第四話
時計街、リヒタルゼンの朝は早い。そしてオグリューの朝はもっと早い。
誰よりも早く起床し、大時計台の点検と整備を領主自らが行っている。世界の始まりを奏でる朝の鐘が、万が一にも鳴らない事態は避けたい。朝が当たり前に来る今が、ずっと続いて欲しいというオグリューの願いである。
「じいちゃん!」
整備を終えた作業服姿のオグリューの元へ、白髪ローブ姿の孫が。ローブはダボダボで、特徴的な白髪は腰まで伸びている。オグリューの自慢の孫にして、この街唯一の魔法使い、モニカである。
「モニカ、昨夜は劇団でお世話になったのか?」
整備油と工具を両手に持ち、大時計台の裏口から出るオグリュー。モニカはフルフルと首を振りつつ、大変だったと零した。
「あの劇団、大半が子供みたいで……もうモミクチャにされて……。私の方がお姉さんだと分からせるために人間の姿に戻ったら、今度は沢山お菓子を持ってきて……! あむっ……」
ダボダボローブからクッキーを取り出して食べ始めるモニカ。どうやらローブの中に沢山お菓子が詰め込まれているらしい。
「大半が子供……そういえば、昨日の舞台の主演も、モニカと同い年くらいの子だったな」
「うむぅ、エレナちゃんな! あの子はいい子だ! あむっ……私を膝の上に避難させてくれて、優しく撫でてくれたんだ! ちなみに歳は私より三つ下だった!」
「そ、そうか……」
ちなみにモニカは十七歳。三つ年下の膝の上でご満悦の表情を浮かべるモニカ。オグリューには簡単に想像する事が出来た。
モニカはオグリューの娘、二女セシリーの子供である。そもそもオグリューの妻が魔法使いだったため、娘達も当たり前のように才能を持っていた。それゆえ、今はアーギス連邦の学院で教師をしている。モニカは既に飛び級で卒業している。半分追い出されたような物らしいが。
二人は自宅へと帰る道のりを、一緒に歩き始める。爽やかな朝の空気を感じながら。
「ところで、じいちゃん……あむ……」
「どうした? そして歩きながら物を食べるのは感心せんな、モニカ」
「うっ……」
素直にクッキーをローブの中へと仕舞うモニカ。代わりにと、一枚のチケットを取り出した。
「じいちゃん、アーギス連邦に行くのか? 座長さんがこれ渡してくれって」
「すまないが両手が塞がっているんだ。何のチケットだ?」
オグリューは工具と整備油の入った容器を掲げつつ、モニカにチケットの詳細を求めた。
モニカはチケットの表をオグリューに見せつつ
「劇のチケットだ。でもアーギス連邦のステラーゼって街の劇場みたい」
見たければ来い、そういう事だろうとオグリューは察した。あの劇は三部作の構成だったのだ。何故奴隷騎士達が世界を救った英雄となったのか。そして何より
『全てお話します、私が何者であるのかも』
奴隷騎士時代から、常々オグリューは疑問に思っていた事があった。何故彼女が奴隷騎士として使役される事になったのか。それは軍の上層部の決定だろう。しかし盗賊が差し出したただの娘を、何故兵士として扱う事にしたのか。
当時のオグリューは上の決定に従うしかなかった。しかしアンジェリカは成長するにつれ、才能を開花させていく。その様を目の当たりにし、とんでもない事をしてしまったと後悔したこともある。
アンジェリカは武の才能が秀でていた。帝国の軍団長ヴェルガルドが認める程に。そして何より、彼女にはもう一つ特異な体質が……。
「じいちゃん、アーギスに行くなら私も行きたい! こっちでやる事もないしな!」
「まあ、そうだな。行くしかないか。しかし留守の間、時計台の整備を誰に任せるか……」
「アンドレイのオッサンがいるじゃないか、じいちゃん。あの人は私のファンだからな、私からお願いしておいてやろう」
ファンというか、孫のように可愛がられているというか。アンドレイはオグリューの噂を聞きつけてやってきた堅物でプライドの高い時計職人。出会った当時は一方的にライバル宣言をされたが、オグリューの妻が旅立った時、慰めてくれた優しい一面もある。アンドレイは先の大戦で、家族を失った経緯もあるため、オグリューは彼に対して極力苦労をかけまいとしていた。
モニカにデレデレなのを大目に見ているのもそのためだ。
「まあ、奴なら問題ないか。ちゃんと私からアンドレイに頼むよ。ありがとうな、モニカ」
「じいちゃんがそう言うなら……じゃあ私は援護射撃しよう」
モニカは、クルンとバク転したかと思えば、一瞬でマルチーズの姿に!
