幻の刀①
ランチタイムを終えたベイルートに小林が戻ってきた。
「桃香さん。すいません。教授の話が思ったより長引いて…桃香さん、桃…大丈夫ですか?ほんと、ごめんなさい。もう少し早く…」
小林の声に全く反応しない桃香はカウンターに頭をもたれていた。
「大丈夫ですか?桃香さん」
顔を上げた桃香は憔悴していた。
「あ~、小林くん。業平様はまだ?」
桃香はまるで動物のナマケモノの如く、遅いテンポで小林に返した。
「先生はまだ帰ってないのですか?」
「う~ん…大丈夫かな?業平様。ねぇ、小林くん。業平様から昨日中に帰るって、連絡あったのでしょ?」
「はい。昨日の昼にありました。心配ですね。何事もなければいいのですが…」
「ねぇ、どうしよう!業平様にもしもの事があったら…わたし…どうしよう…」
「大丈夫ですよ、桃香さん。あの先生ですよ!殺されても、生き返るような人ですから」
その言葉に桃香は顔を上げた。
「いくら小林くんでも、言うてええ事とアカン事ぐらい分かるやろ?そんな縁起でもないこと言うたらいけん!もし、そうやったらウチ…そいつを絶対許さへんけん!」
穏やかだが凄みのある口調に小林は驚いた。
「桃香さん。ごめんなさい」
頭を下げる小林を見て、桃香は再びカウンターに額をつけた。
「謝らなアカンのはウチの方や!小林くんは何も悪うない。いつになったらウチは大人になれるんやろ?周りの人に迷惑ばっかり掛けて…ほやけん、アカンちゃ!ウチは…」
カバンを置いた小林はカウンターに入った。
「桃香さん。待ちましょう。先生はすぐ帰ってきますよ。紅茶でも淹れます」
小林はそう言って用意をした。
『カランコロン』
鈴の音は店内を憂いから喜びに変えた。
「ほら!」
小林の声は桃香に聞こえない。桃香はもう、その時には明智の胸に飛び込んでいた。明智にしがみついて離れない桃香は泣きじゃくった。困った明智が言った。
「コラ!ミルク。どうした?当たっている。当たっているぞ!」
しがみついたままで桃香は明智を見上げた。
「胸がオレの腹に当たっている。しかし、相変わらずオマエのは柔らかいな!小林くんだったら、鼻血を噴き出しているところだぞ」
「え~~~!」
「え~~~!」
桃香と小林の叫びは似て非なるものだった。恥ずかしさと喜びでいっぱいの桃香をイスに座らせ、明智は一服をした。
「先生。心配したんですよ。昨日帰るとおっしゃっていましたから…」
「思ったより手間取ったから遅くなった。それよりどうした?ミルク。その顔は?」
「昨夜、一睡もしていないので…」
桃香の顔は涙で腫れているよりも、目の下のクマが目立っていた。
「そうか!悪かったな!心配かけて」
明智は桃香の頭を撫でた。桃香は明智に向けていた体をイスの回転を利用して動かした。
「嬉しい!」
「ん?」
明智には聞こえなかったが小林の耳には届いた。小林は桃香に微笑んだ。マスターが明智のコーヒーを持ってきた。珍しくマスターが目で何か言っている。
それに気づいた小林と桃香も明智がカウンターに置いた紙袋と明智に視線を注いだ。
「なんだ?オマエら」
「いいえ!先生。別に…ただ、信州って美味しいモノ多いですよね?ねっ?桃香さん」
小林に促された桃香も期待大であった。
「あ~、これか?これは…」
そう言って明智は紙袋から箱を出した。
皆が注目する中、明智は続けた。
「例の刀だ」
「刀?」
桃香と小林は顔を見合わせた。
マスターは奥に引っ込んだ。
「そう。中原家の宝刀」
「え~!先生。それって…どうして?」
「最近、朋絵の家に不審な電話が掛かってくるらしい。それで当分の間、預かって欲しいと頼まれた」
