冬の夜の底 1
その日の夜、やるべきことを全部終わらせてから、私は自分の部屋の勉強机で鈴本先輩からの封筒を開けることにした。覚悟がどうと格好をつけたところで、鈴本先輩が私に何を伝えようと思ったのか、知らないままでいる堪え性も私にはなかったのである。
封筒を立てて、とんとんと机の天面に軽く落とし、中に入っているものを下側に寄せてから、封筒の上辺に慎重にはさみを入れた。
持ったときの感触から予想したとおり、中に入っていたのは分厚い紙の束だった。引き出してみて、私は衝撃を覚えた。
「……これ、ミーティングにだした原稿だ」
私がこれまで部で発表してきた作品のプリントアウトが、発表順に丁寧に綴じられていた。何カ所もアンダーラインが引かれ、余白や裏に、びっしりとあの几帳面な文字で書き込みがしてあった。私は慌ててページを繰った。間違いない。一作品も抜けずにファイルしてある。いつ書いたのだろう?
はじめにもどって、読み込んでいった。赤い字で、文法上の間違いや、意味を通りやすくする言い換えなどが指摘されている。目を通すべき類似テーマの先行作品についても、余白や裏にいくつもリストアップされ、鈴本先輩が押さえるべきだと思った根拠や、先行作品のポイントがメモされていた。だが、よく見ると、メモの見出しのように書かれている言葉は、〈鈴本フォント〉ではあるが、比較的字が大きくてやや走り書き感があった。その見出しを説明・補足するように書き込まれている字は、限られたスペースに納めるためかやや小さく、きっちり整った、私が普段目にしていた〈鈴本フォント〉である。インクの色もわずかに違う気がした。どういうことだろう。
さらに読み進めて、やっと理解した。赤字の書き込みの間の細い隙間に、青い字でさらに別のコメントが書き込まれているのを発見したのだ。インクの色を変えてあるのは、字同士がくっつき合って読みにくくなるのを防ぐためだろう。
青い字は、ミーティングでの彼女からは聞いたことがなかった種類のコメントだった。着眼点が面白い、比喩が気が利いている、意外性と説得力のある論の展開、など、短く具体的なほめポイントが書いてあったのだ。
彼女はきっと、市村にルーズリーフのメモを書いたあの日の後で、自分用にメモを取りながら読んでいたこの原稿を出してきたのだろう。自分しか読まないと思ったメモは、誰でも手短に走り書きになるものだ。そこにきっと、補足説明や、以前は書く必要を感じていなかったほめ言葉を付け加えていったにちがいない。
私は食い入るように、原稿と書き込みを読み進めていった。一番古いものは一年生の一学期に書いたものだ。一年半以上前の自分の文章は、こなれていなかったり、妙に肩に力が入っていたりして、気恥ずかしくなるような出来だったが、彼女のコメントはどれも的確で真摯だった。小さい青い字は、自分でも気づかなかったようなポイントに光を当て、評価してくれていた。
字の向こうに、彼女の姿が見えるようだった。ミーティングのとき、いつも最前列の窓際に座って、時々頬杖をついたり足を組んだりしながら、原稿に目を落として、あるいは発表者の目を静かに見つめながら淡々とコメントしていた姿。彼女がいたときには私には一度も投げかけられなかったはずのコメントが、目の前の文字と、記憶の中の姿が結びついて、今ここで彼女から語りかけられているような気がした。
彼女がこんなことを考えていただなんて、後で直接話していたという桝田先輩以外の誰が気づいただろう。そしてその桝田先輩ですら、彼女がなぜこれを発言しなかったのは見当がつかないと言っていた。
知らないことだらけで謎だらけだ。一年半以上も部活でたびたび顔を合わせていたのに。
どうして私は彼女のことをもっと知ろうとしなかったのだろう。
原稿をめくっていくうち、その最後にぴったり重なるようにして、彼女の筆跡だけが並んだ同じA4のコピー用紙があるのに気がついた。
私は原稿をいったん横によけて、その紙をデスクの自分の正面に置いた。
彼女からの手紙だった。
『 荘介へ
私は東京でこれを書いている。何も言わずに転校することになってすまなかった。
亨にはさんざん怒られた。
この手紙をおまえに渡すとき、亨がたぶん、私のことをいろいろ話しているんじゃないかと思うから、くだくだ説明はしないことにする。
市村の作品にコメントを書きながら、私はおまえの作品に一切コメントをしてこなかったことを初めて後悔した。もちろん、コメントをしなかったことには私なりの理由がかあった。けれど、コメントをしないという行動も、また、言葉ではないチャンネルのコミュニケーションとして、何らかのメッセージ性を持ちうるものだ、相手に何かの気持ちを起こさせるものだ、ということへの認識が甘かった。
