第77話 氷室の妹の事故
ザバーンッ! ザバーンッ!
白い砂浜に波が押し寄せては引いていく。
水の都のそばにある砂浜は海龍神殿が所有している場所であるため一般の民はこの砂浜の立ち入ることはできない。
そんな砂浜の波打ち際に佇みながら氷室は溜め息をひとつ吐く。
「……美波……」
小さく呟いた声は波の音にかき消されてしまう。
だが氷室の心の中で彼女のことが消えることはない。
海に吹き付ける風が氷室の背中の半ばほどもある美しい長い銀髪を揺らす。
水族の特徴でもある銀髪だが氷室の髪色は特に光沢のある輝きを放つ。
そしてもう一つの水族の特徴の青い瞳は澄んだ明るい色だ。
しかし今はその明るいはずの青い瞳は憂いを帯びていた。
美波を喪った6年前から氷室の瞳の中のその憂いた色が消えることはない。
悔やんで自ら俗世と距離を置いて美波の魂を弔うために海龍神殿で毎日祈りを捧げても氷室の罪の意識が薄まることはなかった。
氷室は水の族長の次男で現在24歳。
美波は氷室の妹だ。
その妹の美波は6年前に氷室が操縦する船に乗り嵐の海に落ちて死んでしまった。
氷室の周囲の者たちはそれを不幸な事故だと言い、氷室に責任は無いと判断されたが氷室自身が己を許せなかったのだ。
水族の男は船を操縦できるようになって一人前とされる。
氷室の操舵技術は水族の中でも群を抜いて高いと6年前も評価されていた。
だから自分は嵐が近付いていると知っていても乗り越えられると判断してあの日自分の船を操縦して隣国に向かうために水の都を出港した。
しかし途中で予想外のことが起こった。
当時11歳だった氷室の妹の美波が無断で氷室の船に乗っていたのだ。
水の都に引き返して美波を船から降ろすことも考えたが嵐が迫っていたために逆に隣国に向かった方が近いと思いそのまま氷室は船で隣国を目指す。
だが隣国に辿り着く前に嵐に巻き込まれてしまった。
その嵐は氷室もその時に同じ船に乗務していた者たちも遭遇したことがないほどの大嵐だったのが悲劇を生んだ。
氷室の船は嵐の波風に耐えきれず操縦機関の一部が破壊され航行不能に陥る。
なんとか沈没は免れたが嵐が去った後に数人の乗務員が海に落ちたのか姿が消えていた。
その消えた人間たちの中に妹の美波も含まれていた。
氷室と他の乗務員は他の船に発見されて救出されたが美波の遺体は結局見つからなかった。
(美波の魂を一生かけて弔うために海龍神殿の神官になることを希望したのに王配候補者だからという理由で未だに正式な神官の身分を与えられないなんて……)
表向き現在氷室は海龍神殿の神官としての毎日を過ごしているが海龍神殿の神官になるには水族の族長の許可が必要になる。
神官になると決めた6年前に氷室は自分の父親である水族の族長に神官になる許可を求めた。
しかし族長の許可は下りなかった。
理由は数年後に行われる予定の次代の女王候補者が各部族を回って自分の王配を決める王配選びの旅があるため。
幸か不幸か氷室は族長の身内の中でも特に強い霊力を持っていた。
海龍神殿の神官は妻を持つことを禁じられる。
次代の水の王配になる可能性を持つ氷室を水の族長がすんなりと王配候補者から外す訳がないのだ。
強い霊力を持っていても妹一人護れなかった自分に水の王配など務まる訳がないと抗議しても族長は首を縦に振ることはなく静かな声で氷室に告げる。
『次代の水の王配を決めるのは次代の女王候補者がすること。私たち族長は王配に相応しい力を持つ一族の男を女王候補者たちに引き合わせる責任があるのだ』と。
この国にとって王配が必要なことは氷室も理解している。
だが氷室は自分が王配になるつもりはない。
だから氷室は自分が王配候補者の者に名を連ねるにあたってひとつだけ条件を族長に出した。
もし自分が女王候補者たちの誰にも選ばれることなく別の者が次代の水の王配として選ばれた時は必ず自分を海龍神殿の正式な神官にする許可を出して欲しいと。
族長はその条件ならかまわないと了承してくれて今日に至る。
そして王配選びの旅が始まったとの連絡を受けた。
女王候補者がどの部族に来るかの順番は決まっていないので氷室を始めとする水の王配候補者たちはいつ来るか分からない女王候補者たちをただ待つことしかできない。
早く王配選びの旅の期間が終わって欲しいと願う氷室から見れば待つしかない時間というのはもどかしい。
(さっさと水族に来て私以外の王配を選んでくれればいいのに……。まあ、たとえ私を指名してきても私は拒否権を行使させてもらいますがね)
最初から拒否権を行使すると決めている氷室は女王候補者に興味などない。
どんな美しい女王候補者が現れても美波を弔うために自分の生涯をかけて祈ると決めた自分が心を動かされることはないだろう。
しかし氷室の思惑とは反対にまだこの水族に女王候補者たちは誰も来ていなかった。
「氷室。ここにいたのか」
氷室の後ろから男の声がかかる。
その馴染みある声の持ち主が誰なのかは振り向かずとも氷室は分かっていた。
氷室の兄であり水の族長の長男の海人だ。
「海人兄さん。本日はどのようなご用件で?」
後ろも振り向かず尋ねる氷室に海人は苦笑いを浮かべる。
氷室が普段から海龍神殿以外の俗世と関わるのをなるべく避けていることは海人もよく知っていた。
そのため自分の兄に対しても氷室が素っ気ない態度を取るのはいつものことである。
俗世の情報や仕事を持って来る海人に対して氷室は迷惑としか思ってないので冷たい態度になってしまうのは当たり前だ。
「相変わらず俺に冷たいなあ、氷室は」
「私は誰に対しても同じですよ。ただ迷惑事を持ち込まれるのが嫌なだけです」
「まあ、お前の気持ちも分かるがな。今回もお前にとっては迷惑事のひとつかもしれないしな」
「さっさとご用件をどうぞ。迷惑事なら余計に早く片付けたいですから」
「たとえお前でもそう簡単に片付けられないことだと思うぞ。水族に女王候補者が来ると連絡があった。しかも女王候補者の有力者である第三王女の美雨様だ」
「……っ!」
氷室は海人から告げられた言葉に息を呑んだ。




