釈放②
「思い浮かびませんね。なんでしょう?」
「これも歴史通ならピンとくる。しかも、義経とセットとなればこれしかない」
勿体つける明智はグラスを傾けた。
小林は待てないとばかりに声に出した。
「先生!」
「『源平盛衰記』最も『せいすいき』と言う方が一般に通っているが『じょうすいき』ともいう」
「それは古典ですよね?」
「ああ。『平家物語』と並んで、源平を知る上で外せないものだ」
「ということは当然、義経が出てくるんですよね?」
「そうだ」
「『義経かける』とはしないで『九郎かける』としたのは何故なんでしょう?そして『新しい盛衰記をつける』の意味は?」
「おそらく、朋絵と紗佳の間で以前からそう言っていたのだろう。兼男が東京から戻って来て、刀を処分するとなって、朋絵はそれを持って消えた。追ってとなるのは兄。それを義経と見立てた。ということは少なくとも、朋絵はいずれこうなる事を予想して、予め友人の紗佳に話していた。実際、兄は妹の後を追って京都まで来た。それが『九郎駆けるので上洛します』だろう。暗号とするなら義経とあからさまに言うよりは、語呂合わせの
意味もあって九郎と苦労を掛けた」
「そうか!では何故、朋絵は京都に来ようと思ったのですかね?」
「少なくとも朋絵は義経側ではない。義経と敵対している勢力側で自分を見ている。ならば義経が活躍していた頃、壇ノ浦までだ。しかし、それは平氏であるから京都とは関係ない」
「どういうことでしょうか?」
「義経が追いつめた平氏は一の谷、屋島、壇ノ浦。都ではすでに義経より先に平氏を追
い出して治めていた同じ源氏の木曾義仲がいた。その木曾を討伐したのが義経で、舞台はここ京都に始まり、最終的に義仲は大津で討死にしている。そして、木曾義仲と共に戦った妾でもあり、義仲軍の女大将として活躍したのが巴御前だ」
「えっ!同じ名前じゃないですか?」
「そうだな。朋絵は自ら新たに盛衰記をつけ加えようとしているのかもしれん」
「そんなことできるのですか?」
「源平盛衰記は七百年以上前に書かれたものだから、それ自体には無理だ」
「また源氏の話ですか?」
「いいや!紫式部の書いたものは貴族を描いた小説だ。しかし今回は武士が主役の史実」
「朋絵はまさか、長良さんたちのように巴御前に成りきっているのでしょうかね?」
「さぁな!同じ名前というだけでそこまでとは思えんが、実際朋絵は刀を持って京都に来たという事は強ち違うとも言い切れん」
「今までの話は今回の兼男殺害に関係しているのでしょうか?ひょっとして朋絵が兄を殺害したってことですかね?」
「今の段階では何とも言えない。いずれにしても、朋絵と紗佳に会ってみないことには」
「ふたりを探すのですか?」
「いいや!」
小林にはそう言った明智の辞書に「諦める」という文字がないのを感じた。
年の瀬ともなると街中は忙しく、往き交う人も慌ただしい。そんな暮れに発生した「八坂の塔殺人事件本部」には京都府警捜査一課木下警部以下、年内解決に向けフル活動していた。
「警部。中原が立ち寄った骨董屋の店主によると、仏さんは刀を一本購入したと証言しています」
刑事のひとり青木が報告した。
「ご苦労さん。その前に中原はなんで、その店を訪れたんや?」
「はい。以前、仏さんが刀を店主に鑑定依頼していて、それがどうもご破算になった経緯があったようですわ。来京時のこの日挨拶に来たということです」
「刀…これもか?ほんで、その依頼していた刀というのは?」
「はい。何でも、豪農であった中原家の所蔵する刀で、結構な価値があるものらしく、その鑑定を店主がするために長野へ向かう前日急遽、仏さんからキャンセルしてほしいと連絡があったということです」
