある、体内で荒れ狂う感覚が更にアルマへ注ぎこまれる。

 〈魔王〉に傷を負わせる、という偉業を成し遂げた青年は、顔を布で覆っていた。殆ど目しか露になってはいない。

 アルマが苦痛に顔を歪めた。迷わず、剣から手を離す。ごとり、と巫子の身体が、床に()じくれた形で倒れた。それに視線を向けず、〈魔王〉は片手で襲撃者の布を引き剥がす。

 その額に、煌くエメラルドが姿を見せた。

「……お前か。吟遊詩人!」


「身代わりを立てるとは、非道なことをするものだな」

 ぼたぼたと血を零しながら、アルマが吐き捨てる。

 だが、オーリはそれに一切心を動かされなかった。

「違う。あれは風竜王の巫子だ。高位の巫子、ノーティオだ。お前が、殺した!」

 冷徹に告げるオーリの額のエメラルドは、台座を頭蓋骨に食いこませている。それを外すことは、難しい。

 ノーティオの持っていた剣の(つか)を飾っていたエメラルドと細い針金が、即席のサークレットと化して持ち主の額に輝いていた。オーリの衣服に革鎧を身につけ、首に開いた傷口には布を巻いて隠している。

 親衛隊員と草原の戦士が、高位の巫子に扮した彼の身体をここへ運び、竜王の御力で直立させておく。そしてオーリは戦士たちの間に紛れ、唯一の、そして最後の好機を狙ったのだ。

 風竜王の祭壇の間、細かいモザイク貼りの床が、〈魔王〉の血に染まる。

 オーリは手を離さない。

「ここまでだ、アルマ。君は、血を流しすぎた」

 〈魔王〉が、竜王の御力にどれほど苦しもうと。

 だが、アルマはその青褪めさせた顔に笑みを浮かべた。

「確かに。血を、流しすぎたな」

 その足元から黒い影が迸る。次の瞬間、床に広がった血液が一部凝固し、鋭く尖り、その先端を勢いよく突き出した。

 人の柔らかな肉体など、紙のように貫いて。

「……ッ!」

「オーリ!」

「巫子様!」

 口々に叫びながら、親衛隊と戦士たちが駆け寄ろうとする。が、オーリはそちらへ視線を向けるだけで、彼らを制止した。

 しかし、ここは風竜王の祭壇前だ。〈魔王〉の魔術が、効果を発揮できる筈がない。

 その術は肉体に囚われた〈魔王〉の魂からではなく、流された血から発せられたのだが、オーリにはそのようなことは判らない。

 彼に、アルマが使う魔術の知識などなかったのだから。

 勿論、〈魔王〉はそれを丁寧に説明したりはしなかった。

 ただ、少しばかりほっとしたような顔で、口を開く。

「そろそろ諦めろ、吟遊詩人。おとなしくこの場で死ぬといい。そうしたら、その後で歌を聞かせろ。前に約束しただろう?」

 周囲に満ちる怒りの中に、戸惑ったような空気が混じる。

「あいつは何を言っているんだ?」

 リームスが苛立たしげに呟く。

 オーリは、力なく笑い声を上げた。

「どうした。吟遊詩人」

「全く、本当に、君は莫迦だなぁ」

 そして、真っ直ぐに、〈魔王〉を見据えた。

「人間は、死んでしまったら、もう何もできなくなるんだよ」


 今度こそ、その場の者たちは一様に首を捻った。

「君が元いたところ、君の故郷では、ひょっとして、死んでしまってもまだ世界に存在できるんじゃないか?」

 オーリが、荒唐無稽なことを話し出す。

「おい……」

 流石に、死に瀕して錯乱してきたのかと、アルクスが一歩踏み出しかけた。

「ああ。肉体の死程度なら、大した制限にもならんよ。魂と精神までが分離すれば、そうもいかんが」

 だが、あっさりとアルマは頷く。

「それでも、完全に消滅することではない?」

 静かな問いかけに、アルマはやや眉を寄せた。

「そのようなこと、口の端にすら乗せるな。不吉だ」

 だが、次いで発せられた言葉に、〈魔王〉は思考を止める。

「でも、人間は、肉体が死ねばその存在は消滅するものなんだよ」


「君が殺したフルトゥナの民も。君が死なせたイグニシアの民も。全て、肉体が死ねばそれで終わりだ。君がやろうとしていたことがそれで、私がどうしても阻もうとしていたことがそれだ」

「吟遊詩人……」

 アルマが、小さく呼ぶ。

 彼の、この世界に対する認識は、元々酷くあやふやだった。

「君が素晴らしいと言っていた歌を歌う者たちが、大勢死んだ。親が、子供が、夫婦が、恋人が、長老が、師が、商人が、職人が、戦士が、兵士が、どれほどの民が、どれほどの未来が消滅したか、君はそれを覚えているのか?」

「高位の巫子……」

 アルマは、呆然とした表情を崩せない。

 今、オーリの言葉によって、彼にその実感が、世界の現実が突きつけられる。

「君を許さないよ、アルマナセル。私の民を、私の竜王の民を奪った君を、絶対に許さない」

「オリヴィニス!」

 初めて呼ばれた名に、薄く笑う。

 そしてオーリは身体を貫く『血液』の刃に手を置いた。ぱきん、と乾いた音と共に、その黒い刃が弾け散る。

 オーリに刺さっていた側の刃は、ざあ、と灰のように細かく変化して、散った。

 傷口から出血した血液が衣服に染み、飽和して床へ滴り落ちる。だが、その傷はすぐに請願によって塞がった。よろめくように、数歩、距離を取る。

 そして、再び剣を構えた。

 〈魔王〉は動揺してはいる。だが、先ほどのように、不意を衝くことは無理だ。

 勝機が、また減った。

 アルマは軽く身を屈め、ノーティオの遺体からゆっくりと剣を抜き取った。何となく、なのだろう、胸に手を置き、青年の身体の(ねじ)れを真っ直ぐに戻している。そして身を起こしながら、マントの端で血を拭い、鞘に落としこんだ。

 背後にいる、護るべき親衛隊員たちの警戒心が高まる。

 いつ、彼らがアルマに襲いかかろうとするか判らない。

 じりじりと緊張感が空気を張り詰めさせて、そして。


「なんだ。また、怪我をしたのか。アルマナセル」


 ある意味呑気な声が、響いた。




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