十二月三十一日 秋奈と衿香の年越し
午後八時。秋奈はホットカーペットに敷かれた毛布で暖を取りながら、母親が作ったおせち料理を食べていた。テレビの向こうでは、男女の組み合わせで分けられた歌合戦が繰り広げられている。
しかし秋奈はそれには目もくれず、もっぱら横の二人が熱中するばかりだった。
「やっぱりこれを見ないと年末って気がしないな」
「今年はどっちが優勝するかしら」
秋奈の両親は番組の動向に興味津々だった。一方の秋奈は食事も一通り終えており、今は残った物を惰性でつまんでいるくらいである。
今日の深夜から翌年にかけて、衿香と初詣に行く約束をしている。今からそのことを考えて心は躍る……はずなのだが。
「よっ、待ってました!」
「有名どころを出してくるじゃないの」
テレビに向かって話しかける二人は秋奈の心を乱していた。静かな年末とは程遠い室内。早く衿香に会いたいと思うのは当然だった。けれど、約束の時間はまだ先である。
「……はあ。あむっ」
気を紛らわすためか、箸が進んでいた。栗きんとんが空になったので、冷蔵庫から残りを勝手に出して食べる。そんな娘の行動も露知らず、両親はビールのグラスを傾けていた。
「今年の衣装はどんなのが出るんだろうな?」
「さあね。でも、とんでもないことをしてくるのは確かね」
話している内容がわからなくもないが、興味を持つかどうかは別問題だった。今の秋奈は、衿香のことしか考えることができない。
──口付けを交わした、あの日から。
その瞬間を思い出してしまい、秋奈は小さく首を振る。両親がテレビに夢中だったのは幸いだった。秋奈の表情が変わったことに気付いた様子はない。
そんな秋奈を阻んでいるのは、年越し蕎麦を食べるまでは外に出てはいけないという薙坂家の決まりだった。意味も理由も不明だが、帰省して家にいる以上それに従わざるを得なかった。
秋奈は顔をあげ、壁にかけられた時計を見た。まだ今年は三時間以上残っている。
ようやく年越し蕎麦が出てきた時には、自分から準備を手伝って早く食べ終われるようにした。
いざ食べ終わると、新年までもう一時間を切っていた。高揚感にも似た奇妙な感覚を抱きつつ、秋奈は家を飛び出した。衿香への連絡は既に済ませてある。
「秋奈ちゃん、お待たせ」
待つこと数分、衿香がやって来た。寒空の下で立ち尽くしていたというのに、少しも辛いと思わなかった。
「ううん。ほら、早く初詣に行こう」
差し出した手を覆うのは、先日衿香から貰った手袋。それに応じる衿香の手にも、やはり秋奈からの贈り物。それを繋げば、温かさが何倍にも膨れ上がる。
その手を、秋奈はコートのポケットへと招き入れた。周囲から完全に隔絶された小さな空間で、衿香の手を何度も握る。そのたびに衿香からも握り返され、目を合わせては微笑み合った。
最初の分かれ道、左へ進めば神社方面なのだが、秋奈は右へと曲がった。
「あれ、どうしたの秋奈ちゃん。道こっちじゃないよ?」
「こんな夜に散歩するなんて、あまりないでしょ? それに……衿香とは少しでも長く一緒にいたいから」
照れが膨らんで衿香の方を見ることができないが、それでも悪いように思われてはいないと感じていた。
「秋奈ちゃん……あたしもずっと一緒にいたい」
寄り添う衿香の温もりを腕に感じながら、秋奈は夜の街を歩く。人通りもまばらな道を、衿香と二人で。歩幅はできる限り小さくし、少しでも長くこの時間が続くようにした。
線路の高架下をくぐり抜け、大きな交差点にぶつかったところで右折する。川を越える橋の脇道を進めば、インディアンを模したトーテムポールが立つ小さな公園が見えてきた。
「ここで少し休んで行こうよ。もうすぐ年も明けるし」
言いながら秋奈は時刻を確認する。午後十一時五十七分。それぞれの年越しが近付きつつあった。
「今年も終わっちゃうのかあ」
ベンチに腰掛けると、衿香が先に口を開いた。声とともに立ち上る白い吐息が空気に溶けていく。
「なんだかあっという間だったね」
「うん……でも、秋奈ちゃんと会えなかった日だけは長かった気がする」
「私だって、いつも衿香に会いたかったよ。でもさ──」
そこで何か言いかけた秋奈を制するように、衿香が言葉を紡ぐ。
「あたしの受験も、きっとすぐだよね」
「そうだよ。こっちにいる間は私が勉強見てあげてるけど、結構いい調子だよね」
「秋奈ちゃんに教えてもらってるからだよ……」
体を寄せ合っているおかげで、寒さは気にならなかった。ここにある温もりの存在だけが確かなことなのだと秋奈は信じられる。
ふと時刻を確認すれば、新年まで一分を切っていた。携帯電話の液晶に表示された時計の三つの針が、一斉に頂点を目指して進んでいく。
「ほら、もうすぐ年が明けるよ──」




