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十月一日~十一日 指輪と計画

          十月一日




 新しい月が始まるその日、麻生沙織は焦っていた。悩み続けても迷路の出口は見つからず、行き止まりに直面するだけ。

 ノートに何か書くふりをしながら、頭では全く違うことを考えていた。流れる黒のロングヘアーに覗く思案顔。そこに光る縁無しの眼鏡は、見る者に軽やかな印象を与えるのだが、奥で瞬かれる目は重く深刻な色を帯びている。


 期限は間近に迫っているのに、なかなか答えを出せない。やるからには妥協などしたくない。自分も、そして相手も満足できるようなことは何か。思考は日を追うごとに複雑な道へと迷い込み、今どこにいるかもわからなくなる。

 久永学園敷地内の片隅に建つ高等部校舎。その東棟と呼ばれている建物の四階にて。教室にある自分の席で物思いにふけっていると、横から声がかけられる。


「おはよう、沙織。今日は早いね」


 そう言って沙織の隣に座ったのは、ショートヘアにハーフリムの眼鏡をかけた少女だった。出会った頃は無表情が目立っていたが、今ではこうして自然な笑顔を向けてくるまでになっている。

 四十崎要。沙織にとって一番の親友であり、そして今も抱えている悩みの種でもある。それは決して要に非がある類のものではないだけに、沙織の心情は複雑である。

 一学期の終わり頃に席替えをして以来、要と沙織は隣同士の席になっていた。くじ引きではなく希望制の席替えが行われた結果である。


「あ、おはよう。なんか早く目が覚めちゃってさ」


 考えがまとまらなかったから──という理由は伏せておいた。原因の一部である要に正直なところは話せない。言ってしまえば楽になるかも、という甘い考えは即座に捨てる。それでは意味がない。面白味も何もあったものではない。

 それから担任がホームルームのために来るまで、二人は何気ない雑談を交わした。それでも沙織の脳内では常に思考が続いていた。要と話すごとに、どうすればいいのかと考えてしまう。


 時に意味もなくその姿を眺めて、何を求めているのだろうかと見抜こうとしてみた。要が首を傾げながらこちらを見ているが、その鋭くも穏やかな視線に沙織の方が見透かされてしまいそうになり、反射的に視線を逸らしてしまった。

 沙織はまた悩み続ける。要の誕生日には何をプレゼントしようか、その答えを出せぬまま。







 要の誕生日は今月の十六日である。残された時間はおよそ二週間。確かに切羽詰まった状況ではあるが、沙織は数日前から悩んでいるというわけではない。

 始まりは五か月前、沙織の誕生日まで遡る。そこで要から貰ったネックレスが、今も沙織の首で光り輝いている。自分もそれに見合った贈り物がしたい。漠然とした思いはその時からあった。夏休みの終わり頃から強く意識するようになり、そして今。思考は不定形のままで明確な像を結ばない。


 放課後や休日など、時間があれば駅前の市街地を歩きながら、何か良い物は売っていないかと当てもなく探していた。食べ物か、それとも形が残る物か。要の好き嫌いは知っているつもりだが、それでも大した参考にはならなかった。結局は沙織自身が決断するべきことなのだから。

 答えが出ない日が続く中、一度だけ友人に相談したことがある。その相手は寮でのルームメイト、薙坂秋奈だ。変な気を遣わずに、なんでも話せる関係だと考えていたからこそ打ち明けることができたのだが……。


