第十話 【ペルシャ猫】
あれからどれほど経ったのか。
ボルネードからの刺客もなく、周りから奴の情報さえ消えていった頃。
王城から下りてくる直々の依頼もパタリと止み、冒険者たちは毎日小銭稼ぎに翻弄している。
アルマーニはいつも通り、魔物の討伐や採取などをしていたが、ついには妙なウワサが立ち始めたのだ。
上級冒険者が赴くような依頼が減り、さらには中級冒険者たちが狩るような魔物さえ減っている。
減り始めたのは、丁度アルマーニとボルネードが決闘を行った時からになるのだ。
まさか、ボルネードのおかげで仕事が増えていたのか? 不正行為のせいで、ボルネードは罰せられたと聞く。そのせいで依頼が減ったのだとすれば、話が繋がる。
「まさか、ボルネードはそんな優しい男では──」
協会の受付には凄まじい数の冒険者たちが押し寄せていた。
受付嬢は冒険者たちに頭を振って否定したが、冒険者たちは納得するわけがない。
「しかし」と、言葉を続けようとした受付嬢は、大柄の男がカウンターを叩いたことにより口を閉ざす。
「てめぇらに優しくなくてもな! こっちは恩恵があったんだ!」
「そうだ! ボルネードを出せ!」
「ボルネード! ボルネード!」
最終的には、冒険者たちからボルネードへのコールが始まり、受付嬢は息を飲んで彼らを見回す。
「んだありゃ……」
協会へと足を踏み入れようとしていたアルマーニは、グレッダを制止させて眉をひそめた。
何十人もの冒険者たちがボルネードの名を呼び、まるでどこかの宗教を彷彿とさせる異様さだ。
つい前にも、このような絵面を見たことがあるが、気のせいだろうか。
「おい! 元凶のお出ましだぞ!」
不意に誰かが入り口の方へ指差し、受付嬢に責め群がっていた冒険者たちが一斉に振り返った。
憎悪に満ちた目がアルマーニを襲いながら、冒険者たちが怒りを露わにして近付いてくる。
「てめぇのせいで!」
「そうよ! どうしてくれるのよ!」
戦士と盾士の女が詰め寄り、アルマーニは表情を歪ませた。
「俺のせいじゃねぇだろ! ボルネードはお前らをコマにしてやがったんだぞ?!」
「それでも死ぬのは弱い奴らだけだ! こっちには関係ない!」
アルマーニの反論は、同じ中級冒険者の少年によって否定された。
それを皮切りに、次々と冒険者たちが罵詈雑言をアルマーニへとぶつけていく。
数に圧倒され後ろへ押されてしまう。
「とりあえず逃げよう!」
グレッダに後ろ襟首を掴まれ、アルマーニは「くそ!」も、悪態をついて走り出す。
「逃げたぞ! 追え!」
数名の冒険者が二人を全力で追いかけ、残った者たちは振り返って再び受付嬢を責めに戻っていった。
「待て!」
人混みの中を突っ切り、噴水広場を抜けてアルマーニは貧困層へと下りた。
グレッダは別の方向へ逃げたのか、姿は見えない。無事に逃げられることを願うばかりだが……。
「はぁ、くそ、何で俺が追いかけられねぇといけねぇんだよ」
今にも崩れそうな外壁に隠れ、アルマーニは舌を打った。
胃から込み上げてくるものを押さえ込み、額の汗を拭って壁の死角から上への様子を窺う。
「どこに行きやがった!?」
「探せ! ボルネードの居場所を吐かすぞ!」
「オレは向こうを見てくる」
三人まで減った追っ手は、貧困層に下りることなく散っていく。どうやらここには来ないと踏んだのだろう。
「ちっ、ボルネードの居場所を知ってたら、俺が行ってるってんだぁ」
苛立ちと安堵で、ひとまず壁にもたれたアルマーニは、ズルズルと尻餅をついて溜め息をつく。
「おじさん、大丈夫?」
「!?」
不意に左から声が聞こえ、アルマーニは一瞬肩を震わせて息を殺した。
だが、声を掛けてきたのはおかっぱ頭の薄汚れた少女だった。
それを再度確認して、首を傾げながら笑うおかっぱ頭の少女に、アルマーニはぎこちなく笑みを返す。
「ちっとばかし鬼ごっこではしゃいじまってよぉ。少しだけ、休んでもいいか?」
「うん! いいよ、わたしも休む!」
ニカッと笑ったおかっぱ頭の少女は、アルマーニの横へポスンと座り、ボロボロの人形を取り出した。
特に会話をすることもなく、少女とともに休憩していると、左の方から一匹の猫が歩いてきた。
薄汚れた貧困層に似合わぬ美しい毛並みを揺らすのは、黒のペルシャ猫だ。
どこから紛れ込んだのかは知らないが、気品溢れるその姿は女王にも見える。
「猫はいいよなぁ。鳴いてるだけで飯が食えるもんなぁ」
空笑いしながら虚ろな視線で、アルマーニは優雅に歩くペルシャ猫を追い掛ける。
「青二才が、一丁前のこと言うじゃニャいか」
不意にハスキーな声が聞こえ、アルマーニは固まった。前にいるのは黒のペルシャ猫だけだ。
他に影はなく、おかっぱ頭の少女は気にせず人形で遊んでいる。
気のせいかと首を傾げたところで、ペルシャ猫がゆっくりとこちらに顔を向けた。
「どこを見ているのニャ。頭だけじゃニャく目も腐ってるのかい?」
威圧的な口調と嫌みも加えた問い掛けが、何故か下から聞こえてくる。
「……耳までおかしいのかも知れねぇ。今日は帰って寝るかぁ」
目の前の事実を受け入れられず、アルマーニは頭を押さえて立ち上がった。
「あっ、シャーロット様!」
おかっぱ頭の少女は、ペルシャ猫を見つけると嬉しそうに駆け寄り、軽々と抱っこをして歯抜けの笑顔を見せる。
シャーロットと呼ばれたペルシャ猫は、ため息をこぼして鼻を鳴らすと、ふわふわの尻尾を揺らした。
「気を付けろ青二才。ボルネードは、アンタから全部奪うつもりニャ」
「マジで猫が喋ってんのかよ……何者だてめぇ」
「ふん、名乗ってやる義理はニャい。だが……」
シャーロットは抱かれたまま、オッドアイの瞳で真っ直ぐアルマーニを見据え、口を開いた。
「何かあれば助けてやらニャいこともニャい。ここは裏の世界。堕ちた奴を救うのも、アタシの仕事ニャ」
「裏の世界だぁ?」
アルマーニの疑問に対して、シャーロットは猫とは思えない程の気怠い表情で鼻を鳴らす。
「帰るよ」
「はーい。おじさん、ばいばい!」
おかっぱ頭の少女は促されると、片手で大きく手を振って走って行ってしまった。
残されたアルマーニは、痛みを感じ始めた頭を押さえて舌を打ち壁にもたれる。
「……何だってんだ……」
沸き上がる不明な怒りを拳に込め、壁を勢いよく殴りつけた。当然、痛みは酷い。
だが、不穏な影に怯え、緊張する身体を解かせるには十分な痛みであった。




