十二月二十四日 要と沙織のクリスマスイブ(2)
昼食はつつがなく終わった。元より秘めた期間が長かった想いは、すぐに心の奥底へと封じることができる。普段通りに要と接することも容易だった。
その後二人は荷物をまとめ、寮へと向かった。私服の要と、制服の沙織。並んで歩く二人の姿は、道行く人々にどのような目で見られるのだろうか。仲の良い友人か、それとも。
寮の部屋は、沙織の予想に反して綺麗に片付けられていた。
「秋奈がごちゃごちゃにしてくかと思ったんだけどなー」
どうやら、事前の準備を綿密に済ませていたらしい。箪笥やクローゼットをひっくり返したような形跡は微塵も残っていなかった。本当に着替えのためだけに戻ってきたのだろう。
「きっちりしてて、秋奈さんらしいじゃない」
「抜け目ないって言うべきじゃないかなー」
この場にいない秋奈を話の種にしながら、沙織はリモコンを操作して暖房をつけた。まだパーティー開始まで時間がある。頃合を見計らって彩からの連絡が来ることになっているので、それまでこの部屋で過ごすつもりだった。
──要と二人で。
「沙織の部屋、いつ見てもきれいだね」
顔を覗かせかけた邪念は、無垢な表情で部屋を見渡す要の姿を見ることで浄化された。
「そうかな。必要ない物とかすぐに処分しちゃうから、そのせいかも」
「沙織ってすごいな。私って色々と溜めこんじゃうから、掃除が大変なんだよ」
「でも、要の部屋だってきれいに片付いてたよ」
「それは、散らかってると恥ずかしいから……」
「要って一人暮らしなのに、なんで恥ずかしいの?」
「……沙織に散らかってる部屋なんて、見せられないよ」
「それだったら、わたしが片付けてあげるのに」
ベッドに並んで腰を下ろし、他愛もない話を続ける。毎日こうして話をしているのに、話題が尽きないのが不思議だった。何も話す内容を考えていなくても、自然と口が動いて言葉を紡ぎ出す。
そんなことは、要以外ではあり得ないことだった。秋奈でさえも、その例外に入ることはできない。それは、要が特別な存在であることを裏付けている証拠。
「最近一気に寒くなったよね」
「ホワイトクリスマスになるかな?」
「どうだろう。天気予報では晴れるって言ってたけど」
部屋と体が徐々に熱を帯び始めた頃、沙織の携帯電話が鳴った。
「あ、きたきた」
彩からのメールだった。沙織は内容を確認し、要に告げる。
「準備できたってさ。時間もいい感じだし、行こっか」
時刻は午後三時二十分。ちょうど小腹がすき始める時間だった。
「うん。どんなケーキができてるんだろうね」
「楽しみだなあ」
期待を膨らませながら彩の部屋へ向かう。エレベーターを使わず、階段で。
時間をかければ、それだけ長く要と一緒にいられるから。ゆっくり行った方がもっとケーキに期待できると言うだけで、要は素直に従ってくれた。
それでもいつかは必ず目的地に着いてしまう。彩の部屋を目の前に、沙織は扉をノックする。
「彩、来たよー」
しばしの沈黙。それはすぐに解錠の音で破られた。
「いらっしゃーい。ほら、入って入って」
部屋へと入ると、すぐに気付いた。辺りに漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「いい香り……お腹減っちゃうよ」
「あはは。さおりんは食いしんぼだね」
「そんなことないもん」
沙織と彩が話している横で、要は部屋の内装に視線を走らせている。
「あれ、どしたのアイちゃん。何か変なとこでもあった?」
「そういうわけじゃなくて……」
「あっ、そうか。アイちゃんがこの部屋来たのって初めてだっけ」
「そうだよ。だから、ちょっと新鮮だなって」
「あれ、そうだっけ? なんだか意外だな」
沙織が驚いた表情を浮かべた。
「私もそう思う。沙織の部屋くらいしか行ってなかったからかな」
「まあ、わたしもそんな何度も来てるってわけじゃないけどさ」
奥の部屋に通された沙織は、中心に置かれた小さな机に目を留める。
「あ、この机かわいい」
「でしょ? ちょっとしたインテリアにもなるし、お茶もできるし一石二鳥なんだ」
続けて彩は二人に座るよう促した。腰を下ろした二人に、奥で待っていた悠希が声をかける。
「いらっしゃいませ。ようこそ、おいでくださいました」
「あ、えと、本日はお招きいただきましてまことにありがとうございます」
「沙織、硬くなりすぎだよ」
要が破顔すると、悠希も「そうですよ」と頷く。
「せっかくのパーティーですから、そんなに緊張なさらないでください」
「そうそう。楽しまないと損だよ?」
そう言って彩も机に向かって腰を下ろした。
「もう少しでケーキができますので、しばらくお待ちくださいね」
「それまでお話でもしてようよ。クリスマスは女の子のための日なんだから、それっぽいことしなきゃ」
「では、私は先に紅茶の準備をしてきますね。どうぞごゆっくり」
悠希がキッチンへ向かい、扉が閉じられた。その音を合図にしたかのように、同学年の三人は顔を向かい合わせる。
「でさ、ナギさんのことなんだけど」
「秋奈がどうかしたの?」
口火を切った彩に、沙織が答えた。
「学校終わって早々帰省なんて、やるなって思わない?」
「うーん、慌ただしいなとは思ったけど」
