第29話 Party(1)
不思議なものだ。
妹には『楽しそう』と言われ、藤堂には『楽しくなさそう』と言われる。
すると、俺は藤堂に会っていないときに、楽しそうで。
藤堂に会っているときに、楽しくなさそうというわけだ。
矛盾か?
いや、矛盾ではない。
俺はおそらく、幻想に溺れている。
藤堂を前にしなければ、問題は棚上げできる。俺は楽しかった思い出に浸り、ありえない未来にまで手を伸ばす。
だが、藤堂を前にしてみればなんてことはない。そんな薄紙に引いた線のようなものは、すぐに見えなくなる。
太い線で引かれた藤堂との問題が、とたんに俺の思考をぐちゃぐちゃに塗りつぶしてくる。
そういうことなのだろう。
◇
「そうか? 藤堂にはそう見えるのかもな」
俺は自分が思ったよりも、冷静に、言葉を返すことができていた。
なんだか楽しくみえない――普段そんなことを言われたら、必死に取り繕っていたに違いない。嘘が嫌いと口では言って、実際は、相手に心配をかけないように、ひきつった笑みを浮かべていたに違いない。
「……うん。藤堂には、ってどういうこと?」
「妹には、『毎日たのしそう』って言われたばかりだ」
五日前に。
「あ、そうなんだ……?」
「おう。まあ、だから、そういうことだ。加えて言うと、俺は普段から悪人ずらだから、楽しそうだと、より目立つらしい。だから、藤堂の言葉もそこの落差だろ」
五日もあれば人は変わる。
五日もあれば、口も回る。
「あ、そか……ごめん、なんか、ちょっと心配だったから」
「心配?」
「……うん」
藤堂は視線を下げたまま続けた。
俺は願う。
藤堂、視線をあげろ。
それは俺だけに用意された感情エモーションだ。
お前のためのものじゃない。
「ほら、わたし、ゲーム下手じゃん? だから、最初は気にならなかったけど、すこしわかってきたら、弱い人とやるのって、ストレスなんだろうなって……思って」
「ああ……」
その疑問ならわかる。
誰だって上級者とやれば、次第に気まずくなってくる。
理由は簡単だ。
最初は、上級者と自分との力差がわからない。
だが、慣れてくると気が付くのだ。
『ああ、こんなにも俺とこの人は、技術に差があるのか。近づける気がしないぞ』
だから気まずくなる。やりづらくなる。途中までうまくいっていたはずの意思疎通が、とたんに間違ったように思えてくる。
なんだかそれは、俺と藤堂の関係のようだった。
「俺はさ、藤堂――」
存外に力強く出てくる言葉。
俺は心の中で、自分に訴えかける。
さあ、黒木陽――選択の時間だ。
お前の気持ちをぶつける時だ。その時なのだ。
「――初心者とやるのは、得意なんだ。妹も育てあげたしな」
「え、そうなんだ? ていうか、妹さんもこのゲームやるの?」
意図せずあがった別の話題が、荒れ果てた大地に花を咲かせてしまった。
……また訂正だ。
咲かせてしまった、ではない。俺が咲かせたのだ。
今日も俺は選択をしなかった――いや、した。
俺は、逃げるというコマンドを連打していた。
『黒木陽は逃げた――だが、失敗した』
いつそのメッセージがでることか、びくびくしながらも、俺は土曜日の約束を撤回しなかった。
◇
池に石をなげれば、波紋が起こる。
魔法を使えば、マジックポイントが減る。
物理を上げれば、攻撃力は高くなる。
すべて、当たり前のことだ。
原因と結果。
それは等しく、万物に宿る世の中の大原則だ。
「え? にいに、まじでカンベンしてよ」
だから、自室のベッドに寝転がり、天上を見ていた時。
茜が俺の部屋にデバイスを借りにきたときの、その言葉も、何かしらの原因によって引き起こされた結果なのだろう。
俺は、起きるそぶりさえ見せずに会話を続けた。
「なんの話だよ」
「なんの、じゃないよ。それはこっちのセリフだってば」
「はあ? どういうことだよ、ほんとに」
「はぁ……わが兄ながら、なんてことでしょう」
茜は、やれやれと大きく首を振る。
「あのさ、にいに。なんでそんなに、つまらなそうな顔に戻ってるの? まるで当たった宝くじが、なにかの間違いだったみたいだよ」
「なんだよ、それ……」
自慢じゃないが、クジなんて当たったことがない。
「だから、それもあたしのセリフ。『いったい、なに、それ。最近、ずっと楽しそうだったのに』って」
俺は、これまでの葛藤を思い浮かべる。
どうやら、俺の幻想は崩れかかっているようだ。
藤堂と会っていないときも――現実的な悩みが俺を襲う。
「……必要なもんとったら、はやく出ていくように」
「うわー、逃げたー。にいに、さっすが、貧弱精神だ」
「うるせえ、しっし」
「はーい、はい。さすが年季のいった、しかめ面は、迫力がありますなあ」
「いってろ」
「おー、こわこわ」
茜は目当てのものを見つけると小脇にかかえて、出入口のドアに向かう。
振り返ることなく、ドアノブをつかんで――そのまま言った。
「ま、でも茜ちゃんが思うに――楽しそうな顔も、なかなかにいにらしくて、良かったんだけどね」
「……は?」
「これ以上は、課金が必要です」
「しません」
「しけたヤローだぜ――んじゃ、これ借りてくね。ばあい」
最後まで振り返ることなく、茜は退室していった。
我が妹ながら、よく分からないやつだ。あいつは俺よりも相当頭が良いので、たまにこういった何段階も上にステージがあるような、達観した会話をすることがある。兄としては非常に困る。何が困るって、いろいろと言葉が突き刺さってくることが多いからだ。
「……そもそも、楽しそうにしてた自覚もねえよ」
「あ、そうだ、にいに」
ドアがいきなり開いた。
内心びくりとしていたが、冷静を装う。
「……なんだよ」
「なんだよ、じゃないよ。明日、パーティだからね、どんなにつまらない顔してても、ぜったいに忘れないでね」
多分な、と返そうとして、茜の思ったよりも真剣な表情に言葉を呑み込んだ。
「わすれねーよ」
「絶対?」
「……絶対」
「よろしい」
ドアの閉まる音。
遠ざかる足音――一人の時間。
「寝よ」
ぶれぶれの思考は、ゆるい土台しか作れない。
俺に許されたことは、もはや目をつむり、夢の世界に旅立つことだけのように思えた。
だが。
どうやら俺は、俺が考えるよりもずっと末期の状態であるようだった。
俺は――夢の中でまで、藤堂とゲームをしていたのだから。




