第22話 レンズに向かって笑っている
月曜日。
昼休み。
ポコン♪、とチャットアプリの着信音が鳴ったのは、色々なものに耐え切れずに、久しぶりにボッチスペースで小倉こっぺに噛みついているときだった。
藤堂との関係は表面上なにも変化はないが、教室で大口あけられるほどの精神があるんだったら、俺は俺じゃない。ようするに俺は目に見えないものから、逃げたわけだ。
「――っ」
いじっていたスマホを落としそうになる。
一人で慌てふためいていたら、画面の通知を押してしまったらしい。
落ち着いたころには、アプリは起動しており、チャット画面に移行していた。
――誰からの連絡だろうか。
俺にチャットアプリで連絡をよこしてくるやつなんて、数人しかいない。
家族かAか……藤堂か。
『アカネ:にいに、動画の進捗、どうかなー? 完成したらアップしたいんだけどなー。夜は別のことしたいから、はやめにアップしたいんだけどなー?』
俺のバイト先のオーナーからであった。またの名を『実妹』。
このオーナーは大変人使いが荒いのだが、何も持たない自分としては、従うほかないのである。もちろん、好きでしていることだから良いのだが。
『ヨウ:すまん。完成品、渡してなかったな。夜に渡す。それか俺のPCのデスクトップにあるから』
ポコン♪、と間髪いれずに通知音。
『アカネ:え? いいの? えっちいやつ、あるのに』
『ヨウ:ねえよ』
事実としては、そんな簡単に見つかってたまるかよという話なのだが、まあそこは、いい。
『アカネ:ふーん? まあいいけどね。お兄ちゃん大好き妹としては、ブラウザ履歴とか見ちゃうぜー?』
『アカネ:スタンプ(覚悟は、できているのかい?)』
「めんどくさいな、こいつ」
息を吐き出すように笑ってしまったことに理由があるのかは分からないが、本当にめんどくさいのは〈俺自身〉だってことはよく知っているので、すぐさま気を取り直して『勝手にしろ』と返信しようとして、はたと止まる。
――履歴?
「履歴?」
大事なことだ。己に言い聞かすように、繰り返す必要がある。
そして結論。
俺は唐突に真顔へとフォームチェンジした表情を、さらに引き締めて、画面をタップしていく。
履歴――それはよろしくない。
なぜって、週毎にさかのぼられでもしたら、最後。
そこには『藤堂真白』というワードが、これでもかというほど並んでいるのだから。
――数分後。
結局、動画の最終調整があるとかなんとか、適当に苦しい言い訳をして、俺は対面での動画の引き渡しを約束した。
茜はまったく信じておらず、それどころか急に変化した兄の対応にただただ興味だけを覚えているのか、スタンプ連打などを繰り出してきたが、俺は全てを無視した。バレるよりよほどマシだ。……いや別に、藤堂真白を調べることが罪だというわけじゃないんだけどさ。
空を見る。雲の速度を確認する。意味はない。
なんだか最近、快晴が続いている。
四月ももうすぐ終わり、五月だ。
大型連休が控えているのだが、それを迎えいれる気持ちが去年とは大違いだった。
空を見ていると、思考は散漫と散っていき、避けていたことまで考えてしまう。
――大型連休か。藤堂は、仕事かな。
……いやいや、なにを考えてんだ、俺は。
恋する乙女みたいなことを考えやがって。
断言しておくが、俺は藤堂のことをどうかしたいだとか、そんな不純なことを考えてはいない。もっとこう、なんか、違う感情だと思うのだ、これは。
友達、知人、知り合い……まあ、やっぱり一番しっくりくるのは『仲間』か。
問題は俺に、リアルのゲーム仲間がかねてから不在で、さらにいえばそれが美少女ともなれば虚実交えて前代未聞だということぐらい。
ぐらい、ではないか。それが全てのような気もするが……ああ、やめやめ。
とにかく俺の人生にとって、あんなに上流の階級にいる存在との関わりというのは、それだけでもう、一つ物語ができるぐらいの衝撃が起こるのだ。
転生だとか、転移だとか、タイムワープだとか、タイプリープだとか、まあなんでもいいが、そんなことが起こらなくったって成立するぐらい、俺にとっては一大事なのだろうと思う。もし俺が主人公の映画があったら、きっと視聴者からは大ブーイングを頂くことだろう。イベントなんてほぼ起きない。
だから俺はこう言うしかない――こんな俺に、どうしろって?
