第41話 遅刻寸前
連休が終わった。
繰り返す。
連休は終わったのだ。
残念ながら俺は学校に行かねばならず、よって朝からもそもそと朝食を食べている。
対面では、いつものように、制服姿の茜がもくもくとご飯を口に運んでいた。怒っているようには見えないのだが、連休中は、なんだか茜も無口だった気もする。昨日はかなり強めに詰め寄ってしまったが、そこに関しては、気分を害してはいないようだ。
ちらちらと妹の顔をうかがっていると、ふっと、茜と視線がぶつかった。
「――っ、げほっげほっ」
飲み込もうとした米が、気管に進軍した。予期せぬ攻撃は、黒木陽の司令本部に致命的なダメージを与えた。
いや、ふざけるぐらいには、まだ俺は生きている。大丈夫。
お茶で、むせを抑え込んでいると、茜がゆっくりと口を開いたのが見えた。
「にいに、なにその顔さ」
「……なんだよ」
また、面白そうとか言うのだろうか。
いい加減、なんで面白そうなのか知りたいものだ。
だが今日の言葉は違った。
「めちゃくちゃ、不満そうな顔だね」
「は?」
俺は体ごと、前のめりになり、聞き返してしまう。
茜はそれでも身を引くことなく、意見も変えなかった。
「一週間でころころ変わるね、にいにの表情は。気持ちがどうかは、茜ちゃんにはわからないけどさ」
「別に、そんなつもりはないけどな……」
ないけど。
ないけど、なんというか、夢見は悪かったというか、良かったというか、色々俺にだってあるのだ。
朝食を食べ終えたらしい茜は、箸をおくと、何を勘違いしたのか、『あのさ、にいに』と前置きをしてから言った。
「なんか、案外、マシロちゃんもにいにに似てるところ、あるから、色々考えたすえに、わたしから言うけどさ」
「はあ? あいつが俺と似てるわけねえだろ」
人間というカテゴリーが同じだけで、それ以外は何も似ていない。
「それは、まあいいや――」
茶碗を水につけるために、茜は席を立つ。
「――ただ、なんか、にいに、勘違いしてるかもしれないから言うけど」
「勘違い?」
「きっと、マシロちゃんは、にいにと遊びたいから、わたしとパソコンゲームしてるんだよ」
「は?」
「だって、親の意見とはいえ、置いてかれるようなものでしょ。いまのマシロちゃん」
「置いていくって……どこに」
置いていかれているのは、いつも俺だ。
今回だって、勝手にうちに来る算段をつけて、勝手に茜と遊んでいるのは藤堂だ。置いて行かれているのは俺じゃないか。
「そんなの知らないけど、なんか、イヤでしょ。自分だけ、元の場所に戻るの。楽しかったのに、元の家に帰るの、つらいじゃん。パーティーとかもさ」
「つっても、ゲーム以外に藤堂の楽しいことはあるだろ。ゲームできなくても、そっちをやればいいだろ」
なんだか論理的だが、そればかりではない言葉が口をつく。まるで自分に言い訳をしているみたいだ。
「あるの?」
「え?」
「マシロちゃん、いまゲームが一番楽しいって言ってたけど」
「いや、それは……多分、わからねえけど」
「まあいいや。わたしもちょっと、関わっちゃったからさ。自分に決着つけたくて、いま、こんな話をしただけなんだ。とにかく――マシロちゃんは、わたしじゃなくて、にいにと遊びたいんだよ。だけど、それが無理だから、せめてうちに来てるんだと思うよ」
俺の箸が止まる。
理解が及ばなくなる。
なぜ俺と遊びたいのに、茜とゲームをするのだろうか。
――男の家に遊びに行くな。
藤堂の母親から提示された規則。
その隙を狙う動き。
口の渇きをいやすために、俺はお茶を口に含んだ。
「なんで、そんなこと、分かるんだ」
「だって、マシロちゃん、わたしとゲームしてても、にいにの話しかしないから」
「そ、そんなこと、べつに」
「別に?――」
茜は何か、動きのある感情をぶつけてくるように、しかし、それを噴出させないように注意しながら、言葉を選んだ。
「――にいにさ、連休中、ずっと顔にかいてあるよ。『お前ら、楽しそうだな。俺も仲間に入れてくれよ』って。まったく、おたがいに、素直じゃないんだなあ! 間にはさまれる美少女の気持ちも考えてくださいませ」
「そ――」
