秋奈過去編 七 堅忍
七 堅忍
それから私は時間のほとんどを衿香と過ごした。春休みに入ってからは、さらにそれが顕著になる。朝から晩まで一緒にいるのが当たり前になるくらいに。
こうして会う時間を増やすと別れが辛くなるのでは、と衿香に訊ねたことがある。
「そんなことないよ。むしろ会えない方が寂しいもん。今のうちにいーっぱい秋奈ちゃんを独り占めしておかないと」
それもそうかと心の中で同意しながら、密着する体を抱き締めた。こうして記憶に焼き付けておかないと、私も寂しさに耐えられないかもしれないから。
そして、ついに引越しの日が来てしまった。私の親どころか衿香の親まで見送りに来ると言い出したが、それらは丁重にお断りした。あまりゾロゾロと来られても私が困る。
「今日で秋奈ちゃんとお別れかぁ……」
「向こう着いたらすぐ連絡するから」
それに、見送りは衿香一人で十分だった。二人の時間を限界まで楽しみたかったから。それにしても駅までの距離が近くて困る。普段は助かるのに、こういう時は違う。
「それじゃ、ここまでだね」
「うん。衿香も元気でね」
駅のホームで電車の扉を背にしての見送り──なんてことは入場券を買わないとできない。そんなことを衿香にさせるのは気が引ける。それに、限界まで別れを引き延ばしたら私がどうにかなりそうな予感があった。改札という一つの区切りで離れなければ。
改札の前、手を繋いだまま離そうとしない。どちらかが離さないと、永遠にこのままになってしまう。ここは姉である私が。
「あっ……」
そんな寂しそうな声を出されると決心が鈍る。また手を取って一緒に歩きたくなる。
「またね」
手を振って改札へ向かう。衿香も手を振り返してくれる。
「待っててね! あたしも待ってるから!」
改札をくぐり、階段へ近付いても振る手を休めようとしない。衿香の姿が見えなくなるまで、私は笑顔で手を振り続けた。
けれど、そこで限界だった。視界から衿香が消えると、私は過去の記憶にその姿を探し始めた。初めて会った日から、毎日のように成長を共にしてきた掛け替えのない存在。ここでも私は過去の思い出を脳内で再生していた。
電車に揺られながら、溢れ出る不安が私に襲いかかる。見知らぬ土地での暮らし。今までずっと隣にいた衿香がいなくなる。うまくやっていけるのか。考え始めると際限なく深みにはまって抜け出せなくなる。
衿香はこんな気持ちをずっと抱えていたのかと思うと、今すぐにでも引き返して抱き締めたくなる。そのまま衿香の想いに甘えてしまいたくなる。いなくなって気付くなんて、そんな陳腐な展開はドラマや小説の中だけで十分だ。衿香が愛しくてたまらない。
私は衿香のことが好きだ。こんなにも胸と喉が苦しい。
今は電車の中だ。泣くわけにはいかない。目を閉じてこらえようとすると、瞼の裏に衿香の色々な顔が蘇る。
だめだ。こんなことじゃ、いけないのに。私はお姉さんにならないと。
乗換の駅についた。案内表示に導かれて次の乗り場を目指す。涙は引いたけど、心にくすぶる火がいくつもの火傷を負わせてくる。あと少しで久永学園の最寄り駅。その距離が縮まるごとに衿香とは離れていく。
目的の駅に着き、すぐ近くにあるはずの学園を目指して歩く。慣れ親しんだ地元の下町とは全く異なる景色。開けた視界は広く、遠くまで見渡せる。住宅街とはわけが違う。駅から数分歩けば、もう見えてきた。寮は学園を挟んで反対側。
寮に着き、寮監に挨拶をして部屋に通される。あらかじめ手続きを済ませていたせいか驚くほどスムーズだった。数日後にルームメイトが来るらしいが今は一人。数日だけでも一人暮らしを満喫してくれ、と寮監は言っていた。
一人になると、私の感情を抑えていたものがすべて消えた。ここなら誰の目もない。誰にもわからない。誰にも知られない。胸の内を吐き出しても迷惑にならない。
新品のベッドに体を倒す。勢いがあったため、ギシリと音がした。携帯電話を開き、写真を画面に映す。衿香の姿がいくつもそこにある。一人のもあれば、私と一緒に写ったのもある。
こうして目の前で衿香は笑っているのに、触れることすらできない。なんでここに来てしまったのか後悔もしそうになる。けれどそれをしてしまったら衿香への裏切りになる。私を送り出してくれた衿香。必ず追いつくと言ってくれた衿香。きっと衿香だって私と同じ気持ちのはず。
衿香は寂しがり屋だから、今頃泣いてるかもな。私と同じように。
気が済むまで泣いたらすっきりした──というのは錯覚かもしれない。自分の中で踏ん切りが付いた、と言うべきだろうか。衿香に会いたいという気持ちは変わらないが、この久永学園という場所でやっていく決心はついた。
衿香に電話する。もちろん声が枯れていないかは事前にチェックしてある。短縮番号一番。衿香の番号は暗記してるけど、今は一秒でも早く衿香と繋がりたい。耳に響き続けるコール音がもどかしい。どうしたんだろう。気付いてないのかな。
「……はい」
聞こえて来たのは掠れ声。寂しさを隠さずに前へと押し出した声。泣いていたのだと一瞬でわかった。衿香が心細い時には、私がしっかり支えてあげないと。
「あ、衿香? 今着いたよ」
明るい声を意識して、部屋に到着した一時間前に言うべきセリフを告げた。
「あき、な……ちゃん?」
「うん、そうだよ」
鼻をすする音。そして咳払い。衿香が立ち直るのをゆっくりと待つ。
「そっちは、どう?」
「うん、いい部屋だよ。家具も新しいしベッドもふかふか」
「そっか……もっと色々な話、聞かせて?」
──それから、内容よりも声を聞かせ合うことに重点を置いた会話を交わし、名残惜しさを打ち消して電話は終わった。泣くほどに寂しかったはずの心が、今ではほんのり温かい。衿香のことを思うだけで幸せな気分になる。
まさか私がこんな恋をするなんて。自分ではドラマチックだなって思うけど、人から見たらちっぽけなことなのかもしれない。色恋沙汰なんてそんなものだ。