その言葉が気に入らなかったのか、彩は頬を膨らませる。
「もうっ。ナギさんの目、ちゃんと見た?」
「目?」
首を傾げる沙織から視線を外し、彩は要に目を向ける。
「アイちゃんは、何か気になるところはなかった?」
「そうだなあ……言われてみれば、なんだかウキウキしてたように見えたかも」
「さすがアイちゃん鋭いね。ナギさんの目、あれは恋する乙女の目だよ」
得意気に指摘した彩を尻目に、要と沙織は視線を交えた。数時間前に、ちょうどそのような話をしていたからである。
「沙織の方が鋭かったみたいだね」
「まさか本当に秋奈は好きな人がいるのかな……」
「おーいお二人さん? あたしにもわかるように話してよー」
蚊帳の外にされかけた彩が割り込んできた。
「えっとね、さっき駅で秋奈を見送った時に話してたことなんだけど──」
「──なるほどね。そうすると、さおりんは詳しい話を聞いていないんだ」
沙織が事のあらましを話し終えると、彩は頷きながら呟いた。
「詳しいことって?」
「それは……」
「お待たせしました。紅茶ができましたよ」
彩が言い淀んでいると、それを助けるかのような瞬間に悠希が入ってきた。机に紅茶の用意をしていくその姿に、沙織の質問は中断されて投げ出された形になる。
「わ、いい香りですね」
沙織の心にほんの少しだけ芽を出したもどかしさも、場に漂う芳香にかき消されてしまった。
「ええ。今日は特別な日ですから、普段以上に力を入れてみました」
「いつものお茶だって、悠希は本気出してるじゃない」
「そういうこと言わないの」
彩は悠希に額を突かれていた。微笑ましくもじゃれ合うその姿に、しばし沙織は見入ってしまう。
その様子に、どこか心惹かれる部分があったのだ。彩と悠希の姿が揺らぎ、代わりに浮かび上がるのは要と沙織自身。要とあのようにじゃれ合えたなら。
「さあ、冷めないうちに召し上がってください」
悠希の声に、沙織は我を取り戻した。カップに満たされた琥珀色の液体を見つめる。映り込んだ自分の姿は、どこにも変化などない。
「どうしたの、沙織」
顔を上げてみると、要と目が合った。無垢な瞳に心まで見透かされそうに思え、隠した本心が曝け出されそうになる。
「な、なんでもないよ。ほら、わたし猫舌だから」
咄嗟に取りつくろい、沙織は紅茶に息を吹きかけた。
視界の端で、再び彩と悠希を見る。先ほど味わった感覚の正体はなんだったのか。解決する手段を見付けられぬまま、沙織はほとんど考えなしに口を開く。
「それにしても、彩と泉沢先輩って仲良しだよね」
そんな呟きに、なぜか彩はきょとんとした表情になる。
「当然じゃん。だって、あたしたち付き合ってるもん」
「……えっ?」
鏡映しのように、今度は沙織がぽかんとする番だった。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「初耳、なんだけど……」
「えっと、アイちゃんは?」
「……初耳」
要もカップを持ったまま固まってしまっていた。
「あららー……勝手に言った気になってたみたい」
彩が申し訳なさそうに視線を泳がせた。
「そういえば、四十崎さんと麻生さんには言ってなかったわね」
悠希も彩に向けて動揺したような視線を送っていた。普段は穏やかな悠希が見せるその様子が珍しく、沙織はしばし目を奪われる。
ほんのわずかだけぎこちなくなった空気の中で、彩が何かを閃いたらしい。
「そっか。ナギさんには言ってあるから、それでアイちゃんとさおりんにも言った気になってたんだ」
「ってことは、秋奈は知ってるの?」
「あ」
再び彩の表情が固まったが、その真意を沙織が察することはなかった。ただ、秋奈にだけ明かしていたことで、ばつが悪く感じているのだろうと想像するだけだった。
救いを求めるような彩の視線を受けて、悠希が話を引き継ぐ。
「そういうことになります。薙坂さんとは以前お話をした時に、私たちの関係をお伝えしたのです」
「えっと、ほら。あたしと悠希はそういう仲だけどさ、今はそんなの気にしないで楽しもうよ。せっかくのクリスマスなんだし」
答えを返さない沙織の視線は泳ぎ、同じようにしている要と何度も目が合った。
「もしかして……そういうの、ダメなタイプだった? ひかれちゃった、かな」
彩の不安そうな声。沙織は複雑な表情をしながらも正面から向かい合って告げる。
「……びっくりはしたけど、否定するつもりはないよ。誰が誰と付き合うかってのは、その二人の勝手だと思うから」
「私も同じだよ。ちょっと驚いて、なんて言ったらいいかわからないだけだから。えっと、おめでとう……でいいのかな」
続く要の言葉に、彩はようやく表情を柔らかくした。
「それじゃあ……今までと同じように、友達でいてくれる?」
「もちろんだよ」
沙織が彩に微笑み、要もそれに続く。
「私たちの関係が変わることなんてないよ。ずっと友達だから」
「さおりん……アイちゃん……あたしは幸せ者だよぉ」
彩が大仰に泣くふりを始めた。それを合図にしたかのように場の雰囲気が変わり、明るいものへと戻り始める。
そんな中、沙織は今まで以上に彩と悠希のことを気にかけてしまうのだった。二人は恋人同士という事実を知ってしまったからこそ、その深層までも見たくなって。