それに素早く反応したのは桃香であった。
「業平様。朋絵さんって誰ですか?」
早い口調で聞く桃香に明智は小林を見て、顎で合図した。それに答えて小林は説明した。
「あの人ですか…」
「知っているのか?ミルク」
「いいえ。一度、小林くんに写真を見せてもらっただけです。キレイな人ですね?」
明智に向って言った桃香であったが、返事がないので拗ねた。
そして、桃香は思いついたように明智に聞いた。
「ま、まさか、業平様。昨夜はその朋絵さんの家に泊まったのですか?」
「ああ。早く帰るつもりだったが、話し込んでいる内に夜になって、お言葉に甘えた」
「そんなぁ!お泊りだなんて…ズルイ!」
ふくれる桃香に明智は言った。
「いつも一緒に寝ているだろう?」
「もう!業平様」
「えっ?」
明智と桃香は小林のリアクションを楽しんだ。それに気づくのに時間を要した小林は遅ればせながら恥ずかしがった。寝不足の桃香を家に帰して、明智はいつもの席に腰掛けた。
「いつの間に僕のケータイに事務所への電話が転送されるようにしたのですか?」
小林の問いに明智は答えた。中原兼男の一件で京子に説教された明智は自身が携帯電話を持っていなくてメカに弱いということから、ハイミーの小西に頼んで事務所に掛かってきた電話を、小林の携帯電話に転送するようにしてもらっていた。
「そんなぁ!」
「どうせ誰からも掛かってこないんだろ?」
「そ、そんなことないですよ!まぁいいです。僕も一応は助手ですから…でも、夜中は勘弁してほしいですね!」
「依頼の電話か?」
小林はカバンからノートを出して答えた。
「いいえ。昨夜、訳の分からない電話があったのですよ。え~っと、ファルコンはいるかと、確かトビと言っていました。あっ!そうか。この間、無線で言っていましたね。警察のことかぁ。それで、その人が…」
小林はノートを見ながら続けた。
「すいません。寝ぼけていたものですから、自分で書いたのに…え~っと、逃げた…ムクドリ?を捕獲…?…ですかね?先生。これで解りますか?」
「ああ。犯人が逮捕されたということだ」
煙と共に吐き出された明智の言葉を理解できない小林は説明を求めた。明智は今回の東京から長野への旅の目的と出来事を語った。聞いている間、始終驚く小林に明智はその都度、いつもの問答形式で彼の推理能力を引き伸ばした。小林は当初の先入観や常識ばかりに囚われることなく、探偵助手として様になるかたちになってきた。それは助手だけではなく、本分である学業にも十分活かされていた。
「それでは先生、奥平は刀を偽物と知らず持ち去ったのですね?」
「そうだな。兼男はそういう事を予見してレプリカをつくったのだろう。指南されたとはいえ、太田経由で刀を狙われると考えていたのかもしれん」
「まさか、付き合っていた紗佳経由とは思いもしなかったんじゃないですか?それにしても太田はどうして、ツアーに参加したのでしょう?」
「オレには偶然だと言っていたが違う。オレたちをつけて来たぐらいだからな!おそらく太田は行方知らずの刀を探しに来たのだろう。あの時点で兼男と佐々岡を殺したのが奥平と知らなかったのだろう」
「そうか。探偵の佐々岡に兼男を尾行させて、刀を持っていないことを知ると、それが先生の手に渡ったと勘違いしたのですね?太田は何故そこまで刀に拘ったのでしょう?」
「ヤツも刀が欲しかった」
「それで兼男にレプリカをつくらせ、すり替えて自分の物にしようと企んだのですね」
明智は二杯目のコーヒーを楽しんだ。
考えていた小林が言った。
「ひょっとしたら、先生によって奥平は命拾いしたかもしれませんね?」
