第56話 記憶開始
無事に、と表現して良いものかは不明だが、お金と引き換えに商品を受け取った俺は、やけに重く感じるビニール袋をぶらさげながら、夜の道を歩いていた。
深夜のコンビニ前。
漆原葵との邂逅。
どちらからともなく、コンビニの前から離れることを提案したのは、先ほどの『お金かしてくれ事件』のせいで、店員からの視線を感じてしまったからに違いない。
「い、いくか」とか。
「う、うん」とか。
ぽつぽつと交わした話の中で、帰る方角が一緒だということに気がつき、途中までを歩くことになった。
しかし、俺が言えたものではないが、漆原の実家を聞く限り、こっちのほうのコンビニに来なくても、もう少し近くに店はあるよな。
そんなことを言うと、漆原は『あはは……』と乾いた笑い声をあげた。
「ちょっと、この時間は夜に包まれて歩きたくなるよね……視線を感じず、闇夜に紛れると、世界に自分だけになったような気持ちになる瞬間があって、それがたまらないんだよ」
俺はまじまじと漆原の顔を見た。
「ひどく厨二っぽいセリフだな……」
「ご、ごめん」
「いや、責めてるつもりじゃねーんだけどさ」
責めているよりも、攻めているなあ、という感じ。
その意見が、どういう意味なのかも分からねーけども。
というか、思わず口にした『厨二』ってワード、女子高生に通じるもんなのか……?
ああ、しかし会話がうまく繋がらない。
先ほどまで自分を『リア充スキル獲得したんじゃないのだろうか』とか表現していたのが恥ずかしい。
どう考えても、俺の会話が続くようになったのは藤堂の真似をしているおかげだし、さっきだって藤堂だったらどうするだろうかと考えての結果でしかなかったのだ。
だが、俺は今やただの人間に戻ってしまった。
なぜなら藤堂は人に金なんて借りないはずで、だからもう今の俺は、ただの黒木陽でしかない。
密かなる気落ちに気がつくこともなく、漆原は恥ずかしげもなく言い切った。
「黒木くんも、ない? なんていうか、そういう、時って。全部わすれたような気分にさせられたいときって、ないかなあ」
「どうだろうな……すくなくとも夜に包まれたいと思ったことはないんだが……」
「ひょ、表現はちがくて! でも、だって、今もそういう理由で遠くまで来たんじゃないの……?」
「ああ、いや、勉強の気分転換でちょっと遠出しただけだ」
「勉強するんだ……」
「悪いか」
「う、ううん。なんか黒木くんって、勉強しているイメージなかったから……」
「中学二年までは結構してたんだけどな」
「あ、そうなんだね……」
「まあだから、今日は特別な遠出だ」
遠出つっても、たかが往復2キロ程度の旅だけども。
「じゃあ、もしかしてあのコンビニの前を通ったのって、たまたま?」
「偶然だな」
漆原の目がわずかに開き、ともに口を小さく開いた。
「これは、運命なのかな……」
「コンビニに運命を感じるのか……?」
「あ、いや、人に」
「店員に……?」
こいつは何を言ってるんだ。
「うう、もういいです……」
そんなどうでもいいことを話していると、自然と足は公園の前で止まった。
それも二人、同時に。
先ほど聞いておいた話から推測するに、このあたりが俺と漆原の自宅への分かれ道となる。
「……で、話ってなんだよ。公園のベンチでも座るか? 話があるんだろ」
「な、なんか、一枚絵のイベントみたいだね」
「お前は何を言っているんだ……?」
乙女ゲーの話か?
茜が一時期やっていたので、なんとなくわかるが……さっきの厨二発言の理解といい、こいつ、まさかゲーマーか?
漆原は俺の疑念の目に気づくことなく、右へ左へと視線を向けていた。
「警察官とか、こないよね……?」
「長期休暇中でもないしな。短時間なら平気だろ。ていうか、どれだけの話かは知らんけど」
「あ、もちろん、すぐ終わるよ。立ち話でもいいくらい」
「そうなのか。じゃあここで話すか」
「あ、いや! シチュエーション的にはベンチで……!」
「シチュ……?」
「あ、いや、へへ……」
なんというか、互いに会話があまり得意ではない同士のため、無駄な空白が多かったり、キャッチボールができていなかったりする。
それに、漆原は確かに漆原葵に違いはなかったが、俺が持っていた中学校のイメージよりも若干、吹っ切れている気がする。はっちゃけていると言ってもいいかもしれない。
昔の漆原は、オンラインゲームでも時折みるような、タイプ分けできるようなやつだった。
人を気遣っているようで、自分の気持ちに正直に行動する。
なのに本人は自由に活動しているようで、どこか人の目を気にしているつもりでいる。
つまり、気遣いどころが、ずれている奴。
ようするに周囲から若干浮いている奴。
悪く言っているわけではない。
一言でいえば『天然』に分類されるんだろう。
だからこそ中学時代、こいつは周囲から−−。
「黒木くん?」
「え、ああ……すまん」
俺は何かをごまかすようにスマホを見た。
深夜と呼んでも差し支えのない時刻。
明日が休日でなければ普通のやつなら起きていることはないだろう。
もちろん普通、という定義は人それぞれだろうが、それでも今の時間になんの疑問も抱かずに活動しているやつっていうのは、限られるはずだ。
