第84話 グッドエンド
いつもの風景。
いつも、と言っても許されるだろう風景。
放課後の階段踊り場。
最初は俺と怖い先輩二人だけの場所だった。
先輩が『ああ、お前のおかげか……居心地が良かったわ』と発言して卒業していくと、そこは俺だけの場所になった。
都内のマンモス校の代名詞――姫八学園。
そんな大規模な施設でありながら……いや、そうであるからこそ、人の寄りつかぬボッチポイントが多数存在しており、つまるところ最強のボッチポイントこそこの階段踊り場だった。
――はずだった。
だが今、俺の目の前には一人の女子高生が座っている。
ボッチどころか、めちゃくちゃ目立つ同級生と向かい合って、座っている。
一度だけではない。一過性のものでもない。むしろ日常になりうる頻度で、俺は他人とこの場所を共有していた。
遠くから部活動に参加する生徒の声。
放課後のチャイムがなる。部活動の時間になったことを示す合図だ。
それは同時に、俺たちの話し合いの合図でもあったようだ。
藤堂は頬杖をついて、上側についている明かりとりに目を向けている。
切り取られた青空には雲すら浮かんでおらず、藤堂がそこに何を投影しているのかは不明だ。
藤堂の表情は、もしかすると初めて見るものかもしれなかった。
どこか不機嫌そうで、不満そうで……しかしなぜだか怒っているようには見えないという不思議な表情をやはり何も映っていない明かりとりの窓に向けていた。
「で、黒木くんさ」
「くん……?」
いちょう色の髪を空いた手でいじくりながら、13歳で美少女コンテストに入賞した少女は口を開いた。
「黒木くん」
「はい……」
「放課後になりましたね」
「なんで敬語なんだ……?」
「いいの」
「はい」
「話というのを聞こうと思います」
「お、おう……」
怖くはないが……圧を感じるぞ。
そもそも藤堂はなんで最近おかしな感じがするのかを、俺は考えていなかった……。
理由は不明だが。地雷を踏まないようにしなければならない。
いや、地雷があるのかは知らないけども。
「嘘ついても、わかるからね。そしてわたしの質問にも嘘をつかないように」
「話を聞く姿勢はどこへ……?」
「いいの」
「はい……」
やっぱりお怒りかもしれない。
藤堂はこちらを見た。
頬杖をついたまま。
同じ高さのはずなのに、まるで見下ろされているような気持ちになる。
「で」と藤堂は言った。
「……何を話してくれるの」
まるで矛盾している気がしたし、話をきく態度でもないが、藤堂はとにかく話を聞いてくれるらしい。
「ああ、まあ、そうだな、最初の話なんだけど――」
だから俺は、きちんと向き合って話すことにした。
まずは漆原との再会について――。
◇
「――というわけで、その旧友……といっていいのかはわからねーけど、そういうやつと会ってて、相談を受けてたんだ。だから最近は夜に外に出ることが多かった」
「ふ、ふーん……で、告白は?」
告白は?――まるで必ず告白が確約されているアニメを見ているかのように藤堂は確認を繰り返してきていたが、俺からすれば、意味がわからない。
「だから告白はされてねーって」
「でも言ってたじゃん……」
「いやだから、それは藤堂が勝手にそういう想像をふくらませてっただけだろ?」
「べ、べつに想像なんてしてないけどっ?」
「じゃあ告白だってされてないって」
「じゃあも、にゃあもない!」
「その切り返しはありなのか……?」
「……ふんっ」
繰り返された質問も、ようやく終わりを見せたようだ。
それにしてもたったいくつかの夜の話だけだというのに、随分と時間がかかった。
藤堂は様々な質問をしてきたからだ。
『女? 女の友達ってあり得るの?』とか。
『それっておかしくない? なんで黒木が関わらないといけないの?』とか。
『ほんとになにもなかったの? 女子と二人で会っててそれはなくない?』とか。
勢いがある質問というよりは、探るような言い方だ。
だが俺もやっていないことを頷くはずもないので、ただただ返答するしかなかった。
『女の友達ってありえるの?』と聞かれれば『藤堂もそうだろ』と言う。
『うっ』と黙る藤堂が、『なんで黒木が関わるの? そんないきなり関係がかわることってある?』と聞いてくれば、『藤堂もそうだろ』と返す。
