第十四話
ついに潜水艦浮上の時がやってきた……わけだが、なんだろう、この緊張感の無さ。
「また、きっと来るむ! 今度はもっと大きな遺跡見せてあげるむ!」
リッスさんが涙ながらに、ハンカチを振っている。恐らくもう来ることは無いだろうなぁ……。ヌチョさん小さく手振らないで! 期待させちゃ駄目!
大きく揺れる潜水艦。これは……浮上しているのだろうか。なんか少し動いている程度にしか感じられない。というか最後まで良く分からない所だったな。
「さて……果たして迎えの船は来ているか……」
ヴェルガルドは心配そうに潜水艦の空を見上げる。しかし来ていなかったとしても大丈夫だ、こちらにはラスティナが居る。船が無かった時の為に、魔法で私達を運んでくれる手筈になっている。
「ラスティナ、私泳げないから……本当によろしくね?」
「分かりましたから……抱き着かないでください」
やだ! もう陸につくまでラスティナから離れないから!
「君達、いつのまにそんな仲良くなったんだい? 羨ましい限りだ」
「うるさい、お前は私に近づくな、顔のいい男!」
ラスティナは相変わらずヌチョさんに手厳しい。そろそろ名前で呼んであげてもいいと思う……と思ったが、まず私からして名前で呼んでいない事に気が付いた。ヌチョさんって本名じゃないしな。
「もうすぐ開くむ! ラスティナ! 魔法展開するなら早くしないと海に飲み込まれるむよ!」
わー、とリス達は高台へと避難していく。逃げる時の後ろ姿がまた可愛い。大きな尻尾を振りながら……おっと、いかんいかん、気を引き締めねば。外では戦争をしているのだ。ここでの生活で和んでしまったが、本来私達は戦争を止める為にアーギス連邦へと赴くのだから。
空が割れる。そこから本物の空が見えたと思えば、どんどこ水が流れ込んできた。このままでは溺れてしまう!
「ひぃ! ラスティナ!」
『我が神へ、我が主へ、我が母へ、世界の理を司る女神、シェルスよ、どうかご照覧あれ』
魔法の詠唱か? でもなんか……歌っているような……。
いや、これは歌ってる。ラスティナの静かな声は、まるで私達の耳をくすぐるように届いてくる。波の音でかき消されそうなくらい小さな声の筈なのに、私の耳にははっきりと聞こえた。
その声は空気に溶け込むように。まるで目に見えるように、世界に色がついていくように。
これまで魔法は何度か受けてきたが、そのどれもが対人に特化した……要は人間を殺傷するための武器としての魔法。でもラスティナのそれは……まるで綺麗な風景を目にした時のような感触を覚えた。恐怖とは別の意味で背筋が震える。
『天上の風よ、海の支配者の声を聞け、天上の火よ、生命の息吹を感じよ』
歌詞の意味はよく分からん……でもいつまでも聞いていられるような……静かで響き渡る声。
波が私達に襲い掛かってくる。でもまるで私達を避けるように……いや、私達が宙に浮いたんだ。突然空に投げ出されたように。
「ひ、ひぃぃいっぃぃ!」
『この時より我はお前に名を授け……ぐええええええ! 首! しめないで!』
ぁ、やば……っ
▽
一体何がどうなったのか、あんまり覚えてないが、これは私のせいだろう。素直にあとで謝ろう……。
気が付けば私は森の中で泥まみれになっていた。リッスさんに貰った服が一気に泥まみれに。
「いたたたた……」
どうやら陸に着いたらしい。しかし場所が悪い、沼地? いや、むしろ沼地だから助かったのかもしれない。私達は空に一度あがって、そこから落ちてしまったのだ。私がラスティナの首を絞めたせいで。
「……ラスティナ?」
周りには誰もいない。まずい、はぐれてしまった? これはまずい、非常にまずい。森の中で一人なんて、どう進めばいいかなんて私に分かる筈もない。下手に動かない方がいいのだろうか。
しかし体中がドロドロの泥団子状態。とりあえず泥を落とそう。一昔前なら、こんな体が汚れていても何とも思わなかった。でも最近、私は体を洗うと言う事を覚えてしまった。
「良いのか悪いのか……なんだか体を洗うと負けた気分になるんだよな……」
汚いままでも平気な方が、なんか強そうな気がする。しかしいかんせん、気持ち悪い。
ちょうど川のせせらぎのような音が聞こえて来た。川沿いに進めば人に出会えるかもしれない。そうだ、そうしよう、私頭いい。
