第78話 水の王配の適任者
女王候補者が来ると聞いた氷室は海人の方に振り向いた。
そして僅かに口元に笑みを浮かべる。
「第三王女の美雨様ですか……ようやく女王候補者のひとりが来るのですね。これでようやくひとり片付けられる」
早く全ての女王候補者たちが水族に来て水の王配選びが終われば晴れて海龍神殿の神官になれる予定の氷室から本音が漏れた。
そんな氷室の様子を海人は苦々しい表情で見つめてくる。
「その様子だとお前は自分が水の王配に指名されても拒否権を行使するつもりだな?」
「当たり前です。私は水の王配になるつもりはありません。王配選びが終わったら父上に正式な神官となる許可をもらって神官として生きていくのですから」
「お前はまだ美波の死に囚われているのか。あれは防ぎようのない事故だとみんなが承知しているのに……」
「いえ、あの時に水の都に引き返していれば美波は今も生きていたかもしれない。私の判断が美波を殺したのです」
船の上では船長が全ての権限を握っている。
自分は船長としての判断を間違えそれ故に美波の命を奪った。
だからこそ自分はその罪を償わなければならない。
「はぁ、お前は本当に頑固だよなぁ。まあ、自分の人生を決めるのは自分自身だがお前に必要なのは自分を赦す心だと思うぞ。そうすれば今より幸せな人生が送れるはずだ」
「私は自分が赦されたいなどとは思いません。自分が犯した罪の責任を取るのは当たり前です。罪人が幸せになることなどあってはならないのです」
氷室は頑として海人の言葉を受け入れるつもりはない。
罪人の自分が罪を忘れて幸せになるなどあってはならぬことだ。
「俺はお前のその凍り付いた心を溶かしてくれる者がいつか現れることを願うよ。俺の言葉ではお前の氷の心にはひびひとつ入れられないみたいだからな」
「誰の言葉であっても私の意志は揺らぎませんよ」
「分かった分かった。とりあえず美波の話はこれで終わりにしておく。だが現実から逃げることはお前の立場では許されないからあえて聞くが氷室は水の王配には誰が適任だと思う?」
海人の言いたいことを氷室は瞬時に理解する。
氷室自身が水の王配を辞退し海龍神殿の神官を希望する身であったとしても氷室が現水族の族長の息子のひとりであることは変わらない。
美波の事故がある前までは氷室も族長の息子として教育を受けてきた。
将来、族長になってもいいように教育を受ける族長の身内は幼い頃から水族の民のために生きることを叩き込まれる。
海人が求めているのは族長の息子としての氷室が今後の水族の将来をどう思っているのかということだ。
水族の繁栄には水の王配の存在が必要不可欠。
いや、ただ必要だということだけではなくどのような人物が水の王配になるかで水族の未来は変わってくる。
王配は政に対して口を出す権限はないが誰よりも女王のそばにいる人物だ。
この国が女王を中心に成り立つ国である以上、その夫でもあり近くで女王の補佐をする王配の地位はとても重要なのだ。
王配には強い霊力も必要だし人格者であることが望ましい。
現在、水の王配候補者として5人の者が族長から指名を受けている。
族長の長男の海人、次男の氷室、三男の水連、そして族長の甥の海道にその弟の真海だ。
「私がもし水の王配を女王候補に推薦するなら海人兄さんか海道を勧めるかもですね」
「……海道はともかく俺の事情を知ってるお前が俺を水の王配に推薦するのか?」
海人は一気に不機嫌な表情になった。
(そう言えば、海人兄さんは昔好きな女がいるって父上に秘密で交際していましたね。てっきり海人兄さんも王配候補者に選ばれていると聞いたのでその女とは別れたと思っていましたが)
「もしかしてまだ例の恋人との交際が続いてたのですか?」
「もしかしなくても続いている! 俺は彼女といずれ結婚したいんだからな」
「では海人兄さんも王配に指名されても拒否権を行使するつもりですか? それなら私が拒否権を行使することを海人兄さんが文句を言うことはできないはずですよね」
自分も拒否権を行使する予定でいるのに氷室が拒否権を行使することに対して口を出してもらいたくない。
そんな思いで冷たい視線を海人に向けると海人は罰が悪そうな表情で自分の頭を掻く。
