上洛③
翌朝、ベイルートの店内ではいつもの常連客、金物屋主人の荒木、コスプレショップ、ハイミーの開店を待つ特異な格好の若い女性。それと朝からマスター特製カレーを食べる明智。昨日徹夜をしてまだ出勤していない桃香の代わりに小林がカウンターに入っていた。
いつもと変わらない静かな休日の朝であったが、店先でけたたましいブレーキ音と共に声が聞こえ、向いのヒメビルの階段をふたりの男が上って行った。
しかし、すぐにその男たちは出てきて何の迷いまもなくベイルートの扉を開けた。男の一人は入ってくるなり、入り口にいる明智に言った。
「とうとうやってくれたな!明智~!お前はいつかヤルと思とった!」
そう言って男は明智の席の前に座り、ふんぞり返った。大きな声の男に店内の皆は驚きよりも男の言葉の意味が理解できなかった。男は柄が悪く口調も荒い。
派手なスーツを着て明智を睨んでいる。
「これは福島さん、朝から元気だね?」
明智は軽くあしらいながら一旦顔を横に向け、吐いた煙を最後は福島の顔へ掛かるようにワザとした。
「貴様~!」
怒った福島は立ち上がり、明智の胸座を掴もうとしたが、軽く交わされバランスをくずして、テーブルに手をついた。福島は気恥ずかしさから、舌打ちをして明智を睨みつけた。
「今朝は何の用で?」
自分のテンションと真逆の質問に調子を崩された福島は早口で答えた。
「お前を逮捕しに来たんじゃあ!」
「え~~~!」
小林以下、店内の皆は驚きの声を上げた。
「へぇ~」
尚も冷静な明智の態度にイライラしながら、福島はポケットから手錠を出して威嚇した。始めて目にする手錠に動転した小林は店内を飛び出した。
しかし明智はビクともせず、福島に言った。
「手錠は警官の命みたいなものだろ?そんなに容易く見せていいのか?」
「何やと!おのれは!誰に向かって言うとんのじゃ!」
そう言って明智の横に詰め寄った福島を後ろに居たもうひとりの男が制止した。
「そこまでや!福島」
そう言って男は福島を後ろに下がらせ、明智の横に座った。
「これはこれは京都府警きっての鬼警部、捜査一課の木下さん。珍しいですね?」
「鬼は余分や!君にそんな紹介をしてもらったら、こそばいわ」
照れる木下。明智を睨む福島。
そこにちょうど戻ってきた小林が呟いた。
「捜査一課って…まさか…」
「小林くん。刑事さんたちにお茶を…」
「は、はい」
「コラ!明智!そんなもんで俺らを買収しよう思ても無駄やぞ!」
明らかに理屈はずれな福島の言葉に店内の皆も気づいていたが、当の本人は全くお構いなしである。
「相変わらず頭が固いね!福島クン」
「なんやと!俺らは公務員や!民間人から接待される謂われはない!…それに、何で俺がお前に『クン』呼ばわれされなアカンのじゃ!俺の方が年上やぞ!」
「まぁ、その辺にしときなさい。福島」
「なんか、警部はいつもコイツに甘いんですね?弱みでも握られてるんちゃいますか?」
そう言う福島に木下警部は明智の横から、今度は福島の横に移動して言った。
「それは君の方じゃないのかね?福島巡査部長」
静かに微笑んだ木下に福島は慌てて返した。
「そうですね。そんな訳ないですよね警部。まぁ、考えてみれば警部ほどの方がこんな叩けば埃の出る男とそんな関係なわけないですね?失礼しました」
そんな二人の会話に全く興味を示さない明智に業を煮やした福島が言い放った。
「もっと付け加えるならば、こんな容疑者と面識あるわけないですよね?」
「なんやて!いま…フクちゃん、何ていうたん?」
その声はたった今入ってきた両刑事の後ろにいる桃香であった。振り返ったふたりはキョトンとしている。
「なぁ、フクちゃん。もう一回言うてみ~」
「あ~、これは石田師範。お見えになったんですか?」
大人しく返す福島。続けて木下が言った。
「確か、お嬢さんはこちらの…」
桃香は軽く頷きながら明智の横に座った。
「刑事さん。業平様が容疑者ってどういうことですか?」
桃香は木下に問うたあと、今度はすかさず福島に言い放った。