「なるほど。プレゼントねえ。うーん……」


 沙織の悩みを聞いた秋奈は、腕を組んで考え始めた。捻った首に併せて、彼女の特徴であるポニーテールが揺れる。

 答えが返ってくるのを待つ沙織。秒針の音が聞こえてきそうな程の静けさが周囲に満ちているが、残念ながらこの部屋にある時計はすべてデジタル式である。


「正直言うとね、沙織の気持ちがこもってればいいんじゃない? 要さんなら、どんな物でも喜んでくれると思うけど」


 そんな言葉が秋奈から放たれた。期待していた答えとは違って具体的な案は出されなかったが、いくらか救われた気分にはなった。他者の意見が与える影響は軽視できない。


「そう、かなあ」


 沙織もそう思っていた部分があったのだが、秋奈に言われたことで自信がついた。けれど何を贈るかという明確な答えは出ていない。


「そんなに深く考えない方がいいんじゃない? たとえば、要さんって何か欲しい物あるとか言ってたりしなかった?」

「えっとね……駅前のパン屋行きたいとか、新しいノート買いたいとか」

「なんか少しずれてる気がするけど……まあ、いいや。そういう感じで考えていけばいいんじゃない? 要さんと一番長く過ごしてるのは沙織なんだしさ」

「そっかー……」


 そこで会話は途切れ、秋奈は机に向き直ってしまった。

 沙織はベッドに腰掛けたまま、上半身を横たえた。額に手の甲を当て、天井を見つめて答えを映し出そうとする。ぼやけた思考は視界にまで浸食し、目に見える景色が不明瞭な姿に変わっていく。瞼が重い。

 その後、居眠りしてしまった沙織は夕食前になって秋奈に起こされることになる。




          十月五日




 そんな沙織の悩みは、ある日の会話で一気に吹き飛んだ。

 週が明けても答えが出せず、沙織の中では一つの妥協案が出ていた。既に別のプレゼントを考えているのだが、それを本命としてしまうのはどうか──という案である。はっきりしない思考に見えた一筋の光。沙織にとって魅力的な方針だった。

 けれど、そうすると自分を騙すようで気が引ける。まだ時間は残っているのだから、限界まで悩み抜くべきだろう。そう決めたのは今日の朝、登校しながらのことだった。

 そして昼食の時間。きっかけは要の何気ない一言だった。


「見て沙織。あの人、指輪つけてる」


 要が示す方には、自分たちと同じように食事をしている二人の女性がいた。私服であることから、大学生だろうと思われる。


「あ、ほんとだ。キレイだなー……って、あれ?」


 注視すると、向かって右側の女性が指輪をしているのが見えた。遠目にも眩しいほど美しい光を放つ、その指が次の話題となる。


「沙織も気付いた? あれって、左手の薬指にしてるよね」

「そう……だよね。わたしの見間違いじゃなければ」


 その場所に指輪をすることの意味は、当然沙織も知っている。だからこそ、あの女性について興味が湧いた。婚約、もしくは結婚をしているのだろうかと、単純な勘繰りはできる。

 さらに深読みすれば、あの二人の間で交わされた指輪なのかもしれない。肝心なもう一方の女性の手は、ここからでは陰になっていて確認できない。


「もしかして……そういうこと、かな」

「どうなんだろう……でも、まだ学生だろうし」


 向き合いながら交わした苦笑。その後も件の女性たちについて話していたのだが、不意に要がこんなことを言い出した。


「私も何かアクセサリーつけてみようかな。でも似合うかわからないしなあ……」


 その瞬間、沙織の脳内でまばゆい光が一本の線を成した。妥協案など比べ物にならない確かな道筋。


「いいんじゃない? 要なら、きっとなんでも似合うよ」


 その顔に浮かんだ微笑みは、悩みが消えたことによるところが大きかった。もはや苦しむ必要はない。あの時は気付けなかったが、秋奈はしっかりと道を作ってくれていたのだ。要の言葉を感じ取ること。もっと早く気付くべきだった。


