一夜の花嫁
クリスとついに私は結婚する。
大好きなクリスと婚約したのが3か月前。親に反対されて家を出たのが2か月前。
そして、今朝のことだ。
「一緒に住もう、家を用意したんだ。今夜寝室で明かりを消して待っていてほしい」
と言われた。
この国の結婚は簡単だ。男女が一緒に住むことで結婚が成立する。家を出で3か月戻らなければ離婚が成立する。
用意された家は子爵令息と伯爵令嬢が住むには粗末なものだった。1階に居間とトイレだけ。2階が寝室と物置だけ。
「仕方がないよね。親に反対されて家を出たんだもの。クリスだって、3男で継ぐ爵位もないから結婚するともう庶民だ」
私も庶民になるんだ。でも愛するクリスといれば何とでもなるわ。私も働くつもりだし。
一人で寝るには少し大きく、二人で寝るには狭そうなベッドの上で緊張しながらクリスを待つ。
蝋燭の灯りは消した。
カーテンの隙間から月明かりが少し漏れてくるけれど、目が慣れても物の形が分かる程度だ。
これじゃあ、お互いの顏も見えない。クリスはそれでいいのかな?蝋燭はつけておいた方がよかった?
カタリと小さな音と、ギシギシと床がきしむ音。
クリスが来たんだ!
私が寝転んでいるベッドの右側が沈んだ。
ああ、わたし、ついにクリスと結ばれるんだわ。
緊張している私の頭を大きな手が優しくなでる。
あら?クリスの手って、こんなにゴツゴツしていたかしら?
「君がクリスの用意した僕の嫁か」
え?クリスの声じゃない!誰?
どういうこと?私はクリスの嫁になるのであって……。
「巻き込んですまない……」
悲鳴を上げようと思ったら謝罪され、出すはずだった悲鳴が引っ込んだ。
「いつもなら、……ジンクスなど一笑するところだけれど……。北の戦況は芳しくない」
ジンクス?戦況?
「クリスに言われてはっとしたよ。自分が無事に帰るためじゃない。仲間を安心させるために願掛けしろと」
もしかしなくても……。
一夜の花嫁の願掛けのことだ……。
昔、結婚した翌日に戦地に向かった男が、妻が待っているから生きて戻るんだという思いで、死を逃れたと。
それから、戦争に向かう前には無事に帰るという願掛けに結婚することがあるって。
「無事に……」
逃げ出せない。今私が悲鳴を上げて逃げ出せば、戦地に向かうこの人の死を願うのと同じになる。
きっと優しいクリスが……この人に無事に帰ってきてほしいと願いを私に託したのだろう。
「無事に帰ってきてください」
それしかかける言葉はなかった。
それ以降二人の間に会話はなく、ただ、夫婦としての契りを交わした。
「必ず、君の元へ帰ってくる」
ことが済むと、軍人らしい引き締まった体の男の人はその言葉を残して部屋を出て行った。
我ながら、人助けとはいえとんでもないことをしてしまった……。
でも、心優しいクリスが、本当に助かってほしいと願っている相手なのだと思うと……。相手が誰かと問うことはしないけれど、親友なのか親類なのか。きっとクリスだって苦渋の選択だったはず。
……ちょっとズルいけど、回復魔法で回復させてもらった。あそこも。
誰にも教えてないけれど、実は私は身体に関わる魔法がいくつか使える。
この世界では女が魔法を使うのははしたないと思われているので人に知られるわけにはいかないのだ。
特に貴族令嬢は嫁の貰い手がなくなると言われ、恐ろしく差別にあう。
「……クリスに会いに行かなくちゃ……」
私はこの後どうすればいいのか。クリスをこの家で待てば、今日こそはクリスと結婚できるのか。それとも、あの男の人との結婚したことになってしまっているなら離婚が成立する3か月クリスとの生活は待つべきなのか。
一度だけ訪れたことのある、クリスの住んでいるアパートの部屋のドアを叩く。
「んー?クリスならいないぞ」
「いつ、帰ってきますか?」
隣の部屋のドアが開いて男の人が顔を出した。
「あー、もう帰って来ないんじゃないか?」
それって、ここを引き払ってあの家に移り住むということよね。
じゃあ、私はあそこでクリスを待っていればよかったんだわ!
「大金を手に入れたって言ってたからなぁ」
「大金?」
どういうこと?
だって、クリスは爵位を継ぐこともできない貧しい子爵家の3男で、城の下級文官として働いているから大金が入るようなことはないのに。
「新しい金づるでも見つけたんじゃないかぁ?前の……どこぞの金持ちの令嬢は家を飛び出しちまって当てがはずれたって言ってたからなぁ」
え?
「金持ちの令嬢?」
「んー、なんつったか、なんたら伯爵令嬢の、マリーだかミリーだか」
アリーだ。
それ、私……シャリアリー・フェントラーゼだ。
「そうそう、売ったら金になったとも言ってたな。プレゼントでも売り払ったんかな?」
私だ。
売られたのは、私だ!
クリスは、一夜の花嫁としてあの男に大金で売りつけたんだ!
家に戻ってベッドに腰掛ける。
「どう、しよう……」
床のきしむと音が聞こえた。
この部屋を訪ねてくる人なんているはずない。だって、家族も友人も誰も私がここにいるなんて知らないのだから。っていうことは……。
「クリスっ!」
やっぱり私は騙されてなんていなかったんだわ!と、扉を勢いよく開けるとおばあさんが立っていた。
「なんだ、まだいたんか。一泊二日の約束で貸したんだ。早く出て行ってくれにゃ」
「は?」
「はじゃないよ。次の客が使うんだ。ほら、出て。追加料金貰うよ!」
クリスが用意したという家は、1棟貸しの宿だった。
氷雨そら先生企画シークレットベビー企画(シクベ企画)参加作品です(*´ω`*) 2025.12.24~2026.1.15
シークレットベビーは、ハーレクインコミックスで死ぬほど読んで、めちゃくちゃ好きなので参加!
ところが、書き始めたら「あ、いや、これ、シークレットベビーと違うっ!」ってなりましたので……あの、違うんです、あの、あの、あの……。
楽しんでいただけると嬉しいです。




