五月七日 スキンシップと心のざわめき
沙織が教室に入ると、今日も要が先に来ていた。席に着き、教科書を机に入れている。教室の後ろから近付く沙織には気付いていないようだ。
沙織は要の背後に立ち、要の肩に手を置く。
「要、おはよう」
振り向いて沙織の姿を確認した要は、肩に置かれた手と沙織の顔を交互に見ている。
「あー……おはよう」
「う、うん」
要の反応がたどたどしく、それに釣られて沙織の動きも止まってしまった。当然、沙織の手は要の肩に置かれたままである。
沙織は苦笑しながら手を離し、要に向けて軽く振りながら自分の席に着いた。
その後も時間を見つけては要に触れようと試行錯誤したものの、恥じらいが邪魔をして散々な結果が続いた。
昼食の時間が訪れた。沙織は要を連れて北棟の裏に来ていた。ここなら周囲の目を気にすることなく、雰囲気も悪くないので、どうしようもなくなったら行くように秋奈から言われていたのである。
開いているベンチに腰を下ろし、要と共に食事を開始する。ここは人通りが少なく、要と二人きりだという意識が強く感じられた。右側に座る要が普段より近く思える。食べ物を飲み込むごとに、今朝から抱えていた悩みまでもが消化されていくようだった。
「ねえ、沙織」
「ん、なに?」
食事を終えて、二人は会話を始めた。
「何か食べたいものある?」
「うーん、そうだなあ……いっぱいあるからなー。でもなんで?」
「明日、泊まりにくるでしょ? だから、沙織の好きなものを作ってあげたいんだ」
要は真っ直ぐに沙織を見つめた。沙織はその視線と思いを受け止めきれず、周囲に視線を泳がせる。
離れたベンチに座る二人の女性が見えた。こちらを気にしている様子もなく、腕と指を絡め合い、体を密着させている。
今まで見てきた同じような光景とは違う空気を感じた。あれはじゃれ合いではなく、本気で気持ちを確かめ合っているのだと沙織は感じた。同時に、ここはそういう場所なのだと直感した。
沙織は要に向き直る。
「そしたらさ、たまご料理がいいな」
「どんなのがいい?」
「要にお任せしたいな。この前、要のたまご焼き食べたらおいしくてさ、他にもたまご料理を食べてみたいなって思ったんだ」
「わかった。何にするかは当日までのお楽しみね。他には?」
「ううん。それだけでいいよ」
「よし、腕によりをかけて作っちゃうからね」
要の意気込みが、沙織を押し上げていく。この嬉しさを態度で表現したかった。
周囲に余計な人目がないことを確認して、沙織は拳一個分だけ要との距離をつめる。
「あのね、要。ホントに嬉しいよ。ありがとう」
俯いてしまうと逃げているような気がする。視線は真っ直ぐに向けたまま、ベンチに乗せられた要の手に触れた。
指だけでなく、掌までが要の手の甲に触れている。温度差がある部位を密着させているために、互いの体温が交換されていくのがわかった。
要は手に視線を落とし、しばらくそのまま動かなかった。やがてゆっくりと顔を上げて沙織の顔を見つめ、自分の手を反転させた。
要と沙織の掌が重なった。ただ密着していただけだったが、要が指を動かし、沙織の手を握った。視線は前に向いたままなので目視はできないが、手から伝えられる情報だけで事実を認識するには十分だった。沙織も指を折り曲げて要の手を握る。掌で交換した熱は脳まで達し、顔が上気していくのがわかった。
要の顔は穏やかな笑みを湛えたままで、不快感を持っている様子ではない。沙織は安心してこの幸せを堪能していた。手を繋いでから沈黙が続いていたが、それが自然なことだと思えた。声を出せばすべてが壊れてしまうような気がしたのだ。
昼休みが終わる時間になり、教室に戻るために立ち上がっても二人の手は繋がれたままだった。
*
放課後、帰りがけに寄ったデパートで要は気もそぞろに歩いていた。
その理由は他でもない、沙織である。
朝、肩に触れられた時は突然のことに驚いたが、すぐにそれは心臓の早鐘に変わった。挨拶を返すことはできたが、声が上擦っていないか、頬が不自然に緩んでいないか、そんなことばかりが気になっていた。それからも沙織の様子は今までと違っていたが、昼休みの出来事は決定的だった。
左手を軽く握ると、沙織の柔らかな手の感触が蘇ってくる。だが、これからのことを考えれば、これくらいのことはちっぽけに思える。
沙織が部屋に泊まる。同じ布団で眠る。体が密着する。無防備な姿を曝け出す。未来の想像が要の心をかき乱す。
外では他人の目があるので感情を表すのがためらわれるが、沙織と二人きりの閉じた空間ならその限りではない。その証拠に、北棟の裏ではこちらが先に手を握れた。
思いを巡らせながら商品を見る。誕生日プレゼントを買うのだから、沙織の姿を思い浮かべていても問題ないと自分に言い聞かせた。沙織の誕生日を知って、すぐに要は何を贈れば喜ばれるのか考え始めていた。食品や花などが一般的だが、もっと長期間使える物にするべきだろうか。
考え続けた結果、要は結論を出した。
要は目当ての商品を見つけた。指先で触れてみると、沙織に渡した時にどのような反応をするのだろうかという想像が脳内を占領する。喜んでくれるだろうか、気に入ってくれるだろうか、笑ってくれるだろうか。その商品を両手で大切に持って、要はレジに向かった。




