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私たちは頽廃している  作者: StellA
ある修道女の日記より
20/28

05

 ローズとマーガレットの祖父に当たる人物は、産業革命の波に乗り、一代で財を成した経営者である。蒸気機関をもちいた工業機器において重要な発明をしたということで、時の女王直々に騎士の称号を授けられた。


 富と自身の名誉を手に入れた彼には、二人の息子がいた。

 長男は家督を継ぎ、その財力を後ろ盾として、裕福ではない下級貴族の娘と結婚した。社交界に繋がりをもったモーガン家は、人脈を駆使して準男爵の地位を手に入れた。


 一方、貴族制度を古臭いと口憚らない次男が興味を示したのは、蒸気機関による大型船だった。彼はモーガン家を飛び出した後、小さな貿易会社を起こした。初めは、英国とヨーロッパ大陸を行き来していた小さな会社だったが、父の商才を受け継いでいた彼は、瞬く間に数隻の大型の蒸気船を保有する貿易会社へと育て上げた。今は、ヨーロッパ各地と新大陸とをまたぐ大会社となっている。


 その大会社の社長のかわいい末娘が、マーガレット・モーガンである。

 彼女は新大陸で生まれた。

 貴族が蔓延るロンドンとは違って、果てのない大陸は彼女をのびのびと育て上げた。


 そんな彼女が奇蹟に遭遇したと主張するのは、10歳を迎えたばかりの頃のことである。


 その日、モーガン家には強盗が入った。

 生憎、兄弟たちと母親は、婦人会が主催のパーティへと連れられていて留守だった。本来ならマーガレットも参加する予定だったのだが、その前日に実行してしまった、彼女にとってはちょっとした悪戯(ただ、大人たちは大変問題にした)を咎められ、ベビーシッターとふたり、広大なお屋敷で留守番を言い渡されたのだ。


 パーティに行かなくてよいこと自体は、マーガレットは幸運だと思っていた。なぜなら、冷えたパンケーキと固くなったターキーをつつきながら、退屈で仕方がない母親たちの終わりが見えない会話が終わるのを待つ苦行から解放されたのだ。


 去年まではまだよかった。男の子たちに混じって、広い庭で遊ぶことができた。しかし、今年に入ってからは、「もうお姉ちゃんなんだから」と、小さな子の面倒を見るように言われるようになり、年下の子たちのくだらないお人形遊びに付き合わされるのだ。


 もう少し大人になれば、大人の会話に聞き耳を立てながら読書などしていればいい。そうすればむしろ褒められたりもする、とは、年の離れた兄の言だ。また、彼は、姉に至ってはマミィの会話に混じっていっぱしの口をきいているよ、と言っていた。


 そのうち、マーガレットも母親たちの会話に混じるのかもしれないが、マーガレット自身はそんな未来を楽しみに思えなかった。


 そんなマーガレットが、当時夢中だったのは、父親から送られたクリスマスプレゼントであるボトルシップのキットだ。しかし、マーガレットは、その作成に没頭するあまり、母親や家庭教師の言いつけを、しばしば守れないことがあった。

 だから、母親はマーガレットに一日に触れていい時間を(一方的に)決めて、強制的に守れるように、ボトルシップを両親の寝室へと続く部屋へと仕舞いこんだ。


 だから、眠たいパーティに出るくらいなら、家で造りかけのボトルシップの続きを作っていた方がずっとましだ。いや、むしろ楽しい。

 なんなら、叱る人(マミィ)がいないから、夜更かしだってできる。


 マーガレットはベビーシッターの寝かしつけを、抜群の演技で切り抜けた後、ベッドの中から抜け出し、両親の寝室へと向かう。普段は許可なく入ってはいけないと、固く言われているところだ。


 マーガレットは広げられたボトルシップキットの前に座り込むと、ランプに光を入れた。ゆらゆらと揺らめくオレンジ色の光はまるで夕暮れの波の照り返しに似て、ボトルの中にある作りかけの船を照らせば、そこはまるで暮れなずむ造船所のようだった。


 ピンセット片手に工員よろしく、造船していれば、庭先から複数の人間による囁き声が響いてきた。

 女性は聞き知ったシッターのものだ。しかし、後の数人は、聞きなれない男性の声。

 少なくとも家族が返ってきたわけではなさそうだったが、マーガレットは窓枠に手をかけて、窓の外を見やった。


「静かにして、末のお嬢さまが眠ってるのよ」

「何だよ、みんな出払ってるんじゃなかったのか」

「彼女は悪戯が過ぎて居残りになったの」


 言いながら、彼らは屋敷の中へと入ってきた。


 マーガレットは訳が分からないながらもランプを消すと、クローゼットの中へと隠れる。

 釣り下げられたドレスのスカートの中に潜り込み、息を潜めた。


 しばらくした後、階下を物色し終わったのか、階段を上る音がし、がちゃり、と扉が開く音がした。


「ここが寝室か、」

「寝室はあの扉の奥よ」

「調度品が下品で統一感もない」

「イギリス貴族のはしくれじゃなかったのか」

「その爵位だってお金で買ったものだそうよ、」

「しかしうまく捌けば金になりそうだ」

「さすが貿易商ね」


 案内する女の声はシッターのものだ。ついで、成金を莫迦にするような男たちの声。彼らはそのまま両親の寝室の扉を開けたのだろう。「でかいベッドだな、」という男の声を咎める、「ちょっと、」というシッターの声。