「そう責めるなよ。確かに俺も拒否権を行使するつもりでいる。族長にならなってもいいが水の王配になったら彼女と結婚できないからな」
「相変わらず父上は海人兄さんの恋人の存在を知らないのですか?」
「……父上は俺に恋人がいることを知っている。だが父上にはそれを理由に王配候補者から外すことはできないと言われた。あの人は何よりも水族の繁栄しか頭にない人だ。息子の幸せなど二の次なんだろうよ」
二人の父親である現水族の族長は水族の民には人気があるが身内には非情な態度を取ることも多い。
全ては水族の繁栄のためという意識が強い人物なのだ。
「父上は相変わらずですか。族長としての手腕は評価しますが子供を持つ父親としては尊敬できない人ですからね」
6年前の美波の事故の時でさえ族長は「勝手に船に乗った美波にも落ち度はあった」と判断したぐらいだ。
その言葉を聞いた氷室は怒りのあまり父親を殴ろうとして海人に止められた過去がある。
自分の娘が死んだことを嘆くのではなくあくまで客観的にしか物事を判断しない性格なのだ。
それ故に嵐が予想以上に大きいことは事前に判断ができたことではなく事故は氷室の責任ではないということにもなったのだが。
「そこは俺も氷室と同感だな。だが父上の気持ちも分からないこともないんだ。水の王配の志水様が亡くなってから海賊の被害が頻発し始めてその対応に父上も俺も追われてるしな。族長として水族をそしてこの華天国を護らなければならないという意識が強過ぎるんだと思う。まあ、実際にこの国も水族も護らなければならないものだけどな」
(たとえそうであっても族長の責任を果たすために身内の幸せを犠牲にするやり方がいいとは思えませんがね)
海人の言いたいことは理解できても氷室はそれに同意することはできない。
しかし氷室とて水族が平穏な暮らしができるならそれに越したことはないとも思う。
美波はいつも水の都が好きだと言っていた。
その美波が好きなものが海賊や他国に奪われたり破壊されたりするのは氷室も嫌だ。
「海賊の被害ですか。そう言えば女王と王配が張っているという守護結界が弱まっているという話がありましたね。海人兄さんも守護結界が弱まったから海賊の被害が増えたとお考えですか?」
「そうだなあ。そう言われればそうだとも思うが俺には守護結界の存在を感じ取れる力は無いし。半信半疑ってところかな。だが海賊の被害は現実のものだからな。なんとかせねばならないのも事実だ。それ故に誰が次代の水の王配になるかが重要ってことさ」
氷室は空を見上げる。
話に聞いた守護結界は弱まっているとは言われているが消えたとは聞いていない。
ならば今もこの国を覆う守護結界があるはずだが氷室にもその存在を感じ取れるほどの力はない。
それは氷室の霊力が弱いためなのかどうかも分からない。
「でもそれなら少なくとも霊力の強い者が水の王配に選ばれるべきだと思いますが……」
「俺もそう思うが俺もお前も水の王配になるつもりはないだろ? すると残った三人のうち一番霊力が強いのは誰だと思う?」
「……おそらく水連でしょうね。ただ水連の性格は王配に適してるとは思えませんがね」
「やっぱり氷室もそう思うよな。俺たちの弟ではあるが水連は軽薄な男だし野心家なところがある。水の王配としては俺も推薦したくない奴だ」
どうやら弟に対する評価では氷室と海人は一致した意見のようだ。
(父上がなぜ水連を王配候補者に指名したのか疑問だが……いや、あの父上のことだから水連の性格より霊力の強さを評価したんでしょうね)
どこまでも息子たちの人格を気に留めることのない父親のやりそうなことだ。
自分の父親は族長として水の王配になる可能性を持つ霊力の強い者を女王候補者に引き合わせることが使命だとでも思っているのかもしれない。
「そうなると総合的に判断すれば海道が適任ですか」
「そうだな。海道なら性格的な問題はない。俺たちの中では霊力が多少低いが。だがそれはあくまで俺たちの都合でしかない。水の王配を決めるのは女王候補者だ。さて、美雨王女殿下がこちらの都合よく相手を選んでくれるかは未知数だな」
(美雨王女殿下が少しでもマシな感覚の持ち主であることを祈りますよ……)
氷室は憂いに満ちた瞳を目の前に広がる海原へと向けながら深く溜め息を吐いた。




