一月一日 要と沙織の初詣(2)
沙織たち五人を乗せた車は、高速道路を疾走していた。もちろん、向かう先は初詣である。
「ねえ、あとどれくらい?」
最後部に座る彩が身を乗り出した。
「この調子なら一時間もしないで行けるだろうな」
答えながら寮監はハンドルを握り直した。運転時に性格が豹変するようなこともなく、文字通りの平常運転である。
助手席には悠希が座り、その後ろには要と沙織。さらに後方の小さいシートには彩が陣取っている。
沙織は窓の外へと目をやった。流れていく住宅街や高層ビル。自然を感じさせる緑色が極端に少ない灰色の風景がある。
そんな景色をなんとなく目に映していると、意識せずとも記憶が巻き戻されていく。長期間ではなく、ほんの数時間前へ。
──今朝のことである。
朝食を目当てに食堂へと向かった要と沙織は、張りのある声に迎えられた。
「おはよう! 寝坊せずちゃんと起きてきたね。偉いぞ」
その発信源である寮監は、昨夜の酔いをまったく感じさせない様子だった。眠気の欠片すら感じ取れないほどの快活さで、自ら朝食の配膳を買って出ている。
「おはようございます。寮監は何時に起きたんですか?」
「ああ、これの仕込みがあったから六時前だったかな。それより、ご飯食べにきたんだろ? ほら、正月はこれがないと始まらんよね」
出されたお椀の中身は雑煮だった。透き通った赤橙色のつゆに浮かぶ一切れの餅。その横には三つ葉やほうれん草が添えられており、沙織の空腹感を刺激する。
「わっ、おいしそう」
「おいしそう、じゃなくて本当においしいぞ。なんたってあたしが作ったんだからな」
胸を張った寮監の言葉が正しいことを証明するように、二人は早々に食べ終わっていた。時計を見れば、午前九時少し前を示している。
「初詣だけどな、十時半くらいに出ようかと思う。それでいいか?」
「いいですよ」
「決まりだな。遅刻したら置いてくから気を付けなよ?」
まだ時間があるので、二人は部屋に戻ってしばし休憩することにした。外は寒いので、何を着ていくかを選んで話し合うだけで時間は過ぎていった。
そして予定の時刻。寮の裏手にある車両通用口には、メタリックシルバーの光沢を放つミニバンが止められていた。
「時間通りとはしっかりしてるね。ほら、乗りなよ。出発するから」
寮監が親指で車を示した。しかし、沙織は辺りを見まわしている。
「あれ、彩と泉沢先輩は?」
「ここにいるよー」
車の陰から顔を出したのは彩だった。その後ろに悠希の姿も見える。
「なんだ、わたしたちが最後だったんだ」
座席は誰が強い主張をするわけでもなく決まった。流れで、というのが一番しっくりくる表現だろう。
「よっし、それじゃ初詣に行きましょうかね」
寮監がアクセルを踏み込むと、エンジンが唸りをあげた。最寄りのインターから高速道路へ入り、流れる風景はその速度を高めていく。
そして、徐々にそれは現在の情景へと姿を変えて──。
「──お腹すいたなー」
彩の不満そうな声が沙織を現在へと引き戻した。午前十一時。そろそろ腹の虫が騒ぎ始めてもおかしくない頃合いである。
「なんだ、あたしの作った雑煮食べただろ? それに昨夜の残りも」
寮監がバックミラーへ視線をやった。
「成長期なんだからお腹は減るの!」
「向こうに着いたら屋台で何か買って食べればいい。もう少しの辛抱だ」
そう寮監に言いくるめられ、彩は不服な顔をしながらも引っ込んだ。
高速道路を出ると、同じ目的を持つであろう車が多くなってきた。目指す先は右前方に見える建物である。そこの駐車場が、年始数日は参拝客用として解放されているのである。
もちろん寮監の運転する車もそこに入ろうとしている。しかし、ずらりと伸びた車の列は動く様子がなく、右折レーンを超過して分岐前の道すらも塞いでしまうほどだった。
その原因は、右折信号が約十秒しか灯らない点にある。さらにスクランブル交差点でもあるため、待ち時間が長いのも一因だった。
「これじゃ車を入れるだけで日が暮れちまうな」
「どうしたらいいのでしょう……」
寮監と悠希が思案していた。要と沙織も考えてみるが、車列と同じく進展は見られない。
「こうなったら、みんな先に下りた方がいいかもしれんな。あそこを曲がれば細い一本道だ。停車中に下りる隙もあるだろう」
「でも、いいんですか?」
沙織が訊ねるが、当の寮監は決意を変える気などないらしい。
「他にいい考えもないしな。お前らもずっと車内にいたら退屈だろう?」
そこで寮監はわざわざ振り返って彩を見る。