昼夜逆転の生活をしている奴。
仕事でしかたなく変化している奴。
ゲームや趣味に没頭して時間を忘れている奴。
そして……、平日だとか休日だとかにそもそも縛られていない奴とか。
俺たちは公園に入った。
思っていたよりも奥に広い公園だ。
自然公園とは言えないが、ありきたりの構造でもない。
しばらくぶらぶらしていると、ベンチを見つける。
「えっと、じゃあ、ここで……」
「おう」
空には満天の星――と言いたいところだが、残念ながら星はよく見えない。
これからどんな話が行われるかもわかっていない俺だが、なぜかこの状況を受け入れている自分もいた。
「あのね、黒木くん」
なぜだろうか。
正直なところ、わからない。
だが、なんとなくこういう日が来るんじゃないかな−−という思いがあったのかもしれない。
つまるところ、過去の清算というか。
答え合わせというか。
俺がやってきたことと、漆原に影響したことと。
でもまったく気がつかれない――と思われる状況のまま卒業を迎えたこと。
「わたし、こういう日が来るんじゃないかなって、思ってたんだ。だから、その日を想像して、いつも言葉を心の中で復唱してたの」
「おう……?」
漆原の言葉に曖昧に頷く。
同時に思う。
やっぱり漆原もそう感じる部分があったのかな、と。
それは予知ではない。
ただ予見ではある。
それは、願えばいつか有名人にも出会えるだろうという変な確信のようだった。
まったく非現実的な思考であるはずなのに、そんな自分を疑うことがない。
安定しているのか不安定なのか、まったく判断のつかない状態。
「黒木くん」
「うーん」
だからやっぱり俺と漆原は、そういう他人には理解のできない状態だったし、その後も、こういったスピリチュアルとも表現のできる確信を心の片隅に置きながら生きてきたのだろう。
「きちんとした友達になってください。あと、答えはあとでいいから、わたしと付き合ってください」
「ふむ……?」
でなきゃ、いくら同級生だとはいえ、まさか久しぶりに出会った奴と深夜に徘徊なんてしないだろう。
「ダメ、かな」
「そうだな……え? 待て、今なんて言った?」
俺は不可解な顔をしていただろう。
だって本当に何を言われたのかわかっていなかった。
夜の闇のなかでもくっきりと白く浮かんでいる漆原の顔は、いたって真面目だった。
いや、若干、赤く見える。
「友達になってって、言ったよ」
「いや、その……つまりだな」
今、気のせいだっただろうか。
なんだかとてつもなく聞きなれない言葉が耳に入ってきた気がしたんだが。
だが、それは間違いではなかった。
漆原は今度こそ聞き間違いようもなく、間違えることもないようにはっきりと、俺への要望を口にした。
「答えは先でいいから、付き合ってくれませんか、て言ったの」
「付き合う……?」
「うん、そうだよ」
漆原の顔は今、確実に真っ赤になっていた。
なのに視線はまっすぐ。
まるで俺を弓矢で射抜くかのような鋭い視線を向けていた。
「お前今、付き合うって言ったのか……?」
「うん、はい、そうです」
時が止まった気がした。
呼吸はまず間違いなく止まっていた。
心臓が止まりそうになり――しかしまだ俺は生きていた。
「……っ!?」
むせた。
「へ、へいき? 黒木くん」
「あ、ああ、平気だ……」
「よかった」
漆原が控えめに笑う。
ピンク色の唇。
紡がれた言葉――付き合ってください。
「やっぱり平気じゃない……」
「え? え?」
「お前のせいだろ……」
「い、いきなりごめんなさい……」
「いや、謝らせたかったわけじゃないんだ。というか、意味不明というか、いきなりっていうか、そもそも……」
落ち着け俺。
落ち着け俺。
聞き間違いではなかったようだが、そういえば、付き合うといったって、意味は色々あるじゃないか。
お茶に付き合うとか。
買い物に付き合うとか。
俺も、藤堂のおかげで色々なことへの耐性ができた。
突発的な爆弾発言や、激流を無理やり下らされるようなことにも、諦めを伴ってではあるが、対処できている気もしている。
人は成長するものだ。
なるほど。
それは確かに正しいだろう。
「そもそも……?」
漆原が小首を傾げた。
「いや、だから、そもそも、だな……」
だが同時に、こうも言う。
三つ子の魂百まで。
俺は深夜の公園で漆原が、何気なく口にしたように聞こえた、しかしその実、まったく何気なくない言葉に対して、一つの反応しか持っていなかった。
――偶然再会した。
――元同級生から。
――告白された。
「……な、なんで?」
誰だってそう聞くに違いないし、それは金髪美少女に「部屋にいっていい?」と聞かれた時以来の衝撃であり、つまるところ、俺にとってはそういう類の話になるらしい。
というわけで、まだ俺に興味があって、そして同時に時間が余っている人間がいたのならば聞いてくれ。
これはどうとでもない中学時代から予見されていたといえなくもない、どうしようもないほどに無関係な一方的な戦友――漆原葵と俺と、そしてどうしたって部外者にはなりえない藤堂との、なんでもないようでいて、その実、俺にとってはなんでもなくない、大事な話だ。
◇
四章
記憶
開始
◇




