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第一話 8

  8


「へい彼女、お茶しない?」


 昼休みだった。

 購買で買ったサンドイッチを片手に、教室から雨が降りしきる窓の外を眺めていた。

 昨日の夜あたりから降りはじめた強い雨のせいもあって、ヴァイオリン科で使っている教室には多くの生徒が残っている。

 もちろん全員がヴァイオリン科で、何人か――ひとと馴れ合いたくないらしいユリアを筆頭にした変わり者の何人かは教室を出ていっていたが、それ以外の生徒はみんな残っていて、その場所での、さっきの台詞だった。

 わたしが白い目を向けると、初対面の男子生徒はうっとうめき、静かに空いている席に――それはユリアの席だったけれど――座った。


「はじめまして、赤城さん。おれ、声楽科の箕形っていいます。以後よろしく」

「お茶はしないの?」

「うっ、すべったネタはさっさと忘れてほしいんだけど」


 やっぱりやるべきじゃなかったなあ、過去に戻ってやり直したい、とぶつぶつ呟いている男子生徒、箕形くんは、露骨に奇妙だった。

 そもそもからして。

 声楽科の生徒がヴァイオリン科の教室にいることが奇妙だ。

 おまけに初対面のわたしに話しかけてくるのも。

 これがユリアなら、まだわかる。

 ユリアは見た目自体、とてつもない美人だから。

 言い寄ってくる男は昔からいたし、最近では直接見ることはなくなったが、潜在的なユリアのファンは多い。

 ――ははあ、そうか。

 箕形くんもやっぱりユリアのファンで、ただ本人に話しかける勇気はないから、席が近いわたしに話しかけてきたにちがいない。

 なんとかして仲を取り持ってほしいんだけど、とでも言いたいのだ。

 もちろん答えははじめから決まっている。


「悪いけど」


 わたしはサンドイッチをもさもさやりながら言った。


「ユリアのことなら、お断りよ」

「えっ、な、なんでわかったの?」


 箕形くんはどきりとした顔で言う。

 そのびっくりした顔自体、わかりやすすぎる。

 隠し通せると思っていたというほうが、むしろびっくりだ。


「よその科の男子がわざわざ教室までやってくるなんて、それしか考えられないでしょ。誘うなら自分で誘いなさいよ。ひとに頼まないで」

「うう、おっしゃるとおりで――そっか、やっぱりそんなに誘いは多いんだな」


 美少女だもんなーと箕形くんは呟く。

 あけすけというか、なんというか。

 単に考えなしというか、ばかなのかもしれないけれど。

 こそこそと陰湿に言われるよりは、まだ好感が持てる。


「でもさ、おれ、まだあの子のこと、よく知らないんだ。このあいだ赤城さんが彼女といっしょにいるのを見かけたから、どんな子なのか聞けたらと思ったんだけど。あ、ちなみに赤城さんのことは別のヴァイオリン科のやつから聞いたんだけど、小笠原っていう男子で、あいつ、いいやつだよなあ」

「小笠原くんについて話してほしいの?」

「いや、ちがうちがう。ユリアについて――なんで彼女は、カルテットがいやなんだろう?」


 カルテット、と思わぬ単語が出てきて、今度はわたしがどきりとする。

 ――そのことでユリアと仲たがいしたのが、もう三日か四日も前のこと。

 ほとぼりが冷めたというにはすこし短すぎる期間だった。


「彼女は、下手な人間がきらいなのよ」


 つい、吐き捨てるような言い方になってしまう。


「自分がいちばんよくできると思っていて――自分よりできない人間がきらいでしょうがないのよ」

「……だから、カルテットがいやなの?」

「カルテットにかぎらず、だれかと演奏するっていうのは、だれかと呼吸を合わせるということでしょう。プロの音楽家とリコーダーを習いはじめたばかりの小学生がどちらに合わせるでもなく音を奏でても、まともな音楽にはならない。これをまともな音楽にしようとするには、技術のレベルを合わせる必要がある。もちろん、小学生にプロ並みの技術をすぐに身につけさせるのは無理でしょ? だから自然と、プロが小学生のレベルまで落とすことになる――彼女はそれが苦痛で仕方ないのよ。まあ、わからなくはないけど」