「フクちゃん。返答しだいではウチ黙ってへんで!いつもフクちゃんのことイイ人や思て信頼しとったのに、何やの!そんな言い方ないろう?業平様にこれ以上失礼なこと言うんやったらウチ、許さんけんね!」
桃香の剣幕にたじろいで返す言葉がない福島。代わりに木下が答えた。
「お嬢さん。部下の代わりに私が謝ります。許してやって下さい。幸いあなたはこの福島をよくご存じのようなので、悪気がないのも理解してもらえるでしょう」
父親のように語りかける木下に桃香は恐縮して頭を下げて言った。
「ごめんなさい。言い過ぎました」
急にしおらしくなった桃香に福島が言った。
「石田師範は厳しい人やとは思っていましたけど、これほどまでとは…」
頭を書く福島。下を向く桃香。木下の目が鋭くなったのを見て明智はタバコを取り出し、火柱を上げ桃香に言った。
「ミルク!」
その一言で桃香は察知して席を立った。
「明智くんに回りくどい言い方は申し訳ないから率直に聞く。君はゆうべ、八坂の塔で何してたんや?」
木下は畳んだ扇子を自分の手のひらで数回叩き、それを明智に向けた。
「八坂の塔?何でしょうか?」
木下は明智の顔を暫くジッと見て言った。
「その様子やったら、知らんようやな?」
明智はタバコを消して木下を待った。
「昨夜、中原兼男が死体で発見された。ワシらが何でここに来たか分かるな?」
木下の言葉に明智は数秒彼を見つめた。小林は狭い店内を走って明智の横に座り、木下に尋ねた。
「まさか、先生を?…」
「君は?」
「挨拶が遅れました。先生の助手をしている小林です」
「ほう!ここの店員さんちゃうんか?」
「そうですけど、それは助手の仕事がないときです」
続けて木下に尋ねようとする小林と、福島に物凄い形相で睨み詰め寄る桃香を制止して明智がふたりに言った。
「キミたちは下がっていなさい」
渋々カウンターに入る桃香と小林。
「明智。貴様、昨夜十二時頃どこにいた?」
福島は相変わらず横柄な態度で明智に接した。しかし、後ろから桃香の咳払いがしたので大人しくなった。
「その時間はそこで寝ていた」
明智はヒメビルの二階、六歴探を指さした。
「ほんなら、君は八坂の塔には行ってないと言うんやな?」
「そうです」
「コイツの言う事信じるんですか?警部」
「まぁまぁ、福島。目撃者が見間違えたんやろ?」
「それにしても貴様。エライ冷静やな?殺されたのを聞いても…。始めから知っとったんやろ?いや!はんに…」
「いい加減にしてください」
小林はテーブルの前にきて福島を遮った。
「最初から先生を犯人扱いして…。昨日、事務所に中原さんから留守番電話に午後九時に八坂神社へ行くと連絡があったのです。どうして先生が依頼人を殺さなければならないのですか?」
小林の熱意で店内は一気に温度が上がった。しかし、ひとり常温の明智は小林の方を見て、彼に下がるよう顎で命じた。小林はカウンターに入りため息をついた。
横を見ると桃香が俯いたまま動かない。
「どうかしましたか?桃香さん」
小林が聞いても桃香は返事をしない。何度か呼びかけても一向に答えが返ってこない。
「そうですよね。先生がそんな事をする人じゃないと分かっていても、ああやって刑事が来ると何かイヤですよね?」
小林は皿を拭きながら返事のない相手に独り事のように語った。
「小林くん。わたし…イヤだ!」
「えっ?何ですか?桃香さん。いま、何ていいました?」
呟くように話す桃香の声は聞き取れない。
すると、桃香がしゃがんだので小林も同じようにした。
「イヤなの。わたし…」
「何が、ですか?」
桃香が何か言おうとしたその時、明智たちが立ち上がって外に出ようとした。
そして明智が小林と桃香に笑顔で言った。
「ちょっと行ってくる」
「業平様…。フクちゃん。なんで?」
先に出た福島の後を追う桃香。
「どうして先生が?」
明智の側につく小林。
「小林くん。中原の調査書だけを福島に見せてやってくれ。預かったノートや写真は見せなくていい!キミは何も言わなくていい」
「わかりました。僕に何か出来る事はないですか?」
「城田紗佳の事を調べてくれ」
「はい。あのぉ、先生すぐ戻れますよね?」
「ああ。あと、京子のことを頼む。アイツは心配症だから」
