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秋奈過去編 五 進路 / 六 露見

          五  進路




 中学二年の終わり頃、周囲が少しずつ受験の色に染まり始めた。私にも進路をどうするのかという声がいくつも投げかけられる。

 自分で言うのもなんだが、私は頭が良い方だ。テストの点も高めで、通信簿の数字も眩しく、担任からの連絡欄には賛美の言葉が並んでいる。つまり、選べる高校の範囲が広いということだ。

 ある日、担任との二者面談があった。三年生になるにあたっての簡単な進路調査みたいなものだろう。そう簡単に考えていた私は、担任が用意した資料の厚さに軽く引いていた。


「薙坂さんなら結構上の学校も狙えると思うんだけど」


 そう言いながら分厚い本をめくる飯塚先生。どうやら全国の高校が載っている名鑑みたいなものらしい。机の端に視線を移すと、いくつか校名がメモされた紙があった。


「ここなんて妥当なレベルだから滑り止めにしてもいいし、あとこっちは設備が整っていてね──」


 そんな調子で次々と名前を出していく。正直ついて行けなかった。当時の私は進路をまともに考えていなかったし、周囲の友達だってそうだった。


『適当な公立高校受ければいいんじゃない?』

『定員割れとかあるらしいから楽勝だよー』


 そんなお決まりの言葉が教室を支配していた。


「とりあえず、まだ時間はあるからゆっくり考えてね。これ、薙坂さんが行けそうなところメモしておいたから、後で目を通しておくこと」


 渡されたのはさっき目についた紙だった。それを鞄に突っ込んで「ありがとうございました」と短く頭を下げて教室を後にする。今日は予定が合わずに衿香と会えない日だったので、イライラしていたところもあったのだろう。

 帰宅して部屋に入ると、疲れがどっと出た。だらけながら鞄の中身を出し、さっきの紙を手に取る。ただなんとなく眺めていただけだったが、そこにあった一つの校名に目が留まった。


「久永高等学校」


 小さく口に出してみる。どこかで見聞きしたことがある名前。そんなに昔ではなく、最近のことだったと思うんだけど……。

 そうだ。思い出した。確かめるためにパソコンのある部屋へ向かう。起動させ、検索エンジンに久永高等学校の文字を打ち込む。出てきたホームページを見て確信した。私はこれを見たことがある。


 私がインターネットで「姉」について調べていた頃のことだ。目的がずれて「百合」なんて言葉で検索を重ねていた私は、全国の学校についての口コミが集まるサイトに飛ばされていた。どこの高校のナントカという教師はセクハラ常習犯だとか、あそこの中学にはとんでもない不良がいて誰も止められないとか、無責任なことが大量に書き込まれている。

 そこでたまたま上の方に来ていた項目が、久永学園という学校法人についての記事だった。高校と大学を抱えており、最近創立されたために設備も新しく、入学難度も高いという魅力的な学校だった。けれど目を惹いたのはそんなことじゃない。現に私は流し見で済ませようとしていた。

 それでも私がその記事を一から読む気になったのは、そこでは女同士の恋愛が盛んに行われている、という書き込みがあったからだ。噂に決まっていると心では否定しながらも、記事を読む私は夢中になっていた。


 その頃、女子校では当たり前のように過剰なスキンシップが行われているのだろう──なんてことを妄想していたのだが、実際にこんな書き込みを見て内情に触れるのは初めてだった。だからこそ、あんなにのめり込んだのかもしれない。

 読み終えた私は久永学園のホームページを見ることにした。まずは高校の方へ。どうやら大学と同じ敷地にあり、広い学内は開放感に溢れているらしい。汚れなどない校舎や講堂の外観は何かの芸術作品ではないかとさえ思える。さらに寮もあるらしく、遠方からの入学も歓迎しているという言葉もある。おまけに入学試験の優秀成績者には奨学金まで与えられるとか。

 私はただ圧倒されていた。同時に、こんなところに通えるわけがないと思った。すぐにブラウザを閉じ、現実に存在する非現実から目を逸らすことにした。その結果、こうして名前を見るまで忘れていたわけなのだが。


 改めて紙を見る。そこに書かれていることから察するに、私の学力で狙える範囲ギリギリのところらしい。今のままでも合格の可能性はあるけど、もっと頑張ればそれだけ確率も上がる。そんな位置付け。