 ユリア・ベルドフというひとは、とても孤独で、だからとても強く存在する必要があった。

 だれにも弱みは見せない。

 だって、弱点を庇ってくれる仲間がいないから。

 たったひとりで生きていくために、だれも入り込めないくらい強固な城壁を自分で築き上げるしかなかったひとだ。

 わたしは――。

 彼女を、その狭く苦しい場所から引っ張り出してあげたかったけど。

 結局わたしでは、そんなことはできなかった。


「音楽だけじゃなくて、彼女は全部そうなのよ。自分がいちばんで、それ以外は劣っているもの――劣っているものといっしょにいたって得られるものはなにもないから、だれの誘いにも乗らない」


 わたしはサンドイッチをかじり、あまり味がしなくなったことに眉をひそめながら、箕形くんに言った。


「あなたがどれだけ彼女を好きでも、彼女は振り向いてくれないと思うわ」


 ちょっとした意地悪でそう言ってやると。

 箕形くんはぽんと音が聞こえるくらい顔をまっ赤にして、ぶんぶんと首を振った。


「す、好きとか、そういうことじゃなくて! そのつまり、おれは彼女をカルテットに誘えればと思って」

「……カルテットに誘う? ああ、だからカルテットのことを聞いたの。なんだ、てっきりユリアに告白するつもりなのかと思ったのに」

「ここ告白なんてするわけないだろっ」


 別にまっ赤になって否定することではないと思うけれど。

 あんなふうに話しかけてきたくせに、本当のところは純情なのかもしれない。


「でも」


 今度は意地悪でもなんでもなく、本音で、すこし同情さえして、言った。


「カルテットに誘うなら、余計に諦めたほうがいいかもね。あの子、絶対カルテットになんて入らないと思うから」

「そうかなあ、やっぱり――でも、楽しそうだと思うんだよな、カルテット。音楽をやることが好きなら、だれかといっしょに音を出すことも好きだと思うんだけど」


 ――本当は、そうなのかもしれない。

 ユリアも本当はだれかといっしょに音を奏でたいのかもしれないけれど、いまのところ、ユリアの全力についていけるだけの奏者がいないのだ。

 未熟な相手との演奏は、ユリアにとっては枷をはめられているようなもので、たしかに愉快ではないだろう――でも本当に全力で演奏できて、それに応えてくれるようなひとがいるとすれば。

 わたしは、じっと箕形くんを見つめる。


「声楽なのに、器楽とカルテットを組むの? 普通、声楽科だったら声楽科のなかで組むんじゃないの」

「いや、声楽科ではあるんだけど、実は転校してきたばっかりで、まだ声楽科の授業には出られてないんだよ」


 箕形くんは照れくさそうに言って頭を掻いた。


「だから、声楽科にはまだ知り合いがいなくてさ。ルームメイトがコントラバスだし、もうひとり誘ったのがピアノで」

「じゃあ、バスとピアノと声楽とヴァイオリンのカルテットってこと?」


 聞いたことのない四重奏の構成だった。

 まあでも、バスはチェロのオクターブ下で通じるし、ピアノはすべてのパートに対応できるからヴィオラの代わりをやるとして、あとはふたつのヴァイオリンパートを分け合うだけだから、音楽的に不可能ではないのだろうけれど。