そんなことねえよ、と言おうとして、しかし口は開かない。事実昨日だって、藤堂の『わたし“たち”』なんて、どうでもいい言葉を深読みした。うらやんでいるつもりはないが、気にはなっている。
間違いない。
まるで自分が誘われないうちにチーム内で、様々な取り決めがされているような感覚を覚えていたのは確かだ。
ギルド内で8人しか組めないパーティ戦。しかしログインは9名。誰が誘われないのか、誘われたら嬉しい。でも誘われなかったら――そんな複雑な心理状況。
俺はそういうとき、弱い。
いっそのこと、さきにログアウトしてしまうだろう。
そうすれば、答えを見ずに済む。
そうすれば、八人になる。
だから、俺は傷つかなくて済む。
俺がログアウトしようとも、クエストにいく人数に差はなく、結果だって変わらないのに、自分から一歩ひくだけで、傷つかなくて済む。それが俺の処世術。だがそれが今、何かの問題を生んでいるのか。
茜は全ての片づけを終えると、なんだか、残念そうな顔をした。だがそこにはこれまで一緒に歩んできた者の、暖かな何かを感じ取ることも出来た。
「にいにさ、ちゃんと話した方がいいよ、マシロちゃんと」
「……なにを話すんだよ」
「別になんでもいいけどさ……少なくとも、わたしは、この後もずっとマシロちゃんとゲームすることはできないからね。色々、ほかに、やりたいゲームもあるしさ」
「おう、それは、分かってる」
どんなに自分がはまっていても、仲間が同じだとは限らない。
いつか人は別の道を歩く。
ゲームタイトルだって同じなのだ。
絶対に、一秒の差であろうとも、二人が集まれば、どちらかが先に離れるのだ。
「マシロちゃん、本当に、隊長なんてやりたいのかなあ」
「え? それ、どういう――」
「――んじゃ、今日はお先に」
シュタッと手をあげて去ろうとする茜を見て、俺の意識は一瞬で、別のものに気をとられた。
いつもなら、俺が先に出発するはずだぞ?、という単純な疑問。
「ん? お前、今日は早いな」
「いや、にいにが遅いのです」
……なんだと?
俺は茶碗を見た。白米はまだ半分ほど残っている。
次に時計を見た。残り時間はもう半分どころか、ほとんどなかった。
ようするに、遅刻寸前、というやつだった。
「げ」
「では、幸運を祈る! ちなみに、連休をもって、わたしは副隊長、やめましたので! 隊長にも伝えてあるでありますであります!」
茜はそんなあやしい日本語を言い残すと、颯爽と洗面所に向かった。
好き勝手言うよ――斜に構えようともしたが、どうも、それだけではない、なにか大事なことがあるような気もした。
男と遊ぶな――お年頃の美少女の母親の気持ち、正論だろ?
話し合った方がいい――何を? すでに方針は決まったろ?
隊長をやめたい――じゃあ、誰が方針を決めんだよ。
副隊長やめました――じゃあ、誰が隊長の補佐をすんだよ。
藤堂は俺とゲームがしたい――だって、無理だろ? そういう話だろ?
無理だろ?――本当に、手はないのか?
なぜか記憶が刺激される。
藤堂の母親との電話。
『――藤堂は逃げていません』
今はどうなのだろうか。
隙をつくような動き。
ボタンを掛け違えたような、この感覚。
『――藤堂は逃げていません』
俺の中の俺が何度も叫ぶ。
だから、遊ばせてください。
藤堂にゲームをさせてください。
ゲームは悪。
ゲームはしてはいけません。
人を撃ち殺すゲームなんて、教育に悪いんです。
もし俺がそんな意見と真っ向から戦い始めたら、そんな意見を持つ世界全ての有識者とやらと戦わねばならないのだろうか。そんなこと俺にはできない。俺の言葉の残弾数はそんなに多くはないのだ。
戦うなら、一対一で。
それも的確に一撃で。
何かを成し遂げなければならないのだろう。
「……どうしろってんだよ」
いや、落ち着け、俺。
とりあえず、わかることがあるだろう。
とりあえず、口を大きくあけてご飯をかき込んでから、洗面所に駆けこんだ。
開け過ぎた口の端が切れたのか少し痛い。人間、無理をすればこうなるってことだ。
でも、しなきゃいけない場合もある。
遅刻寸前のときのように。
でもまだ――遅刻はしていないのだ。