「それに、はらぺこちゃんもいることだしな」
「……おなかすいた」
ぼそりと呟いた彩に、皆の頬が緩んだのだった。
「それじゃ、何かあったら携帯で」
寮監はそう言い残し、駐車場を目指す渋滞へと単身立ち向かっていった。小道を歩く四人に、容赦なく冬の風が吹きつける。
「うう、寒い……」
「沙織、そっち日陰だからこっちに来た方がいいよ」
そう言って導く要はニット帽を被っており、寒がる沙織の首にはマフラーが巻かれている。プレゼントを交換して以来、外出時に身に着けるのが二人だけの習慣になっていた。
「うん、そっち行くね」
要の隣を歩きながら、コートのポケットに入れられたその手に目が行っていた。寒いから仕方ないとは思いつつも、繋げないことが少し残念に感じてしまう。
「ねえ、アイちゃん。どっちに行けばいいの?」
「あそこの道に入って、しばらくまっすぐだよ」
寮監を除いた四人の中では、ここに来たことがあるのは要だけだった。必然的に、先導するのは要の役割となる。要と沙織が並んで前方を歩き、それに彩と悠希が後続する。
同じ場所を目指す人波に従いながら住宅街を進む。普段は閑静な路地なのだろうが、この時期は多くの屋台が並び、ほんの数日間だけ賑わいを見せている。地域振興にも一役買っている部分もあるようだ。
「あー、ベビーカステラだ!」
早速その一端を担うことになる彩の声。漂う甘い香りに捕まったようだ。
「これ食べたーい」
しかし数人が並んでおり、すぐには買えそうにない。
「もう、困った子ねえ……」
呆れ顔になりながら、悠希は前を歩く二人に告げる。
「すみませんが、お二人は先に行っていただいてもよろしいでしょうか?」
「えっ、それは……」
「どうしよう?」
要と沙織は視線を交わし、しばし惑う。
「いいんですよ、お気になさらなくても。二人きりで新年初の逢瀬をお楽しみください」
そうして浮かべた笑みは優雅でもあり、ほんのわずかな遊び心も滲ませていた。
「……それなら、ここからの道順だけ教えておきますね」
要は悠希に本殿への参拝路を伝える。道なりに進み、大きな通りに出たら右折するだけなので説明は難しくなかった。
「それでは、私たちは先に」
「ええ、私は彩と一緒ですので遅くなるかもしれませんが」
そこで悠希たちとは別れ、沙織は要と二人で歩きだす。その道中にも様々な屋台が連なっていた。甘酒を売る露店や、焼き鳥の実演販売などには人だかりができている。
「うわー、人多いねえ」
そうして辿り着いた参拝列の最後尾。沙織は背伸びをして先方を窺う。だが、そうしてみても列が早く進むわけでもない。
「毎年こんな感じだよ。去年はもう少しだけ後ろだったけど」
およそ五分間隔で列は進んでいるようだが、その歩幅はほんの少しだけ。長丁場の予感に、沙織は肩をすくめた。
牛歩とも言うべき遅さだが、列が進むたびに二人の体が離れそうになる。人波に流されそうになった瞬間、沙織の腕に慣れ親しんだ温もりが触れた。
「はぐれたら大変だから、こうしてようよ」
腕を掴んだ要の手が下りてきて、沙織のそれと触れ合った。共に手袋を着けていないので、素肌の手触りが直接伝わってくる。
「……手、寒くない?」
「繋いでればそんなことないよ」
人ごみに紛れ、二人の行動は隣の人物ですら明確に視認することは難しい。それを理解してか、沙織は積極的に動くことにした。
「こうしてたら、もっとあったかくなるんじゃないかな?」
繋いだ手を、そのまま自分の上着のポケットへと差し入れた。要は一瞬だけ驚いたような表情になったが、すぐに状況を楽しむような笑みを浮かべる。
「ほんとだ。沙織、頭いい」
歩みの速度は遅く、なかなか進まないが、二人でいるとそんな時間も苦ではなかった。退屈を感じたなら、繋いだ手を握ってみれば良い。握り返されたら、同じことを繰り返す。そうやっていると、むしろ時間が止まらないかとさえ思えてしまう。
並びながら周囲の景色を見れば、飴細工の店があった。そこから聞こえてくる軽快で規則的な乾いた音。刃物とまな板が奏でるその音から飴を切っていることが想像できるのだが、ここからでは人が多過ぎてよく見えない。
その音に混ざって、注意を促す警官の声が聞こえてきた。出所を探せば、境内の屋根に作られたやぐらに乗った警官が拡声器を口に当てている。
そろそろ周囲に観察する物がなくなってきた沙織。ふと前を見れば、男女の二人組がいる。男が女の背を抱き、撫でて温めているようだ。恋人か、それに準ずる関係なのだろう。