 どうせどこか特定の学校を目指していたわけでもなかったし、ここに決めるのも悪くないだろう。それに、担任から勧められたという免罪符もある。

 親に話すとあっさり了承してくれた。家を離れて寮での生活になることを伝えた時には、さすがに少しだけ寂しそうな顔をしたけれど、私が決めたことだからと最後には賛成してくれた。今になってそのありがたみがわかる。

 後日、衿香にもそのことを伝えた。設備が新しくて学力も高いといった話題の時には「秋奈ちゃんってすごーい」なんて言ってたけど、ここを離れて寮に行くことを話すと表情が一変する。


「そっか。秋奈ちゃんいなくなっちゃうんだ……」


 その寂しげな表情の意味を、当時の私は深く考えなかった。ただ幼馴染が離れてしまうだけ。それくらいにしか考えていなかった。


「そんな顔しないでよ。ずっと会えなくなるわけじゃないんだから。夏休みとか冬休みには帰ってくるし、そうしたらまた一緒に遊べるよ?」


 衿香は何かを考えるように視線を泳がせている。数秒だけ目を閉じて、開いた時にはいつもの明るい表情に戻っていた。


「あたしと秋奈ちゃんは離れてたって一緒だよね」

「そうだよ。電話とかメールだっていっぱいするから」

「まだ秋奈ちゃんが卒業するまで時間あるもんね」

「いっぱい思い出作ろうね。衿香が寂しくないように」


 その時衿香が一瞬だけ表情を暗くしたのだが、すぐに戻ったので私は気にすることもなかった。

 今考えれば、この時から──もしかするとさらに以前から──衿香は悩んでいたのかもしれない。心に抱えた想いをどうすればいいのか、それがわからなくて。




          六  露見




 私は三年に進学し、衿香は中学一年生になった。もちろん私と同じ中学だ。公立だとこういうメリットがあるから嬉しい。

 登下校もまた一緒に歩けるようになり、長く感じていた片道十五分があっという間に過ぎる毎日。時々帰り道を外れて遠回りしてみたこともあった。細い住宅街の路地を抜け、見知った大通りに出ると意味もなく二人ではしゃいでいた。


 そんな楽しい日が続くと思っていたのに現実は違った。私の卒業が近付くにつれて、衿香の様子がおかしくなっていった。楽しそうにはしゃいでいたかと思えば、急に静かになって真剣な顔をしていたり、手を繋ぐと距離をどんどん詰めて甘えてきたり、時々視線を合わせるのを嫌がったり。まるで安定しない態度。

 最初は気にしていなかったけど、いつまでも続くから私も心配になってきた。入試が終わって自分のことが一段落した後、思いきって衿香に問いただしてみた。

 ちょうどその日は母親が出掛けており、家には私と衿香だけだった。


「衿香、少し前からおかしくない?」

「えっ、なにが?」


 答える声は普段通り。けれど顔に浮かんだ小さな焦りは隠しきれていない。


「悩みがあるなら聞くよ? 話せば楽になるかもしれないし」


 そう言いながら衿香の頭を軽く撫でた。いつもは喜んでくれるのに、今日はそうならなかった。悩みと苦しみがその表情に滲み始める。


「秋奈ちゃんはそういうことするから……」

「えっ、何か言った?」


 小声を聞き取れず、衿香に耳を近付けた。そのはずだったのに、気付けば衿香が私の胸に飛び込んでいた。腕を体に回され、離れようとしない。


「だって、秋奈ちゃんがいなくなっちゃう……。こんなのって、いやだよ……」


 くぐもった声が聞こえた。断片的だけど、寂しがっているのは確かなようだ。


「どうしたの? 卒業したってまた会えるよ?」


 まだ私は真剣に考えていなかった。今まで見てきた漫画や小説では、この後どうなるかなんて一つしかないというのに。そんな展開が自分に起こるはずもないと意識的に目を逸らしていたのだ。


「そうじゃないの! そうじゃなくて、あたしは……」


 突然、衿香が顔を上げた。その目には涙が滲み、奥底には決意の炎が揺らめいている。

 ようやく私は真面目な顔になれた。これ以上逃げればすべてが壊れてしまうと直感したから。


「ゆっくりでいいよ。衿香のペースで話して」


 私も衿香の体に手を回し、小さく背中を叩いた。それは泣いている衿香をあやすため。けれどその振動は秘めた感情まで呼び起こしてしまったようだ。

 肩を震わせてしゃくりあげながら、衿香は掠れた声を出す。


「あたしは……秋奈ちゃんのことが、好きなの」


 正直に言えば、この時初めて衿香が本気だということが伝わってきた。今までも好意は感じていたけれど、こんなに深く想われているはずもないと考えていた。まさか自分が当事者になるなんて想定外もいいところだ。