かなり高度な変身魔法の一種……らしい。オグリューにはそのあたり良く分からないが。
犬になったモニカは、オグリューの隣をテテテテ、と歩く。そんなモニカに、オグリューは膝を降り肩を差し出すように。モニカは満面の笑みで、オグリューの肩へと飛び乗りご満悦の表情を浮かべた。
そういえば、とオグリューは思う。
昨日の劇の続き、あの森の中で、一体彼女は何を知ったのか。
オグリューは彼女を巻き込んだ側の人間として、それは見届けなければなるまい。
※
初めて人を殺したのは、奴隷騎士になって五年の月日が経った、あの日。相手は私より少し年上くらいの男の子だった。既に被弾し、致命傷を受けていた彼は一人でも道連れにしようとライフルを連射した。
その一発が、私の頬をかすめた。
そこから先はよく覚えていない。気が付けば私は男の子の胸に剣を突き立てていた。
それから眠れない夜が続く。オグリューさんに、時計屋に、武器屋。皆に懺悔して回った。何をしても何を吐き出しても、私の中でグルグルと得体の知れない怪物が暴れている。
その怪物を抑えてくれたというか、良くも悪くも感情の抑え方を教えてくれたのがヴェルガルドという、帝国の軍団長。
『戦士が戦士を殺して後悔するな。それは相手を侮辱する行為だ。お前は無駄死にだったと宣言するようなものだ』
無茶苦茶だとは思った。あの子だって無理やり戦場に立たされたに違いない。戦士なんて自覚も無ければ、きっと生きて家族の元に帰りたいと願っていたに違いない。
彼の死に際の顔は、今でも鮮明に残っている。彼だけじゃない、私が殺した人は皆、悲しそうな目で私を見つめてくる。
ごめんなさい、こんな所で死んでごめんなさい。そんな風に、誰かに謝っているような……気がした。
しかしそれでも、軍団長の言葉がだんだんと私の中に浸透していく。私が殺した人も、戦争で犠牲になった全ての人間は絶対、無駄死になんかじゃない。私にはそれを示す責任がある。このまま一人で逃げるなんて……出来ない。
だからどうすればいいのかなんて、まだ何も分からないけど。
「ふう、スッキリの佇まい」
ヌチョヌチョさんが水浴びを終えたようだ。私が隠れている小屋の中に入ってきた。
「ヌチョさん、ちゃんと着替えも貰えたんですね」
「村の人にね。それより、なんでこんなところに隠れてるのさ。外の軍人にはバレバレだったみたいだけど」
バレバレだったか。まあ、それはそうだ。私はつい先日まで帝国軍と殺し合いをしてきた奴隷騎士なんだ。警戒して監視するのは当然だろう。
「彼らと何かあったのかい?」
「…………」
「まあ、話したくないならいいさ。長い旅路になるだろうし、いつか話してくれれば」
「……は?」
何、長い旅路って。なんで私とヌチョさんが一緒に旅する事になってるの?