『ぐっ』と仰け反る藤堂が、『女子と会ってて、何もないっておかしくない?』と聞き返してくれば、『藤堂もそうだろ!』と反論する。
『うう……』と藤堂が若干、涙目になっている気がするが、たぶん気のせいだ。
ヒエラルキートップの女王が、まさか俺との舌戦でダメージを負うわけがない。
弱点をしっていればその限りではないかもしれないが、俺は藤堂の弱点なんか知らねーし。
「まあ、だからそういうことなんだよ」
俺は俺の説明責任を果たしたとばかりに、言葉を投げた。
文句はないだろうと思う。
俺は漆原との再会を、俺は極力、丁寧に、しかしあくまで主観的に話したからだ。
主観的――じつにいい言葉だと思う。
バカにしているのではない。
主観的であることによって、俺が俺らしく俺の感じるままに説明できるというわけだ。
……漆原の話がどこまで本気かもわからねーし。
正直なところ、まだ漆原には聞いていないことがたくさんあると思う。
だから、俺が確信できることだけを話した。
なんだか煮えきれらない相槌を打ってくれていた藤堂だが、俺の話が終わると、大きなため息……ではなく深呼吸をひとつした。
どういう意味があるのかはわからない。
「わかった。黒木の話は、よくわかった」
「ならよかった」
「うん……ただひとつわからないことがあるんだよね」
「……? なんだ?」
だが、俺は気がついてなかったのだ。
もちろん〈その先の話〉も俺はするつもりだった。
その準備だってしてきたし、話す順番も考えてきた。
表面化はさせていなかったが、きちんと脳内リハーサルもしたのだ。
とりあえずは漆原の話をして、そして、その後に話をするつもりだったのだ。
『藤堂が言ってた、大きい仕事やらのことだけどな――』と。
だが、世の中は不思議なものだ。
人にやったことは自分に返ってくるのだ。
藤堂が以前言っていたこと。
『わたしから話すから――』
でも俺は先に尋ねてしまった。それでなんだか藤堂の話のタイミングをずらしてしまって、変な空気になった。
自分でやって気がつく失敗は、他人にされても気が付けないのだろうか。
もしくはそれは失敗ではなかったか――どちらにせよ分かることはひとつだった。
「わたしが分からないのはさ、黒木が――」
「俺が?」
そうして藤堂は言った。
俺の脳内に用意された工程表を、ちゃぶ台返しでひっくり返すかのような言葉をさらっと口にした。
「なんで、夜に会ってた女の子の話を、わざわざ、わたしに教えてくれたの……ってこと」
「え?」
「だって、そんなのべつに、自由なことだよね……?」
「自由……」
「伝える義務はないよね」
「た、たしかに」
そりゃそうだ。
いくら勉強同盟みたいなものがあったとしても、俺と漆原の関係に関しては、伝える義務はない。
点数だけが望まれた結果なのであれば、努力の仕方は俺の裁量に任されている。というか、勉強以外の漆原になるのだから、同盟にだって反しているわけではない……。
「ねえ、黒木、なんで?」
「なんでって……」
「なんで、他の女の子とのこと、わざわざわたしに話すの?」
藤堂の目は今、俺の目をしっかりと覗き込んでいた。
俺はその視線から逃れたかったのに、うまく逃れることができない。
――なんで?
――漆原の話を?
――俺は藤堂に教えたのか……?
思考をしめるのは、ただその質問だけ。
俺はいま、藤堂にしたことを。
まさしく藤堂から、やり返されていた。
「俺が、藤堂に、話す理由……は」
「理由は?」
台本はすでに破り捨てられていた。
カンニングペーパーはもちろんない。
予定調和となるような回答だって用意していない。
トラブルが起きた。
それは自分がたった数日前に藤堂に起こしたものと同一。
なぜ考慮しておかなかったのか――いや、それはきっと、気がついていなかっただけなのだ。
俺が風呂で気がついたことを、別の視点から見ればわかることだった。
でも俺は『藤堂の立場から見た質問』なんてものを考慮する余裕がなかったのだ……。
「ねえ、黒木――なんで?」
生放送で難関ゲームにチャレンジするかのような状況ってのは、こういう感じなのかもしれないな――とぼんやり頭の片隅で考えた。
結果はどうあれ。
グッドエンドがひとつでも用意されていることを、まずは願う。




