おとぎ話はもうお終い 1
「とってもいい天気だね! 旅行日和って感じで嬉しいな」
「あっそ」
旅行当日の朝、エルは少しご機嫌斜めだった。せっかくの旅行なのだから馬車で移動したいわたしと、転移魔法で一瞬で移動すればいいだろうというエルで、揉めたからだ。
結局行きは馬車、帰りは転移魔法ということで決まった。一瞬で移動してしまっては、せっかくの旅行感が薄れてしまう気がする。エルは大人の姿に戻っても、中身は相変わらず子供っぽくて、なんだか安心した。
「お喋りしていればきっと、あっという間だよ」
「俺は寝る」
「じゃあわたしも寝る」
実は昨日はワクワクしてほとんど眠れず、今朝も早起きだったせいもあり、かなり眠たかったのだ。
隣に座るエルの身体に、そっと頭を預ける。機嫌は良くないものの、嫌ではないらしい。以前とは違う高さに不思議な気分になりながら、わたしはそっと目を閉じた。
そしてそれから、2日半かけてエルの故郷である村に辿り着いた。途中の街で少し観光をして、珍しいお菓子を沢山買い込んでからというもの、エルの機嫌も良くなっている。
彼は生まれてから7歳までこの村に住んでいたらしく、ここに来るのは150年ぶりなのだという。
豊かな自然に囲まれていて、家らしき小さな建物があちこちにある。空気がとても美味しい、素敵な場所だった。
──ここが、エルの生まれた場所。こうして一緒に来れたことが嬉しくて、思わず視界が揺れた。気付かれないようにぐっと堪えて笑顔を作り、手を引かれたまま歩いていく。
「何も、変わってない」
「本当?」
「呆れるくらいにな」
そう言ったエルの横顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。
それからは二人で、村を歩いて見て回った。いつも少し歩いただけで「疲れた」「だるい」と言っていたエルも、今日は何も言わずに歩き続けている。
「ここに、家があった」
「エルの?」
「ああ。貧乏な7人兄弟の末に生まれて、いつも腹を空かせてた。両親はクソみたいな奴らだった」
こうしてエルが、過去のことを話してくれるのは初めてだった。彼の家があったという場所にあった、ちょうど二人並んで座れそうな木の板に腰を下ろす。
「魔法を使えるようになってすぐにクソ親が騒いだことで、偶然近くを通った神殿の人間に、王都に連れて行かれた」
「……うん」
「あいつらは多額の謝礼金を貰ったくせに、俺に対しては一言もなかった。子供ながらに、売られたんだと思った」
マーゴット様が言っていた『親の愛情を知らないまま育った』という言葉の意味を、ようやく理解した。
「それからはずっと、閉じ込められてひたすらに魔法を学ばされて、働かされて。クソみたいなつまんねえ人生だと思ってた。その上、他の人間の数倍も長いんだからな」
エルは深い溜め息を吐くと、今にも泣き出しそうな顔をしているであろう、わたしを見て口角を上げて。「ま、今はこれで良かったと思ってる」と呟いた。
「じゃなきゃ俺は一生この村で過ごして、お前が生まれる100年以上前に死んでただろうしな」
「エル……」
「ずっと、あいつらを恨んでると思ってたんだ。でも実際、この場所に来て過去を思い出しても、何も思わなかった」
誰のせいだろうな、なんて言って笑う姿に視界が揺れる。
「お前と来れて、良かった」
「っわ、わたしも、エルと来れてよかった」
結局、我慢しきれずに泣き出してしまったわたしの頭を、エルは乱暴に撫でてくれたのだった。
◇◇◇
その日の夕方。この村唯一の宿泊できる場所へと辿り着くと、人の良さそうなおばさんが温かく出迎えてくれて。
そして玄関を抜けてすぐ、一冊の本が目に止まった。
「あれ、この絵本……」
そう、そこにあったのはわたしが持っている物と同じ「やさしい大魔法使い」という絵本だった。わたしが持っているものよりもずっとボロボロだったけれど、100年も前の本ならば当然なのかもしれない。
絵本をじっと見つめていることに気が付いたのか、おばさんが声をかけてくれた。
「ああ、実はね、この村で大魔法使い様が生まれたって言われているんだよ。本当なら、とても光栄なことさね」
「そうなんですね……!」
絶対に本当ですよ! と返せば、おばさんは嬉しそうに微笑んでくれた。エルはなんとも言えない表情を浮かべ「くだらな」なんて言っている。きっと、照れているのだろう。
この本を借りていきたいとお願いすると、わたしはエルと共に宛てがわれた部屋へと向かった。
「なんでそんなもん持ってきたんだよ。家にあるだろ」
「エルと読みたい気分だなあって」
「俺は読まない」
エルはそう言うと、固いベッドに横になった。わたしはそんな彼の側に腰掛けると、絵本をそっと開いた。
「これ、エルなんだよね?」
「俺だけど、俺じゃない。前に言っただろ、イメージアップの為に捏造されたものだって」
「なるほど……」
絵本の中の「大魔法使い」は、いつも柔らかな笑顔を浮かべ、沢山の人々を救っていた。確かに、目の前にいるエルとはあまりにもイメージが違いすぎる。
「わたしね、ずっとこのお姫様になりたかったんだ」
「ならない方がいい」
「えっ?」
「その女のモデル、誰か知ってるか? シャノンだぞ」
「ええっ?」
「あのバカ、絵本作家を買収して自分に似たキャラクターを登場させやがった。ババアにこっぴどく怒られてた」
そんな話に、思わず笑みが溢れる。シャノンさんらしいと思うのと同時に、内心少しだけ安堵していた。
「明日、帰るの寂しいな」
「……そうだな」
なんだか今日は、エルがとても素直だ。わたしはそっと絵本を閉じると、近くにあったテーブルに置いた。
「お休みが終わったら、エルはまた忙しいの?」
そう尋ねれば、エルは何故かひどく寂しげな、悲しげな表情を浮かべて。やがて彼は身体を起こすと、わたしをじっと見つめた。その美しい瞳は、不安の色で揺れている。
「……もしかして、あんまり会えなくなる?」
最近、よく感じていた嫌な予感が大きくなっていく。そしてわたしの問いに答えることはないまま、エルは言った。
「話がある」




