君を探して①
まだ昼前というのにジリジリと焼けつく日差しの中、小林は近くの金物屋にアイスコーヒーの空グラスを引き取りに行った。店に戻ろうとしたその時、ちょうど向いのハイミーのドアが開き、客と共に坊主頭の太った男が首にタオルを巻きつけ、汗を拭きながら出てきた。
空のグラスを二つ手にして、小林を見つけると声を掛けてきた。
「あ~、ちょうどよかった。小林くん、今日の桃ちゃんランチのおかずは何?」
「おはようございます、小西さん。今日はチキンの竜田揚げと煮物です」
「ヤッタ~!桃ちゃんの煮物美味しいねん。食べた事ある?小林くん。出来たらイモやのうて、桃ちゃん食べたいわぁ!あっ、これは桃ちゃんに絶対言うたらアカンで!小林くんはやっぱりウチの店長がいい?」
「な、何を朝から言っているのですか!預かりますよ!グラス」
ひとり空を見上げ、何やら妄想をしている小西から、小林はムスっとしてグラスを奪い取った。この小西という男はハイミーでIT部門を担当しており、プログラミングからインターネット注文まで受け持っている。
京子は小西を「凄腕のパッカー」と言っているが、ただ単に間違えて気づかないのか、それとも彼がいつも大きなリュックを背負って移動しているからなのかは誰も指摘しない。また小西は例に漏れず重度なオタクであり、ハイミーで働くことに生き甲斐を感じているという。小林はそんな小西と対極にいる明智が、同じ所で働いているのを不思議に思って、一度ハイミーを覗いたが、それほど危惧するものではなかった。
もちろん、明智は小西サイドに共感しているわけではなく、小西の「パッカー」としての腕を少なからず認めているようであった。明智がハイミーの副店長として店番をしているのは、京子が不在の時だけで店内でもどの商品がどこにあって、もっと言えば何を扱っているのか全く興味がないようである。
客に尋ねられても答えられなくて、オタク男子とは全く話さず、女性でも容姿のいい娘だけ少し話して、それでも最後は小西に任せるといった始末。
そんな中、小林はこの界隈に少しずつ自分が溶け込んでいって、かつ楽しんでいると感じていた。しかし、本来の探偵助手という仕事を未だ経験していない。
店に戻った小林に桃香が言った。
「もうだいぶ慣れてきたね。コニタンとも仲良くしているようだし、よかった。いい人だけど、時々ヘンなこと言うから私も困るのよ。いつもふたりでなに話しているの?」
「えっ?まさか…さっきのような…」
「んっ?どうかした?」
「いや!何でもないです。僕は小西さんと別に仲いいわけじゃないですよ。世間話しているだけです」
「そう…」
「ところで桃香さん。僕はマスターに嫌われているんじゃないかと心配です」
「どうして?」
「話しても頷くだけで、声も掛けられたことないですから」
小林は店の奥でいつものようにグラスを丁寧に拭いているマスターに聞こえないように、徐々に離れながら桃香に聞いた。
「前に話さなかったかな?マスター、耳がほとんど聴こえないらしいよ。小林くん、ここの店の名前は?」
「ベイルート。レバノンの首都ですよね?」
「ええ。何でもマスターは若い頃、ベイルートで傭兵をしていたらしい。長い間の戦闘の後遺症で耳を悪くしたって聞いたよ」
「そうだったのですか」
「声は聴こえないみたいだけど、言っていることは解るらしいよ」
「読唇術。でしょうかね?」
「よく分からないけど、そういう訓練もしたらしい」
ランチ前に暫しの静けさの中、小林は突如聞きなれない電子音に耳を奪われた。
「ガリガリ…ガー…ガリガリ…」
「こちら、ファルコン。オオガラス、オオガラス、応答せよ」
その音源はカウンター奥にある無線機からのものだった。以前から小林はこの場に似つかわしくない無線機を不思議に思っていた。電源が入っているであろう赤ランプが点灯していることから、飾りではないと思っていた。それが突如、謎の暗号と共に耳に入った。
マスターの趣味で近くから流れてくる無線を聴いているだけだと思っていたが、先程の桃香の話では耳が不自由であるからそれはない。では、誰が何のために無線機を置いて電源を入れているのか。
小林はまさか隣の桃香かと思ったが、彼女は特にこれといった反応は示さない。すると、カウンター内で顔が隠れるほど新聞を広げて見ていたマスターが、素早くそれを畳んで無線機を取った。
「こちら、イーグル。オーバー」
驚いた事に耳が不自由と聞いていたマスターが応答している。しかも、その目つきは何とも鋭く、殺気立っている。小林は初めて聞いたマスターの声に驚き、桃香に尋ねようとしたが、彼女は静かに目を閉じて聞いていた。
「アオサギが羽を広げた。ヒナにカラスとキジを連れて、巣に戻るよう伝達されたし。オーバー」
「ラジャー」
そう答えるとマスターは無線機を充電器に戻し、桃香に目で合図した。桃香は素早くカウンターに入ると、何か用意をしながら小林に言った。
「小林くん。初仕事よ。お盆を出して」
何も分からないまま小林がカウンターを覗くと、桃香は紅茶、マスターはコーヒーを作っている。
小林は不安気に桃香に聞いた。
「桃香さん。今の通信は何ですか?」
