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一月一日 要と沙織の初詣(1)

 ──そして日付は変わり、新しい年が訪れた。僧侶による最後の一撞きが放つ重低音が食堂内に響き渡る。

 テレビ画面の左上には零時ちょうどの表示がされ、アナウンサーが「あけましておめでとうございます」と質素な声で告げた。番組の雰囲気を壊さないためであろうが、どこか寂しさが漂っている。


「というわけで──みんな、あけましておめでとう」


 寮監に続けとばかりに、周囲でも同じように年初の挨拶を交わす寮生たちの姿があった。


「あけおめー」


 やはり口火を切ったのは彩だった。他の三人に軽く会釈を向けている。


「あけましておめでとうございます。本年も、どうぞ変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします」


 礼儀正しく角度を付けて頭を下げたのは悠希。流れるような動作は、その行いに慣れているのではないかと思わせる。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 続けて要が答えた。期せずして最後になってしまった沙織もその後を追う。


「えと、あけましておめでとうございます」


 下げた頭を戻し、要の方へ向き直る。


「……今年もよろしくね」

「よろしくね、沙織」


 同時に握る手に力がこめられた。今更ながら、これが妖しい秘め事のように感じられて沙織は頬の熱を抑えきれずに俯いてしまう。

 けれど、こちらから手を離そうという気にはなれなかった。







「そういえばさ、初詣ってどうする?」


 ちらほらと食堂から自室へと戻る寮生が出始めた頃のこと。そろそろ自分たちも解散だろうかと沙織が思い始めた時、そんなことを彩が言い出した。


「どうするって、この辺に神社とかあるの?」

「さあ? でもさ、お正月っていったら初詣じゃない?」


 沙織の疑問は解決しなかった。


「ないこともないですが、せっかくならば有名なところに行きたいですね」


 悠希の意見に、要が「そういえば」と続きを受ける。


「私が実家にいた時にね、結構大きなところに行ってたんだけど──」


 要が話して聞かせた場所は、初詣の参拝客が多いことで有名な神社だった。それは、毎年発表される参拝者数ランキングで常に三本の指に入るほどである。

 しかし、それだけ人が集まるだけのことはあるようで、屋台や出店の数も相当らしかった。


「いいね、そこ行こうよ!」


 真っ先に反応したのはこれまた彩だったが、続いて入り込んできた声は皆の予想を大きく外れたものだった。


「ふむ、あそこに行くとは四十崎もなかなか通だな」


 テーブルに手を突き、寮監が訳知り顔で頷いていたのである。


「寮監も行ったことがあるんですか?」


 突然の来訪者に、要は率直な疑問をぶつけた。


「もちろん。厄払いで護摩焚きをしてもらったこともあるぞ……っていかん、歳がばれるな。それより、本堂の賽銭箱前はまさに戦場だよな」

「そうなんです。あれでは入場規制をしている意味があまりないような気がしますよね」

「あれだけの人がいれば、どうしても問題は起こるものさ。大事なのはその中でいかにして利益をいただくかで──どうした小野原、難しい顔して」

「アイちゃんと寮監の話してること、よくわかんないんだもん。なんなの、ごまをたくって?」

「そうだな、簡単に言えば賽銭投げてご利益をお願いするのと同じようなものさ。難しく考えることはない。結局人間の考えた願掛けなんだから」


 寺社仏閣を好みながらも、寮監の言葉は深い信仰とは無縁の大雑把なものだった。


「それで、四人は初詣そこに行くのかい?」


 寮監の問いかけには要が答える。


「でも、ここからでは少し遠いですよね。だからどうしようかと思って」

「なんだ、そんなことか。だったらあたしが車を出してやるよ」

「えっ、でも……」

「いいのいいの。あたしも寝正月を過ごすつもりはないから、どこか出かけようかと思ってたところなんだ。そのついでさ」


 寮監は気にするなと言わんばかりに指を振った。それでも要は踏み込んで頼もうとはしない。遠慮している部分もあるのだろう。


「それじゃお願いしようよ。ねっ、みんな?」


 しかし、彩がその空気を打ち破った。


「おう、任せときな。あたしの運転テクなしじゃ生きられない体にしてあげようじゃないの……って、どんなテクだっての。あははは!」


 よく見れば、寮監の顔が赤い。そして向こうのテーブルに見える酒類の空き缶。酔っていることを推察するのは簡単だった。


「じゃあ、あたしは明日に備えて先に寝ようかね……って、明日じゃなくて今日だっつーの!」


 覚束ない足取りで、寮監は食堂から出て行った。主催者が退場したことで、食堂内に解散の空気が一気に漂い始める。


「私たちも部屋に戻りましょう。早めに寝ておかないと、朝起きられなくなるかも知れませんから」


 悠希がまず立ち上がり、他の三人を促した。


「そうですね」

「ちょっと眠くなってきちゃった」


 続いて要と沙織が立ち上がった……のだが。


