三十三夏 意地っ張りの弊害
うざったくて申し訳ないですがもうちょい独白。
最後チラリとあの人の影。
アシュールは、夜中の私の行動を全て覚えていた。
本当なら思いっきり噛み付いたり引っ掻いたりして軽い怪我をさせられたこと、アシュールが怒っても仕方なかったんじゃないかと思う。もしもこれが孝太や壱樹だったら確実に私に文句を言ってきていたはずだ。
でも、アシュールは全ての記憶を持っていても、翌朝顔を合わせた私に嫌な顔一つして見せなかった。
それは自分が私を押し潰しそうになっていた記憶があった所為かもしれないし、単に気にしていなかっただけかもしれない。
どっちかわからないけど、昨日の朝の段階では傷に関して私を責めようとも笑おうとも思っていなかったのは確かなんだと思う。
それなのに私があまりに奇怪な行動をとって、終いには身体まで拭き始めるまでに至って、おかしくて仕方なくなってしまったんだろう。そこまでして隠さなくてもいいのに、って。
それでアシュールの悪戯心に火がついた。
もともとアシュールだって大人気ない部分も持ち合わせている人間で、対抗心だって私に負けず劣らず持っている。負けず嫌いなヤツだ、って印象もある。
私があまりに傷の位置から連想されるものを意識し過ぎて、逆に相手の意識のあるうちに服を脱がせて身体を拭くなんていう男にとっては際どい行動をして見せたから、じゃあちょっとからかってやろう、あるいは自分がしていることの意味を気づかせてやろう、くらいに思って私を蹴倒したのかもしれない。今思えば、私の行動も男に勘違いさせるような要素はあったように思うから。
加えて、私がつけた傷に対するちょっとした仕返しも含んでいたかもしれないな。
そこまで考えて、昨日のことは私にも十分非があることは理解した。
それでもモヤモヤした気持ちが抜けないのは、私の中でどうしてもアシュールのあのセクハラ行為に納得いかないからなんだと思う。
昨日の出来事で私が何に一番腹が立ったかって考えると、アシュールがからかうためだけに私の身体を触った、っていう一点だったんだと思う。
私を蹴倒して覆い被さるくらいまではいい。
だけど、身体は触っちゃ駄目じゃない?
こういう私の考え方って、重いのかな?
別に大したところを触られたわけでもないし冗談だったし、途中でやめたんだからそれでいいでしょ、って、普通の女の子は思うのかな?
……でも私は嫌だったんだ。
何より、相手がアシュールだからこそ、嫌だった気がする。
それは別に私がアシュールを生理的に受け付けないとかなんとかではなくて、アシュールを信用し始めていたから、短い間でも家族として受け入れてもいいんじゃないかと思い始めていたから、余計にショックだったように思う。
たとえば。
あのとき私が“その気”になっていたら、アシュールが受け入れるにしろ拒むにしろ、結果的には少なからず傷ついていたと思う。
そうでなくても、馬鹿にされたと屈辱的な羞恥を感じて怒りが湧いたのは事実で。
もし私がもっと気の小さい女の子だったら、あるいは心底から恐怖を感じたかもしれない。
女の子にとっての“そういう”問題はデリケートだ。
アシュールが軽い気持ちでも、冗談で済まされないことだってある。
相手を傷つける可能性が高い、そういう軽薄な行動をアシュールがとったことが、私は許せなかったんだと思う。
他の女性相手にも、アシュールにはあんな無責任な行動はとって欲しく無いと、勝手かもしれないけどそう思った。
たとえばそれが明らかに冗談の雰囲気で、お互いにそれが通じる者同士ならいいと思う。逆に、本気に転んでも問題がないのなら、それもいいと思う。
でもそうじゃなければ駄目なんだ。
……私はたぶん、そんなにアシュールのことを把握し切れていない。
アシュールからの言葉は理解できないし、だからアシュールが何を考えているかなんてわからない。私が持つアシュールの印象は全て行動や雰囲気から読み取ったものでしかないし、それだってたったの三日じゃ明らかに経験不足。