「今のは業平様。まず『アオサギ』は六歴探の事。つまり事務所からって事ね。それで『ファルコン』は業平様のコードネーム。次に『羽を広げた』って言うのは、来客の事。それから『オオガラス』はここベイルート。『イーグル』はマスターのコードネーム。『カラス』はコーヒーで『キジ』は紅茶。それをお客さんに運ぶの。最後に『ヒナへ巣に戻れ』と言うのは小林くんに事務所へ帰れ、って事」
聞いている間、小林は目を丸くして驚くしかなかった。そして、桃香に尋ねた。
「どうして僕はヒナなのですか?」
「あ~、それはね。初めは皆、そう呼ばれるのよ。私もそうだった」
「じゃあ、今は?」
「私のコードネームは『ピンクスワン』少し恥ずかしいけどね。解るようになったら小林くんにも名前を付けてくれるよ」
「それって、やっぱり先生が?」
「そう。マスター以外の皆は覚えるのに苦労した。無線なんて使ったことないし」
「他に誰がいるのですか?」
「六歴探とここ、それにハイミーに置いてある」
「じゃあ、一条先輩も小西さんも使うのですか?」
「あ~、ヒメちゃんは使わない。コニタンのコードネームは『イエローターキー』三号室の宗我さんが『ナイトホーク』だよ」
手際良く用意をする桃香を見ながら、首を傾げる小林は尋ねた。
「どうして無線機を使うのですか?」
「楽だからね」
「わざわざ暗号じゃなくてもいいんじゃないんですか?」
「それはね。一応、ここもハイミーもお店だからっていうのもあるのだけど、一番の理由はマスターのためなの」
「マスターのため?」
「そう。見た通りマスターは普段耳が不自由だけど、無線の時は別人みたいだったでしょう?」
「そうですね。ビックリしました」
「人って長年培ってきたことは、たとえ自由がきかなくなっても忘れないものなんだって。最初は全然ダメだったらしいけど、何回も繰り返している内に段々反応してきて、私がここに来た時はご覧の通り。おそらく業平様はマスターが一番輝いていた頃を思い出してもらうように考えたのだと思う」
程なく準備が整い、小林は店を出た。ヒメビルの前に立ち、二階を見上げ深呼吸をした。
小林は先程聞いた話を思い出して呟いた。
「先生はああ見えて、みんなの事をよく考えている優しい人なんだなぁ」
小林は階段を上がり、ドアをノックして中に入った。正面のソファーに座るのは背を向けた女性ふたりがいて、女性たちの前に笑顔の明智がいる。小林は依頼人ふたりに飲み物を出した。挨拶をしてふたりの顔を見ると、なぜ明智が笑顔で話していたのか理解できた。
タイプは違うがふたりとも美人で落ち着いた雰囲気である。明智はハイミーでも服装は別にして、美人タイプならば少しは会話をしていた。しかし、明らかにそこに出入りしている娘たちと違う感じの女性たちなのと、明智の本業ゆえだから笑顔でいるのと思った。
小林には明智のいきいきとした違う一面を見たような気がした。ただ、明智に比べ女性ふたりは緊張のためか厳しい表情で、長ソファーに座る位置は微妙な距離感を保っていた。明智は小林にバインダーを手渡し、女性ふたりに言った。
「それでは詳しい内容を伺いましょう」
明智は小林に目配せをした。手渡されたバインダーは依頼内容を記入する用紙で、先日小林のためにと、明智が小西に作成させたものである。それまで明智は依頼人からの内容は用紙に記録せず、自分の頭の中に全て記憶していたので使っていなかったらしい。
依頼人のひとりは長良香といい、長い黒髪でおとなしい感じの女性。もうひとりは村上千種といい、セミロングではきはきした感じの女性である。
同級生であり、同じ職場で働いているという。ふたりは明智の質問に即答せず、何か言いづらそうな感じである。小林は初仕事で自らの緊張が依頼人にも伝わっていると思った。しかしそうではなく、依頼内容が突拍子もないもので躊躇っていたからだ。
ふたりはお互い話すのを相手に促し、中々先に進まない。次第に揉め始めたので、小林が制止した。
それでも話始めないので、明智が立ち上がろうとしたのを見て、やっと村上千種が語り始めた。村上千種が説明している間、明智は例によって腕組みして目を閉じ、小林は依頼書に記入しながら何度も首を小さく傾げている。話終わると村上千種はため息をついた。
明智は立ち上がりふたりに確認後、ソファーから離れ部屋の一番奥に行き、少し窓を開け、徐にタバコを取り出した。炎が立ち上るのを見て女性たちは驚いた。
ふたりは明智が引き受けてくれるかどうか、まだ返事がないので不安な表情でいる。
「やはり、おかしいですよね?」
村上千種は明智にそう言ったあと長良香を横目で見た。代わって長良香が言った。
「とんでもない事をお願いしているのは解っています。会えるとまで思っていません。でも、出来るだけ近づきたいのです。たとえどんな些細な事でも…本はもう何百回も読みました。京都にも何度も足を運びました」
長良香の切な願いに村上千種も頭を下げ、小林はより一層戸惑いの表情を隠せなかった。
窓を閉めた明智はソファーに戻りふたりを見つめた。
ふたりは余りにも明智が無言で自分たちを見ているので溜まらず下を向いた。




