一月二十日 チョコ製作特訓と舞台裏の片鱗
「もーっ、ホントにビックリしたんだからね?」
「あはは、ゴメンゴメン」
いつもの部屋で、口を尖らせる沙織を彩が宥めていた。しかしその口調は軽く、心から反省しているかは疑わしい。
「ちゃんと教えてくれればよかったのに」
沙織も真剣な謝罪を求めているというわけではなく、一言伝えたかったというだけの様子である。
「それはさ、一種のサプライズってやつだよ」
「全然嬉しくない……」
部屋には他の人物の姿はない。他の三人は、それぞれ委員会の仕事をしている。沙織と彩がこの場にいられるのは、彼女たちの協力があってのことである。
「でもさ、アイちゃんの本音が引き出せたでしょ?」
「うん、まあ……ね」
要の言葉がどのような意味を含んでいるのかはわからなかったが、少なくとも悪い結果ではなかったと断言できる。要が嘘偽りを口にするなど考えられない。
「それならあとは突き進むだけでしょ!」
沙織は「そうだね」と返し、心に生まれていた疑問を口にする。
「あのさ、女同士で付き合うって……どんな感じなの?」
「うーん、特に意識したことないしなー」
「そもそも、付き合うとか恋人って何?」
「深い質問だね」
沙織の剣幕に押されてか、彩も真面目な顔になって考えている。お調子者で通っている彩だが、こういう時には親身になってくれるところが頼りになる。
経験したことがない以上、沙織は交際というものがわからなかった。世の中に溢れる物語では何度も目にしたことはあるが、そのどれもが創作だと言わんばかりの演出に塗れており、現実感を得られなかったのだ。
「そうだなー、あたしの考えだけどね」
彩がそう前置きして語り出す。沙織も聞く姿勢を作った。
「恋人と友達の違いって、特別かどうかってことだと思うの。他の人にはない特別な気持ちとか行動とか、そういうのがあるかないかで違ってくるんじゃないかな」
特別という言葉に脳の一部が反応する。要の特別な存在になりたいと、今までも無意識に何度も考えていたからである。
「それは……たとえば、どんな感じ?」
「うまく言えないけど、まずはお互いが好きだって想い合ってることだね。あとは──」
「あとは?」
「キスとか、その先とか。さおりんにはちょっと刺激が強すぎるかなー」
「……へ、へえー」
曖昧な言葉が意味するところは沙織にも理解できる。ただ、その言葉が出てきたということは、彩と悠希もそういうことをしているのだろうと勘繰ってしまう。生々しさに直面した気分に苛まれる。
「でもさ、それも他の人とは絶対にしないことだから、特別だよね」
「うん、確かに……」
「こういうのって決まった答えがないから、結局はそれぞれの自由ってことになっちゃうけどさ。ありのままで向き合えばいいんだよ」
先日見た、彩と悠希の口付けが脳裏に映し出される。縁遠すぎる光景は神秘的にすら思えた。すべてが好転すれば、あの二人は自分と要に置き換わるのだろうか。
要の唇が脳裏に浮かぶ。いつ見ても瑞々しい輝きを保っている。きっと他にはない弾力と柔らかさを兼ね備えているのだろう。そこに触れることができたなら、どんな気分を味わえるのか──。
「あ、そうだ」
「んなっ、なに?」
彩の言葉で我に返り、沙織はつい変な声を出してしまった。妄想が過ぎていると心の片隅で自嘲する。
「ぼちぼちチョコ作りの練習始めない? 何事も早い方がいいよ」
「そうだね。お願いしてもいいかな」
その言葉が合図になったように、彩の目が鋭くなり、口元は企みを孕んでいるかのような曲線を描く。
「ようやくやる気になってきたね。ビシバシいくよ?」
言うが早いか、沙織の腕を掴んで扉へと向かう。
「ちょ、ちょっと」
「善は急げって言うでしょ? 今からあたしの部屋で特訓だよ!」
「あの、急過ぎない?」
「過ぎない! アイちゃんに想いを伝えるんでしょ?」
「……うん」
「と、いうわけで特訓。オッケー?」
有無を言わせぬ形で、沙織は彩に引きずられていく。こういった強引さは、後ろ向きな自分にとってはありがたい。行動の根底にある思いやりがわかるからこそ嬉しくもあった。
図書館から出る直前、悠希と目が合う。彩に掴まれた手を見る眼光が鋭いのは気のせいか。
「あら、お話はもう終わったのですか?」
「ええ、まあ」
「それでね、今からあたしの部屋でチョコ作りの特訓するの」
「そう。私はまだ仕事があるから、しっかり教えてあげるのよ?」
「もちろん! って、あれ? アイちゃんとナギさんは?」
「二人には先に帰ってもらったわ。あとは私だけでも片付けられそうだから」
「そっか。じゃ悠希、お先にー」
「失礼します」
沙織が頭を下げ終わる前に、彩が腕を引く。体勢を崩されながらも、どんなチョコを作ろうか今から想像を巡らせていた。
それを受け取った要が、どんな反応を見せてくれるのかということも。
そうして淡い期待を抱いてチョコ作りに臨んだものの、前途多難な走り出しとなった。
チョコを湯煎する時には溶け具合が一定にならずに失敗し、材料の配合を間違えて色合いがおかしくなり、仕上げの加熱が不十分で綺麗な形にならず、果ては甘い香りに包まれ過ぎたせいで体調不良にまでなりかけた。
「うぅ……今までで一番の強敵かも」
弱音を吐く沙織に、彩も肩を竦めている。
「やれやれ。でもまあ、筋は悪くないからすぐに良くなると思うよ」
「ホントに……?」
「あたしがいるからねー」
溜息を隠すことなく、沙織は練習台となった試作品たちを口に運ぶ。味は悪くない。形もすべてが歪んでいるというわけではない。
けれど、要に想いを伝えるということを考えると妥協などしたくない、というのが沙織の考えだった。
「まだ日はあるんだし大丈夫だって。今まで色んなの作ってきたんだから手慣れてるだろうし──」
その時、彩の携帯電話が軽快な音楽を奏でた。
「電話?」
「ううん、メールみたい」
作業を中断して携帯電話を開く彩。その表情が、一瞬微笑んで元に戻った。
「さて、もう少し休憩したら続きやろっか」
「返事しなくていいの?」
「うん。後でね」
彩がその時浮かべた笑みは、先日四人で話をした時の表情に似ていた。格好の材料を見付けたような、無邪気な期待を振りまいている。
*
それから一時間ほどする頃には、沙織もそれなりの技術を習得していた。
今日のところはこれくらいかと彩は判断する。それに、あのメールに返事をしておきたい。
「そろそろいい時間だし、今日はこの辺にしとこうか」
「あっ、もう五時過ぎてる」
言葉にはしなかったが、そろそろ悠希が戻ってくるという直感があった。余った試作品を土産として沙織に持たせ、廊下まで出て背中を見送る。
「じゃ、またねー」
「ばいばーい」
沙織の姿が見えなくなってから、部屋に戻った彩は携帯電話を開いた。電話帳からある番号を呼び出して発信する。
「あ、もしもしアイちゃん? さっきのメール見たよ。うん、それでね──」