「ヌチョさん、私、別に貴方と一緒に旅する気は無いです」
「寂しい……。そんな事言わずに」
「なんなんですか、一体。それ、ヌチョさんが私について隠してる事と関係あります?」
「……まあ、気付くよね。隠しててもしょうがない、正直に言うよ」
ヌチョさんは椅子を二つ出し、向い合せるように置く。
「こっちに来て」
「嫌です」
私は拒否し、床に座り込んだまま動かなかった。ヌチョさんは小さな溜息を一つ。そのまま自分だけ椅子に座る。
「僕には初恋の人が居てね。その子はアーギス連邦の姫君なんだ」
「……姫君。ヌチョさん、身の程をわきまえた方が……」
「耳が痛いよ。アーギス連邦と戦争になってしまって、会う事すらままならないけどね。手紙のやりとりすら許されない。果たして彼女は無事なのかどうかすら分からない。だから僕は一人家を飛び出してきたんだ」
……幸せな人だ。好きな女の子に会いたいために家を出た。
私が殺したあの子は、そんな事すら許されなかっただろうに。
「アンジェリカ、君はこの戦争、どう思う?」
「……どう、とは?」
「何度も停戦する機会はあった。しかし五年前に勃発してから、未だに争いは続いてる。アーギス連邦の国王が病死し、シスタリアの帝も入れ替わった。兵士は疲弊し、ヴェルガルドのような好戦的な傭兵を正規軍に迎えるまでになった。そこまでして、何故こうも未だに各地で戦闘が続いているのか」
そんな事、私が分かるわけないだろうに。
ただ私は目の前の敵……帝国兵を相手にしていただけだし。
「しかし勃発時から、唯一変わらずこの戦争に関わっている主要な人物がいる。彼女はアーギス連邦の女神崇拝の教皇だ。シスタリアの諜報員によると、軍部を掌握しているのは実質彼女だと分かっている」
「……で?」
「彼女は、僕の初恋の人の母親でもあるんだ。ここからは込み入った話になるから、またの機会にしよう。要点だけ言う。アンジェリカ、君は自分の出生を知っているか?」
黙ってしまった。私の出生? そんなのわかるわけない。私は盗賊に拾われて数年育てられた後、すぐに奴隷騎士になったんだから。
「どうやら、知らないようだな」
「なんなんですか。それが今の話にどう関わってくるんですか」
「……これを見てくれ」
ヌチョさんは椅子から立ち上がり、懐から一枚の写真を出してくる。私はそれを受け取り見た瞬間、固まってしまった。
「どうだ?」
「……これは……この子、誰ですか?」
「その子が例の姫君だ。諜報員が彼女の無事を最後に確認した、その時の写真だ。それから何の報告もされていない」
その写真に写っているのは、白いドレスに身を包む女の子。見るからにお姫様という感じ。
私が驚いたのは、その顔。
写真に写るその子と、私は全く同じ顔をしていた。
「その子の名が……アンジェリカと言うんだ」
「な、なんで名前まで……」
「アーギス連邦の辺りでは、子供が生まれると仮の名前を付ける。その子が成長すると、性格などで新たに名前を付け直すんだそうだ。ちなみに……双子が生まれた場合、一旦、二人ともに同じ名前を付けるそうだ」
双子……? アーギスのお姫様と私が、双子の姉妹?
「君が何故ここに居るのかも大方の予想は付く。アーギス連邦は三つの王家が存在し、国王を選出する時、教皇の娘を娶った者がなるという物らしい。もし教皇の娘が二人居たら……」
国王は一人でいい。つまり教皇の娘も一人で十分。
だから……
「いや、いやいやいや、ヌチョさん、流石に……ただの偶然です、こんなの」
「そうだな。偶然かもしれない。でも、君と僕が出会ったのは偶然ではないと思っている」
いや、それこそ偶然だろ。
「僕はこの戦争を止める為に家を出た。君にも協力してほしい。今、アーギス連邦の王の玉座は空席だ。かの国から、王位を簒奪する。君が教皇の血を引いていようがいまいが、姫君と同じ顔をしている」
「だから、私と結婚して貴方が王になろうと? 分かりました。よろしくお願いします、旦那様」
「無論、納得はできないだろう、だからこれからもっと話あって……え? 今、なんと?」
私は立ち上がり、ヌチョさんの正面に置かれた椅子へと座る。
そして確かな意思を持って宣言する。
「私に出来る事があるなら何でもします。この戦争を止めれる可能性があるのなら。その為に私の顔が使えるというのなら、是非使ってください」
絶対、彼らは無駄死になんかじゃない。
それは絶対に、私が認めない。