そんな状態で、あの悪戯は受け止めきれない。
つまり、冗談で通じるような相手でも状況でもなかった、ってことだ。
だから結果的に、私はぶち切れてしまったんだと思う。
今思い出したって、少しくらいは腹も立つ。
けど、まあ今回のことは多分に私が悪かった部分もある。
それに、相手は他の誰でもなく私だ。
私はそこに妥協点を見つけることにした。
アシュールがあんな行動に出る切っ掛けを作ったのは私、な気が……、しなくもない、ような……うん。そういうことにしてやらなくもない。そんなわけです。
この三日間の私とアシュールの間には、妙に突き抜けた近さがあったのは事実だし、だからお互いに距離感が曖昧になっていた気がする。
アシュールの、――男の人のTシャツを脱がして身体を拭くなんていう不用意な行動を先にとったのは、私。
それがなければ、アシュールが無駄に私の、――女の子の身体を触るようなことはなかった、と思う。……そう信じたい。
あの後、種明かしをしたときのアシュールの顔を思い出す。
悪戯っぽく笑いながら、何かを期待していた銀河の瞳。
たぶんあれは、いつものように私が怒って反発して……、アシュールはそういう私の反応を待っていたような気がする。
悪気なんて全然なく、遊びたがってじゃれてくる犬みたいなものだったのかもしれない。
事実、私が怒るなんてこれっぽっちも思っていなかったみたいに、私が無言で押し退けたときのアシュールの驚いたような顔は、心底から想定外とでも言いたげな表情だった。
結局、結論は『お互い様』だったのかもしれない。
確かにアシュールのアレはやりすぎだった。
でも、そこまで持っていったのは私の意地っ張りでわけのわからないプライドの所為だ。
アシュールと私が“そういうコト”をしたかのように思われることが嫌で、馬鹿みたいにバレたら終わりだと思っていた。
意識し過ぎていて、逆に恥ずかしいことだったと今なら思う。
気づかれないならそれが一番だったけど、別に無理をしなくても、口で事情を説明すればそれでよかったんだよね。
アシュールだっていい年なんだろうし(本当の年齢なんて知らないけど)、酔い潰れて記憶がないなら変に本当かどうか突っ込んできたりしなかったんじゃないかと思う。
今考えれば、傷が完治するまでアシュールにお風呂を使わせないわけにはいかないし、隠し通せるようなものでもなかったんだよね。
今さらながらにそのことに気づいて、自分の馬鹿さに落ち込んだ。
……それでも。
そこまで考えて色んなことに気づいても、昨日あれだけ冷たい態度をとっていた手前、私からアシュールに接触するのも躊躇われて、というか勇気が出なくて、結局その日もアシュールには余所余所しい態度を突き通してしまった。
ずるずる過ごして夕食後、孝太に『なんだか知らないけど、そろそろ許してやれば? アシュール、かなりヘコんでて可哀相だよ』などと諭されてしまった。弟に、諭されてしまった。……弟に!
でもわかってる。日本語を話せないアシュールだから、私から行かなきゃいけないのはわかってるけど、今さらどんな顔でアシュールの前に立てばいいのやら。
――姉ちゃんにも孝太の真っ直ぐさと素直さが少しでもあればね。
いじけた気持ちでそんなことを思った。
◇◇◇◇
アシュールと仲違い(のようなもの)をして三日目。
つまり自分の非も認めて反省をしつつ謝れない一日を過ごした日(ほんと情けない)の翌日。
私は縁側で思いっきり不貞寝をしていた。
もうなんか、噛み痕やら爪痕を隠そうとしていたよりもドツボな気がして、起きてるなんて無理!
起きてる分だけ気まずい思いでいるとか、精神的に無理!
そんな子供っぽい考えで現実逃避気味に昼寝をするとか、私ってどんだけ子供なんでしょうか。
自分に呆れながらも爆睡してどれくらい経った頃か、不意に背後の扇風機の風が遮られた気配がした。
ついで、ふわりと漂う、
――ピーチ、臭……?
微睡みから抜け出せずにいる私の鼻に届いたのは、何とも乙女色な甘い香りだった。
次話、やっとアシュール登場。




