第96話 美雨が水の王配に望むモノ
氷室の予想外の言葉に美雨が驚いて氷室の顔を見るとその表情は冷たい氷のようだ。
明るい空色の青い瞳に浮かぶのは明らかな怒りの色。
何に対してかは分からないが氷室は怒っているらしい。
だがそんな静かな怒りを湛える表情でさえ氷室の美貌を際立たせる要素にしかなっていない。
(氷室様って……怒っていても綺麗だわ……)
そんな場合ではないというのに美雨は氷室の美しい顔に見惚れてしまう。
この氷の麗人は本当に神に愛されて「美」という賜物を贈られて生まれてきたような人物に違いない。
「美雨……?」
再び氷室の声が響き美雨はハッと我を取り戻す。
相手が怒っていると分かっているのに怒りの表情が美しくて見惚れていたなんて失礼なことだ。
慌てて美雨は先程の氷室の言葉を思い出して答える。
「こ、これは、光主にもらったものではなく、私の闇のお父様の形見です。約束の証でもあるといいますか……」
「闇のお父様……? 氷雨女王陛下の亡くなった闇の王配殿下のことですか?」
「は、はい。闇のお父様は私の我儘で命を落とされて……それで私は闇のお父様との約束を果たすためにも女王になると決意したのです。このネックレスはその決意を忘れないための物なんです」
美雨の心が僅かにチクリと棘が刺さったような痛みを覚える。
闇のお父様のことを話すだけでどうしても感じてしまう美雨の後悔の念。
きっとこの痛みは美雨が闇のお父様との約束を果たすまで、女王となるまで感じ続ける痛みだ。
「闇の王配殿下は襲撃で命を落とされたと聞いていますが、それが貴女の我儘というのはどういう意味でしょうか? しかもそれが女王を目指すことの理由になるというのは……」
怒りの表情から戸惑いの表情に変化した氷室の問いかけに美雨は僅かに顔を俯けた。
でもすぐに美雨は顔を上げる。
光主に話した時のように氷室にも自分が女王を目指す目的と理由をきちんと話すべきだ。
今の段階では氷室を美雨の水の王配に選ぶかどうかは分からないが自分が氷室に好意を持っていることは紛れもない事実なのだから。
氷室だって美雨の女王を目指す理由を知らずに水の王配にはなりたくはないだろう。
まだ出会ったばかりだが氷室という人物は自分自身が納得できなければ物事を受け入れる性格ではない気がするのだ。
それにもし自分が氷室を水の王配に選んだ時には氷室自身の意思でそれを承諾して欲しいという思いもある。
「氷室……私が女王を目指す理由を聞いてくれますか? ……闇のお父様との約束と襲撃事件のことも……」
「ええ、もちろんです。ですがその様子では込み入った事情がありそうですね。人のいない場所で話しましょうか」
「はい」
闇の王配の襲撃事件の時に幼い美雨が現場にいたことは公になっている事実ではない。
王女がお忍びで都に出かけていたなど民の知られるわけにはいかないからだ。
だから美雨も他人の耳に入る可能性のある場所で話すことにはためらいがある。
「海芳丸は関係者以外立ち入り禁止ですし、この時間は乗務員もほとんどいません。海芳丸の甲板に行けば人はいないと思います」
「分かりました」
美雨は氷室の手を借りて舷梯を渡り海芳丸に乗り込む。
船だから揺れると思ったがほとんど揺れを感じないことに美雨は驚いた。
「船ってもっと揺れるものだと思っていましたがそんなに揺れないものなのですね」
「それは海芳丸が大型戦艦だからです。大型の船は小型の船に比べて揺れが少ないのですよ。それに今は港の中にいますしね。外海に出ればもう少し揺れますよ」
(へえ、大型の船は小型の船より揺れないのね。それは助かるわ)
本で船に関してのことを調べた時に船に乗ると揺れのために船酔いする場合もあると書かれていたので美雨は自分が海芳丸に乗ったらすぐに船酔いするのではないかと危惧していたのだ。
だが港に停泊中の海芳丸であればそんな心配をする必要はないようなので美雨はホッと安心した。
氷室は美雨を海芳丸の前方にある甲板へと連れて行く。
「ここなら誰もいませんから大丈夫ですよ」
甲板に立った美雨は海風が自分の長い銀髪を揺らして吹き付けるのを感じた。
外海を航海しているわけではないのに心が開放感に包まれる。
もし本当にこの船で外海を航海したらもっと素敵な気分になれるだろう。
(それに海風は私の暗い記憶を洗い流してくれるみたい。海って不思議ね……ここでなら闇のお父様の話をできるわ……)
これから氷室に話す闇のお父様の襲撃事件は暗く悲しい美雨の記憶。
けれどこの海風に当たっているとその暗く悲しい記憶を話すのもそれほど苦痛に感じない。
「聞いてください、氷室……私と闇のお父様との約束の記憶を……」
美雨は静かに闇の王配の襲撃事件と自分がなぜ女王を目指すのかという理由を話し始めた。
氷室は黙って美雨の話を聞いていた。
美雨が語る闇の王配の襲撃事件の真相は氷室が考えていたよりも深刻なものだったようだ。
幼い美雨がその時に受けた心の傷の大きさを考えると襲撃事件の犯人たちに殺意が湧く。
あの襲撃事件の犯人たちは未だに捕まっていないと聞いている。
暗く悲しい記憶を思い出すのは辛いだろうに美雨は一生懸命に氷室に話してくれる。
きっと彼女は自分が女王になる理由を伝えることなく自分の水の王配を指名することに抵抗感があるのだろう。
この美雨の行動は彼女の中で女王と王配は同列の立場だと思っている故の行動だ。
女王を目指す自分の想いを理解して欲しい。
そしてそれを理解してくれる相手を王配に選びたい。
そんな美雨の心の声が氷室には聞こえる気がした。
(美雨は自分の水の王配には自分自身を理解してくれる相手を望んでいるようですね……王配としての適性だけでなく自分と共に歩んでくれる心の繋がった相手を王配に望むのですか……)
心の繋がった相手というからにはそこにはお互いの愛情がなければ成立しないだろう。
そこで氷室は美雨の話を聞きながらもふと思う。
(海道を水の王配にと思いましたが美雨が王配に愛を求めるなら海道と美雨が愛し合うということですか……? それは不快ですね……桃色の花のネックレスをあの光主という男の贈り物だと思った時よりも不快です……でも海道は光主よりも信頼のおける男なのに私はなぜ光主が美雨と愛し合うよりも海道が美雨と愛し合うことをより不快に思っているのでしょうか……?)
光主よりも海道の存在を不快に思うなどどうかしている。
一番警戒せねばならないのは得体の知れない霊力を持つ光主のはずなのに。
氷室は闇のお父様を喪ってもその約束を果たすため、民や国のために女王を目指すことに決めたと告げる美雨の姿が眩しく感じる。
妹の美波の死からいつまでも立ち直ることのできない自分より遥かに強い女性だ。
(美雨は強い女性ですね……己自身で運命を切り拓くことのできる女性なのでしょう。……でも護ってあげたい気持ちになるのはなぜでしょうか……?)
誰よりも強く誰よりも女王に相応しいと思える女性なのに自分が護りたくなる儚さと弱さを同時に内包する不思議な存在。
その存在に強烈に惹かれ焦がれる自分の気持ちを氷室は否定できない。
けれど氷室はその芽生えた気持ちのまま行動することにためらいを感じてしまう。
(美雨を護りたいなんて……妹ひとり護れなかった私にそんな資格はありません……)