とりあえず、コッペパンは食った。
休憩時間を確認すれば、まだ20分もある。昔はヘッドフォンで耳を塞いでいれば、学校なんてすぐに終わったものだが、今ではそれも変わってしまったらしい。
ゲームでもすればいいんだろう。だが、なぜだか今日は、エアポケット・ウォーカーをする気分にはなれなかった。
階段踊り場ではない場所で、一人で、それをプレイするには、色々と悩みが多すぎた。
さて、どうするか。
移動する気はないが、やることもない。
じつは寝不足気味なので、いっそ寝てしまうか――決まってしまえば話は早い。
俺はスマホをポケットにねじ込んだ
同時に、ポコン♪ ポコン♪、とチャットアプリの音が連続して鳴ったが、無視をした。
どうせ茜のスタンプかなんかだろう。
背後の壁に寄りかかって、目を瞑る。ボッチスペースのため、喧騒は聞こえども、人の視線も気配もない。
寝よう――だが、思考は勝手に考えを巡らせる。
人間の脳みそは不思議だ。
考えたくないのに、イメージが次々と思考を追いやり、まるで時間のように、俺の体を前へ前へと押し込んでくる。
そっちに行きたくないのに、一日ずつ年を重ねさせ、一歩ずつ大人にさせてくる。
前に進みたくない気分のときだって、それを拒否することは叶わない。
ポコン♪、と再び着信音。
茜もしつこい。今は放っておいて欲しいのに。
どうせ趣味の悪いスタンプを送ってきているのだろう。そもそも、なんだあのスタンプは。どんなやつが作成してんだよ。売れると思って制作したのだろうか――いや、妹が買ってるのだから、センスがないのは俺だった。
「寝る、寝る、寝る、寝る……」
暗示だ。暗示をかけるのだ。
俺はMMORPGのエンドコンテンツに挑戦するような気持ちで、事に挑んだ。負けたら最後、固定化された攻略メンバーから外されてしまうぞ、と自分を脅す。
10分。
10分でいい。
少しでいいから目を瞑ろう――ボコボコボコン♪ ボコボコボコン♪
「あいつ、まじかよ……」
まさかのボイスチャットの着信音だ。
これはチャットアプリに含まれるサービスの一つであり、IDを知っている相手ならばネット回線で会話ができるというものである。ようするに電話だ。
茜のやつ、なにがそんなに気になるんだ……。
雇用主に悪態をつくという、あまり褒められない気持ちを持ったまま、俺は電話を取った。
耳に当てれば応答できるという機能を利用し、画面さえ見ずに、応答してしまった。
目をつむったまま、口だけを動かす。
「いい加減にしてくれ。何がしたいんだよ」
『あ、やっぱ……怒ってる?』
「……え?」
俺の思考は止まった。
開眼する。いや、それは格好良く言い過ぎた。驚きのあまり、目が覚めた。
これは、茜の声ではない。
だが、聞いたことのある声である。
俺はおそるおそるスマホを耳から遠ざけて、画面を見た。
『マシロ:会話:0分16秒』
やっちまった。
俺は顔をしかめるが、時間は止まらない。
俺は耳にスマホを当てなおした。
「わ、わるい。妹と勘違いしてた」
『へー。妹さん、いたんだ』
「お、おう」
『喧嘩中とか、だった?』
「ああ、それはない。うちは喧嘩とかほとんどないから」
茜がゲームでキレないかぎりは。
『へえ、そうなんだ、羨ましいなあ。わたし、一人っ子だからさ』
「ああ、そうなのか……」
今更気が付く。俺は妹の存在を教えていなかったのだろうか。そういえば藤堂の家族構成さえ、俺は知らない。俺達は、お互いのことを何も知らないらしい。
『で、さ。黒木くん、いま忙しいの?』
「い、いや? べつに……」
『じゃあ、写真、見てくれた?』
「写真……?」
写真とはなんだろうか。
俺は自慢じゃないが、集合写真でさえカメラレンズを見ることができない。
『チャットアプリで送ったんだけど』
「あ、ああ……!」
そこまで言われて、気が付く。
勝手に思い込んでいたが、さきほどの受信音は茜ではなく、藤堂からの連絡も混じっていたのか。
「ちょっと……ちょっと待っててくれ」
突然のことに、頭がついていかない。
必要以上に混乱してしまい、日常会話さえおぼつかないみたいだ。
雑踏が遠く聞こえるのが、今の状態ではむしろ好ましい。どこか体裁を保っていられる。これが部屋で一人だったら何をしでかしていたか分からない。
俺は耳から再びスマホを話すと、今度はアプリを操作して、チャットモードの画面を表示させた。受信一覧が開かれると『マシロ』と表示されたアイコンにシステムメッセージが表示されていた。
『マシロ:通知:3件』
俺は何を考えるでもなく画面をタップ。
すると勝手にダウンロードされる設定にしていたアプリが、画面いっぱいに画像データを表示させた。
一瞬、なにが映っているのか分からなかった。
まず目に映ったのは、空の色。
つぎに白い布。
それから緑と黄色の背景。
最後に――藤堂の笑顔。
理解する。
それは、白いワンピースを着た藤堂だった。
青い空の下で咲き誇る数多の黄色い花をバックに、レンズに向かって笑っている藤堂真白だった。