森の中を用心深く進む。生き物の気配はあまり……というか、全くしない。猛獣がいつ出てきてもいいように腰を低くするも、拍子抜けするほど……いやいや、油断するな、もしかしたら気配を殺して私を狙っているかもしれない。殺気には敏感だと自分で思っていたが、森の中だとなんだか気配が探れないというか……木々が邪魔をしているようだ。神経を尖らせてみても、数メートル先は暗闇のよう。実際はそうでもないが、私がこれまで鍛えて来たカンは使えない。この森は私が知ってる森とは何かが違う。
警戒しつつ川を視認すると、小走りで近づいた。川の水を手ですくい、喉を潤しながら顔の泥を拭う。
「はー……生き返る。服も洗うか……」
その場で服を脱いで、川の水で泥を落としていく。今誰かが来たら気まずいな……赤の他人に裸を見られても別に平気だけど……ヌチョさんとかが来たら……。
「いや、別に……平気だし……ヌチョさんが来ても……」
バシャバシャとリッスさんから貰ったワンピースを洗う。うーむ、泥ってなかなか落ちんな。もっとこう、ゴシゴシと……。
「……ひ、姫様?」
「……っ!」
背後に誰かが居る……! 全く気が付かなかった、あれだけ警戒していたのに。
「……誰?」
「あぁ、姫様……やはり生きておられた! 僕です! 貴方の愚痴のゴミ箱こと、ルーデムです! ルーデム・カリンシア! ってー! 姫様! 前! せめて前を隠してください! 僕には刺激が強すぎます!」
なんだコイツ……軍服を着ている……軍人?
肩にはエンブレム。三頭の竜……アーギス連邦?
「あの、私は……」
いや、待て……コイツ今、私の事姫様って。
アーギス連邦の姫君と私は同じ顔をしている。私と姫を間違えているのか。またこのパターンか、ラスティナでもうやったのに……。
「姫様……! 服を……これ、これを!」
コートを脱いで背中を見せながら手渡してくる男。黒髪短髪、身長はヌチョさんくらいか。でもヌチョさんより線は細いな。本当に軍人か? なんかその辺にいる男の子って感じだ。確実に私よりは年上だろうけども。
「ありがと……ねえ、私は姫じゃないよ」
「……! 何をおっしゃいますやら!」
私がコートを羽織った瞬間、振り向いてくる男。そのままマジマジと私の顔を見つめてくる。
「そんな……そんな華凛な顔をした美少女は、姫様しか居ません! いい加減にしてください!」
なんか意味分からん怒られ方した……。
「いや、だから私は……」
「まさか! 奴らに攫われて……何かされて、記憶が無くなってしまったのですか!? そうだ、そうに違いない! あぁ、チャンス到来……! いや、なんて悲しい事件!」
奴ら……?
「とにかく姫様! 僕と一緒に帰還しますよ! 皆心配してるんですから!」
「ちょ、気安く……触らないで!」
いきなり手を掴まれたので、勢いで投げ飛ばしてしまった。
って、軽っ! いや、違う……コイツ今、わざと飛んだ?
「いたたたた……まったくもう、お転婆なんですから……」
今のは私が投げたんじゃない、投げさせられたんだ。間違いない、コイツ……いじめられっ子!
「貴方……えっと、ルーデム?」
「はい、いつも貴方の愚痴を聞かされながら、サンドバッグにされていたルーデムです」
姫様、何してんの?
「そして貴方の……婚約者の一人でもありますっ……! これでも、一応!」
「……は?」
婚約者……?
ちょっと待て、話が見えん。今は戦争中の筈だ。そんな時に婚約者? アーギス連邦は平和ボケしてるのか?
「婚約者って……今は戦争中でしょ? いくらなんでも……」
「……? 戦争は終わりましたよ。正確には停戦中ですが……もう、終わったも同然です」
……え? 戦争が……終わった?
私達が潜水艦に籠ってる間に……? そんな急に? あれだけ続いてた戦争が……終わった?
「本当に……?」
「あぁ、姫様……まさかそんな……攫われた当初から記憶が? もう、あの凄惨な戦争は五年前に停戦協定がなされました。もう、終わったんです」
五年? 五年前?
いや、そんな馬鹿な。五年前って……私はまだ奴隷騎士で……。
「姫様……もう良いのです。もう、貴方は背負わなくても良いのです。ご自身の幸せだけを願っていい時代がやってきたのです。皆もそれを望んでおります。僕も、姫様に選んで頂けるように……姫様を幸せに出来るように……努めますので」
「選ぶ……?」
「はい。姫様には三名の婚約者が居ますので……その中から、姫様が選ぶのです。未来の……この国の王を」