「いいじゃねーか、こういうベッドでヤってみたかったんだよ」

「やめてよ、誰がベッドメイクすると思ってるの、」

「お前だろ、」


 ぼすん、と何かがベッドに放り出される音。


「おい~」

「最低だな」

「はっ、寝心地は最高だぜ」


「やめっ」


 シッターの悲鳴は途中でくぐもったように途切れる。ついで、軋む音と、苦しそうな彼女の声が響き始めた。マーガレットは彼女の身に何が起こっているのか理解できず、恐怖で震えることしかできない。


 残りの男は頓着した様子もなく、部屋を物色はじめたのだろう。クローゼットに近づく足音に、体を強張らせる。

 しかし、マーガレットの願いもむなしくクローゼットの扉が開いた。


 釣り下げられたドレスが引き出される。一気に視界が明るくなった。


「んだ、おい」


 低い声。見上げた顔は逆光になっていてよくわからない。

 ただ、上下する喉仏だけが異様にはっきり見えた。

 一方、男からはマーガレットの顔がよく見えたようだった。


「あんたが末のお嬢ちゃんか、結構かわいい顔してるじゃないか」


 男はマーガレットの腕を掴んでクローゼットの外へと引きずり出した。しがみついたドレスが引き裂かれる音は、まるで女性の悲鳴のようだった。


「良い子で寝てればこんなことにならなかったのになぁ」


 床の上に投げ出され、マーガレットは尻餅をついた。寝室の扉は開いていて、ベッドに押し付けられた女を組み敷く男の姿。


 恐怖で目を反らせば、壁にかけられた銀の十字架が目に入った。

 敬虔なキリスト教徒である祖母からの贈り物だ。

 清く正しい十字架は、きらめくランプの光を受けて神秘的に輝いている。

 それは断罪する冷たさと、悔悛を促す暖かさを感じさせた。


 ボトルシップを作りたくて、この前の日曜日のミサをサボろうとしたからだ、とマーガレットは心の中で懺悔した。もしこの場から逃げ出すことができれば、これからはきちんとミサに通います、と回心も。


 どうにか逃げ出さなければ、しかし震える足は動かない。


「助けて、」


 絞り出したはずの声はほとんど音にはならなかった。それでもマーガレットは誓いを口にする。


 神様、もし助けてくれるのなら、今後はあなたの手足となって働きます。


 無意味であってもどうにか身を隠そうと、身体にかかる破れたドレスを手繰り寄せながら、そう唱える。刹那、マーガレットの方へと足を踏み出した男は、床に散らばる破れたドレスに足を取られてバランスを崩した。


 男は後ろ向きに倒れた。

 壁で後頭部を強く打ちつけ、その場に転がる。

 壁に男がぶつかった衝撃で、掛けられていた十字架が落ちる。

 それはちょうどチェストの上置かれていたランプを直撃し、ランプはオイルをまき散らしながら、倒れた男の上へと降りかかった。

 漏れたオイルは男の服へ染みこみ、落ちたランプからこぼれた火はそれに引火した。


「何やってんだよ!」


 寝室から出てきた男の怒号と女の悲鳴がやけに遠く聞こえた。



 マーガレットはその後のことはよく覚えていない。

 ただ、後日、彼らは強盗だったこと、マーガレットに優しかったシッターが彼らの手引きをしたこと、火傷を負った男は一命をとりとめたこと、は両親に口止めされたはずであろう口さがない姉と兄から聞いた。


 しかし、マーガレットは彼らのことなどどうでもよかった。

 それよりも、造りかけのボトルシップが壊れたことが悲しかったからだ。そして、神様にボトルシップの無事も願えばよかったと、それだけを後悔した。


 ただ、その日以降、マーガレットはミサをサボることはなかった。誰よりも聖書をよく読み、ボランティアに精を出した。

 腕白なマーガレットが、敬虔なマーガレットとして生まれ変わったことを、家族、特に敬虔な祖母は喜んだ。

 そして、丁度その頃、従妹のローズがローマ直下の女学校へ通いだしたという話を聞いた。


 マーガレットが自分もその学校に通えるようにと、敬虔な祖母に頼めば、彼女は感激し、孫娘が入学できる歳を迎えるとすぐに、手続きをしてくれたのだった。


 そして、かわいい末娘を手放したがらない父親を「ダディは一年のうちの半分もいないじゃないか」と突き放し、心配性の母に「神の加護がある限りどこだって安全だよ」と告げてアメリカを後にした。


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