窓の外を眺めていた明智は小林を見た。
「だって、太田は京都まで来てわざわざツアーまで参加して、僕たちをつけるような奴ですよ。先生が奥平を紗佳のところに呼び、自首させようとしなかったら、太田に殺されていたかもしれません」
得意気な小林に明智は返した。
「逆かもしれんぞ」
「どうしてですか?」
「奥平は学生時代レスリングをやっていた」
「でも、太田は佐々岡を雇ったぐらいですから、殺し屋ぐらい雇ったかもしれませんよ」
「冴えているな!小林くん。確かに太田は油断のならない男だ。ただ刀を手に入れたかった訳ではなさそうだ」
明智の言葉に小林は尋ねたが、それきり返事がないのでこの事件の奥の深さを知った。
「先生。太田をつけていたノッポの男も関係しているのでしょうか?」
「アイツはないだろう。最近来ているか?」
「僕は見ていません。桃香さんに聞いてもそうでした」
「あの男は別の用件なようだ」
「何か心当たりがあるのですか?」
「少しな!」
意味深な明智の言葉に小林は尋ねるのを止めた。まだ何も起こっていない上に、今はそれ以上知ることが怖かった。桃香が早上がりした分、宗我が早く出勤したので喫茶ベイルートは夜の部を迎えた。
初雪が積もった古都の寒い午後、ベイルートでは金物屋主人の荒木が下宿人であるアンジーと沙織を連れて茶を楽しんでいる。京子はハイミーの上客であり、コスプレ仲間の女性二人とみくるパフェを食べ、観光客と思われるカップル。一般の客が二席。
一番奥まったところに近くに住む書道家の貴紫子がコーヒーを飲んでいる。桃香と小林は外とは対照的な賑やかな店内で慌ただしく動いていた。
『ガリガリ…ガー…ガリガリ…ガー…』
いつものノイズ音に聞き慣れない客は動きを止め、無線機を取ったマスターに注目した。
「こちらファルコン。オオガラス応答せよ」
「こちらイーグル。オーバー」
「アオサギが羽を広げた。スズメにツルを連れて巣に戻るよう伝達されたし。オーバー」
「ラジャー」
機敏な動きで無線機を充電器に収めたマスターは、桃香に目で合図してイスに座り新聞を広げた。桃香の微笑みに意味がわからない小林は首を捻って尋ねた。
「確かツルは牛乳でしたね?スズメは?」
「おめでとう、小林くん」
再び微笑む桃香にまだ合点がいかない小林のところに京子が来た。
「おめでとう。ステップアップだね」
桃香と京子の言葉に事情を知らないながらも店内の客は小林へ拍手を送った。沸騰した牛乳をコップに注ぎ、用意を終えた小林に桃香が言った。
「私がスズメになったのは一年かかったから、小林くんは早いよ。さすがに助手だね」
そう言われても素直に喜べない小林は複雑な心境のまま六歴探に向った。扉を開けると女性がひとり座っていた。小林はホットミルクを女性の前に置き顔を見ると、それは城田紗佳であった。小林が来た時にはすでに紗佳の話は終わっていて、世間話をしているところであった。小林は調査書も必要ないことから紗佳は依頼に来たのではないと理解した。
紗佳は明智に頼まれ奥平を説得したが、彼は紗佳を罵り、殴ったあとその場を去った。その際、ずっと明智を尾行していた刑事により奥平の身柄を一旦確保したが、
奥平は逃走して、その後逮捕されたという。紗佳は奥平の面会も兼ねて、明智を尋ねた。
数日前から朋絵の行方が知れず、立ち寄りそうなところを紗佳は探していたという。奥平が逮捕されたあと暫くして、紗佳は朋絵に連絡を取り、ふたりは久しぶりに会うことになった。兼男の事件後初めてという事でもあり、紗佳は数年間朋絵の兄である兼男との交際を隠していた理由から、会いづらかったがその場で蟠りは拭えたという。紗佳は許してくれた朋絵が何故、自分に何も言わず行方をくらましたのか分からず、手掛かりを頼りに明智のところまで来た。