白板を見つめるふたり。そこに福島刑事が加わった。
「それが、中原の母親が証言した妹、朋絵が持ち出した刀のことですね」
「そうやな。そやけど、けったいやな?野々村、ガイシャの所持品に刀はあったんか?」
「いいえ、ありませんでした」
木下警部は顎の不精髭を何度も擦って考えている。
「警部。物取りにしては刀だけとは、どうも納得がいきません」
「他に取られたような物はなかったんか?」
「警部。例の携帯電話の件はどうですか?」
「そうやな。やっぱり、刀と一緒に何者かが持ち去ったと、いうことやろな?」
「なんで、でしょう?」
野々村刑事の問いに胸を張って福島刑事が答えた。
「そんなんも分からんのか!犯人が足付くのを恐れたからに決まってるやろ!」
若い野々村に偉ぶる福島。
「福島。明智は何か言うとったか?」
「聞く前に帰しましたがな!アイツがそんなペチャクチャ喋るタマにみえまっか?」
「そうやな。一柳さん、アンタは野々村と明智を尾行してくれ!ヤツは何か隠しとる」
「警部。それはワシに頼んます」
「アホか!お前はヤツと仲がええやろ?」
「仲なんてようないですわ!むしろ逆でっさかい、任してください」
「アカン!お前はすぐカッとなる上に、ヤツに変な対抗心があって面が割れとる。なにより、あの喫茶店の娘に入れ上げてるやろ!」
「・・・」
固まった福島を置いて、木下警部は先に進んだ。
「福島は青木と長野に飛んでくれ。じきに中原朋絵が帰るはずや!」
午後三時、静かなベイルート店内の扉を鐘が連打するほどの勢いで小林が入ってきた。
「桃香さん。出る用意してください」
最近桃香は暇な時間を利用して、歴史本を読むことが多い。自ら淹れたハーブティを飲みながらそうするのが好きであった。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「これから先生が例のアリバイ証言してもらった人と会うみたいです」
「誰なの?」
「わかりません。いま電話でその人と話していて、これから八坂神社で会うと言っていました。まだ先生は出ていないから、先回りしましょう」
小林は扉を開けて外を見ながらそう言った。
「わかった。じゃあ、自転車にしよう」
「そうですね」
桃香は店の奥に行って用意をしてきた。
「桃香さん。なんですか?その格好は」
「えっ?おかしい?」
桃香は真っ黒な革のロングコートにサングラスという出で立ちで小林の前に現われた。
「如何にも怪しいじゃないですか?人の後をつける格好ではないですよ」
「そうかなぁ?いいでしょ?これ!便利なのよ。全裸でも足首まであるから見えないし」
「そうですけど…全裸って、変質者みたいじゃないですか!それをいうなら映画のマトリックスで女性が着ていた服でしょう?」
「そうともいうね。ほら、わたしメイド服だから、こんな時にパっと羽織れる、このコートは便利なのよ」
「わかりました。とにかく急ぎましょう」
小林と桃香は自転車に跨り八坂神社へと向かった。自転車にコート姿の桃香は思うように進めず、小林が先に行って、明智が駅で降りるのを確認するためそちらに回った。八坂神社の正門で待っていた桃香のもとに小林がやってきた。
「いま先生は祇園四条駅から出てきました。もうしばらくここで待ちましょう」
「うん…」
明らかに元気のない桃香はこれから明智が会う者を気にしている。小林は何度も桃香に言いかけたその人物の話を言葉にせず飲み込んだ。
「今日、クリスマスイブだもんね…」
そっと呟いた桃香に小林はあえて答えず、話題を変えた。
「先生は何故いつも同じ服なのでしょう?今日みたいな寒い日でも上に何も羽織らず、暑い夏の日もほとんど上着は脱がない。黒のスーツに黒のネクタイ。他の色のスーツ、持ってないのかな?」