「へぇー、二人ともやるじゃん」


 彩が格好の遊び道具を見るような目を向けてくる。沙織は不思議に思いながらも自分におかしな部分がないか確認し、そして理解した。


「あっ、手……」


 あれからずっと、要と手を繋いだままだった。テーブルの下に隠しておいたために誰からも指摘されず、だんだんと意識の外へと追いやられていたのである。


「だって、沙織が離そうとしないんだもん……」


 困り顔で言う要だったが、それでも振り払おうとしなかった。


「いいじゃん、一年の始まりだし。そのまま部屋まで戻っちゃいなよ」

「でも、ちょっと恥ずかしい……」


 沙織はどうするべきか迷っているようだが、続く悠希の言葉で後押しを受けることになる。


「でしたら、私と彩も手を繋いで帰ります。そうすれば照れも少しは紛れませんか?」


 返事を待たず、悠希は彩の手を取った。突然のことにも関わらず、彩は少しも動じることなく順応している。指を絡め、腕にしがみ付くまで三秒とかからなかった。


「アイちゃんとさおりんの仲良しっぷり、寮のみんなに見せつけちゃおうよ」

「……どうする、要?」


 沙織が横を向くと、やはり要も照れがあるようで視線が泳いでいた。


「私は……沙織がこのままでいいなら、いいよ」

「えっ」

「沙織は、私と手を繋ぐの……イヤ?」

「そんなことないよ!」


 ぶるぶると首を振る。そして頭を揺らしたことで脳が刺激されたのか、沙織に直感が舞い降りた。それは要の顔を見て確信へと変わる。


「このまま、部屋まで行こうね」


 けれど、その楽しそうな表情に導かれるのなら、それも悪くはないと思うのだった。


「それじゃ、また明るくなったらねー」

「後ほどお会いしましょう」


 彩と悠希に見送られ、要を連れて沙織はエレベーターに乗り込んだ。扉が閉じ、二人きりの瞬間が一足早く訪れる。


「なんだか、ちょっと寒いね。今まで人が多いところにいたせいかな」

「要って冷え性なんだっけ。大丈夫?」

「平気だよ。今は沙織とこうしてるから」


 繋いだ手が振られる。沙織は言葉を返そうとしたが、そこでエレベーターの扉が開いてしまった。会話は途切れたが、部屋に向かう廊下を歩いている時も手は揺り動かされていた。


「──うわ、部屋寒っ!」


 部屋に入るなり、沙織は思わず身震いをしてしまった。しばらく人がいなかったことで、すっかり冷え切ってしまったらしい。


「ほんとだ。早く温まらないと」


 身を寄せ合い、奥へと向かう。部屋の明かりとエアコンを続けざまにつけ、ようやく一息ついた。


「暖房つけても、しばらくは寒いままだよね……」

「すぐにあったかくなれればいいのになあ」


 寒さに震える要と沙織。そこで要が名案を閃いたかのように提案する。


「ねえ、お風呂にしようよ。それならすぐに温まれるし」

「そうだね。すぐにスイッチ入れてくる」


 沙織は一旦部屋から出て、浴室へ向かった。事前に掃除を済ませているので、言葉通り数十秒で戻ってくることができた。


「十分くらいで沸くから待っててね」

「うん。じゃあ、一緒に準備しよ?」

「一緒に?」


 首を傾げる沙織に、要はさも当然と言わんばかりに答える。


「えっ、一緒に入らないの?」

「……えっと」


 頭から抜け落ちていた選択肢が、そこでようやく浮上してきた。クリスマスにできなかったことを、今ここで。


「ねえ、一緒に入ろ?」


 そうやって上目遣いで迫られると、沙織に答えられる言葉は一つしか残らない。


「……うん」


 エアコンが稼働してまだ数分だというのに、沙織の体は既に熱くなっていた。







 新年を迎えて一時間もしないうちに要と裸の付き合いをすることになった沙織だったが、思ったほど過度な緊張はしなかった。事前に長く手を繋いでいて、いくらか気分が安らいでいたせいもあるのだろう。

 もしくは、要に主導権を始終握られていたからかもしれない。要が導いてくれるから、沙織も普段通りの自分でいられる。要に対して積極的に接することもできた。

 浴室から出れば、あとは眠るだけ。電気を消した部屋で布団に潜り込む。湯上がりの火照った体は冷たい布団を瞬時に温めた。


「沙織、もう寝ちゃった?」

「まだ起きてるよ」


 それに、要と肩を寄せ合っていることで温もりも倍増していた。暗闇にも目が慣れつつあるが、裸眼のぼやけた視界では要の顔を明確に捉えられない。


「もう、早く寝ないと起きられないよ?」

「だってー」


 けれど、間近に要がいるということはわかる。その事実だけで十分過ぎるほど幸せだった。


「……ねえ、沙織」


 要の声が少し小さくなる。


「うん」

「今年も、去年みたいに一緒にいようね」

「……うん。わたしも、要と一緒がいい」


 要の手を、沙織は両手で包みこむ。何度も触れた滑らかな肌は、飽きることなどあり得ないと思わされるほどの温もりを沙織に与えた。


「……」


 それからは、どちらからも口を開かなかった。布団の中で寄り添っているうちに、いつしか二人は眠りに落ちていく。

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