「朋絵に許してもらえているものと思っていましたが、考えが甘かったようです」
静かにそう言った紗佳はコップを手にした。
「朋絵さん、学校の方はどうされているのでしょうか?ご存じありませんか?」
「二十七日から出勤すると、学校の方がおっしゃっていました」
「あと二日ですね」
小林が言った。明智は暫く考えて頷いた。
「明智さんは何かご存じなのですか?」
「いいえ。ただ、朋絵さんは必ず盛衰記を付け加えると言っていた」
「朋絵はまだそんなことを言っているのですか?」
「それこそが今回、朋絵さんが居なくなった理由です」
小林は明智が長野から帰ってきた日、朋絵から刀を預かってきたのを知っている。しかし、明智がいくら朋絵の友人であっても、それを不用意に話さない事も知っている。
「おふたりはよく旅行に行った際、絵葉書を書くそうですね?」
「はい。歴史巡りが主ですから、それに因んだ事を書きとめています。風景写真もありますから、後で思い出せます」
そう言ったあと、紗佳は何かを思い出したように声を上げた。
「そう言えば、昨日私の家に朋絵から絵葉書が届きました。出勤前だったのでサッと目を通したままでカバンに仕舞いました。確か、倶利伽羅峠からだったと思います」
「やはり」
明智の言葉に紗佳は元より小林も期待した。
「明智さん!」
溜まらず紗佳が声を出すと、それを待っていたように明智は一番奥に行き、紗佳にタバコを見せ確認したあと、窓を少し開け火柱を上げた。
驚く紗佳を余所に明智は壁にもたれて言った。
「先日、朋絵さんの家で見せてもらったのですが、前回彼女が居なくなった時、自宅に絵葉書を送っていたのです。恐らく朋絵さんは前回と同じ所を周っている。だから今回は紗佳さんに宛てているのでしょう。富山県の倶利伽羅峠に始まり、石川県加賀市の篠原、福井県越前町の燧ヶ城、比叡山、大津の義仲寺。いずれも戦国武将木曾義仲ゆかりの地です。朋絵さんは新たな源平盛衰記をつけるために、時系列は違いますが、木曾義仲と同じ
ところを巡っているのです。前回、予想もしない兼男さんの事件で中止を余儀なくされたので、今回達成させるつもりなのでしょう」
「じゃあ最後は八坂の塔なのですね?」
紗佳の言葉に明智は首を横に振った。明智は窓を閉め、紗佳の対面に座った。明智の合図で小林は立ち上がり、コーヒーをカップに入れ、ひとつを明智にもうひとつを自らの前へ置き、牛乳が半分になった紗佳のカップに残りを注いだ。そして、小林が紗佳に聞いた。
「どうして、八坂の塔なのですか?」
「はい。朋絵と計画していた歴史旅で今度、木曾義仲のゆかりの地を巡ろうとしていたのです。特に朋絵は義仲の妾であり、同じ名前の巴御前に親近感を持っていて、ふたりとも楽しみにしていました。義仲が討ち取られたあと、彼の首が八坂の塔に葬られたというのを聞いて、刀を隠すならそこかなと思い兼男さんに伝えたのです。だけど、結果そこであんな事になるなんて思いもしませんでした」
紗佳は俯いて目頭を押さえて明智に聞いた。
「じゃあ、やっぱり義仲のお墓がある義仲寺ですか?」
「いいえ。違うでしょう。ところで、紗佳さん。お帰りはいつですか?」
「今晩はこちらに宿を取っているので明日、長野に帰ります」
「それでしたら明朝、ここにお出でなさい」
「朋絵に会えるのですか?」
「おそらく。来るなら明日しかない」
「どうして、こちらなのですか?」
「それは来てからのお楽しみです」
明智の微笑みに納得した紗佳は六歴探を後にした。