 もしそうなったら、声楽とヴァイオリン、どちらがメインを取るんだろう。

 きっとユリアはメイン以外やらないだろうし、ほかの音を支える演奏はできない。

 ということは声楽が、目の前にいるなんの変哲もない、平凡そうな男の子がユリアのヴァイオリンを支えることになる。

 まさかそんなことできるはずがないけれど。

 でもその男の子は、自分にはそれができると信じて疑わないようだった。


「ユリアのヴァイオリン、聞いたことある?」

「いや。でもめちゃくちゃすごいって聞いたよ」

「そう、めちゃくちゃすごいの――きっと、あなたが思っている以上に。どんな曲をやるつもりか知らないけど、ユリアのヴァイオリンを声で支えるのは無理だと思うよ」

「支える?」


 そんなつもりはないよ、と彼は言って。


「いっしょに歌うんだから、どっちがどっちを支えるってことでもないと思うけど」

「――いっしょに、歌う」

「おれは文字どおり歌だけど、ほかもみんな、楽器の歌でしょ。おれさ、もともと教会で歌ってて――自分の声がほかの声に混ざって響く感じってすごく好きだったんだ。おんなじ声でも楽しかったんだから、楽器といっしょに歌ったらもっと楽しんじゃないかと思って」


 ――箕形くんは本当に楽しそうに笑った。

 それを見て。

 ユリアをはじめて見たときと同じような羨望を覚えた。

 そして彼なら、もしかしたらユリアを孤独から救えるかもしれないと思ったから。


「――じゃあ、ユリアに会って、目の前で演奏してみればいいんじゃない?」


 そんなふうにアドバイスをしていた。


「ユリアがカルテットに参加するとしたら、きっと自分の音楽と同じように相手の音楽を認めたときだと思う。まあ、簡単にいえば、自分が入る価値があるカルテットだって思わせたら、自然と入ってくれるんじゃないかな。音楽のことなんだから、言葉で頼んでも無駄よ。音楽のことは音楽で頼まなきゃ」

「なるほど、たしかに!」

「今日の放課後なんか、いいんじゃない? 邪魔が入らない校舎の裏で――なんならわたしが、ユリアをそこまで呼んであげるけど」

「ほんとに? じゃ、頼むよ、赤城さん。やった、これで一歩前進したぜ」


 箕形くんはわたしの手を掴み、ぶんぶんと上下に振る。

 そこではっと気づいたような顔をして、


「呼び出す場所だけど、ピアノもあるから、一階の教室じゃだめかな?」

「別にいいけど――そんなにうれしいの?」

「そりゃあうれしいよ。早くカルテット作って音を出してみたいんだよなー」


 にこにこと笑う箕形くんは本当に楽しそうで、心から音楽が好きなんだろうなあと感じる。

 それに、きっと。

 ユリアは、この子が苦手だろうな、とも思った。



  *



 放課後、晴己からの連絡を受けて第二校舎一階の教室に入ってきたアルは、ピアノの前にちょこんと座ったちいさな人影を見てかたかたとふるえた。


「あ、あれはまさか――ここコジマ・オトネ?」


 その声に気づき、乙音はびくりと飛び上がって椅子から落ち、そのままピアノの下に隠れた。

 この学校で、そんな奇妙な行動を取るピアノ科の生徒はひとりしかいない。


「間違いない、コジマ・オトネだ――しかもユリア・ベルドフを誘うって? なんてことだ、学校の二大天才美少女が同じカルテットに揃うなんて! ああこいつはすごいことだぞ。っていうかハルキの勧誘力がとんでもないなあ。うう、イタリア人として見習わなければ」