沙織もその真似をしてみたくなり、要の腕を撫でてみた。
「どうしたの?」
「要が寒いんじゃないかなーって」
「手を出してたら、沙織が冷えちゃうよ?」
「いいの。わたしがしたくてやってることだから」
実際、要と話しているだけで沙織の体は温まっていた。内側の芯が熱を帯びたようになっている。冬だというのに、震える寒さとは無縁だった。
入場規制は正門とその奥にある本殿入口の計二か所にある。ようやく正門をくぐった時には、車を降りてから一時間が過ぎようかというところだった。
正面の本殿に向かって右側には各種売店があり、お守りや護摩木などの販売をしている。左側には道がいくつか伸びており、そちらには露店が並んで賑わっている。
そして本殿へ向かう参道の途中には、煙がもうもうと立ち上っている巨大な壺があった。中には大量の線香が備えられており、利益を願う参拝客が我先にと煙を体の至るところへ浴びせている。
「あれって、やっぱりみんな縁起を担ぎたいのかな」
「多分ね。毎年ああだもん」
「要は行かないの?」
「いいの。沙織といた方がご利益ありそうだもん」
「そう、かなあ」
つい視線を逸らしてしまうが、要からの信頼を感じられて沙織は内心では大いに喜んでいた。
二か所目の規制を通過し、ようやく賽銭箱を目前に捉えた。人波に揉まれながらも繋いだ手は離さず、共に自由な方の手で五円玉を遠投する。悠長に祈りを捧げる時間などないので、心の中で願いを紡ぎながら左横の出口へと退散した。
「なんか、一気に疲れたね」
「だよね。だから、実は最近あまり来てなかったの」
「あははっ、そうなんだ」
「ねえ、沙織は何をお願いしたの?」
「そりゃあ、五円だけにご縁がありますようにって」
「ふーん。私は沙織との縁が深まりますようにってお願いしたんだけどな」
「あっ、わたしもそうすればよかった。今から変えても平気かな?」
今しがた抜け出たばかりの本殿では、再び参拝抗争が始まっていた。その様子を尻目に、沙織は要との縁を祈ってみた。
「──よし、お祈り完了」
その時、沙織の胃袋が寂しい声を上げた。表情を凍りつかせた沙織を見上げる要。
「お腹減っちゃった?」
「だって……お昼ご飯まだなんだもん」
すぐ近くの階段を下りた先には、いくつもの露店が連なっている。先ほどから食欲を刺激する香りが沙織の背中をぐいぐいと押していたのだ。
「沙織ったら、彩みたいだね」
要はそう言いながらも、階段の方へと手を引いてくれた。
「何食べようかなあ……」
建ち並ぶ屋台では焼きそばやあんず飴、じゃがバターなど多彩な食べ物が売られている。更に、ケバブや鳥皮餃子などの一風変わった食品も並んでいた。
「食べ物だけじゃなくて、他にも色々あるよ?」
要が言うように、射的や輪投げといった昔ながらの遊技場が連なる細道が伸びている。主な客層は親子連れのようだ。そして近くにはくじ引きの屋台。当選者の写真を貼っており、高価な景品が当たることを宣伝している。
「ああいうのって、当たらないようにできてるんでしょ? よく言うじゃない。景品の裏にストッパーがあるとか、一等の商品に紐が繋がっていないとか」
「噂でよくあるね」
「だから、わたしは食べる方にしか興味がないの」
「沙織らしいなあ」
それからは沙織の目に留まる物を見付けては立ち止まり、財布の中身と相談してから購入をするという繰り返しになった。隅々まで歩きまわり、いよいよ持ちきれなくなったところで沙織はあることに気付く。
「ところでさ、これ……食べる場所とかある?」
いくら人が多いとはいえ、ここは寒空の下である。風の吹かない屋内へと避難したくなるのも当然のことだった。
「一応あるよ。あっちの方に」
要の話ではこの先に信徒会館があり、そのロビーに誰でも利用できる簡素な椅子と机があるらしい。
人の群れを掻き分けて進むと、建物の入口が見えてきた。中に入り、ロビーを見渡す。
「よかった、あそこが空いてるよ」
ちょうど並んでいる椅子が二つ空席になっていた。腰を下ろすと、沙織の口から大きな溜息が零れる。
「疲れた……そういえば、ずっと立ちっぱなしだったんだよね」
「ゆっくり休もうよ。食べる物もいっぱいあることだしさ」
机に置かれた戦利品。それぞれは少量であるものの、数が重なれば大量となる。
「そうするー。とりあえず、一緒に食べようよ」
「まずは何から食べる?」
「これかな。一目見た時からおいしそうだったもん」
そう言って沙織はたこ焼きに手を伸ばした。