「小林くん、知らないの?」
「はい?」
「業平様は同じ色で同じブランドのスーツを何着も持ってるのよ」
「じゃあ、シャツを替えるように毎日、スーツも替えているということですか?」
「そうだね。シャツは一週間分以上じゃないかな?それも全部、アルマージロ」
「それって、イタリアの高級ブランドですよね?」
「そうね。オーダーメイドらしいから、それだけ持ってるとなると、相当な金額だね」
「そうですか。僕はてっきり、一条先輩がつくったものかと思っていました」
そんな中、ふたりの視界に明智が映った。話をやめたふたりは階段を上る明智が近づいてきたので、気づかれないように木の影に隠れた。明智はゆっくり境内を進んだ。本殿を通り過ぎ、境内奥の静かな場所にある末社が並ぶところまで進んだ。小林と桃香は明智から少し離れて後についた。小さな社の前にひとりの女性が立っていた。女性は小柄でジーンズ姿。長い黒髪を纏めて背筋をピンと伸ばし、社に手を合わせている。後ろ姿なので顔は確認できない。明智はそちらの方に近づいた。
「やっぱり…」
桃香がポツリとひとこと言った。小林は桃香の手を握り走り出した。境内を大きく周って、明智と女性の顔を確認できる位置まで行くと、ふたりに気づかれないよう大木の影に隠れて様子を伺った。
「あっ!」
桃香は自分の手で口を塞ぎ、それ以上声が出るのを押さえた。
「知っているんですか?桃香さん」
聞いてもすぐに返事がなかったので、小林は桃香の顔を覗き込んだ。桃香は唇を噛みしめ、何か堪えている。そして、呟いた。
「涼音さん…」
「涼音さんって、祇園の人ですよね?あれが涼音さん…キレイな人だなぁ!」
小林は思わずそう呟いたが、桃香には聞こえていない。いつもの桃香なら、すぐに突っ込んでくるところであるが、今はそれどころではない様子。
「世話になった」
「いいえ。なに言いはるんどす。警察にウチのこと言うたら、もっと早く帰れたんどすえ?何でいわはれへんかったんどすか?」
「キミらは信用が第一の商売だ。警察に厄介になるような者とは表だって付き合わないほうがいい」
明智がそう言ってポケットからタバコを取り出すと、すかさずそれを奪った涼音が口調は柔らかいが明らかに怒って言った。
「なに言いますのん!そんな水臭い明智はんなんかウチ、嫌いどす。そんなに言いはるどしたら、ウチの信用がなくなった時、明智はんが責任取ってくれはったらよろしいやおへんか?」
「責任って、おおげさだな」
「そこまで、おなごのウチに言わすんは誰どすか?」
涼音はそう言って、クルっと明智に背を向けた。
「もう!イライラする~!」
小林は思わず声が大きくなった桃香の両肩を掴んで、一旦後ろに下がった。
「桃香さん、落ち着いて!」
「これが落ち着いていられるわけないやん」
「どうします?もう帰りますか?」
「アカン!こんなところで帰ったら、あとどうなるか分からんけん、最後まで見届ける」
桃香は逆に小林の腕を引っ張り、元の位置に戻った。
「すまなかった。だけどこれ以上キミに迷惑をかけるわけにはいかない。だから、もう夜の授業は止めにしよう」
「夜の授業?」
桃香と小林は顔を見合わせて同時に言った。そして、桃香は小林の手首を強く掴んだ。
「痛いですよ。桃香さん」
小林の声は桃香に届かず、彼女は明智と涼音に集中している。明智に背を向けていた涼音は社に体を向けて顔を下げた。
「ほんならウチ、これから誰に教わったらええんどすか?明智はんは迷惑かけると言いはりますけど、そんなの独りよがりどす。迷惑とか苦労をかける人なんかいてしまへん。それは明智はんがそう思い込んでるだけどす。相手がかけられたと思わへんかったら、それは迷惑でも苦労でもあらしまへん。明智はんは言うてくれはりました。ウチを一人前のおなごにしてくれはると」