 ハルキこそ前世は陽気なイタリア人だったにちがいない。アルはそう確信し、大きなコントラバスをひとまず床に置いて、ピアノの陰に隠れている乙音に頭を下げた。


「はじめまして――ぼく、コントラバスのアルカンジェロ・クレメンティっていいます。ハルキのルームメイトなんだけど、同じカルテットでやることになるから、よろしくね」


 ピアノの脚に隠れた乙音の、怯えたような目と視線が合う。

 乙音はすかさず視線を逸らし、ただ、腕だけを頭上の鍵盤に伸ばし、いくつか白鍵を押した。

 音が、よろしく、と言っているようだった。

 どうやらうわさどおりの女の子らしい。

 アルが笑っていると、後ろの扉ががらりと開く。

 晴己だ。

 声楽の晴己は楽器も持たず、ただ何枚かの楽譜を持って部屋に入ってきた。


「おお、アル、早かったんだな――あの子は、まだきてない?」

「そこにいるよ」


 アルが指さした先、ピアノの下に乙音の姿を見つけて、晴己はうなずいた。


「やあ、こんにちは。先生からの伝言がちゃんと伝わっててよかったよ――あれ、そういえばおれ、まだきみの名前も知らないよな?」

「コジマ・オトネだよ」

「お、なんだよアル、さすがイタリア人だなあ」

「ちがうったら――ほら、話、してたでしょ。ピアノ科ですごい子がいるって。その子だよ」

「……あれ、そうなの?」


 本当に知らなかったらしい。

 名前も知らずにただ音だけを聞いて「すごい子だ」と勧誘するあたり、晴己もなかなかえらい。


「そっか、じゃあ、あとはおれが自己紹介するだけかな」

「……み、箕形、くん」


 か細く、ピアノのどんな弱音よりもちいさな声が聞こえた。

 アルと晴己が驚いてピアノの下に視線を向けると、乙音はびくりとしてピアノの裏側まで移動し、そこからひょっこりと頭を出す。


「あれ、おれ、自己紹介したっけな? ま、いいや――箕形晴己、声楽科だ。よろしくね」

「でもこうして揃うと、いよいよカルテットも完成間近って気がするよね」


 言いながら、アルはケースのなかからコントラバスを取り出した。

 乙音もすっかり隠れてしまえそうな大きな楽器を持ち、さらに楽譜台も組み立てる。


「おお、なんか音楽家みたいだぞ、アル」

「ほんとに? いやーうれしいなー。ハルキも、譜面持って歩いてると声楽科みたいだよ」

「ほんとに?」

「うそだけど」

「うそかいっ。めちゃくちゃいい気分になったのに」


 あはは、と笑って、アルは弓を構えた。


「それじゃあ、ユリアがくる前に三人で練習しておこうか――オトネも譜面はあるよね?」


 乙音はこくんとうなずき、椅子まで戻った。


「じゃ、はじめからいい感じのところまでひと通り弾いてみようか。ああそうそう、ハルキは悪いんだけど、自由にやってくれる?」

「自由って?」

「声楽用に譜面直すのが間に合わなくってさ。だから、まあ、思うがままに、曲に沿って歌う感じで。いまの第二ヴァイオリンパートをそのままやってもいいけど、まだその場で読みながら歌えるほどは楽譜が読めないでしょ?」

「ううむ、たしかに。じゃ、ふたりの感じを聞きながら適当に乱入するよ」

「よろしくー」


 本当なら、いきなりの即興演奏はあまりに高いハードルだが――アルは、晴己ならそれができるのではないかと考えていた。

 耳がよく、音感がすぐれた晴己なら、調の関係や楽式などわからなくても音に飛び込めるのではないか。

 もっといえば音を楽しむことができる晴己なら、溺れてしまうような音の荒波でも乗りこなすことができるのではないか。

 ――最初の一音が第一ヴァイオリンのフォルテからはじまるこの曲。

 その一音を除いてはじまるため、アルと乙音は視線を合わせた。

 あれだけ恥ずかしがっていた乙音も、こと音楽となればそんな性格はなくなってしまうらしい――しっかりアルと視線を合わせ、ふたりは同時にうなずき、それを聞こえない一音として互いのパートを奏ではじめる。