「でも、そういうのあまり詳しくないから」

「要の魅力が引き立つと思うんだけどなー」


 言いながら、沙織は要の体に視線を這わせる。そうしつつも、目的の場所はただ一つ。手の先、指である。ペットボトルを握る手の線が、沙織にはとても魅力的に映った。


「そうかな……」


 要は照れながらも、自分がアクセサリーを付けた姿を想像しているらしく、耳や首元を触っていた。


「そうだよ。似合うって」


 ──だって、似合う物を選ぶから。

 その言葉は内に秘めたままにしておく。要にぴったりの指輪を選ぶ。それがようやく探し当てた道だった。




          十月十一日




 思い立ってからの行動は早かった。

 日常会話の流れで、さりげなく手を合わせる。手を繋いで歩く時には、普段以上に意識して要を感じる。それらにはスキンシップの意味合いもあったが、本当の目的は別にあった。要の指周りがどれくらいなのかを調べるためである。

 沙織よりも少しだけ小さな要の手。どさくさに紛れて指を絡めたり、摘まんだりと詳細なデータを集める。もちろん、要が不思議そうにきょとんとしていることもあった。


「沙織、どうしたの? 最近なんだか積極的だけど」


 要が首を傾げ、訊ねてくる。穏やかな顔で、嫌がる様子など微塵も感じられない。


「なんでもなーい。要の指がきれいだなーって見てるだけ」


 ごまかしながら、自分の指と比べてみる。身近な何かを判断材料にするならば、これが一番の方法だから。同時に、こうして気兼ねなく要に触れられることを素直に楽しんでいた。

 指輪を贈ると決めてから要に会うたびにそんなことをしていたおかげで、サイズの目安は大方ついた。要の指が目の前になくても、その形を克明に想像できる。


 開始の遅れを取り戻すかのような追い上げを見せた沙織だったが、あえなく途中で減速してしまう。指輪をどこで買うべきか、という問題に直面したためである。駅前のデパートで買うか、それとも都会まで行って流行の専門店に行くか。その選択だけでまた数日を浪費した。

 そして、要の誕生日まであと五日となった今日のこと。沙織は連休の最終日を利用して都心まで出ることに決めていた。良い機会だと自分に言い聞かせ、駅までの道を歩く。


 駅前の高架下を通過しようとした時、沙織の目に映るものがあった。この界隈で不定期に商売している露店である。長机に布を被せた簡単な陳列棚に並べられた商品は、どこから仕入れたのか奇抜な装飾の小物が目立つ。店番は三十代前後と思われる風体の男が一人。体よりも大きな服は不自然に生地が余り、風が吹くたびに揺れていた。

 その露店自体は沙織も何度か目にしており、普段なら流し見をして通り過ぎる程度だった。しかし、今日は違う。そこに並ぶ指輪に目が留まったのである。

 年期を感じさせる適度なくすみ、いくつか刻まれた彗星のような模様、周囲に並ぶ他の商品と比べて余計な装飾がない簡素な形状。要の指につけたらどうなるのか、容易に空想できた。


「あの、これなんですけど、ちょっとつけてみてもいいですか?」

「どうぞ」


 店員は坊主に毛が生えた程度の頭を掻きながら答えた。顔だけ見れば、その甘くも儚げな下地が強力な武器となりそうなのだが、それ以外の要素がすべてを台無しにしている。

 沙織は指輪をつけてみた。左手の中指と人差し指に交互につけて、その具合を確かめる。中指にはきつく、人差し指にはゆるい。そんな中間のサイズこそ、沙織が心に刻み付けた要の指周りだった。一度外して指先で持ち、様々な角度から観察する。駅前の喧噪も耳に入らない。果たして買うべきか否か。しばしその判断に時間を費やす。


「──これ、ください」


 答えは簡単に出た。思えば最初に見た時から決めていたようなものだ。


「どうも。ラッピング、するかい?」

「えと、お願いします」

「んじゃ、ちょっと待っててね。それとお会計だけど──」


 うっかりしていた。ここまで入念に調べたというのに、そこで初めて沙織は値段を見ていなかったことに気付く。慌てて財布の中を確かめたが、無理せず払える額だったのは幸いだった。

 ともかく、これで要へのプレゼントは用意できた。ここで勢いに乗るしかない。次にすべきことを明日の朝すぐにやってしまおうと沙織は決めていた。

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