十二月二十四日 秋奈と衿香のクリスマスイブ(1)
その日、秋奈の行動は慌ただしかった。
終業式を済ませ、教室に戻ってから担任が来るまでの間に、可能な限り鞄に荷物を詰めていた。解散の号令が出されたら、すぐに寮へと戻るためである。
時間はまだ午前。帰省の用意は部屋にしてあるので、制服から着替えればそれだけで出発できる。乗り換えの時間を含めても、午後二時過ぎには十分到着している計算だ。少し遅くなるが、昼食を衿香と一緒に食べられるかもしれない。
そう思うだけで期待が胸の鼓動を速める。教師が語る冬休み中の諸注意など耳にも入らない。それなのに、時折聞こえる生徒たちの小さな私語がやけにうるさい。
教師が今学期の終了を告げると、秋奈は逃げるように教室を後にした。
要と沙織に見送られて電車で揺られること一時間半。懐かしい駅では以前と同じように衿香が待っていた。
「おかえり、秋奈ちゃん」
「ただいま」
この短いやり取りだけで、衿香のいる場所が自分の帰る場所なのだと秋奈は気付かされた。それならば、自分は衿香の安らげる場所でありたいと思うのであった。
一緒に向かった秋奈の家には、誰もいなかった。この時間ならいるはずの母親さえも。
「あれ、いないってことは、もしかして……」
そんな不測の事態にも秋奈は動じる様子がない。それもそのはず、心当たりがあったからである。
「うん。少し前からあたしのうちで準備してるよ」
「そっか。結構早くからやってるんだ」
秋奈は納得して部屋へ荷物を置きに行く。必要な物を整理し終わってから、衿香の右側に並んで座った。懐かしい座布団の感触。秋奈がいない間にも手入れがされていたことが想像できる。
「勉強、ちゃんとやってる?」
「もちろん。先生にも今の成績なら久永は十分狙えるって言われてるし」
「そりゃよかった」
秋奈が頭を撫でると、衿香は心地良さそうに目を細めて呟く。
「だから……」
「うん?」
「早く、秋奈ちゃんと並んで歩けるようになりたいな」
「衿香ったら……」
その強い意志が、秋奈はたまらなく嬉しかった。撫でていた左手に力を少しだけ入れ、衿香の頭を抱き寄せる。
「どうしたの、秋奈ちゃん?」
「いいじゃない。久しぶりに会えたんだから」
衿香は「ん」と短く答え、秋奈に身を預けた。その手は秋奈の体に回されて、離れようとしない。
会えなかった時間の空白を埋めるように、二人は互いの温もりを確かめ合った。
秋奈の家に母親がいなかった理由は、先ほど衿香が言っていたように準備のためである。では、それがなんの準備だったのかというと。
「わっ、こりゃまた豪勢だねえ」
「そりゃ当然でしょ。久々に帰ってきた娘を歓迎しない親なんていないからね」
「それにしても母さん、これは今日中に食べ切れるか怪しいんじゃない?」
「大丈夫でしょ。あんたと衿香ちゃんがいるんだし。もし残ったら明日のお昼にでもするわよ」
午後七時、衿香の家。秋奈の帰省歓迎を兼ねて、クリスマスパーティーを開こうと計画されていたのである。
「ほら、座って。冷めないうちに食べちゃいなさい」
「わかったってば」
「衿香ちゃんも、お腹空いたでしょ? いっぱい食べてね」
「はーい!」
冬らしく、居間には炬燵が出されていた。二人は壁を背にして敷かれた座布団に並んで腰を下ろし、赤外線の温もりへと足を潜らせる。
「はあ……あったかい」
「ぽかぽかだね」
秋奈は手までも炬燵の中へと滑り込ませる。そうして温まっていると、違う熱が手に触れた。人工的なものではなく、もっと異なる柔らかな温もり。
「……衿香?」
「今だけ、こうしてたいな」
「しょうがないなあ。甘え上手なんだから」
毛布のカーテンで遮られた空間で、秋奈は衿香の手を繋ぎ返した。長くは続かない、二人だけの秘密。目の前にある料理よりも、今は衿香の方を優先したかった。
しばし訪れる静かな時間。秋奈が少しだけ距離を詰めると、衿香もそれに倣って動く。じりじりと近寄り続ける二人。ようやくその肩が触れ合おうかといった、その時。
「なんだ、まだ食べてなかったの? 待ってなくたっていいのに」
秋奈の母親だった。呆れたような表情で二人の向かい側に移動してくる。
「まあまあ、せっかく待っててくれたのだから、一緒に食べましょう」
言いながらその隣に座ったのは衿香の母親だった。その号令を合図に食事が始まる。
それぞれの目前には湯気が立ち上る白米と味噌汁が置かれている。他にもサラダや煮物といったクリスマスには似つかわしくない料理ばかりが並んでいるが、それこそが逆に日本人らしいとも言える。
「それにしても、父さんたちはこんな日も仕事だなんてねえ」
「しかも金曜だから、きっと帰りも遅いのよ」
「きっとまた飲んで帰ってくるに決まってるんだから」
「それで明日は昼過ぎまで大イビキかいちゃってくれるから困るわよね」
「うちのは寝相がひどくて。布団が毎日ひっくり返ってるのよ」
母親たちは日頃の鬱憤でもあるのか、二人で夫に対する不満話で盛り上がっていた。酒が入っているせいか、声も大きめである。
「これって私の歓迎パーティーじゃなかったの?」
そんな様子を見るのが忍びなくなり、秋奈はなんとも言えない気分になっていた。
「最初はそのつもりだったはずなんだけど……なんか、ゴメン」
「衿香が謝ることじゃないよ。ほら、料理はおいしいし」
場の空気に押されている我が子を置いたまま、半ば暴走とも言える状態になりつつある母親二人。秋奈と衿香にできることは、互いに視線を交わして苦笑するといったことを繰り返すだけ。
「まあ、あっちはあっちで楽しんでるみたいだし……」
秋奈が諦めたのは、それからすぐのことだった。向かいで顔を真っ赤にしている二人のことは視界に入れないようにする。
「じゃあ、こっちもこっちで楽しんじゃう?」
「それがいいね。衿香と食事するのも久しぶりだし」
秋奈と衿香は料理を食べながら、今までにあったことを話し合った。いつ、どんなことがあったか。自分だけが知っていたことを打ち明け、互いの知識に変えていく。
これでまた、秋奈は衿香との距離が縮まったように感じた。