 けれど、こうして向き合ってみれば案外悪くないことが身に沁みてわかった。最初から素直になっていれば良かったのだ。


「私も衿香のこと、好きだよ」

「……あたしの好きは、友情とか幼馴染とか、そういうのじゃないんだよ?」


 私は今、上手に表情を作れているだろうか。衿香に心臓の鼓動と頬の火照りを気付かれてしまうのではないか。


「あたしはね、恋愛の意味で秋奈ちゃんが好き。恋人同士でするいろんなことを、秋奈ちゃんとしたいって思ってる」

「えっと、それは……」


 言葉が思うように出てくれない。衿香の気持ちを受け止めてあげたいのに。こんなにも嬉しいことなのに。どこかで変なブレーキが働いているようだ。


「気持ち悪いとか思われるかもしれない。でも、この想いがもう抑えられないから──」

「そんなこと思ってない!」


 ビクッと体を震わせた衿香を見て、自分が想像以上に大きな声を出していたことに気付く。こんな臆病な目をしながらも逃げずに私を見つめて──そんな顔をさせてしまうなんて、私は衿香の姉失格だ。

 いつの間にか肩に張っていた力を抜いて、ゆっくりと語りかける。


「衿香の気持ち、すごく嬉しいよ。ありがとう」

「……秋奈ちゃん」


 まだ衿香の表情は硬い。その不安をどうにかして消してあげたい。


「私を好きって気持ち、よくわかったよ。気持ち悪いなんて思うはずないじゃない」

「でも、あたし……」

「衿香の気持ち、しっかり受け取ったよ。今度は私が返事する番だよね」


 もちろん断るなんて答えはどこにもない。喋りながら自分の中でも段々と整理ができてきた。衿香との恋愛について、その道筋が。

 今まで数人の男に告白されたが、そのどれもがしっくり来なかったので断っていた。それなのに、衿香からの告白が不思議なほどに自然と受け入れられる。まるでパズルのピースを正しい場所へはめ込むように。

 だから、私も秘めたこの想いを伝えようと決心していた。


 ──それなのに。


「待って」


 衿香の一言に止められた。まだ言い足りないことがあるのだろうか。


「うん。何?」

「あたし、待つよ」


 その言葉の意味がわからなかった。何を待つと言うのだろうか。


「秋奈ちゃんの進路を邪魔したくないから。胸を張って並んで歩けるようになるまで、答えは聞かないでおく」


 衿香は一体何を言っているんだ。私の気持ちはもう決まっているのに。


「卒業したらここを離れちゃうでしょ? そうしたら秋奈ちゃんの考えも変わるかもしれないから。それなら、今ここで返事は聞きたく……ない」


 私の考えが変わる──それがないと言い切れない自分が憎い。衿香の言葉を無視してでも伝えるべきか。そんなことを考えていると、衿香の声色が明るくなる。


「それにね、あたしも久永を目指すから」

「へっ?」


 ようやく出た言葉はなんとも間抜けな相槌だった。


「二年後、久永に受かって、秋奈ちゃんのところに行くから。そうやって追いついたら、今日の返事を聞かせてほしいな」


 そうか。それが一番言いたかったことなんだ。衿香の決断。それが答えだと言うのなら、私はそれを受け入れる。妹の成長を見守るのも姉の役目だから。


「……わかった。待ってるからね。この約束、絶対に忘れないよ」

「うん。指きりげんまん」


 小指を絡め、小さく振って誓いを交わした。重荷を振り払ったような衿香の笑顔は、昔から見てきたいつもの輝きを放ち、私の目に突き刺さる。さながら誓いを刻み付けるかのように。

 これは答えがわかっている一種の出来レースみたいなものだ。私が衿香を拒絶するはずがない。衿香が久永に合格すれば結末は一つしかない。


 それに、衿香は何年この想いを秘めていたのかわからない。もしかしたら五年以上も抱え続けて悩み抜いていたのかもしれない。それなら私が二年待つことなど苦労の内に入らない。それで衿香が救われるのなら、それを望むのなら、私は喜んでこの身を差し出す。

 だって、私は「衿香のお姉さん」なんだから。

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