明智は木下警部に伴われ車に乗った。そのあと、残った福島が六歴探に来たので、小林は明智に言われた通りにした。六歴探から戻った小林は静かになった店内の隅にいる桃香に近づいた。
「大丈夫ですよ!桃香さん。先生はすぐ戻ってきます。福島刑事は先生をまだ容疑者だと思っているようですが、木下警部はそうじゃないと解っているはずです」
壁にもたれていた桃香が不安そうに尋ねた。
「ねぇ、小林くん。昨日の夜、業平様と一緒に八坂神社に行ったの?」
「いいえ。僕は先生に留守番電話の事を伝えて九時頃から部屋で勉強していましたから」
「じゃあ…どうして、業平様は…」
煮え切らない桃香に小林は強い口調で言った。
「さっきからどうしたのですか?しっかりしてくださいよ!桃香さん」
普段の小林とは違う表情を見て、桃香は躊躇いながら答えた。
「あのね。さっき業平様がアリバイを聞かれた時、刑事さんに事務所で寝ていたって答えていたでしょ?…それは嘘なの」
「えっ?どういうことですか?」
「私とミヤちゃんが昨日徹夜していたの、小林くんも知っているでしょ?」
「はい。衣裳を製作していたのですよね?」
「そう。二階でね…」
「あっ!何時から何時まで?」
「夜十時から朝の四時頃まで…」
「まさかその間、先生は…」
「いなかった」
壁掛け時計の針の音が聞こえるほど静寂に包まれた店内は、ふたりの他にうたた寝をするマスターだけである。
「桃香さん。それで先生を疑っているわけではないです…よね?」
「ええ!もちろん。業平様が犯人だなんてあるわけないし、思ってもいない。ただ、刑事さんに嘘を言うぐらいだから、余程特別な事情があるのだと思う。私、その理由を考えたとき物凄く怖くなって、一瞬でも業平様をそういう目で見た自分が許せなくて…それが、イヤなの」
桃香は薄っすら涙を浮かべている。小林は桃香の明智に対する信頼と情をまざまざと見せつけられた。果たして自分にそれほど人を想う事ができるだろうかと、己に問うた。
「そうですか。だから、さっきからイヤだと言っていたのですね。でも大丈夫ですよ。僕よりも桃香さんの方が先生をよく知っているから、偉そうな事はいえませんが…この件は僕に任せてくれませんか?」
「えっ?」
「先生が疑われても嘘をつかないといけなかった理由を僕なりに調べてみます。桃香さんはそれが知りたいのでしょう?」
「そうだけど、少し怖いな…それよりも、そんなことできるの?」
「これでも僕は明智業平の助手ですから」
「そうだね。ありがとう。小林くん」
「いいえ。礼には及びません。僕も知りたいですから。でも、それより先にしなければならない事があります」
「事件のことだね?」
「はい。これから僕は長野に向かいます。あとを頼んでもいいですか?」
「もちろん。気を付けてね」
「はい。ところで、福島刑事と桃香さんはどういった知り合いなのですか?確か、桃香さんを師範って呼んでいましたよね?」
「うん。彼は私が教えている空手道場のお弟子さんなの。私が京都に住む条件を父に承諾してもらった理由、前に話したでしょう?」
「先生の側にいるという条件でしたね」
「そう。でも、それだけじゃなくて、父の愛弟子が五条で道場を開いているから、そこで空手を教えることも条件に入っていたの」
「それで週に何度か、道場に行っていたのですね?」
「ええ。私は子供たちを指導しているのだけど、大人は道場主である澤村さんが教えていて、福島さんは澤村さんのお弟子さん。ああ見えてもあの人は凄いのよ。警官だから、柔道、剣道はもちろん、合気道に空手。皆からは武道オタクって呼ばれている。でも、業平様の方が福島さんより達者って聞いた」
「へぇ、そうだったのですか。それにしても、どうしてあの人は先生にあんな態度を取るのでしょうか?」
「聞いた話だと、業平様を相当ライバル視しているみたいよ。昔に何かあったみたい。でも、業平様は全然相手にしていないみたいだけどね」
「そうでしたね」
すっかり元気になった桃香の表情に小林もつられて笑った。程なくして小林は用意を済ませ、長野に向けて旅立った。