そう言った涼音は再び明智と向き合った。
「何よ!一人前のおなごって!業平様、そんなこと本当に言ったのかな?どう思う?」
「さぁ」
「もう、真剣に考えてよ!小林くん。それより涼音さん、私たちに気づいてないかな?」
「それはないでしょう。僕たちはちゃんと隠れていますから、あの位置からは見えないですよ」
「でも、目が合っているように感じるし、たまに、こっち見ているもん」
「気のせいですよ」
小林と桃香は念のため角度を変えて、ふたりを見守った。
「気持ちはよくわかった。しかし、百人一首はこの間終わった。ちょうど切りがいい」
「そやけど、まだ和歌はたくさんあるんやおへんか?」
「ああ。まだほんの一部だ」
「ウチ、もっと教えてほしい。アカン?」
「そんなことはない。どうしてそこまで?」
「折角京都に暮らしているさかい、歴史を肌で感じたいんどす。それに仕事にもいかせるんどすえ。唄や舞だけがウチらの商売やおへん。いろんな教養を身につけるのも修行のうちどす。特に和歌は恋の歌が多いから、ウチらには勉強になるんどす」
「気にいった歌があるのか?」
「そうどすなぁ!業平かな?」
そう言ったあと涼音は、小林と桃香の方に顔を向けた。
「業平?なんで、呼び捨て?」
口を押さえた桃香は興奮を抑えて小林の手首をより強く握りしめた。
「うっ!違いますよ、桃香さん。在原業平です。平安の歌人ですけど…」
「けど?」
「在原業平は今で言えばエリートでイケメン。それに平安随一のプレイボーイ」
「へ~。同じ名前だったのか?よかったぁ!てっきり業平様かと思った。でも彼女、絶対こっち見たよ」
「そうですね。僕にもそう見えました。でも、偶然でしょう」
小林の見解に桃香は首を何度も振って否定した。桃香がそう感じたのも無理はない。明らかにそのあと、ふたりの距離が近づき、更に涼音は明智の服の袖を握っていた。
「そうか。『ちはやぶる…』いい歌だ」
「ウチも明智はんにこんな素敵な歌、詠んで欲しいどす。明智はんは名前が同じどすからそのまま在原業平でウチが二条の后どす」
そう言って涼音は明智の腕にしがみついた。それを見て反射的に体が前に出た桃香を、小林は必死に止めた。明智は涼音の両肩を掴んで元の距離に戻し、彼女を見つめて言った。
「キミには借りができたな」
すると、涼音は首を横に振った。
「いいえ。花街に貸し借りはおへん」
明智を見上げる涼音は乙女であった。
「そうだったな」
そう言った明智は涼音の両肩を一度ポンと叩いてその場を去った。小林と桃香に、振り返って明智を見送る涼音の表情は見えない。涼音は角を曲がって見えなくなるまでそこに佇んでいた。そのあと反対を向いて歩いて行った。大木の影から出てきた小林と桃香に言葉はなかった。暫く経って桃香がボソっと言った。
「業平様、どこに行ったのだろう」
「先生はこのあと、平安神宮近くの骨董店に行くとおっしゃってました」
「そう…」
元気のない桃香から少し離れて小林は辺りをキョロキョロしていた。
「どうかしたの?小林くん」
「あ~、いえ、八坂の塔はどこかなって」
「八坂の塔?」
「はい。依頼人が死体で発見されたところです」
「あ~。それだったら、ここじゃないよ」
「そうなんですか?八坂神社の中にあるんじゃないのですか?」
「うん。ここから少し南に下ったところ」
「じゃあ僕、帰りにちょっと寄ってきます」
「私も行っていいかな?」
「あ、はい。案内してくれますか?」
「うん…」
それきり小林と桃香は黙ってしまった。お互い気を遣っているのはわかっていた。ふたりともそこにはあえて触れず、自転車を漕いで八坂の塔に向った。