 狭い部屋に、またたく間に音の暴風が生まれた。

 部屋全体を響かせるようなコントラバスの低音、ヴィオラパートを担当するピアノの中音がそこに乗り、互いに補完的関係にある旋律を作り出す。


「――すげえ」


 傍で聞いている晴己には、ふたつの楽器から奏でられる旋律が寄り添い、混ざり合っていく様子がはっきりと見えた。

 ふたつの音色のふたつの音が和音の関係になり、深い響きを含むひとつの音となって部屋にあふれる。

 演奏は、耳で聞くだけではない。

 ふるえる空気を肌で感じ、弓の動き、鍵盤の動きを目で見て、楽器の匂いを感じて――人間に与えられたすべての感覚を使い、音楽を感じた。

 ふたりの音ははじめて合わせるとは思えないほどぴたりと一致している。

 緊張状態もない、そのままいつまでも続いていきそうな穏やかな音の調和と、明るい曲調がぴたりと揃う。

 晴己は自分の身体が小刻みにふるえていることに気づいた。

 ――わくわくする気持ちで身体がふるえているのだ。

 晴己は、未だにこの曲を聞いたことがなく、先がどうなるかも知らない。

 手元の楽譜にはそれぞれのパートが載っていたが、実際のテンポで終えるほどはまだ楽譜にも慣れていない。

 しかし自分も参加したくなって、つい、どんな音が調和するのか、この先どうなっていくのかもわからず、声を出していた。

 バスの低音とピアノの中音――そこに、それよりも高い声が加わる。

 単に音の厚みが増したというだけではない。

 晴己の声が入った瞬間、その音はさらに明るく朗らかになり、まぶしい陽が差し、色とりどりの花びらが暖かな風に舞い上がった。

 ――乙音は一度、まさにこの場所で晴己の声を聞いたことがある。

 だから驚きはしなかったが、全身に伝わるその声にすこし指の速度がゆるんだ。

 一方、アルはといえば――。


「――なんだ、この声」


 目を見開き、そのくすんだ色の瞳で晴己を見つめ、演奏の手も止まる。

 晴己の声はただただ圧倒的だった。

 強い声ではない。

 深い声でもない。

 ただ、黄金の鐘のように美しい。

 きらびやかで、伸びやかで。

 声楽独特のあまりに強すぎる圧力がなく、あくまで軽やかにひらひらと飛び回るような――その柔軟な発声は、過去に聞いたことがないものだった。

 晴己が唄いながらちらとアルを見た。

 手が止まっている、と目線で教えられ、アルは慌ててピアノの音を探る。

 楽譜で復帰場所を見つけ、また弾き出したはよかったが。


「むう――こんなの」


 もともと晴己が曲に対してなんの知識もない状態だから、調はそのままだが、旋律はめちゃくちゃにかき回され、和音がもはや和音をなさなくなっている。

 ――これはもはやモーツァルトの曲ではなかった。

 この場で生まれる、新しい曲。

 三人が即興で作り上げていく、だれも知らない、本人たちでさえどうなるかわからないもの曲だった。

 晴己に合わせる形で、乙音が旋律を変えていく。

 アルもそれについていく形で、未知の領域へ踏み出した。

 一瞬先の音さえわからず、指のくせ、音のくせのままに動き、音は組み上げられたそばから崩れていった。

 後ろから崩壊に追い立てられ、先へ進む。

 その忙しい感覚は、しかし必ずしも不快ではなかった。

 目の前には――決してはっきりとしたものではないが、道筋がある。

 晴己の声が導く、光の道筋。

 まばたきをしてしまうと見失ってしまいそうなものを、恐るべき集中力で辿っていく。

 耳でほかのふたりの音楽を聞き、自分の音楽を感じて、ぐんぐんと進んで――晴己の高音がある地点でぷつりと途切れた。

 それはあまりに唐突な終わり方で、ピアノとバスはたたらを踏むようにしてなんとか止まったが、尻切れトンボのような、消化不良の感覚が残る。

 アルは弓をだらりと下げ、ようやく自分がひどく汗をかいていることに気づいた。

 そのくらい音に集中し、夢中で弓を引いていた。

 乙音はためらいがちに視線を上げた。

 ふたりの視線を受け取って、晴己はにこにこと楽しそうに笑う。


「いまの、すげえ楽しかった!」


 あけすけに――当たり前のことを言って、晴己は手を叩く。


「やっぱりすげえよ――何人かで音を出すことがこんなに楽しいなんて。いや、楽しいだろうなとは思ったけど、ここまでとは思わなかった。もう一回、もう一回やろう」


 子どものように言う晴己に、アルは苦笑いしてうなずいた。

 新しいおもちゃを手に入れた王子さまにはもうすこし付き合ってやらなければかわいそうだし――アル自身、もう一度あの音の世界を覗いてみたかったから。

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