私は言葉で表現することを自らに課して、磨いてきた。でも、私の表現はどこか私と言葉、私と作品そのものの関係にすぎず、私と誰かの関係にはなりきれない一方通行なものだったのだ、言葉や表現を介して、その向こう側にいる他者とコミュニケートするものにはなりえていなかったのだ、と、九月の展望広場での会話と、この前の会話で、ようやく明確に理解することができたと思っている。
私にそれを気がつかせてくれたのが、荘介なんだ。
おまえがミーティングで発言しているときはいつでも、作品の批評をしているようでいて、その向こうにいる書き手本人に話しかけている気がした。だから、おまえの言うことはみんなが聞く。伝わる。おまえが副部長に選ばれたのは、偶然でも陰謀でもない。おまえが一番、ミーティングで説得力のある発言、相手を励まして相手から何かを引き出せるような発言をしていたからなんだ。
私は作品について語る。でもその向こうにいる人間がわからない。想像力が及びきらないことが多々ある。だから、私の言葉は届かないで、しょっちゅう途中で失速してどこかに墜落してしまうんだ。
私が、自分に欠けている何かがあると思い始めたのは、それに気がついた頃だ。何となくもやもやして捕まえられないでいたことが、ようやくこうして言葉にできるようになった。
作品についても、お前の書き方は私の書き方とは全然違う。私が書くときは、全部の構造がいっぺんに見えて、向こうから来た力に闇雲に書かされる気がする。伝わるかどうか、わからないが。書くとき、私には、今書いているものが、いいかよくないか、直観でわかる。よくない方を避けて、いい方に行くように苦闘する。言葉の選び方ひとつをとってもそうだし、論の展開やストーリー構造みたいな高次の部分でもそうだ。この世ではないどこかに、正解の、美しい作品があって、私はそれを写してこの世によみがえらせようとする職人みたいなものだ。どの言葉もキャラクターもエピソードも、私にとっては作品を構成する要素であり、材料に過ぎない。
おまえはきっと違うだろう。おまえの作品に出てくるキャラクターは、おまえ自身のようでいておまえ自身じゃない。キャラクターも一つの人格で、たぶんおまえはそいつらそれぞれと対話しながら書いている。おまえは圧倒的な何かに書かされている職人や殉教者ではない。対話可能ないくつもの概念と対等にコミュニケートして、調和を目指す、指揮者のような書き方をしているのではないか、と感じていた。
だから、私が下手にコメントするとおまえの良さが全部つぶれてしまうのじゃないかと思った。おまえの書き方は私にとっては火星人の書き方だ。どうしてそんなことができるのか、全く理解できない。だから、私自身が、おまえの作品にコメントする水準に達していないんだ。まあ、私が火星人でおまえが地球人なのかもしれないが。
荘介は荘介のままで、伸ばしていってほしかった。それが私がコメントをしてこなかった理由だ。作品を否定していたつもりは一切なかったけれど、そのことがどう荘介に受け止められうるか、ということについては、私には決定的に想像力が不足していたようだ。
コメントを書いてみたけれど、やはり、うまく伝わるかどうかわからないから怖い。でも、私がどうコメントしたところで、おまえはそんなことでつぶれるようなやわな人間でもないから、大丈夫だろう。結局私は、おまえによくない影響があるかもしれないから言いたくない、というのを言い訳にして、本当は自分の言ったことがうまく伝わらないかもしれないのが怖くて、言わないできてしまっただけのような気がする。
今はまだキャラクターや発想に振り回されて書ききれないでいるように見えるけど、ちゃんと続けていけば、おまえはきっといいのが書ける。キャラクターそれぞれが独立した人格だから、長いストーリーを支えられる。だから辞めるな。もっとお前の書き方が活きる作品があるはずだ。そこまでたどりつけ。長いのを書け、と言ったとき、私が考えていたのはそういうことだった。
私は今、長いものを書く勇気がでない。中途で絶筆になった作品ほど、悲しいものはないと思うからだ。私にはどれだけ時間があるかわからない。でも、書くのをやめるつもりはない。今一つ一つ感じていることそのものが、書くべきことだと思っている。そういうことを一つずつ積み重ねていって、私は私なりに、ここを出たとき、おまえに、それから亨に、恥じない何かを造り出せていればいいと思う。あきらめるつもりは一切ない。
長いの、書けたらちゃんと見せろよ。途中でやめるなよ。連載の続きが読めないほど悲しいことはないんだから、私は石にかじりついてでも完結するまで読むからな。
私は私の身体を誇りに思っている。この、文字通りの痛みがなければ、私の考えがたどり着けない地点がきっとあるはずだ。私はそこを目指す。
月並みな締め方になるが、荘介は親御さんにいただいた健康な身体を大事にしろ。体力、ちゃんとつけろ。達者で。
鈴本絹野
追伸
借りは必ず返すからな。覚えておけ』














